11月になり、俺たちの高校でも来週には文化祭が控えていた。

 秋晴れの青空の屋上。
 フェンスを背にして並んで座っている俺たちは、昼ご飯も食べ終わって、今は互いにやりたいことをしている。

 俺は胡座をかいて座った足の上にノートパソコンを置いてキーボードを打っていた。
 パソコン作業をする時は眼鏡をかけるのだが、パソコンを開いて眼鏡をかけた瞬間、早乙女が俺の顔をじ〜っとガン見してきた。
「何?」と怪訝に思いながら聞いたら、早乙女は目を逸らしてぎこちない声で「いや……眼鏡姿初めて見たから、新鮮に感じたっつーか……」とぶつぶつ言っていた。

 タイピングをやめて顎に手を添えて考え込んだタイミングで、スマホゲームに飽きたらしい早乙女が話しかけてくる。

「お前、さっきから何の作業してんだ?」

「演劇部からのお願いで、文化祭でやる劇の脚本の一部の台詞を変更しているんだ」

 中学から付き合いがある友達が演劇部の部員で、数ヶ月前に頼まれたのが文化祭で披露する劇の創作脚本だった。
 引き受けた俺は、学校を舞台にしたミステリーを書き上げた。

「脚本? まさか浅桜が書いたのか?」

「あぁ、うん、まぁ」

「すっげ! お前、脚本なんて書けんのかよ、やべーな」

 早乙女が大袈裟なほどほめてくる。

「どんな内容なんだ?」

「学校を舞台に、探偵役の生徒が地下室で起こった殺人事件の謎を解き明かす推理ものだよ」

「はぁぁ、マジですげぇな」

 そんなに凄いことだろうか。

「オリジナルの物語なんて誰でも思いつくし、誰でも書けると俺は思うけど……」

「はあ? 無理無理。そんな簡単なことじゃねーよ。なんか物語を書けって言われても、俺のアホな頭じゃ何のアイデアも浮かばねぇよ」

「よくわかってんじゃん。自分がアホだって」

「ぐっ、くそっ、馬鹿にしやがって」

 くすくす笑う俺を見て、早乙女は悔しげに頬を赤らめた。
 肌寒い風が彼の傷んだ金髪をゆらす。

「最近知ったんだけどよー。お前って、ちょっとSっ気なところがあるよな」

「そうかな? 俺も、早乙女について最近知ったことがあるよ」

「う……なんだよ、言ってみろ」

「その見た目でかわいい物好きとか。あと、ちょっと恥ずかしがると、すぐに顔と耳が赤くなる」

 にやにやといたずらっ子のように笑う俺の額を、早乙女が反撃とばかりに指先でデコピンしてきた。「いだっ」と声が出る。地味に痛い。

 俺たちのクラスは焼きそばとたこ焼きを売る。そこまで大掛かりな準備は必要ないため、ほとんどの生徒は部活の出し物を優先して動いていた。

「浅桜も頑張ってんだな。演劇部の劇とか興味なかったけど、脚本がお前なら見るわ」

「ありがとう。たしかバンド演奏の前だったよ」

「げ、マジかよ……その時間帯なら軽音楽部と本番前の練習してっから見れねーかも」

 早乙女ががっくりと肩を落とす。
 俺は驚いて目を丸くした。

「早乙女って、俺と同じで帰宅部だと思ってた」

「帰宅部だぜ。軽音楽部の先輩に頼まれて、バンドの助っ人をすんだよ」

「へえ、凄いな。担当は?」

「キーボード担当。小1から中学1年までピアノを習ってたからな。経験ありっつーことで頼まれた」

「ええっ」

 思わず声を上げてしまった。
 ピアノ習ってた? 早乙女が??

「想像がつかない……」

「だろ? みんなに言われるわ」

 ワハハ、と早乙女は気分を害した様子もなく笑う。
 そのあと早乙女は黙ってまたスマホを弄り始めた。
 静かにしているのは俺の邪魔をしないためだろう。こういう優しさがあるところも気づけて良かった。

 そう思っていると、右側に重みを感じた。
 視界の端に傷んだ金髪が見える。
 いつのまにか、早乙女が俺の体にもたれて居眠りしていた。
 ちょっと重いけど、気にせずそのままにしておく。

 作業を終わらせたところで予鈴のチャイムが鳴った。
 パソコンの電源を切って眼鏡をケースに仕舞い、早乙女を起こそうと肩を掴んで揺さぶる。

「早乙女、起きろ」

「……ん〜……」

 眉根をぎゅっと寄せて、ゆるゆるとまぶたを開けた早乙女は俺の方を見た、その時。
 力の入っていない背中が背後のフェンスをずるっとすべり、早乙女の顔が俺の顔の近くにくる。
 その瞬間、唇同士が軽く触れあってしまった。

「あ」

「……、うぇぁあぁああぁああっ!?」

 事態に気付き、悲鳴をあげて真っ赤になった早乙女が尻餅をついたままズサササッと体を後方に引いて距離をとった。
 そして深々と土下座をする。

「す、すまん!! マジでごめん!!」

「あー、いや……ただの事故チューだろ。大袈裟だよ」

 気にしてないから、と笑って言えば、何故か少し不満げな顔を上げた早乙女と目が合う。

「そっか……けど、マジでごめんな」

 そう静かな声で言って立ち上がった早乙女は、「悪りぃ先行く」と言って屋上から去って行った。
 その落ち込んだような後ろ姿を見て、俺は不思議に思いながら頭を搔く。

 1人になったあと、触れあった唇に無意識に指先で触れた。
 微かに感じた早乙女の唇の感触を思い出して、頬に熱が籠った気がした。




 文化祭当日。
 秋晴れの空の下で賑わいを見せる校舎は、午後のステージイベントに向けて更に盛り上がってきていた。

 体育館は集まった生徒と外部の人間でいっぱいだ。
 演劇部のステージはファッションショーの後だ。俺はファッションショーが終わった直後に体育館に入った。
 生徒が観る席は前列にあるけど、ほとんど席が埋まっていてほぼ後ろから劇を見ることになってしまった。まぁこの後のバンド演奏も観るとなると、前の方は盛り上がってもみくちゃにされる危険性があるため丁度いい。

〈ただいまより、演劇部による『学校地下室の殺人』を上演いたします〉

 会場内の照明が落とされて、放送部の女子生徒の声がスピーカーから響いた。
 一気に静かになった会場内で、俺はふと思う。

 ……早乙女にも見てもらいたかったな。

 謎が解けるまでの緊張感の中、演劇は無事に終了した。
 終わった後に、拍手とともにステージ上に主演者が名前を呼ばれながら出てくる。
 全員がステージ上に並んだ後に、再びスピーカーから声が響く。

〈最後に、この演劇の脚本を担当した1年の浅桜裕也(あさくらゆうや)さん。もしここに居たら、どうぞステージに上がって来てください!〉

 え。

 思わぬ事態に俺は固まってしまった。
 近くにいたクラスメイトたちが俺に気づいて笑いながら背中を押して前に出す。戸惑いながらもこんなことで時間を取らせるわけにもいかないから、急いでステージに上がった。
 舞台袖に近い一番端に立って、主演者たちと一緒に拍手を受ける。

   浅桜

 ふと、誰かに名前を呼ばれた。
 舞台袖に目を向けると、早乙女の姿があった。
 驚いている俺と目が合うと、早乙女はニカッと白い歯を見せて笑った。ステージ衣装のスーツ姿だった。胸元のポケットや襟をアクセサリーで飾っている。
 見た目ヤンキーでも高身長なら何を着ても似合うんだな、と思いつつ、大人っぽいその姿に見惚れて、胸の辺りがぎゅっと締め付けられる謎の息苦しさを感じた。

 そしていよいよ、バンド演奏が始まる。
 俺はなんとなく元の場所には戻らずに、体育館の出入り口付近の壁際に立って、そこからバンド用にセッティングされていくステージを眺めた。
 舞台袖から、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、そしてキーボード担当の早乙女が出てきてそれぞれの位置に着く。

〈ステージイベントの最後を飾るのは、軽音楽部のバンド演奏です。みなさん、盛り上がる準備はいいですか。では全力で楽しんでいきましょう!〉

 次の瞬間、ステージ上がライトに照らされ、アップテンポな曲が流れ始めた。
 すると一斉に生徒たちが声を上げる。
 いつの間に配られていたのか、バンド用のうちわを皆が振り始め、中には持参のライトを振る生徒までいた。
 黄色い声が飛ぶ。
 熱気にあふれる。
 観客のノリの良さもあり、まるでライブ会場だ。

 すごいな……。

 そんな熱気から外れた場所で、俺は半ば呆然としていた。
 ステージ上の早乙女を見る。
 ちょっと長めの金髪を、彼は後ろで一つに縛っていた。
 いつも制服のネクタイは外しているのに、スーツ姿の彼はきちんとネクタイをしている。普段見ない姿に、目が離せない。
 楽しそうに笑って演奏する早乙女を見つめながら、ドキドキと心臓が高鳴っているのを感じていた。
 1曲目が終わって、すぐにまたアップテンポな2曲目に入る。

 ん?

 その時、早乙女が急にきょろきょろし始めた。
 手元を見てなくても弾けるのは流石だけど、何を探してるんだ? と不思議に思っていると、ばっちり目が合った。
 すると早乙女は手をピストルの形にして俺の方を指さすと、満面の笑顔でウインクしてきた。

「は、はああっ?」

 思わず声が出た。
 けど俺の声なんてこの中じゃ誰の耳にも届かない。

 ば、バカじゃないかあいつ……なんのアピールだよ……。

 恥ずかしいけど、サービス(?)的なその行動がちょっと嬉しく感じた俺は、思わず緩んだ口元を片手で隠してそっぽを向いた。




 振替休日を得て、学校はいつも通りの日常を取り戻している。

 俺は改めて演劇部の部員から「浅桜のおかげで大成功だったよ」とお礼を言われた。
 名前を呼ばれたこともあって脚本を担当したのが俺だってバレてからは、「生徒会長が犯人だってぜんぜん気づけなかったよ」「ドラマ観てるみたいで面白かった」とクラスメイトから褒められ、先生たちからは「作家を目指してみたらどうだ」と言われるようになった。

 注目されるのは苦手だ。はやく忘れてくれないかな、と思いながら俺はため息をつき、自分の席で文庫本を読んでいる。

「お゛っす、お゛はよ」

 隣の席に早乙女が座って挨拶してきた。その声がなぜか枯れている。

「おはよう。声、どうしたんだ?」

 聞けば文化祭のあと、熱が冷めないままバンドの打ち上げでカラオケに連れて行かれ、そこでかなり歌わされたという。「来年のボーカルはお前で決定だな!」とまで言われたらしい。

「はは、なんだ。風邪でもひいたのかと思ったよ」

 俺は笑いながら、ふと思い出して鞄の中を探った。
 あった、のど飴。
 袋から個包装になったのど飴を何粒か取り出し、赤いカプセルに入れて蓋をする。
 隣で教科書らを取り出してあくびをしている早乙女に、はい、と手渡した。

「のど飴。持ってたからあげるよ」

「お、助かる゛。さんきゅ」

 早乙女は嬉しそうにカプセルを受け取ると、喉に負担をかけないようにしてるのか、いつもより声を小さくして、「俺、かっこよかったか?」と聞いてきた。

「あぁ、すごくかっこよかったよ」

 俺は机に頬杖をついて、目を細めて笑う。
 本当に、かっこよかった。
 早乙女は照れたように笑うと、次いでちょっと残念そうに「演劇の評判すげぇいいじゃん。観れなかったのショックすぎるわ」と言った。

「せめ゛て、お前が書いたヤツ読んでみ゛てぇな」

 と言いながら、のど飴を口に入れた。
 俺は何故か心臓がどきりとして、早乙女の顔が見れなくなる。

「あー……じゃあ脚本もってるから、それ読むか?」

 無意識のうちにそう言って、自分用にコピーして持っていた脚本を早乙女に差し出していた。
 早乙女はわかりやすくぱあっと顔を輝かせると、嬉しそうに脚本を受け取ってすぐに読み始めて数分後。

「……なぁ、この゛漢字、なん゛て読むんだ?」

 と、その後の休み時間と昼休みの間、何度も何度も聞かれた。




 季節は12月。
 冬休みとクリスマスを目前にした生徒たちは、それはもう皆がわかりやすく浮かれている。
 特に女子たちの会話はイブに誰と過ごすかで盛り上がっていた。彼氏彼女がいる生徒は幸せオーラを隠しもしない。

 俺はあまり恋愛に興味がなかった。
 だから別に、クリスマスに恋愛がらみの予定がなくても気にはならない。
 ふと、早乙女はどうなんだろうかと考える。
 クリスマスの予定は? その前に彼女はいるのか。いたことはまぁ……あるだろうな。

 実はここ最近、文化祭のバンドの影響で早乙女に好意を寄せる女子が増えたように感じていた。
「背高いし顔も悪くないよね」「道端で子猫を拾うヤンキーみたいに性格も良さそう」と、クラスの女子の誰かが言っていた。

 告白されたという噂も耳にしている。
 気になる。
 その告白はどうなったんだろうか。
 なぜか気になる。
 気になってしかたない。




「で、どうなったんだ?」

「え、いや、フツーに断ったわ」

 悩むのも面倒くさいので、学校帰りに本人に聞いた。
 隣を歩く早乙女は「つかなんで告白されたこと知ってんだよ……」と小声で嫌そうに呟いていた。
 なんだよ、俺に知られるのがそんなに嫌か。

「早乙女は彼女いたことあるだろ」

「いやそこは、いたことある? って聞くんじゃねーの」

「ないのか?」

「あるわ。……いたけど、中学卒業すると同時に別れた」

「まぁまぁ最近だな」

 この話題になってから、なぜか早乙女は俺の方を見なくなった。
 恥ずかしいんだろうな、と思ってちょっとからかいたくなった。俺の悪い癖だ。

「じゃあまたつくればいいじゃないか。今がチャンスだろ」

「告白されたから付き合うとか、ンな最低なことしねーわ」

「気になる人とか、いないのか?」

 俺は笑顔になって早乙女の顔を覗き込んだ。
 見えた早乙女の顔は、なぜか暗い笑みを浮かべていた。
 どきっと、心臓が不穏な跳ね方をする。

「いても告白する気ねぇよ」

「……」

 そのあまりにも悲しそうな顔を見て、俺は返す言葉を失くしてしまった。

「じゃあな。次会うのは、まぁ……冬休み明けか」

 別れ道で足を止めてそう言った早乙女に、俺は笑みを浮かべて頷いた。

 軽く手を振って互いに背を向けて歩き出す。
 俺はしばらくして足を止めると背後を見た。
 どんどん遠ざかっていく早乙女の背中をじっと見つめる。
 明日から冬休みだ。
 そしてクリスマスがくる。
 俺は家族で過ごす予定だけど、早乙女はどうなんだろうか。


 “いても告白する気ねぇよ”


「……好きな人、いるんかい」

 何故かツッコミみたいなセリフを無意識に口にしていた。
 モヤモヤした気持ちの原因がわからず、ため息がでる。


 最近の俺は、なんか変だ……。