学校帰りによく行く書店がある。
今年入学した都内の高校の最寄駅にある百貨店の8階。その隣の広いスペースに、最近ガチャガチャコーナーがオープンされた。
800台以上のカプセルトイが並んでいるのは、そういう物に全く興味がない俺でもついつい目を向けてしまう。
肌寒さを感じられるようになった10月下旬。
俺は学校帰りに、新刊コーナーをチェックするために百貨店の書店に向かった。
何も買わず書店を出たあと、スマホで時刻を確認する。
「次の電車まであと10分か……」
5分くらいは暖かい店内で時間を潰したい。
そう思った時にふと見た先には、ずらーっと並ぶガチャガチャコーナー。
「見るだけでもいい時間潰しになるな」
そう思って足を向けた。
ガチャガチャコーナーには女性を中心とした子供から大人の人で賑わっている。
お菓子のパッケージがプリントされたポーチや巾着袋。
アニメキャラのフィギュア。
ゆるキャラのヘアピンやシュシュ。
様々な生き物のキーホルダー、などなど。
ちょっと楽しい気分になってきた。
ふと、足が1台のカプセルトイの前で立ち止まる。
柴犬のキーホルダーだ。『再入荷』という張り紙がしてある。やっぱり柴犬は人気が高いんだな。
ぽってりとした愛らしい見た目の柴犬で、色は茶、白、黒の、全10種類ある。
俺は脳裏で思い出す。俺の家の近くで飼われている黒柴のことを。
人懐っこい性格をしていて、よく庭のフェンスから顔を出して、通行人に尻尾を振っているかわいい子だ。
「1回だけ回してみるか」
キーホルダーだし、家の鍵につけて使えばいい。
財布から300円を取り出してお金を入れる。
ガチャガチャ、 コロン
手を突っ込んだ取り出し口から、中身が見えないタイプの赤いカプセルを取り出した。
その場でぱかりと蓋を開ける。
白柴のキーホルダーだった。おすわりしたフォルムが愛らしい。
「黒柴じゃないけど……まぁいいか」
そう呟いて、カプセルの捨て場所を探そうと振り返ったその時だった。
「うわっ!?」
体をビクッとさせて、思わず短く叫んでしまった。
すぐ背後に、同じ学校の制服を着た男子生徒が立っていたからだ。
ちょっと長めの金髪。
むすっとした顔で、目つきは悪い。
ネクタイをしてない着崩した制服と、無駄に背が高い、スポーツをしてそうなたくましい体つき。
一昔前のヤンキーみたい、とクラスの女子から密かに言われているこの男は、俺の隣の席でいつも不機嫌そうな顔をして座っている。
「お前それ、いらねーのか?」
「…………はぃ?」
それ、と言って目の前のヤンキーは俺の手の中にあるカプセルを指さした。
正確には、中のキーホルダーを。
「あぁ、これ? いらないってわけじゃないけど、欲しかった色じゃなかったんだ」
「ふうん」
「……?」
「……」
「……??」
俺の頭の上にはクエスチョンマークがいくつも飛んだ。
目の前のヤンキーは、じーっとキーホルダーを見つめている。まるで食べたい餌を前にして「よし」を待っている犬のように。
俺は頭ひとつ分高い位置にあるヤンキーのそんな顔を見て、思わず苦笑いを浮かべながら口を開く。
「あー……これ、良かったらいる?」
「……!」
ヤンキーの顔がぱあっと輝いた。
隣でずっと不機嫌そうに授業を受けている男のそんな嬉しそうな表情を見られるとは思わなくて、俺は思わずポカンとした。
「いいのか!?」
「声でかっ。あぁ、いいよ」
透明なビニール袋に入ったままのキーホルダーを取り出そうとしたその手の動きを一旦止めて、カプセルに入れたまま蓋をカチリと閉じ直す。
それをそのまま、はい、と笑顔で差し出した。
「おお、サンキュー」
「そんなに欲しかったのか?」
「うっ! あ、あぁ……小学生の妹がこれの全種類を集めてんだよ。けど人気で売り切れてなくなってたから、ガッカリしてたんだ」
「あぁ。今あるのは再入荷って書いてあるな」
「最後の1匹がちょうどコレでよ。いや〜まじ助かったわ」
ヤンキーは本当に嬉しそうに笑っている。
妹思いの優しいお兄ちゃんなんだなと、ちょっと好感が持てた。
「あ、300円渡すわ。……げ、財布忘れた」
「キャッシュレスは便利だけど、現金は小銭だけでも持ち歩いた方がいいよ」
「おめーは現金派かよ」
「まぁね。それより俺の名前、知ってる?」
「知ってるわ。浅桜裕也だろ。隣の席じゃねーか」
「そうそう、よくできました。早乙女蓮くん」
つい癖で揶揄い口調になってしまった俺に、ヤンキーこと早乙女は笑みを引っ込めて眉を寄せた。
おっと、失敗したな……と内心思う。
まともに会話をしたことがないヤンキー相手に、馴れ馴れしくしすぎてしまった。
「お金は別にいいよ。たったの300円だし」
「ばっか。300円なら昼飯一食分のパンが買える値段だろーが。タダで貰うわけにはいかねーよ」
ちょっと背後に身を引きながら慌てて言った俺に対して、早乙女は顔に似合わず真面目なことを言った。
彼はニッと笑い、「明日お礼を持ってくる」と言ってカプセルをそのままズボンのポケットに突っ込むと、その手をそのままにして下りのエスカレーターがある方へと行ってしまった。
「いやほんとに、別にいいのに……」
まいったな、と頭を掻いてため息をつく。
それからハッとしてスマホで時刻を確認し、慌てて駅のホームに向かってベルが鳴り出した電車に乗り込んだ。
翌日。
予冷が鳴っても、隣の席のヤンキーはまだ登校して来ない。
まぁいつもギリギリか、ちょっと遅刻してくる常習犯だ。今さら気にしない気にしない。
ちらっと横目で空席に視線を向けながらも、ほとんどの生徒が席について教科書を準備するのに合わせて、俺も読んでいた文庫本を閉じる。
そのタイミングで、ガラッと教室の後ろドアが開き、次いで近くの男子生徒が「おせぇぞ〜、早乙女」と言い、それに対して「うっせ、今日は間に合ったわ」と軽い口調で返しながら、早乙女はすたすたと自分の席に向かう。
「よお、おはよ」
早乙女が机に鞄を置いて、椅子を引きながら俺に向かって挨拶してきた。
俺は目を丸くして隣の席を見る。
どかっと椅子に座って、早乙女は長い足をちょっと窮屈そうに机の下におさめた。
「あぁ、うん。おはよう」
「ンだよ、そのびっくりした顔」
「いや、初めて挨拶されたから驚いてるんだよ」
「あ? あー……そう言われてみりゃ、そうだな」
早乙女はちょっとばつが悪そうな顔を逸らして、鞄の中をがさごそと漁り始めた。
俺はくすっと小さく笑って、自分も文庫本を机に仕舞って代わりに教科書を取り出す。
その時。
教科書の上に重ねたノートに、ころりと赤色のカプセルが置かれた。
昨日のカプセルと同じものだ。
まさか、と思って隣を見る。
眠そうな顔をした早乙女と目が合った。
彼はカプセルを置いた手を引っ込めて微かに笑う。
俺はジト目になって言った。
「昨日のゴミをわざわざ持ってきて渡してくるなんて、ひどい嫌がらせだな」
「!? ち、ちげーよ! ちゃんと中身見ろ、中身!」
「中身?」
俺は眉を寄せながらカプセルに視線を落とした。
再び顔を上げて早乙女を見ると、なぜかめちゃくちゃ焦った顔をしている。
「昨日、お礼をするっつっただろ」
「あぁ、うん……」
俺はちょっと戸惑いつつカプセルを持った。
少し重みがある。
蓋を開けてみると、お菓子が入っていた。
馴染み深い黄色い個包装のミルクキャラメルが、ぎっしりと。
「お礼が、ミルクキャラメルって……ぶっ、くく」
「わ、笑うなっ! いらねーなら返せよ……」
「いえいえ。ありがたくいただきます」
俺はにっこりと笑って、こぼれ落ちそうなキャラメルに気をつけながら蓋を閉じた。
俺はなんだか楽しかった。
ずっと不機嫌な顔ばかりしていた早乙女が、昨日の出来事をきっかけに目の前で笑ったり慌てたり怒ったりと、いろいろな表情を見せてくれるからだ。
それが単純に楽しいし、面白い。
喜怒哀楽がはっきりしている人間を観察するのは飽きない。
これを機に、俺は早乙女をこっそりと観察するようになった。
友達は男女ともに派手目なグループの中にいる。
けど彼ら彼女らは見た目が派手なだけでそんなに素性は悪くない。だから早乙女も、見た目が怖いヤンキーに見えるだけで中身は普通だ。喧嘩やいじめはしないし、授業も黙って聞いている。たまに寝ていることはあるけど。
馬鹿っぽいってよく周りに言われているけど、テストの点は悪すぎることはない。よくもないけど。
知れば知るほど、見た目で損をしている男だった。
数日経った夜。
俺はベッドの上で仰向けになって、中身を取り出して空になった赤いカプセルを見つめていた。
これを捨てるのが何故か出来なくて、ずっと机の隅に転がしていたのだ。
ただのゴミ、と言われたらそうなんだけど……。なんでかなぁ。
「……そうだ」
体を起こして部屋を出た俺は、リビングにいた母親に声をかけた。
母親は最近、ガチャガチャにハマっている。
出かけたら必ず1回は回してくるため、リビングのテレビ台や棚の上には、さまざまな動物の小さなマスコットフィギュアが並べられていた。
そこでガチャガチャ問題が発生する。同じのを何回も回せばダブりがでてくるというものだ。
職場の人にあげたりしても、貰い手がない物は飾られないまま棚の小箱に仕舞われていた。
「母さん、あのさ――」
母親に許可を得て、余っている小さなマスコットフィギュアの中から可愛らしいパンダを選んだ。
それを部屋に持っていって、赤いカプセルの中に入れた。
「早乙女のやつ、どんな反応するかな」
遠足前の夜にワクワクする小学生のような気分になる。
あげたところで妹の物になるだろう。もしかしたらすでに持ってるからいらないと言うかもしれない。
まぁそこは特に気にしない。
俺は単純に、早乙女が先に始めたこのカプセルにお礼を入れて渡すという行為を、次は俺もしてみたくなっただけだから。
それに加えて、早乙女の反応を見てみたいんだ。
どんな顔をするだろうか。
俺はどんな早乙女の表情でも、なぜか満足する自信があった。
翌日の教室。
珍しく予鈴前に教室に入って来た早乙女は、相変わらず着崩した制服姿で、大きなあくびをしながら傷んだ金髪をがしがし掻いた。
「はよ、浅桜」
「おはよう、早乙女」
いつものように、俺は文庫本を読みながら顔を上げずに挨拶を返す。
早乙女は隣の席にどかっと座って、先生が来る前にスマホを弄り始めた。
俺は机の中に入れた手で掴んだそれを、早乙女の机の上にコロンと転がす。
「どうぞ」
「あ? ンだよこれ」
「こちらはガチャガチャを回すと出てくるカプセルでございます」
「いや見りゃわかんだわ。馬鹿にしてる?」
「してないけど」
「これ、前に俺がお前に渡したカプセルだろ。まだ持ってたのかよ」
早乙女は眉根をぎゅっと寄せて、意味がわからないって顔をしながらカプセルを手に持って目の前に掲げた。
軽く中身を振るとカタカタ音が鳴る。
俺は机に頬杖をついて、早乙女の横顔を観察した。
「……なんか入ってんな」
「そうだよ。開けてみたら?」
「中身、くれんの?」
「欲しかったらな」
俺の言葉を聞いた早乙女が目を合わせてくると、一瞬その顔が驚きと嬉しいという感情に輝いたのがわかった。
「まじ? お前から俺へのプレゼントってことか?」
「え? あぁ、まぁ、そんな感じ?」
思わずクエスチョンマーク付きで返事をした俺だけど、早乙女は特に気にならなかったようで、どこか浮かれた表情で蓋を開けた。
「うお、パンダじゃん。かわいいな」
早乙女は中身を見て笑顔になった。
怖い見た目のヤンキーから、パンダかわいいの発言を聞いた俺は思わず吹き出して笑う。
「あははっ」
肩をぷるぷるさせる俺に、早乙女が頬を赤らめて「なっ、テメェなに笑ってんだよ!」と怒ってくる。
「ごめんごめん。それ、欲しかったらあげるよ。家にあった余り物だから」
俺は久しぶりに心の底から笑って楽しい気分になっていた。
早乙女にニコニコした笑顔を向けると、そんな俺の顔を見た彼は「うっ」と何かを我慢するように心臓あたりを服の上からぎゅっとおさえて、赤らんだ顔を逸らした。長い横髪から見える耳も赤くなっている。
「……おう、さんきゅ。そんじゃ、なんかまた礼するわ」
翌日。
早乙女はまた同じカプセルにお礼のチョコマシュマロを入れて渡してきた。
俺は数日後、今度は猫のキーホルダーをカプセルに入れて渡した。
それを繰り返すのが当たり前になった。
赤いカプセルを使って、俺たちは互いに贈り物を届ける。
これを機に、俺たちの関係はただのクラスメイトから友達になっていた。
最近見てるYouTubeの動画や、読んでる漫画や小説のこと。
休み時間は席に座ったまま雑談をし、昼休みも自分の席で食べながら雑談をする。
日を重ねて知ったのは、早乙女がかわいい物好きであること。
俺が当てた犬のキーホルダーも、実は早乙女が欲しかったものだった。
かわいい動物たちのガチャガチャを集めることにハマっていて、それが俺にバレるのを避けるために、咄嗟に妹が集めていると嘘をついたのだという。
「なんかさ」
呟いた俺は机に頬杖をついて、片手にあるカプセルを見つめた。
さっき渡されたこの中にはお礼の飴玉が入っている。
何度も俺たちの間を行ったり来たりしているこのカプセルに、俺はいつしか愛着が湧いていた。
「こういうのってちょっと、文通に似てるのかもな」
「文通?」
「うん。遠く離れた友達と、手紙で仲良くなっていく的なやつ」
「同じ学校通ってるじゃねーか」
「しかも席は隣同士だ」
隣の席を見ると、気怠そうな顔をした早乙女と目が合った。
俺たちは互いの顔を見て、同時にふはっと吹き出して笑った。
早乙女をこっそりと観察するようになって、俺の中でちょっとした気づきがあった。
ワハハ、と思いっきり笑う早乙女の笑顔が、俺は結構気に入っているのだと。
