話の長さに沢村はいつしか居眠りを始めていたが、ようやく23区と言うものが何か何となくわかった。
「私、しばらく我慢してでも絶対上の区に行きます!だって、あんな狭くて粗末な部屋は絶対イヤだし…頭の悪そうな遊び人と一緒にされたくないから。」
 突然、三十歳手前くらいの女がしゃしゃり出て来た。立ちながら居眠りしていた沢村は彼女の「頭の悪そうな遊び人」と言う言葉に野生的な反応で目覚めた。
「誰がバカだって!?」
 母親や友人に言われるのは全く腹が立たないのに、なぜか他人の…
しかも女にそんな事言われると、さすがに眠っていたプライドも目が覚めたようだった。
「まぁまぁ…新川さん。」
 やけに引け腰で筑波は彼女をなだめ様としたが、逆にやぶをつついてしまった。
「筑波さん。私は筑波さんに巻き込まれてここに居るんですよ?こんなヤサ男に構っている時間があるなら私に協力して下さい!さっさとこんな街から出たいんですから。」
 空気が最悪に焼け付きそうなほどヒリついている。
「俺だって、こんな訳わかんねぇ所に連れて来られてウンザリしてんだっ!お前だけ優等生みたいな…!とりあえず急に出て来やがって!」
 筑波は立場上は仲裁役なのだが、自分のせいと言われると黙るしかなかったし、もうこうなると誰にも手が付けられなかった。 
「何よ、ニートのくせに。」
 サラっと、しかしその言葉はセラミックの刃より鋭い。女性が得意なあしらい方だった。
「んだとこのアマっ!ぶっ飛ばされてぇのかぁ!?」
 二人のボルテージがいよいよ危険水域まで達しかけた次の瞬間、スーツの男達がさっそうと現れた。スーツの男達はあまりにも物騒な雰囲気で、二人の意識は危機感を咄嗟に感じたように口論をピタリと止めた。
「な…なに?」
「…あいつらだ…俺を…!また連れて行かれるのか…!?」
 彼らは手っ取り早く机や何かに使うのであろう機材を準備して行った。そして、一人がスピーカーを手に取って話を一方的に始めた。
 キーーーーッ ガァーーーーガガ
「あーあーテス。てす。えー、23区の諸君。入居時に渡した通知書は読まれましたね?読んでない人はすぐ読んで下さい。予定通り10時からここで「意欲就労手続き」を致します。用紙を持って、準備のできた人は並んでもらって結構です。ですが、早い者順ではありません。以上。もう一度繰り返します…。」
 青空の下で役所手続きとはある種の斬新さがあったが、何もここまで露骨に蔑んだやり方をしなくても良いだろうと思わせるぐらい。突貫そのものだ。
 それでも、我先にと駆け込むように何人かが机に向って行った。
「おっさん、アレ何?」
 既に沢村の矛先は眼前の事だった。何度も言うが、彼は自分に関係ない事意外に興味はわかない。不慣れな干渉に腹が立っただけ。まるで何もなかった様に、筑波を少し睨みながらではあるもののサラっと言った。
「君は…まぁ良い。君の部屋に角方2号ぐらいの封筒がなかったかい?」
「は?かどなに?確かに机の上になんかあった…。中身見て金じゃなかったから、何があるかよく覚えてねぇけど。」
 筑波はもう馴れたようで、落胆せずに説明を懇切丁寧に始めた。
「その封筒の中に『意欲就労書類』って言うのがある。どこで働きたいかを書いて、あそこに出すんだ。そうする事で、希望を向こうが考えて仕事をくれる。」
 難しい言葉はなくしつつ、子供に説明するような感じだった。沢村も少しは理解できる範囲が増えたので話はわかったようす。
 が、切り返しは所詮沢村だった。
「あっそ、じゃぁ、関係ないな。働く気はないし。」
 黙って聞いていた新川は完全に脱力した。開いた口も青空を飲み込みそうなほどに。
「…あんた、底なしのバカ?」
 馴れたはずの筑波もやっぱり肩が下がってしまった。彼を諭せるのは菩薩以上の慈悲或いは海より大きな許容力でもなければ不可能かもしれない。
「お前は日本の憲法、法律を知らないのか?」
 黒いスーツに身を包んだ男が口を挟んで来た。…どこかで見たような…。
「…っ!!俺を連れ去る時にいたヤツのボス!!」
「わ…私たちを囲んだ車の上に居た人!!?」
 どうやらこの23区におけるリーダー格の登場と言ったところだ。沢村が居たネット喫茶でも、路上封鎖の時も指揮していた男。
 いかにもやり手で冷徹そうな顔をしている。
「私は23区統括・治安担当責任者の緋倉 亮(ひのくら りょう)だ。お前らの様な反骨離反者を管理し、時には“おしおき”も行う。自分の為にもよく覚えておけ。」
 五月晴れの下、茶褐色の隻羽で飛ぼうとするアブラゼミが、静かにアスファルトの上をカタカタとのた打ち回っていた………。