腑に落ちない顔をした人達がスーツの男らに誘導され、ぞろぞろと建物の中へと吸い込まれていく。
沢村もその群集の中にいた。
「なんだよ…市役所かここ…??」
いかにも公民館と言った感じの建物が夜天の暗がりで静かに佇んでいる。
建物に入っていく人達は身なりの整っていない人が多い。
言い方は悪いが、一目で浮浪者と決め付けたくなるような人達ばかりだった。
「お前、早く歩け。」
一人の警察官がそう俺に言った。
「何が始まるんだよ?つか、帰らせろって!」
沢村が大きな声で抵抗すると、彼は一瞬にして取り囲まれた。
ネットカフェの件で懲りている彼だけに、また大事になるかもしれないと、恐怖が込み上げた。
「…」
ここは黙っておこう。彼は額に滲んだ冷汗を手錠がかかった手で拭い、誘導の指示に従って歩いた。
よほど警戒しているのか、沢村のそばには警察官が常に見張っていた。
(しっかし…ホームレスばっかり集めて何すんだ?俺みたいなヤツって…)
沢村は自分と同じような人がいないか目で人の列を見回した。
ちらほら数人居る。男女は問わず、若くてニートしてそうな人が。
(あいつらに話かけらんねぇかな…)
未だに飲めない状況も、同世代から聞けば何とかなる。と、今時の若者の思考そのものだ。
実際問題、自分と同じような人間なのだから、結果は目に見えているのだが。
しばらく歩かされ、沢村はイスに座るように言われた。
長い間車で眠らされていたせいか、体は酷く無気力で億劫な気分が駆け巡る。
沢村は何もせずに家でダラダラしていた時にさえ感じなかった倦怠感でいっぱいのようだ。
 瞳に張り付いてしまいそうな鈍い瞼を必死で見開いて辺りを見渡すと、沢山のパイプイスに大勢の人が座っていた。
いや、何人かは紐や鎖で強引に座らされていると言った方が正しい感じさえする。
「なんなんだよ…ここは?なんか…式でもやるのか…?」
 沢村には今見ている光景が卒業式や入学式とフラッシュバックするようだが、明らかにそう言ったものとは異質の空気が漂っていた。
 彼がキョロキョロと落ち着きを無くしていると隣の男が話しかけてきた。
その男はくたびれたマントのような汚い服に、油ギッシュな髭から悪臭を放っていた。
「君、縛られたくなければおとなしくしていなさい。」
(あん?……このオッサンはどこか見覚えがあるかと思えば…
    コンビニでゴミをあさっていたあの時のホームレスか…。)
「どう言うイミ?」
思ったままそう彼は口にした。ホームレスの男は黒い油が染み込んだような目じりのシワをニタリと緩ませ、何も答えず壇上の方へ顔を向けて呟いた。
「時期にわかるって、嫌でもな…。」
ホームレスは自分よりも事態を把握しているのだろうか。とりあえず沢村には起きている事態が未だに理解一つできない。わかった事はスーツの男達が自分達よりも上の立場だと言う事ぐらいだ。他には何一つなく、夢の中にいるとしか思えないでいた。
「では、皆さん静かにして下さい。これより、23区の合同説明会を行います。」
 突然、沢村のいる席から数メートル先にあった壇上に人が現れてそう言った。
垂れ幕が上がると大きなプレートに『23区特別合同説明会』と書かれているものも見えた。
 さすがの沢村でも、これから何かの説明が始めるのはわかった。
ひょっとして、一連の出来事に対する説明かもしれない。
「それでは、法務省23区法案東区担当主任の高村議員様お願いいたします。」
静まり返る場内、息を呑むような緊迫した空気が辺りを支配している。
しかし、難しい言葉ばかりで沢村には周囲の緊張感をさっぱり共有できなかった。
 そんな彼をよそに、偉そうなその議員は話を始めた。
「皆様、改めまして23区法案担当主任の高村清時と申します。本日は五月十五日に施行開始致しました『23区法案』の正式な説明にお越しいただきまして真にありがとうございます。この法案は告知義務が我々にあると思い、各情報メディア等の御協力に加え、多くの手段で皆様にお伝えしてきました。しかし、皆様が政治や立法へ積極的に参加して頂く事を前提としましたので、中には伝達が不充分な方もいらっしゃるかもしれません。」
 さっぱりわからない。勉強の嫌いな沢村には頭が痛くなるような単語ばかりだった。
それでも聞いているしかなかった。
 何かしたところでネットカフェの二の舞になるのは確実だろうし、抵抗するのも面倒臭いと思ったからだろう。
「さて、まずは23区法案の具体的な内容についてですが、既に成立から施行までの期間で充分にご説明いたしましたのでこの場では概要のみに致します。『23区法案』とは、個人の所有財産と個人の能力を23に区分し、区分で住みわけ、経済活動や社会を成立していくと言うものです。この法案は所得格差が拡大したからこそ有用で、大きな財産を築く方や持っている方はそれに適した職や環境や税制が必要です。それは貧しい方もそうだと言えます。つまり、適所適材の究極スタイルが『23区法案』の概要と言っても過言ではないでしょう。」
 役所によくある遠まわしな説明を沢村が理解できるわけがない。それでも、住み別けを行うのがこの法案によるものなら、強制的に連れてこられたのはこの法案によるものだろう…ぐらいの事は何となくわかったのだ。
「これは差別だっ!人権の侵害だっ!自由の略奪だっ!」
 突然前の方に居た男が立ち上がってそう叫んだ。即座にスーツの男たちはすぐにその男を縛り上げて声も出せなくした。沢村は頭が悪かったが、その男の言っている事は絶対に正しいとさえ思った。よく考えればいくら法律でもこれはおかしいに決まっている、と。
「あいつ、共生党の人間だぜ…きっと。」
 沢村の背後からそんなヒソヒソ話がかすかに聞こえた。場内はしばらく不穏な空気で息苦しささえ感じるほどだ。しばらくして、壇上にいた高村議員は仕切りなおすように言い出した。
「オホン。この法案は平成20年度以降、我々が改定してきた憲法の趣旨に反することなく、新しい日本国憲法の趣旨を重んじて成立したものであります。既に皆様がご存知の通り、23区法案は国民による総投票及び現内閣の信認によってこの度成立の運びとなりました。
 つまり、国民皆様の賛成を元に正しく成立したものであります。この法案は一度ですが、違憲立法審査権を持つ最高裁判所によって違憲であるかないかの審判も受けております。ですが、国民の既知に基づく賛成と言う事で違憲とは判決されなかった。みなさまがよりよい生活を送っていけるすばらしい法案なのです。」
 要は、政府としては皆に知らせておいた法案だし、賛成が上回ったので問題ないと言う事である。逆に、問題があるなら反対が上回って成立していないだろ?と言った感じだ。
「さて、皆様にはこの後個人査定面談をお受け頂きます。区画カードをお持ちの方は簡単な手続きですぐに終わります。区画カードをお持ちでない方や紛失された方は申し訳ございませんが少々お時間をいただくこととなります。それでは、職員の案内に従って移動して下さい。くれぐれもお忘れ物のないようお願いいたします。ご清聴を感謝致します。」
 議員は一通り言い終えると壇上から降りていった。
席の最前列ではスーツの男らが慌しく人を誘導し、どこかに連れて行っているのが見える。
あのスーツの男たちはどうやら職員ということだろう。
座席で前もって区分されていたのか、手際よく誘導が行われ、次々に人がいなくなっていった。
 しかし、沢村のいる一帯だけはいくら待っても誘導が始まらず、とうとう隣にいたホームレスが先に移動を済ましてしまった。残っている人間をよく見ると、縛られている人や沢村のような人、最後の列の座席にいる数人だけであった。
「よし、これより最終区画者の移動に取り掛かる。収容後、特別個人査定面談場所に輸送し、区画の最終決定日である5月25日までに間に合うようにせよっ!」
あの、沢村を捕まえにきた時に見たリーダー格の男がそう怒号を発した。他の人は整列させて移動していたのに、彼らだけはお約束の様に手荒くざっくりまとめて移動をした。
「何がなんだか…。」
 また護送車のような車に押し込められた。沢村はどこへ行くかも考えずに、起きている事態にウンザリするばかりだった。一方的な展開過ぎて、何もやるきは起きない。
((東京都内・某公共施設))
 冷たい雨がポツポツと降り始めていた。外はヒンヤリとした雫が静かに舞い、湿気た様な匂いが建物を包んでいる。会館の辺りにある遅咲きのタンポポが、灰色の霞に彩を添えていた。
「では、中に入って個々の面談を行う。抵抗するものは査定を下げるので、くれぐれも自分勝手な行動は慎むように。」
 またあの男だ…、まるで学校の先生を思い出す。沢村は納得いかないようすで渋々指定された列に並んだ。
 列の最前線ではブースが設置され、何人かが資料を手にあれこれ事務的な作業をこなしていた。まるで、市役所を髣髴とさせるその光景だったが、市役所もあまり使わない沢村にとっては異様な光景でしかなかった。
 何をしていた訳でもないが、時間は経って沢村の番となった。
「沢村…隼人さんですね?こちらはあなたの区画カードになります。」
 プラスチック製のカードだった。何度か耳にしたその区画カードには、自分の顔写真はおろか、学歴や短期でしたアルバイトの履歴まで完璧に記載されていた。
 沢村がそのカードをまじまじ見ていると、受付の女性が話を切り出した。
「何か就職希望はございますか?」
 突然そんな事を聞かれても、彼が答えられる訳がない。
この事態が何事かまったく知らない上に、常識はずれの出来事続きで不信感だらけなのだから。
「意味わかんねぇ。どういうことか説明しろよ。」
 沢村がそう言うと「はい、わかりました。」の二つ返事で説明が始まった。
「具体的な内容は告知しましたが、おおまかに申しますと『23区法案』を元に日本国民全員が再編成されると言うことです。編成は自己の保有財産や各能力・職歴を基準に労働意欲や志望職種別に分類されます。」
 どうにも言葉が難しい。沢村はやっぱり理解できなかった。
「難しい言葉使うなって、意味わかんねぇから。」
「では、簡単に申します。あなたの持っているお金ややる気を踏まえて、働きたい意欲を基準に住む場所をこちらで決めると言うことです。つまり、働く意欲さえあればどのような職業にもなれる可能性があると言うことですよ。そして、それに見合った場所に住めると言う事です。」
 何だか良いことのようだが、労働意欲など元から存在すらしない沢村にはどうでも良い話であった。と、言うか。働く気はないのでそう答えることにした。
「別に働きたかねぇよ俺は。」
「それでも、労働に応じて賃金を支払う事となっているので、いずれは働くこととなると思いますよ?生活できない可能性だってあるの。ちなみに、あなたは両親から同居世帯する事を拒否されているから両親・親族からの手助けは一切ないのよ。」
 受付の女性は働くことを進めた。その何気ない会話すら後々に大きく関わる事を知らない彼は、とにかく今までどおりにできるよう言った。
「よくわかんねぇが、俺は今まで通りが良いんだ。」
「わかりました。あなたは23区への収容と仮決定致します。確認の為お伺いいたしますが、今まで通りでしたら不満はございませんね?働く気もないんですね?」
 沢村はふてぶてしく頷いた。彼女はそれを見て書類を横にいた男に渡し、沢村のカードにハンコを押した。
カードには『23区』と書かれていた。それが所謂区画カード、新しく制定された法案に深く関わるものだった。これから彼を待ち受けているものが、想像を遥かに超えた統制社会だったとは…まだ知る由もない。
この時彼は、起きている事態全てが悪い夢だと思っていたのだから…。