事の発端は21世紀に入って間もなく始まった。
バブル崩壊後より叫ばれていた企業の倒産や社会の衰退は一層激化し、平成二十年頃に入ると日本の経済は更なる局面を向えた。
広がる格差社会に相次ぐ社会負担の増加。少子化に歯止めの効かない中で、次々と学校は廃校になり、訴訟リスクの多い小児科・産婦人科も日本中で潰れて行った。
そんな状態にあるにも関わらず、団塊の世代を中心とした世代は高齢期へと次々に入り出し社会保障費はもはや誰にも負担できないほどに膨れ上がっていってしまった。
人口減少が急速で進む中、原油高騰等によるスタグフレーションは酷さを増し、今まで中流と呼ばれていた一般世帯は軒並み低所得層へと転落していった。
だが、それでも日本は官僚主導の守株的な政治を改善する事ができず、国民は年度ごとに疲弊し、社会的な衰退と経済的な縮小・閉塞は地方から蔓延していった。
地方は独立を叫び、中央との対立を激化させる事でしか生き残れない状況にまで陥っていった。
更に実体のない虚空の市場は、アメリカの大手証券会社であるリーマンブラザーズの倒産等によってその脆弱性を露呈し、世界は一気に不況の渦へと飲み込まれていった。
アメリカの財布である日本にもその影響はいたるところに及んだ。加えて、相次ぐ失政や首相の交代によって内政は滞り、法案も朝令暮改を繰り返しては負の遺産だけを残していく最悪な状態が続いた。
そして、とうとう日本の人口は一億人を下回り、特殊出生率は1.02と社会が存続できないラインにまでおちぶれた。
政府は「外国人移住制度」を大幅に改訂し、外からの人間で賄う作戦を取る。しかし、国内の出生率を改善したりはできなかった。なぜなら、外国人にとってももはや日本は子供を産めない環境にまで陥ってしまっていたからだ。そして、もはや日本の経済・社会は気軽に移住して転職を受け入れられるほどの健全な状態ではなかったのだ。
更に、この大幅改訂によって様々な問題が発生した。多種多様な文化が一気に流入したせいで近所間でのトラブルは絶えず、会社や企業などの職場においても「外国人優遇制度」などが思わぬ弊害をきたし、国際問題にまで発展する騒ぎとなった。
相次ぐ派遣社員の解雇を期に見直された派遣労働関係の法案も、大量に流入してきた安価な外国人労働者によって台無しと言うか形骸化してしまった。
だが、莫大な資本を盾として大きな企業や会社だけは違った進化を遂げた。積極的な外国語養成研修や異文化理解の為の講師を雇ったり、そう言った外国人社員の育成マネジメントを商売にするなど、その財力を生かして更なる発展をしていったのだ。
ここで取り残されたのは、やはり中・低所得層の日本人だった。大きな企業にとっては人材を安価で優秀な外国人で賄えるようになってしまい、一般層ですら職をどんどんと失っていく結果を招いたのだ。格差社会は成熟期に入ったとも言える。
そして、2032年。多くの日本人は路頭に迷い、一部の富裕層にしがみつく中で政府は一つの法案を可決した。それが「23区」である…。