○疾走感
 この作品でとても重要視したのが「疾走感」です。内容が複雑な上にテーマも「格差」「平等」「現代社会」と堅く、当初の製作段階ではそれらをベースとした内容になっていました。
しかし、そうしていく内に法令の内容や政策実施だけで凄い量になってしまい、内容に合わせた会話は国会の答弁のような難解で面白みなんて一片もないものになりました。
 私の性格上一つ凝り出すと徹底して進めてしまうので、物語として読めない状態で行き詰まる日が続き、いよいよ23区の製作を断念しかける状態にまで一時はなりました。
 そこで、この際一切のこだわりを捨てて、法令や政策実施までの流れと言った背景作製や設定の明記を抹消する事にしたのです。6ページぐらいは思い切って削除しました。
 その上で物語の対象読者層を「成人以上」から「成人以下」へと変更し、内容はもっと怒涛でイベント盛りだくさんなコメディタッチにしようと考えたのです。
 そうして1章は内容を一新され、法令については告知内容だけで、事細かい説明や、わざわざ登場させていた総理や法務大臣の項目がなくなった訳です。
 更に、疾走感を出すために主人公の行動もシンプルにして、平和な日常もさわり程度に留めました。
そうしている最中に、ネットカフェ難民のニュースが相次ぎ、これが元であのシーンへと発展していく訳です。「23区」は作品として「核」を得た瞬間でもありました。
衝撃的な「行政代執行」焦燥感溢れる「カーチェイス」を経て、「23区での実際生活」へとわずか数ページでやって、待ったなしの展開にしました。
「疾走感」を根底にして製作を進め、富士樹海からの逃亡者との邂逅も時間をかけずに浮かび、その後に主人公が帰宅を命じられたり、働いていたコンビニが突如として閉鎖を言い渡されたりと息もつかさぬイベント盛りだくさんな展開へと辿り着いた訳です。
作品の読者対象を下げた事は大変な収穫でした。23区と言うものは若者に政治を考えさせ、未来を考える機会を与える為と言う気持ちで製作すると上手く筆も運んでいきます。
元は政治家の上手い言い訳演説等のシーンを盛り込んだ「政治批判」の色が強い作品になっていたので、それはやっぱり読んでいても退屈だったのではと今では思っています。
なかなか手ごたえのなかった作品でしたが、核を得てからは確信を持って製作に取り組めたので書いていても読み返しても納得がいくできに仕上がった作品だと思っています。
○あやしさ
この作品のところどころに詰めたのが「あやしさ」です。そもそも「23区」と言うもの自体は当初に比べると随分ぼやかしてあり、断片的な表現にしてあります。
これは製作内容を変更していく上で欠かせなかった事で、どうしても読者の想像力を掻き立てるべく「23区」がどう言ったものかはぼかす必要があったのです。
製作当初では「23区」は関東地方にあって1区~23区までどう区分しているかまで書いていたのですが、現実性を追えば追うほどスリリングな疾走感ある展開と矛盾が出てきてしまう訳です。そこで、あえて日本のどこかにあるかなどは書かずに読者の想像に委ねるような書き方を意識して製作する事にしたんです。
その上で更に「あやしさ」を付加しようと思いついたのです。ホームレスの登場や離反者の登場。この「あやしさ」が顕著なのは富士の樹海です。これは当初全く考えていなかった要素で、書く予定すらありませんでした。しかし、1話のような怒涛の展開を壊さずに物語の世界観を統一するにはそれ相応の展開が必要になって「富士樹海」のサブストーリー的な場面を盛り込んだ訳です。
「あやしさ」を場面それぞれに情景描写等を盛り込んで、山場にとっておきの「あやしさ」を加える事で読者に「23区」と言うものを「法令の檻」と言う嫌さではなく、「なんだか正体の掴めないもの」ぐらいの嫌さで読み進めていけるようにできたと思います。
扱っているものの堅苦しさから読者も筆者も解放される為、その上で23区にはあらゆる「あやしさ」を演出として盛り込んだのでそれも読んで楽しめるのではと思います。
○テイスト
 実はここにも大きなミソがあります。1話では、私(筆者)が沢村を評している面が強く出ていて、かなり「客観的視点」で進みます。言葉もきつめで、沢村自身の感情表現なども客観的に描いています。しかし、2話ではやや主体的な部分が増え、徐々に主体的な視線や表現が増えてきます。これは、読者を最初は「お客さん」にしておき、徐々に「23区の住人」へするためにテイストを変えていってます。
「客観的な表現」と「主体的な表現」が混在している作品なので、人によっては読みにくくなってしまっているかもしれません。そこは、ごめんなさい。
○社会との戦い方
 この作品の主文でもあり、醍醐味が「社会との戦い方」と言うものです。作中では実際にどう戦ったは書かれていません。ですが、主人公の沢村は私達の世代らしく「戦わずして抗う。」と言う方向へ進んでいきます。私達の世代は前世代のように闘争を起こしたり運動を自ら扇動するような活動派とは対極的です。それは、平和や平等を教えられてきて「優しい人間」になるように育てられたからです。故に、自らの主張は抑圧してでも多数へと追従し、大きな不満を抱いていても自らそれに向かって「攻撃的な態度」には出ません。誰もが不満を持っていて、政治を変えたいと思っている。だけど、自分がそれを束ねる代表になどにはなりえない。誰かそう言う人間を待っている。そう、みんながその状態だから誰も動かない。例え動いたとしても、人間不信が強い世代である僕らは突拍子もなく現れた代弁者を好意的な目で見る事はおそらくできない。この作品ではそれらは否定をするのではなく、個人が個人なりの答えに辿り着くだろうと言うありふれた結末にしています。
• メイキングストーリー
23区がいかにして出来たかを語ると、こんな下りから始まります。
「なんでも適当に好きなフレーズとか言ってみてよ。何でも物語にしてみせるから。」
友人とドライブ中に、冗談半分でこんな話を私が切り出したのだ。その時はちょうど「クロス」や「夏のナナフシ」の執筆最中で、自分的には有頂天だったのは確かだった。
しばらく友人は考えてくれて、その間私は隣でおせっかいな事をベラベラと言っていた。
「じゃぁ、23区ってのはどう?」
友人がふと思いつきで出したフレーズ、それが”23区“だった。当時CMや何かで何度か耳にしていた事もあったのだろう。私がそれを指摘すると笑って誤魔化された。
とかく、こうして『23区』は誕生した。と、言ってもこの時はまっさらの白地図。設定もクソもない。ただ『23区』と言う響きだけだ。
これで何か書けと言われて出来る方もできる方だな。と、今は自分をそう褒めてあげたいところでもある。(笑)
まぁ、だが、何もかもが白地図だった訳ではない。
• 沢村の誕生
この友人が産みの親だと言って良いのが『沢村』だ。この『沢村』と言う名前は、以前から友人がよく口にしていた名前だったのだが…別に知り合いでも誰でもない。
「ほら、お前の作品で出て来た…誰やったっけ?沢村やったっけ?」
と、こんな具合で出て来てくる名前が『沢村』だった。勿論、他の作品は色々あるが沢村の名前は残念ながらこの作品以外では使っていない。この『沢村』と言う名前は、彼が人物名を出したい時に“とりあえず居そうな名前”として多用されていた訳だ。
こんなグダグダなやり取りを数年続けている仲なのだが、それが楽しいのも確かで、それで本気を出してここまでしてしまう自分の凄さにも今は脱帽と言ったところだ。(笑)
• 製作開始から終わりまで
いざ書き出した私は、特に困ってもいなかった。『23区』『沢村』と言うのはイメージし易いキーワードだった。まず、グダグダな空気と適当な塩梅で出てくる『沢村』は、そのグダグダで“とりあえず”的なイメージから「ニート」と言う設定はすぐに浮かんだ。
また、23区も「区画整理」や「地方再編」を声高にしていた時期もあってすぐに今のカタチに近い『23区』の構想が浮かんだ。
書き進めるに連れ、沢村は優等生(あ、セリフや動作に困らない人物だなぁって事)だなとつくづく思った。その一方でやや子だったのが『23区』だった。お堅い文章にはなるし、書きつくせない描写が多いし、何しろ核も着地点もありゃしない。
早々に「詰んだ。」と、思った。シャレで作っているのだから読めれば良いと思う事は自分の性格上なかったし、そのせいでこだわりが中々多い作品になってしまった。
と、書き終えた時点でもそれらは変わってませんが。一時は、沢村をニートから真面目に働いて「労働って最高!だからみんな働こうよ!」的な、本当に読んでいて反吐が出る程の優等生(まぁ、教科書にでも載せたいぐらいの)的な展開さえ考えました。
ですが、考えた時点で「それは、ないな。」と言う結論でもありました。ある種この『沢村』のダメっぷりは件の友人をモチーフにしている面もあり、人が改心するのは並大抵ではない事をわかっている自分がその展開を書く訳にはいきません!ってな訳で。あえて彼を英雄にしない方が「キャラが立つ!」ってそんな事思ったんですね。
• 沢村=今の社会を投影した人物
23区の主人公がニートである以上、これは社会派な路線しかないと思って書き進めると、かなり良い出来になった感じがした。更に、読んでくれる対象年齢(一応全ての作品にそれなりの対象年齢層を設けてます。そうしないと、文体が安定せんもんで。)を大幅に下げてからは3割り増しと言った感じでした。(あくまで自社比)
終盤に行くに連れ、沢村は頑張っても成果が出ていないと言う表現を全面に押し出しています。これは、今の社会の縮図こそが『沢村』なんじゃないかな?と、どこかで私が感じていたからだし、そう言う意図なく書いていても「ニート」は現社会の象徴だと。
現代の社会は「小さな努力」は当然の義務のように扱い、それらがまるで無価値であるかのような風潮さえあります。
世の中「小さな努力で精一杯なんて人も沢山います。そんな人にとって「小さな努力」が大きな事だったり、大事な第一歩だったりするんです。
その「小さな努力」を無意味なんて言ったら?できて当然だ、だからどうした?と言われてしまったら?
きっと大きな努力以外は何の意味も価値もないと、その人は思ってしまうでしょう。そして、「小さな努力」が報われず、自信を喪失してしまうんじゃないでしょうか?
双葉から本葉になるまでの「双葉なんてあって当然。」と言うのが「双葉なんて意味ないから。」になって、芽を根こそぎ枯らしてしまっているんじゃないでしょうか?
この『23区』はフィクションですが、現代社会への投石的な側面を持たせているのであえて「努力を評価する人も環境もない訳ではないけど、伸びすぎた芽は、それを疎まれた人に摘まれるよ」と、残酷で現実に忠実な展開にしてあります。
書き終えてなんですが、この作品を通じて散々思い知らされた事があります。
「自由や平等って、こんなにも有難いものなんだな。」と、ね。