16. 23区
そして、翌日。閉店まで残り数日となった時の事だった。
「いらっしゃいませ!」
 相変わらずコンビニ内は活気に満ちていた。目を引く手作りポップや、奇抜な商品陳列が至る所に見られ、既にコンビニのイメージから逸脱している感じだ。
「今すぐこの店を閉店させろ!」
 突如、レジでスーツ姿の中年男性がそう叫んだのだ。そう、とうとう藪をついて大きな蛇を出してしまったのだ。
「なんですかあんた!?どうしてそんな事を言うんですか!?」
 レジに立って作業をしていた沢村はそう突き返す様に言って、そのスーツの男を力強く睨んだ。だが、スーツの男はそんな彼の態度に一層腹を立てたのか凄い剣幕で罵った。
「黙れっ!!これは命令だっ!貴様らも全員今日づけでクビだっ!」
 どうも尋常ではない。バックルームで見ていた三島や長谷川が慌てて店内に出てきた。
「どうしましたお客様?何かございま…」
 丁寧に対応しようと長谷川が勤めたが、その男の怒りが静まる気配など一向になく、むしろ何を言っても毛を逆立ててしまう程に感じられた。
「俺が客だぁ…っ!?ふざけるな!誰がこんな店のもん買うかっ!!良いか、これはもう上位区で決定された事なんだぞ!?お前らが散々好き勝手したせいで俺は19区の店長候補まで降格されるハメになったんだぞ!3区から19区だぞっ!?俺の年収は2000万からたったの400万だ!お前らのせいでな!!」
 店内には活気ムードを一掃する張り詰めた重苦しい沈黙が満ち、数人居た客はそそくさと出て行った。残された店員はレジ前で憤慨するスーツの男を黙ってみていた。
「…3区?まさか、あなた…は!?」
 三島はしまったと言いたげな顔でそう言った。
「そうだよ、ここの指導担当だよ!」
 それを聞いてみんなようやく事態が飲み込めた。そして、刹那にして表情が見る間に青ざめていった。
「はははは!ようやく俺が誰だかわかったみたいだな?あん?残念だがこの店だけ統廃合の決行日より早く撤廃する事にしたんだよ!俺の権限でなっ!」
 勝ち誇る様に彼は笑ってみせた。とても醜悪なその高笑いで、沢村の導火線にはしっかりと火がついたようだ。いや、沢村が爆発するには充分すぎるものだった様だ。
「なんでそんな事をっ!俺達は売り上げが悪くて潰されそうだから頑張ったんだ!それの何がいけなかったんだよっ!?」
 沢村の憤怒に、スーツの男は笑いをスッと止め、興醒めした様な冷たい顔で言った。
「…は?何がって全部に決まってるだろっ!?お前らは負け犬なんだ、負け犬がご主人様に噛み付いたら処分されて当然っ!お前らは店がただ潰されるのを黙って受け入れていれば良かったんだよ。なのに…っ!余計な事したせいで…!!」
 スーツの男から溢れ出る怒りは沢村達の比ではなかった。
「余計な事!?黙って聞いてれば…!それって、私たちに負けた腹いせでしょう!?」
 沢村の近くにいた新川が参戦した。だが、どうやら形勢逆転できる可能性はゼロの様だ。
「ふふふ…腹いせ?あぁ、そうさ!本当はお前ら全員ここで殺したって良いんだよ俺は!だけどな…俺の味わった苦しみや屈辱はそんなお前らのクソみたいな命で足りるものじゃねぇんだ。この最低な23区で一生泥にまみれ、俺達の靴をなめて死んでいけ!」
 スーツの男はありったけの暴言を放つと、フラっと出口の方へ向かった。それを誰も止める事ができない。沢村も新川も三島でさえもただ呆然と彼を見送るしかなかった。
 真っ直ぐに出口へ向かっていた男は出口の前で足を止め、こう言い残していった。
「…そうそう。また勝手に何かやろうなんて事は考えるなよ?今日限りでここへの納品や融資に電力の供給…営業の権利さえも一切なくなる。つまり、物を売ればそれだけで違法になって警察行きだし、例え今日中に全て売り切ったとしても明日から納品は一切ない。今日の売り上げは既にこっちで回収させてもらった。お前達の給料はレジに残っているお金を山分けしてオシマイ。経理上問題はあるが、ここにある物は全て産業廃棄物だからな。どうしようと知ったこっちゃない。お前らも、ここの店も、全部ゴミって事だからな。」
 スーツの男は最後に侮蔑をたっぷりと盛り込んだ笑みを見せて、悠々と店を出て行った。
「…マジかよ…?」
 沢村には難しい言葉が多く理解しきれはしなかったが、納品がないとどうなるかぐらいはわかっていた。
「みんな…今日までご苦労様…。最後に良い夢が見られたよ。」
 三島のその一言に、沢村は噛み付いた。
「三島さん!?諦めろって言うんですかっ!?」
 迫るような瞳で沢村がそう叫んでも、誰もが目を伏せていた。
「仕方ない事が世の中にはある。沢村君…私達はやり過ぎたんだよ。私だってこんな事は納得できない…。だが、最初からこうなることは覚悟してなかったのか…君は!?」
 毅然と三島が強くそう言うと、沢村は酷く落胆した。そう、確かにそうだった。最初から店が潰されると言う事は覆らない上でやっていたのだから。「もしかしたら」その一言と思いに全てを賭けて得た結果に、今更何を嘆いてもそれは本当のわがままでしかない。
「だけど…よぉ…!あんなに必死でやって…こんな結果じゃ…!」
 奥歯をギリギリ噛み締める沢村の肩を長谷川はポンと優しく叩いて言った。
「君は素晴らしく頑張っていた。それはここに居るみんなが知っている。」
 沢村が顔を上げると、みんな温かい微笑みを浮かべていた。
「そうだ。今の君ならきっとコンビニ以外でも上手くやれる。」
 三島も励ますように、いや、今までの彼をしっかりと褒め称える様に言った。
「…店長、長谷川さん…。」
 こうして、彼らの戦いは終わった。まだ熱の残るアスファルトの上で、私服に着替え終わった店員達が呆然とコンビニの外観をしばらく黙って見ていた。
伸びきった雑草が青臭い香りを撒きながら円盤ノコギリの餌食になっている。その音がただ静かで、閑散としている商店街のアーケードをよりしんみりとさせるのだった。
全てが過去となって意気消沈としていた沢村は、ひとまず家へと帰るのだった。
─そして、コンビニが潰れて数日が経った。
「ちょっと!沢村!いい加減出てきなさいよっ!」
 新川が沢村の玄関でそう大声を出していた。
「ダメか。あれから一歩も出て来ていないようだが…、やっぱりショックが大きかったんだろう。あれだけ頑張っていたのに…。」
 新川と一緒に来ていた筑波が呆れがちにそう言った。
「あーもうほっとこう。これで何日目だか…、アイツどうせニートしかできないって事よ。」
 そう、沢村はあの後で他の職に就いたものの水が合わずすぐに辞めてしまったのだ。他の仕事と言っても特殊な仕事ではない。ただ、沢村自身の問題だ。彼はコンビニの様に自分の存在が示せる仕事がしたいと思ってしまっているのだ。
 世の中そんな仕事はそうそうない。むしろ、どこの職場でも新人は新人らしくしなければならないのに、急に自己主張してしまえば社会人としては充分不適格なのだから。
「…電話いつになったら鳴るんだよ?朝からずっと待ってるのに、こっちから電話しても全然繋がらないし…。」
 新川達がドアの向こうでヤキモキしているのも知らず、沢村はひたすら自分の携帯電話と睨めっこしていた。
 なぜ彼が引きこもって携帯電話が鳴るのをただ待っているのだろうか…?
─昨日・夜  沢村の家─
「なんだよっ!全然おもしろくねぇっ!」
 帰るなりカバンを彼は放り投げた。
「あの白河ってヤツ腹立つぜ…!いちいちアレが出来てないとかこれが出来てないって!
お前は小姑かっってんだ!辞めてやるあんなところ!」
 どうやら、新人研修でお約束の出来事に腹を立てている様だ。
「あーあ…なんであんなに楽しかったのに、みんな俺を凄いって言ってたのに…!あいつらは何も知らないんだ、俺の凄さとか全然…!あ、そうだ。良い事思い出した!」
 沢村は急に表情を変え、意気揚々と何かを探し出した。
「あった!雑誌社の電話番号!」
 いつぞや彼が「駅前でコンビニを叫ぶ男」として脚光を浴びていた時に取材をした会社の電話番号だ。沢村は携帯電話を取って早速電話をした。
「…はい、こちらマカシギ出版です。」
 沢村は勢いよく言った。いや、威勢だけで常識知らずな感じで。
「すみません俺です!沢村です!」
 当然のように相手は困惑した。いや、迷惑がったと言った方が正しい。
「は?すみませんが、どちら様ですか?」
 沢村は煮え切らない対応に苛立った。彼の想像では「あ、沢村様ですかっ!?」と、こんな対応だろうと思っていたからだ。
 そこで沢村は話のわかるヤツを出せと言うわかり易い作戦に出た。
「あんたじゃ話しにならない!編集の豊田さんを出して下さい!“沢村からだ”と言ってもらえばわかると思います!」
「は…はぁ。えっと編集の豊田さんですね…?わかりました。」
 しばらく保留音が鳴っていた。沢村はニヤケながらこんな想像をしていた。
(俺みたいな有名人が“そこで働きたい”って言ったらきっと向こうは大慌てだろうな。特別コーナーを設けたり、そうだな…武勇伝の製作とか?)
 が、そんな妄想の向こう側ではこんなやり取りがされていた。
─マカシギ出版─
「あの、豊田さんに電話です。」
「え?俺に、今忙しいんだけど?」
「なんか“沢村から”って言えばわかるってウルサイんですよ。」
 豊田はそれを聞いて深く考え込んだ。
「沢村…?誰だっけ?」
 豊田が困惑していると、傍に居た他の社員が何か思い出した様に言った。
「あ~っ!編集長アレですよ、アレ。何だっけ、あのコンビニで働くニートの…」
 その言葉を受けて豊田もハッとした顔を見せた。どうやら思い出せた様だ。
「あーっ!前に取材したコンビニ君か!」
 盛り上がる二人に、電話を持ったまま待っていた社員はちょっと引いていた。だが、すぐに持ち直し、割り入る様に言った。
「で、どうします?電話出られますか?」
 すると、豊田は一瞬困った表情を見せた。
「まー、今更話す事ないけど一応出てみようか。」
 とても興味なさそうだが、面白半分でと言った感じだ。
「あ、もしもし編集の豊田ですが?」
 彼らのやり取りなど知らない沢村は一本調子のまま、高揚感たっぷりではしゃいだ。
「あ!豊田さん!お久し振りです!俺です!沢村です!」
 まるで友人口調の沢村に豊田はすぐにウンザリしたが、電話を切るのは要件が何なのか聞いてからでも遅くはないなと堪えた。
「あ~沢村君ね。うん。久しぶり。元気そうだね。で、どうしたの?」
 沢村は豊田と話している事だけで興奮を抑えきれないのか、どんどん息を荒立てていた。
「聞いて驚かないで下さいよ!俺、そこで働こうと思ってるんです!」
「え…?」
 豊田は、必死で笑いを堪えた。これまで体感した事のない笑いが込み上げてくるのを必死で抑えた。抑えきれない笑いが口角をピクピクさせる。豊田としては限界だった。
「な…こ…沢村君が…?ここで…っ…ぷっ。」
 デッドラインに到達しかねないので豊田は受話器を少し遠ざけた。内心まともに相手しないで大笑いしちゃえと思ったが、あえて大人として振舞った。
「凄いっしょ!?」
 沢村の痛いほど荒い鼻息が拍車をかける。ともかく、ここは一旦時間を置こうと豊田は自分に言い聞かせた。
「す…凄いかもね。じゃ…じゃあ、またこっちから連絡するよ。」
「はい!」
 電話が切れた瞬間、豊田は腹を抱えて笑った。堰を切ったようにおかしさが溢れ出てくる。もう、どうにも止まらない。
「あ~ははははははっ!はははは!ひーーっ!!」
 他の社員が目を丸くして豊田を見ていた。
「どうしたんだよ?」
「ひぇっ?ハハ。いや、あの駅前でコンビニを叫ぶ男が…ここで働かせてくれって!」
 他の社員もそれを聞いて爆笑した。そりゃそうか、どう勘違いしたんだろうと誰もがその言葉におかしさを感じるに違いない。
「バカだなっ!」
「いや~!でも、向こうは本気って言うか自信満々でさぁ!聞いてて痛いの何の!」
 しばらく笑いが止む事はなかった。
「まぁ、よくある話ですよねぇ。脚光を一時的に浴びて勘違いするって。もぅ、とっくに旬は過ぎてるって言うのに、まだ有名人気取りの人って。」
「人気が出れば誰だってそう言うもんさ、だけどニートが出版社だなんて…はははっ!」
 と、こんな事がありました。でも、沢村がそれを知る事はできません。これはあくまで電話の向こうでの話し、彼が自分の甘さや愚かさに気付くにはまだまだ色々足りないと言う事です。
 だから、彼は何も知らず電話をずっと待ち続けて、引きこもっている訳です。豊田のまた連絡すると言う言葉を真面目に信じて…。
「なんで…電話鳴らねぇんだ?」
 沢村は携帯電話の前から一歩も動かず、トイレに行く時でさえ携帯電話を持ってトイレに入った。充電が満タンなのに充電器につなぎっぱなしにして、時折意味もなくメール受信のチェックなんかもした。
「もう一回、かけてみよう…。」
 プップップップップ… プルルルルプルルル カチャ
「お客様がおかけになった電話番号はお客様の都合により…」
 どうやら沢村がしつこいので通話拒否された様だ。
「なんで…なんでだよっ!!」
 とうとう沢村は携帯電話を掴んで壁に投げつけてしまった。ゴンっと鈍い音が虚しく四畳半の部屋に響く。そして、ただ何も無い世界が漠然と広がっていく。
 こんな時でも、皮肉にも空腹になるようだ。と言うのも、電話を気にして彼は昨日から何も口にしていなかったのだ。だが、さすがに丸一日何も食べていないと人間の限界なのだろう。襲い来る空腹感が半端ではない。
「何か買いに行くか…。」
 沢村は夕暮れの頃にようやく外へ出た。ひぐらしの鳴き声が今の沢村にはとても痛々しく染み入る。
 歩いて数十分、ふらふらの状態で沢村は適度に食料を買ってすぐに幾つか食べた。久しぶりの食事は体にとって歓喜そのものだったが、心には何一つ満たされない空虚感が残り続けた。それはいくら何を食べても満たせそうにないものだった。
「これから、俺はどうすれば良いんだ…?」
 ポケットから取り出した携帯電話を見つめ、垂れ込むような日陰をより一層陰鬱にさせる様な溜息をついた。
 とぼとぼ歩くその姿は、彼がかつて嘲笑ったホームレスよりも退廃的だった。
「………ん?」
 ふと彼が視線を上げると、数m先に老婆の姿が見えた。何か困った表情をしている。
「おばあちゃんどうかしたの?」
 沢村が近寄ってそう尋ねると、老婆はちょっと恥ずかしげな表情に当惑感を混ぜてつぶやいた。
「そこの茂みに大事な財布を落としてしまってね。取りに行きたいだけど、もう足も腰も悪くて自分の力じゃどうにも…。」
「俺が取ってくるよ。この茂みは急な坂になってるから、おばあちゃんは絶対入っちゃダメだよ。」
 沢村は茂みに入ってしばらくサイフを探した。夏場とあって次第に体のあちらこちらをヤブ蚊に刺されたがそれでも探し続けた。
「はい、もう落とさない様にな。」
 沢村は虫刺されだらけになりながらも老婆の財布を見つけ出した。老婆は財布を受け取ると深々とお辞儀をして言った。
「ありがとう。助かったよ。」
 くすんで見えていた黄昏が、気付くと金色に眩しく輝いていた。その黄金の世界へ消えて行く老婆の背中を沢村はただ見送っていた。
「こんな俺でも…人から感謝される事がまだあるんだ…。」
 心に芽生える小さな何かを感じながら、彼は帰路についた。行きよりは帰りの方が心なし足取りが軽い。小さな喜びに浸って、外に出て良かったと彼は思った。
─沢村の家─
「…はぁ。」
 すっかり日も落ち、帰ってくるとやはり何も無い空間だけが広がっている様な気分に支配されてしまう。
 今日一日何をしていたのか考え出すと嫌な気分にしかならず、何も出来ていない現実と何も変わらない日々の重圧からただ逃げ出したくなってしまう。
「どうすれば良いんだ…俺は?」
 一方、彼が悩みに耽るよそでまたしても社会は大きな波を迎えていた。
─旧日比谷公園周辺─
「ご覧下さい!この旧日比谷公園に一体どれだけの人達が集まっているのでしょうか!?ついさきほどまで誰もいなかったと言うのが信じられません!まるで、息を合わせたように続々と人が集まってきています!」
 TVカメラに向かって、慌てて女性リポーターが状況を伝えていた。カメラの前には寿司詰め状態の人が映っていた。
「これは一体何なのでしょうか!?今日ここで、一体何が起ころうとしているのでしょうかっ!奥へ!奥へ行ってみたいと…キャッ!すみません!奥へ行ってみたいと思います!」
 カシオペア座が煌々と夜空に輝く下で、大勢の人が蠢きながら何かを待っている。
「あっち!あっちが舞台です!あ、凄い…!ここも凄い人です!カメラです!通して下さい!今、何かが!ライトです!大きな照明機材で舞台が照らされています!」
 その瞬間日比谷公園の野外音楽堂のホールに、地響きを伴う歓声が轟いた。
「あれは…!ご覧下さい!ホールの中央にホセ・リサール像が…!あっ!誰か現れた様です!あの人は…まさかっ!?」
 舞台に誰か現れると、より一層歓声は唸り狂う波となった。
「同志よ!今宵ここに集まったわが友よ!この像…ホセ・リサールは独立運動において英雄とされ今でも国民に愛された人物。彼は圧制に屈せず、生活の改善を訴え、平等を訴えた!今ここに集う我々は…この23区の“反対者”となり、真の平等を勝ち取るその日まで、戦い続けるぞーっ!」
「戦い続けるぞーっ!」
 一斉に湧き上がる声が、まるで公園だけでなくそこら一帯から鳴り響いているかの様だ。
「何と言う事でしょう!この集会はどうやら…23区法案に反対する集会…!いえ、そんなものではありません!この社会に反対する大規模な集会の様です!」
 次々と立ち上がり奮声を地の底から滾らせる人々の姿は、まるで前世代の闘争を思い起こさせるようなものであった。
 どれだけ時代がデジタルの最先端を行こうと、人は永劫にアナログに違いはないのだろうから。
─23区管理委員会執行役員会議─
「…それでは、最後に集団離反の件についての報告を。」
「はい。現状は計画通りに数万人規模の人間が旧日比谷公園に続々と集まっております。」
「しかし、本当にこんな大勢を結束させて問題はないのかね?」
「はははは、君は本当に心配性だな村上君。大体安保闘争の時だって我々が計画通りに勝ち残ったじゃないか?日本の労働者と言うものはどこまでいっても相容れぬ、仲間内で思想や考えの違いから分裂を勝手に始める。今回もそう言う予定で全てのスケジュールを組んでいるんじゃないか。」
「いや、ですが…。」
「まぁ、ちょっとは村上君の意見も酌んでやれ山口君。あんまり油断して足元をすくわれても面白くないのは確かだからな。計画の出来具合を緋倉君から報告してもらおうか?」
「では私、緋倉から報告をさせて頂きます。旧日比谷公園には現在機動部隊と工作員が数百人配置済みです。離反者を装って数十人を埋伏させる事にも成功致しました。後は…そうですね、何と言いましょうか?シンボリックな存在がいればより確実性は高まるように思います。」
「あてはあるのかね?」
「現在この計画に資質相応たる人物を捜索中です。こちらの息がかかった人間があちら側の広告塔として機能しなくてはならない訳ですから…まぁ、一人こころあたりがあるんですがね。近日にでもこちらへ招聘しようかと考えています。」
「遂行できていない予定案は良い。まぁ…傀儡の一つや二つ減ったところで我々の計画に影響がある訳ではないが、退屈凌ぎの笑劇にピエロがいないんでは興醒めとも言える。」
「わかっております。」
─同日、早朝。沢村の部屋─
 あれからしばらく悩みふけっていた沢村も深い眠りについてた。よほど色々な事で心がやさぐれたのか部屋には食べ終えたインスタントラーメンの容器が散乱している。
 ガンガンガンガンガンッ!!
「………………っ。」
 誰かが玄関の扉を力いっぱいに叩いている。薄っぺらな鉄板を殴りつけているかのような騒音は、いびきをかいている沢村には届いていなかった。
「反応がありません。」
「開けろ。」
 ガチャガチャ…ガチャガチャ…ガシャーーーン!!
「…なっ?あっ……?!」
 沢村はあまりの音に飛び起きた。寝ぼけた眼を玄関に向けると、施錠されていた扉はどう見ても力技で開け放たれていた。と言うより、壊されていた。
「そいつだ、捕まえろ!」
「えっ!?」
 どこかのSF映画で見たような奇怪な防具服に身を包んだ男か女かもわからない輩が一斉に部屋へ雪崩込んできた。沢村の脳内ではネット喫茶での惨劇がフラッシュバックしていたが、今回だけは有無を言う間さえなく連れ去られてしまっていた。
「おい!なんだよこれ!?」
 激しく抵抗するも4人がかりで来られては手も足も出ない。両脇を抱えられ、まるで誘拐されている様な…いや、これはやっぱり前回と同じく拉致そのもの。
 扉のない玄関からは雨水をふんだんに含んだ蒸風がもうもうと流れてきていた。部屋に転がるゴミクズが寂しげに沢村に別れを告げていた。
 一方、大人数人に抱えられた沢村は、強引に車に押し込まれた。まだ太陽も昇らない街へと車は急発進し、その圧倒的な緊迫感を察知した雀が一足先に明星へと逃げた。
沢村は目隠しをされた目の奥でじっくり考えていた。今、こうやって連れて行かれている理由や原因を。そして、ひとつだけ思い浮かんだ。
きっと俺は、ロクでもない事に巻き込まれている。と。
「目隠しを取れ。」
目隠しが取られ、沢村はゆっくりと目を開けた。未だ砂嵐の入り混じる視界に大勢の人達が見えた。妙な空気感で誰もが怒り狂っているようだ。
「どうやら到着したようだな。」
緋倉の声だ。沢村は防護服の人間に取り囲まれたまま、ただ立ち尽くしていた。ゆっくりと辺りを見回すと、新緑のさかぶる木々の元でそれぞれが必死で何かを叫んでいる。
「こ…こは?」
「旧日比谷公園だ。」
沢村はハッとして、緋倉の声をしていた方に顔を向けた。そこにはいつもの黒いスーツを身につけた緋倉が立っていた。
慌てふためく沢村をよそに、緋倉は当等と話を一方的に始めた。
「あそこに集まっているのは23区に反対している人達だ。君のようにこの制度の憂き目に遭い、焚きついた不満の火種をここで爆発させていると言ったところだ。」
沢村は少し状況を整理してみたが、何がどうなっているのかは全くわからなかった。眠りに就く前まで自分の事で精一杯だったのに、目の前には大きな暴動…そして、なぜか自分をその最前線に連れてきた緋倉…。
あまりにも急展開過ぎて、付いていけるはずがない。
「ちょっと待て、俺はこんな事聞いていないっ!」
彼はごもっともな不満を大声で緋倉に叩きつけた。緋倉は眉一つ動かさず、まるでかわいがっている人形の一つにでも話しかけるような口調で言った。
「言ってないから知らなくて当然だ。それに、彼らは一応極秘裏に集まって決起しているそうだし。まぁ、ここでこうやって陣営を観察できているのは情報をこちらが掴めていると言う何よりの証拠なのだろう。」
まるでコミュニュケーションになっていない会話に沢村は更に腹を立て、言葉よりも気持ちの方が先に破裂しそうな勢いで緋倉に迫った。
「そう言う事を聞いてんじゃねぇよ!いきなり連れ去っておいて、こんな暴動の真っ只中に連れてきて!めちゃくちゃじゃねぇかっ!」
緋倉は珍しくほくそ笑んでみせた。
「ふ。君はいつも自分の立場と言うものに疎いな。私が君を呼んだのは他でもない、これから始まるショーにご招待する為だ。」
言葉の裏は、悪趣味な思想で染められていそうな雰囲気がプンプンしていた。だが、沢村にはそんな事よりも答えになってない事の方が重要だった。
「意味がわかんねぇよ!」
緋倉は急に真剣な眼差しになったかと思うと、沢村の肩に手を置いた。その手からは言い知れぬ重圧と、緋倉の心に溢れ出ている何かが今にも伝わってきそうだった。
「君はこの23区の最低限を見てきた。これから始まる暴動は恐らく日本だけでは収まらず、世界に波及する大きな波になるだろう。労働者と権力者…その闘いは終わる事のない戦争でもある。」
いきなり世界だの戦争だの、これは話が飛躍しすぎてないか?と、沢村は思っていた。だが、緋倉の真剣さにただ唸るしかなかった。
「で、どうしろと?」
その言葉を待っていたかのように、緋倉は言った。
「私達はこれからあそこに集まっている離反者を取り締まる予定だ。君を呼んだのは他でもない、こちら側…つまり沢村君、君が今度は離反者を指導し管理する立場の人間にならないかと問いたい訳だよ。今の君は働く喜びも辛さも知っている。だからこそ、君のような人物が管理者として必要なんだ。わかるか?」
衝撃的な内容だった。小難しい事は一切わからないが、要するに緋倉のやっている事を自分にもやらないかと言っている訳だから。
連れさらわれる側から連れ去る側へ。ちょっと考えると、連れ去る側なら何だか楽しいかもしれないとさえ思えた。その一方で、沢村には会場で叫ぶ人達の姿が昔の自分にとてもそっくりで、彼らの叫びに心揺さぶられるものがあったのも事実だった。
もし、緋倉の話を受けると言う事になれば、それは彼にとって同士を裏切る事と同然である。彼があの暴動の只中に居なくとも、彼がこれまでしてきた事は離反者の手本とでも言うべきものなのだから。
「さぁ、どうするかは君が決めたまえ。どちらに転んでも、もう君はどちらかを選ぶより他ない。保留したとして、すぐにこの波は君の足元まで迫っていく事だろう。」
沢村の心では、大勢の叫ぶ23区への不満と緋倉の甘いささやきが何度も入り混じっていた。まるでこれから始まる闘争の前哨戦が起きているかのようだ。
「お前はどっちの味方なんだよ!?」
とりあえずぐちゃぐちゃの矛先を緋倉に向けて、彼は何とか落ち着こうとした。当然彼がどちら側なのかと言うのも大変気になっていた訳だが。
「私は最初から決まっている。真面目に働く方の味方をするとな。私がどちらかなんてのは君には関係ない。そんな事で君の将来を決めてしまって良いのか?答えはお前自身で出さねば何の意味もないぞ。若造。」
完膚なく打ち負かされた沢村はしばらく黙るしかなかった。
沢村自身の心に最も近いのは当然離反者側だ。しかし、その未来は不確実で、恐らく生きていく事を賭け戦い続けなければならない。ゆとり教育なんかで育った沢村には、骨が何本あっても足りない話だろう。
一方緋倉の話は何もかもが対極的だ。憎むべき存在であり、今まで自分の人生をとち狂わせてきた側である事に変わり無い。ただ、その地位やある程度の未来は約束されたものだと言っても過言ではない。ひとまず当面は喰うに困らないだろうし、何より泥臭くない。
沢村は路上で老婆を助けた時の気持ちをふと思い出し、こう言った。
「この先どうなるかなんてわかんねぇ。だけど、今度こそ自分らしい人生を歩けたらって…その為に何かできたら。だから…俺は…。」
振り払われた露のひとつひとつが鯨雲の泳ぐ海原へと舞い上がっていく。
今日も広がる青空は、果てしなく自由で、限りなく平等だと思った。