蜃気楼に揺らめきながら、高層ビルが空へと吸い込まれ、大空を遊惰している積乱雲たちの間を風とともに消えていく。
大型旅客機の轟音が商店街の赤錆びた螺旋階段を軋ませ、カーンコーンと遠くから聞こえてくる工事現場の金属音と入り混じって溶け合うようにして流れている。
「……あーあ…。」
沢村の溜息からは失速感が充満していた。せっかく人並みに仕事ができるようになったと言うのに、つかの間の夢と言うか…元通りの彼に戻ってしまっていた。
だが、似たような失速感を店内にいる誰もが醸し出している。閑散としているコンビニ内は、永遠と繰り返される宣伝テープの音だけが虚しく聞こえるだけだった。
「沢村君、何だその態度は?」
長谷川は普段どおりに振舞った。いや、態度をあからさまに変えた沢村に苛立っているご様子だ。
「…わかってますよ。」
怪訝な表情で沢村が返すと、更に長谷川は苛立った。だが、強く叱責する事もなく足音に怒っている事を滲ませながらそそくさとバックに戻って行った。
「他のみんなは良いよ…まだ他に探せばいくらでもあるんだろうからな…。俺なんか…ここ失ったら他に就ける仕事があるかどうかわかんねぇんだ…。」
誰が聞き届ける訳でもない彼の悲嘆は弁当コーナー辺りで消え、店内は相変わらずまばらに居る立ち読み客の静かな息遣いだけが漂っている。
しばらくすると、交替で来た新川がカリカリした表情で現れ、沢村のふぬけた顔を見るや否やツカツカと早足で彼の方へ行った。
「あんた、またそんな顔してんの?」
沢村は灰色の煙を体から撒くかのように身をすぼめ、新川の威圧感から逃れるように俯いた。鎮めた顔からちらりと見える目は死んだ魚のそれより腐っている。
「…良いだろ。別に。」
彼女にとっては解せない態度だ。理由はある程度共有できているが、それを盾のようにして怠惰を決め込んでいる様に見えて仕方なかった。
「まだあの話を気にしてんの?そんなんでヤル気なくすんだったら、今すぐ辞めれば!?」
相変わらず優しさの欠片もない言葉に、彼もさすがに傷ついていた。どれほどかはわからないが、彼にしてみれば自分のせいでこうなったんじゃないと言う思いが大半だろう。
「…じゃぁ、お前はこのコンビニがなくなっても良いって言うのかよ!?」
抑圧していた不満をありったけ込めて沢村は反撃に出た。同じような事を長谷川に言われた時には我慢していたのだろう。さすがの彼でも上司と同僚の区別ぐらいはかろうじて付いたと言ったところか、もしくは彼女には何でも言えるようなところがあったのだろう。
急に曇った顔から稲光がほとばしり、新川はたじろいたが、すぐに冷淡さを取り戻した。
「コンビニなんていくらでもあるし。閉店なんてよくある話でしょ?社会ってそんなもんだから。そんな事でイチイチ腹立ててたんじゃ、やってけないって言ってるの。」
さすがに解雇歴のある彼女の言葉は説得力抜群だった。だが、それは常識的過ぎて沢村のような人間からすれば不条理にしか思えないものだった。
「そう言う風に片付く話じゃねぇだろっ!?なんか違うだろそれ!?」
彼には、直感的にしか伝えらない脳内回路しかない。しかし、言い尽くせない言葉の溝を感情が溢れんばかりに埋めていた。
だから、彼の言おうとしている事がどう言う事かは新川に強く届いていた。これは「閉店と言われたら閉店」と言う事に対しての怒りではない、黙ってそれらを受け入れるのが正しいのかと言う精神論なのだ。
「…私だってこのままなんて嫌だよ。…だけど、だからって怠けたって何にもならないでしょっ!?」
どちらも正論だが、社会通念としては新川に軍配が上がると言ったところか。
「じゃぁ、どうしろって言うんだよっ!?」
二人の言い争いは既に店内の客にも聞き取れるほどヒートアップしていた。さすがにまずいと思った谷田は二人の合間に入った。
「ちょっと二人とも!お客さんが居るんだから!」
ナイス仲裁。二人とも鼻息を荒立てたまま持ち場に戻っていった。それでもお互い投げつけあった言葉を反芻してはただ苛立っていた。
─数分後─
沢村は相変わらずくすぶっていた。心の中では言い足りない不満を沸騰した鍋の中で渦巻く素麺のように巡らせていた。
「せっかく俺だってまともになれそうだったのに…結局こんなじゃ意味ねぇよな…。」
ちっとも前向きに仕事ができない沢村が悲嘆に耽溺していると、来客をしらせるチャイムがピロリロン…ピロリロンと、店内にしっかり響いた。
久しぶりの来客に、沢村は商品棚越に視線を入り口の方へと向けた。そこには、このクソ暑い夏に似合わない黒いスーツを着た男がいた。
「こんな時期にスーツって……えっ…?あいつ…!?」
その客の格好もそうだが、顔を見て沢村はすぐに誰だかわかった。そう、緋倉だ。あのネット喫茶で沢村を連行し、23区の統括をしているあの男だ。
「…あいつ!」
グツグツと煮えたぎっていた怒りの矛先は迷う事無く緋倉へと向かい、沢村は新川に言えなかった言葉の弾丸を思いっきり詰め込んで駆け寄った。
「おいっ!」
勢いよく走ってきた沢村を見て、緋倉は一瞬眉を潜めた。正直「なんだ、コイツ?」と、思ったに違いない。
「このコンビニではそんな接客をするのか?」
飄々と顔色変えずそう言い返され、案の定沢村は爆発した。
「そんな話どうでも良いだろっ!なんでこの店を閉店にすんだよっ!?」
沢村は緋倉が23区の統括なのだから彼が黒幕に違いないと踏んだのだ。
「私がこの店を閉店に?何の話だ?」
緋倉は益々眉間にシワを寄せて言い返してきた。だが、今の沢村には相手の表情から事態を察せられるほどの冷静さなど微塵も無かった。
「とぼけるなっ!何が働きたい人間は働けるだ!勝手に働く場所を潰すなんてっ!」
猛牛の如き様相で怒鳴ってみても緋倉の表情が変わる事はなく、むしろ対極的なほど冷静だった。
「この店は閉店になるのか。それは上位区の経営部門が決めた事だろう?私らは民事不介入とでも言おうか?行政指導でこの店を潰す予定もない。」
沢村の荒れ狂い様を見ていたレジの新川は黙って見ていたが、レジを離れて二人の方へ行った。バックヤードからも店長や長谷川が出て来た。
「でも…お前はここの統括だろっ!?だったら店を潰させんなよっ!労働意欲ってのを重視すんのが23区じゃねぇのかよっ!?」
あながち沢村が言ってる事は間違っていない感じがした。だから制止しようと考えていた三島も長谷川も成り行きが気になって止めた。
「私は統括だが店の閉店などには一切関与していない。いや、関与できない。なぜなら店の閉店や統廃合は経営者が決める事だからだ。」
ここまで理路整然と説明しても沢村が引き下がる訳ない。彼には私怨があるし、未消化の不満ならまだまだ残っているからだ。
「勝手にこんな制度作っておいて…働く場所がなくなるのは関係ねぇってのかよっ!?」
きっと、そんな事をみんなが抱いていたのだろう。黙っていた新川は沢村の側に立って続けざまに言い放ってみせた。
「そうよ!いくら何でも無責任過ぎるわっ!私だってここで働く気があるのよっ!?なのに何で潰される訳っ!?それって矛盾してないっ!?」
彼女が加わった事で沢村のヤツ当たりは単なるヤツ当たりではなくなった。新川もヤツ当たりと言えばそうだったが、二人は彼が突かれると痛いところを的確に突いている。
「何度も言うが、我々が店をどうこうする権利を持っていない。君達の主張は一聞すると正しいが、それは現実逃避でしかない。」
緋倉は二人も狂犬が眼前で吠えているのに相変わらず鉄仮面皮だ。それが余計に腹立たしさを増長させたのか、二人のボルテージは更に上がった。
「閉店なんて今すぐやめさせろよっ!!」
「あんたがここの統括なんでしょっ!?」
緋倉は何となく目の前のうるさい子犬から視線を逸らし、他の店員を見てみた。三島も長谷川も傍観しているようだが表情からは同じ主張を感じ取れた。他の店員も同じ事を言いたげな感じで、全員が鋭い目でこちらの出方を伺っている。まるで飢えた狼の群れに囲まれた気分だった。
だが、それでも緋倉の軸は一切ぶれなかった。
「君達は誤解しているようだから言ってやろう。閉店させたくないのなら、それは私に頼むことではない。ここの経営者だ。言い換えればお前達だろう?」
緋倉がブレないので話が堂々巡りしている。いや、一貫した主張をお互いがする内に分かり合えると言うか、今まで気付かなかった事に気付きだしていた。
「俺達が閉店を止める…?」
単細胞の彼は誰よりもその言葉に揺れた。元からワガママな彼は嫌なものは嫌だし、納得できない事は納得できない性格だったのだから。
「ちょっと待ってよ。3区の人が決めた事なのよ?23区の私達に何ができるって言うのよ?平社員が専務に噛み付くようなもんよ?」
彼女はやや尖った感じでそう緋倉に言い放った。
「そうだな。だが、君達は離反者だ。あがいて物事に抗う手段で立ち向かうのは得意分野じゃないのか?最も、何をしたところで勝算はないに等しいだろうけど。」
緋倉はそう言うと手に持っていた缶コーヒーをレジに置き、代金を続けて置いた。その一挙手一投足を全員が黙って見ていた。
「…緋倉さん、私達は一体どうすれば…?」
沈黙を抜き破り、三島が声を振り絞るように言った。彼の言葉を側面で受け止めた緋倉は三島の方は向かず、店の出口へと体を向けてから言った。
「簡単な事だ。閉店にしたくないなら閉店にしたくないと言えば良い。それだけの事だ。」
緋倉はそのまま店を出て行った。青天から注ぐ真っ白な光の中へ、真っ黒なスーツはまるで影が人型をしたまま、光の中で浮き彫りのようにいつまでも揺れていた。
店の中は時間が止まったように誰一人動かなかった。シャンシャンとけたたましい喧騒を繰り返していたセミの声さえなく、そこだけ乖離した空間になってしまったかのようだ。
ピロリロン…ピロリロン…
「…っ?」
固まっていた一同は店の入り口へと眼を一斉にやった。そこにはだらしなく制服を着ている男の高校生がいた。
彼は店の異様な雰囲気と店員全員の不気味な視線に「なんだ…この店?」と、思いながら身を潜めるように雑誌コーナーへ向かっていった。
固まっていた沢村たちは急にスイッチが入ったように持ち場に戻り、普段通り仕事を再開していった。
それでも、各々どこか考えているような顔つきだった。恐らくは先ほどの事だろう。このコンビニの中で最もそれを思い返していたのは、やはり沢村だった。
(そうか…、あいつが言ってる事の意味がようやくわかった!)
─夜─
ちょっとすすけた商店街の路地裏。かすかに聞こえるウマオイの奏でる鳴き声が、遠くの野原に居るエンマコオロギと仲良くハーモニーを織り成している。
明日への準備にいそしむ中、缶コーヒーが入ったダンボールを新川がけだるそうにみつめて言った。
「あーあ、沢村。ちょっと手伝ってくんない?」
カップラーメンを手ににやけていた沢村はその声に少し苛立ったようだが、新川の元に近寄って手伝いはじめた。あんまりの従順な沢村が新川には酷く気味悪かった。
「なんかあったの?」
さりげなく新川はそう言ったが、沢村は「まぁな。」とだけ答え、後はそそくさと作業に専念するばかりだった。新川は益々気持ち悪くなってきていた。
「何よ。店潰れちゃうのにそんな頑張っちゃって…気持ち悪っ。」
ようやく業務は終わり、店員はいつもの様にバックルームに集められた。今日の売り上げやレジ金の確認、明日のシフトの確認などだ。
「…以上です。では、明日もみなさんよろしくお願いいたします。」
三島が解散させようと締めくくりの挨拶を済ますと、沢村は何を思ったか右手を大きく挙げてみせた。
「どうした?沢村君…?」
「はい!俺めっちゃ良い事に気がついたんです!」
やけに自信満々な顔で沢村はそんな事を口走った。隣で聞いていた新川の顔は明らかに歪んでいた。「またコイツのKYが始まったんじゃ…」てな事をきっと思ったのだろう。
「なんだ、何に気付いたんだい?」
「ここを潰させない方法に決まってるじゃないっすか!?昼間にアイツも言ってたでしょ、店を潰すかどうかは俺ら次第なんだって!」
突拍子も無い発言で全員が一瞬だが固まっていた。ある意味、彼の愚直さに誰もが唖然としていた。
「…と、待ってくれ。緋倉さんも言っていたが、3区の出した結論を変える事はできないんだよ。気持ちはわかるが、もう決まった事なんだ沢村君。」
三島の懇切丁寧な説明も彼には無意味だった。彼には彼なりの答えが既に用意されていたのだろう。まるで引く気配など見せず、沢村はみんなを見回して言った。
「だから!3区のヤツラがここを潰したくないって思わせるぐらいにすりゃ良い話じゃないのかっ!?そうだろっ!」
あ、なるほど。沢村の思考回路ではそれほど深い意味もなかった言葉かもしれない。ただ店がなくなると困るから言った言葉かもしれない。だけど、眼から鱗だった。
沢村は意気揚々と言ってみせた。
「俺はもうここしかないんだ!ここを失ったら終わりなんだよっ!だから、絶対閉店なんか嫌だ!閉店まで時間はあるんだ!黙って潰されるの待つなんて嫌なんだっ!」
彼の心からの訴えは、全員の失望感を叩き割っていった。彼の言葉は単純で純粋なだけのものだったが、そんなシンプルな言葉だったからこそ強く届いたのかもしれない。
「沢村君…。」
長谷川は目を少しうるませていた。何が閉店だ。何が真の平等を実現した社会だ。そんな気持ちをずっと押さえ込んでいたのに、今にもそれが噴出しそうだ。
「…あんた、やっぱりバカだよね。本当に…、でも、そうだよ。アンタの言葉で私は目が覚めたわ。要するに、売り上げ上げて3区のヤツラを見返してやれば良いって事よね?」
今まで冷た言葉ばかりを放っていた新川は、この時初めて温かさに溢れた言葉をそっと沢村の背中に届けてみせた。
フォローなんて絶対にしなかったのに、確かに伝わる温もりは沢村の背中をそっとさする様に優しく、ふんわりと包み込むようだった。
「…あぁ、確かにそうだな。しかし…、一体どうやって短期間で売り上げを上げるんだ?」
三島も沢村の提案には賛成したい気持ちだったが、やはり現実を見据えていない意見に協力はできないと言う気持ちもあった。
三島店長の冷静な意見で辺りに流れていた希望の風は制止し、沢村に向かって今度は向かい風が吹き付けた。
しかし、バカ骨頂状態の彼は費えることのない自信をもって立ち向かってみせた。
「そうだな…他の店と同じ物売ってたって仕方ねぇだろ?他の店が驚くような物を置いて宣伝すれば…もっとお客さんも増えるんじゃねぇかっ!?」
「…ふっ、あははははっ!それはおもしろいなっ!」
彼の意見は具体性を全く欠いていたが、彼なりに精一杯な意見だったのが三島にはとても嬉しく、おもしろく聞こえた。
「三島さん。おもしろそうではないですか。彼が言っているのは、要するにオリジナル商品ですよ。確かに、目玉になれば…」
そう、諦めていては先は決まってしまう。そんな事に今更気付かされたのだ。三島は現実を見据えて考えているつもりで、現実と言う限界を勝手に作ってしまっていたのだ。
「ちょっと待ってよ。安売りとかにしない?オリジナル商品なんて何ヶ月かかると思ってるのよ?今日言って明日からできる事じゃないじゃない。」
かなり冷静な意見だったが、三島は嬉しそうに答えた。
「だったら明日から出来るものにすれば良い。そうだろ、沢村君。」
「そうっす!その通りです!」
彼女もそれを聞いてようやく笑顔を見せた。他の店員も同じ様に笑顔になっていた。吹き荒れていた諦めムードはもうない。
そう、考え方次第なんて事は世の中いくらでもある。気付く事さえできれば大きな困難でさえ心躍る事に変えられるのだ。
ダメだ。と、諦めた瞬間に未来は閉ざされてしまう。諦めは肝心と言うが、その時節を間違えてはならない。そんなところだろう。
大型旅客機の轟音が商店街の赤錆びた螺旋階段を軋ませ、カーンコーンと遠くから聞こえてくる工事現場の金属音と入り混じって溶け合うようにして流れている。
「……あーあ…。」
沢村の溜息からは失速感が充満していた。せっかく人並みに仕事ができるようになったと言うのに、つかの間の夢と言うか…元通りの彼に戻ってしまっていた。
だが、似たような失速感を店内にいる誰もが醸し出している。閑散としているコンビニ内は、永遠と繰り返される宣伝テープの音だけが虚しく聞こえるだけだった。
「沢村君、何だその態度は?」
長谷川は普段どおりに振舞った。いや、態度をあからさまに変えた沢村に苛立っているご様子だ。
「…わかってますよ。」
怪訝な表情で沢村が返すと、更に長谷川は苛立った。だが、強く叱責する事もなく足音に怒っている事を滲ませながらそそくさとバックに戻って行った。
「他のみんなは良いよ…まだ他に探せばいくらでもあるんだろうからな…。俺なんか…ここ失ったら他に就ける仕事があるかどうかわかんねぇんだ…。」
誰が聞き届ける訳でもない彼の悲嘆は弁当コーナー辺りで消え、店内は相変わらずまばらに居る立ち読み客の静かな息遣いだけが漂っている。
しばらくすると、交替で来た新川がカリカリした表情で現れ、沢村のふぬけた顔を見るや否やツカツカと早足で彼の方へ行った。
「あんた、またそんな顔してんの?」
沢村は灰色の煙を体から撒くかのように身をすぼめ、新川の威圧感から逃れるように俯いた。鎮めた顔からちらりと見える目は死んだ魚のそれより腐っている。
「…良いだろ。別に。」
彼女にとっては解せない態度だ。理由はある程度共有できているが、それを盾のようにして怠惰を決め込んでいる様に見えて仕方なかった。
「まだあの話を気にしてんの?そんなんでヤル気なくすんだったら、今すぐ辞めれば!?」
相変わらず優しさの欠片もない言葉に、彼もさすがに傷ついていた。どれほどかはわからないが、彼にしてみれば自分のせいでこうなったんじゃないと言う思いが大半だろう。
「…じゃぁ、お前はこのコンビニがなくなっても良いって言うのかよ!?」
抑圧していた不満をありったけ込めて沢村は反撃に出た。同じような事を長谷川に言われた時には我慢していたのだろう。さすがの彼でも上司と同僚の区別ぐらいはかろうじて付いたと言ったところか、もしくは彼女には何でも言えるようなところがあったのだろう。
急に曇った顔から稲光がほとばしり、新川はたじろいたが、すぐに冷淡さを取り戻した。
「コンビニなんていくらでもあるし。閉店なんてよくある話でしょ?社会ってそんなもんだから。そんな事でイチイチ腹立ててたんじゃ、やってけないって言ってるの。」
さすがに解雇歴のある彼女の言葉は説得力抜群だった。だが、それは常識的過ぎて沢村のような人間からすれば不条理にしか思えないものだった。
「そう言う風に片付く話じゃねぇだろっ!?なんか違うだろそれ!?」
彼には、直感的にしか伝えらない脳内回路しかない。しかし、言い尽くせない言葉の溝を感情が溢れんばかりに埋めていた。
だから、彼の言おうとしている事がどう言う事かは新川に強く届いていた。これは「閉店と言われたら閉店」と言う事に対しての怒りではない、黙ってそれらを受け入れるのが正しいのかと言う精神論なのだ。
「…私だってこのままなんて嫌だよ。…だけど、だからって怠けたって何にもならないでしょっ!?」
どちらも正論だが、社会通念としては新川に軍配が上がると言ったところか。
「じゃぁ、どうしろって言うんだよっ!?」
二人の言い争いは既に店内の客にも聞き取れるほどヒートアップしていた。さすがにまずいと思った谷田は二人の合間に入った。
「ちょっと二人とも!お客さんが居るんだから!」
ナイス仲裁。二人とも鼻息を荒立てたまま持ち場に戻っていった。それでもお互い投げつけあった言葉を反芻してはただ苛立っていた。
─数分後─
沢村は相変わらずくすぶっていた。心の中では言い足りない不満を沸騰した鍋の中で渦巻く素麺のように巡らせていた。
「せっかく俺だってまともになれそうだったのに…結局こんなじゃ意味ねぇよな…。」
ちっとも前向きに仕事ができない沢村が悲嘆に耽溺していると、来客をしらせるチャイムがピロリロン…ピロリロンと、店内にしっかり響いた。
久しぶりの来客に、沢村は商品棚越に視線を入り口の方へと向けた。そこには、このクソ暑い夏に似合わない黒いスーツを着た男がいた。
「こんな時期にスーツって……えっ…?あいつ…!?」
その客の格好もそうだが、顔を見て沢村はすぐに誰だかわかった。そう、緋倉だ。あのネット喫茶で沢村を連行し、23区の統括をしているあの男だ。
「…あいつ!」
グツグツと煮えたぎっていた怒りの矛先は迷う事無く緋倉へと向かい、沢村は新川に言えなかった言葉の弾丸を思いっきり詰め込んで駆け寄った。
「おいっ!」
勢いよく走ってきた沢村を見て、緋倉は一瞬眉を潜めた。正直「なんだ、コイツ?」と、思ったに違いない。
「このコンビニではそんな接客をするのか?」
飄々と顔色変えずそう言い返され、案の定沢村は爆発した。
「そんな話どうでも良いだろっ!なんでこの店を閉店にすんだよっ!?」
沢村は緋倉が23区の統括なのだから彼が黒幕に違いないと踏んだのだ。
「私がこの店を閉店に?何の話だ?」
緋倉は益々眉間にシワを寄せて言い返してきた。だが、今の沢村には相手の表情から事態を察せられるほどの冷静さなど微塵も無かった。
「とぼけるなっ!何が働きたい人間は働けるだ!勝手に働く場所を潰すなんてっ!」
猛牛の如き様相で怒鳴ってみても緋倉の表情が変わる事はなく、むしろ対極的なほど冷静だった。
「この店は閉店になるのか。それは上位区の経営部門が決めた事だろう?私らは民事不介入とでも言おうか?行政指導でこの店を潰す予定もない。」
沢村の荒れ狂い様を見ていたレジの新川は黙って見ていたが、レジを離れて二人の方へ行った。バックヤードからも店長や長谷川が出て来た。
「でも…お前はここの統括だろっ!?だったら店を潰させんなよっ!労働意欲ってのを重視すんのが23区じゃねぇのかよっ!?」
あながち沢村が言ってる事は間違っていない感じがした。だから制止しようと考えていた三島も長谷川も成り行きが気になって止めた。
「私は統括だが店の閉店などには一切関与していない。いや、関与できない。なぜなら店の閉店や統廃合は経営者が決める事だからだ。」
ここまで理路整然と説明しても沢村が引き下がる訳ない。彼には私怨があるし、未消化の不満ならまだまだ残っているからだ。
「勝手にこんな制度作っておいて…働く場所がなくなるのは関係ねぇってのかよっ!?」
きっと、そんな事をみんなが抱いていたのだろう。黙っていた新川は沢村の側に立って続けざまに言い放ってみせた。
「そうよ!いくら何でも無責任過ぎるわっ!私だってここで働く気があるのよっ!?なのに何で潰される訳っ!?それって矛盾してないっ!?」
彼女が加わった事で沢村のヤツ当たりは単なるヤツ当たりではなくなった。新川もヤツ当たりと言えばそうだったが、二人は彼が突かれると痛いところを的確に突いている。
「何度も言うが、我々が店をどうこうする権利を持っていない。君達の主張は一聞すると正しいが、それは現実逃避でしかない。」
緋倉は二人も狂犬が眼前で吠えているのに相変わらず鉄仮面皮だ。それが余計に腹立たしさを増長させたのか、二人のボルテージは更に上がった。
「閉店なんて今すぐやめさせろよっ!!」
「あんたがここの統括なんでしょっ!?」
緋倉は何となく目の前のうるさい子犬から視線を逸らし、他の店員を見てみた。三島も長谷川も傍観しているようだが表情からは同じ主張を感じ取れた。他の店員も同じ事を言いたげな感じで、全員が鋭い目でこちらの出方を伺っている。まるで飢えた狼の群れに囲まれた気分だった。
だが、それでも緋倉の軸は一切ぶれなかった。
「君達は誤解しているようだから言ってやろう。閉店させたくないのなら、それは私に頼むことではない。ここの経営者だ。言い換えればお前達だろう?」
緋倉がブレないので話が堂々巡りしている。いや、一貫した主張をお互いがする内に分かり合えると言うか、今まで気付かなかった事に気付きだしていた。
「俺達が閉店を止める…?」
単細胞の彼は誰よりもその言葉に揺れた。元からワガママな彼は嫌なものは嫌だし、納得できない事は納得できない性格だったのだから。
「ちょっと待ってよ。3区の人が決めた事なのよ?23区の私達に何ができるって言うのよ?平社員が専務に噛み付くようなもんよ?」
彼女はやや尖った感じでそう緋倉に言い放った。
「そうだな。だが、君達は離反者だ。あがいて物事に抗う手段で立ち向かうのは得意分野じゃないのか?最も、何をしたところで勝算はないに等しいだろうけど。」
緋倉はそう言うと手に持っていた缶コーヒーをレジに置き、代金を続けて置いた。その一挙手一投足を全員が黙って見ていた。
「…緋倉さん、私達は一体どうすれば…?」
沈黙を抜き破り、三島が声を振り絞るように言った。彼の言葉を側面で受け止めた緋倉は三島の方は向かず、店の出口へと体を向けてから言った。
「簡単な事だ。閉店にしたくないなら閉店にしたくないと言えば良い。それだけの事だ。」
緋倉はそのまま店を出て行った。青天から注ぐ真っ白な光の中へ、真っ黒なスーツはまるで影が人型をしたまま、光の中で浮き彫りのようにいつまでも揺れていた。
店の中は時間が止まったように誰一人動かなかった。シャンシャンとけたたましい喧騒を繰り返していたセミの声さえなく、そこだけ乖離した空間になってしまったかのようだ。
ピロリロン…ピロリロン…
「…っ?」
固まっていた一同は店の入り口へと眼を一斉にやった。そこにはだらしなく制服を着ている男の高校生がいた。
彼は店の異様な雰囲気と店員全員の不気味な視線に「なんだ…この店?」と、思いながら身を潜めるように雑誌コーナーへ向かっていった。
固まっていた沢村たちは急にスイッチが入ったように持ち場に戻り、普段通り仕事を再開していった。
それでも、各々どこか考えているような顔つきだった。恐らくは先ほどの事だろう。このコンビニの中で最もそれを思い返していたのは、やはり沢村だった。
(そうか…、あいつが言ってる事の意味がようやくわかった!)
─夜─
ちょっとすすけた商店街の路地裏。かすかに聞こえるウマオイの奏でる鳴き声が、遠くの野原に居るエンマコオロギと仲良くハーモニーを織り成している。
明日への準備にいそしむ中、缶コーヒーが入ったダンボールを新川がけだるそうにみつめて言った。
「あーあ、沢村。ちょっと手伝ってくんない?」
カップラーメンを手ににやけていた沢村はその声に少し苛立ったようだが、新川の元に近寄って手伝いはじめた。あんまりの従順な沢村が新川には酷く気味悪かった。
「なんかあったの?」
さりげなく新川はそう言ったが、沢村は「まぁな。」とだけ答え、後はそそくさと作業に専念するばかりだった。新川は益々気持ち悪くなってきていた。
「何よ。店潰れちゃうのにそんな頑張っちゃって…気持ち悪っ。」
ようやく業務は終わり、店員はいつもの様にバックルームに集められた。今日の売り上げやレジ金の確認、明日のシフトの確認などだ。
「…以上です。では、明日もみなさんよろしくお願いいたします。」
三島が解散させようと締めくくりの挨拶を済ますと、沢村は何を思ったか右手を大きく挙げてみせた。
「どうした?沢村君…?」
「はい!俺めっちゃ良い事に気がついたんです!」
やけに自信満々な顔で沢村はそんな事を口走った。隣で聞いていた新川の顔は明らかに歪んでいた。「またコイツのKYが始まったんじゃ…」てな事をきっと思ったのだろう。
「なんだ、何に気付いたんだい?」
「ここを潰させない方法に決まってるじゃないっすか!?昼間にアイツも言ってたでしょ、店を潰すかどうかは俺ら次第なんだって!」
突拍子も無い発言で全員が一瞬だが固まっていた。ある意味、彼の愚直さに誰もが唖然としていた。
「…と、待ってくれ。緋倉さんも言っていたが、3区の出した結論を変える事はできないんだよ。気持ちはわかるが、もう決まった事なんだ沢村君。」
三島の懇切丁寧な説明も彼には無意味だった。彼には彼なりの答えが既に用意されていたのだろう。まるで引く気配など見せず、沢村はみんなを見回して言った。
「だから!3区のヤツラがここを潰したくないって思わせるぐらいにすりゃ良い話じゃないのかっ!?そうだろっ!」
あ、なるほど。沢村の思考回路ではそれほど深い意味もなかった言葉かもしれない。ただ店がなくなると困るから言った言葉かもしれない。だけど、眼から鱗だった。
沢村は意気揚々と言ってみせた。
「俺はもうここしかないんだ!ここを失ったら終わりなんだよっ!だから、絶対閉店なんか嫌だ!閉店まで時間はあるんだ!黙って潰されるの待つなんて嫌なんだっ!」
彼の心からの訴えは、全員の失望感を叩き割っていった。彼の言葉は単純で純粋なだけのものだったが、そんなシンプルな言葉だったからこそ強く届いたのかもしれない。
「沢村君…。」
長谷川は目を少しうるませていた。何が閉店だ。何が真の平等を実現した社会だ。そんな気持ちをずっと押さえ込んでいたのに、今にもそれが噴出しそうだ。
「…あんた、やっぱりバカだよね。本当に…、でも、そうだよ。アンタの言葉で私は目が覚めたわ。要するに、売り上げ上げて3区のヤツラを見返してやれば良いって事よね?」
今まで冷た言葉ばかりを放っていた新川は、この時初めて温かさに溢れた言葉をそっと沢村の背中に届けてみせた。
フォローなんて絶対にしなかったのに、確かに伝わる温もりは沢村の背中をそっとさする様に優しく、ふんわりと包み込むようだった。
「…あぁ、確かにそうだな。しかし…、一体どうやって短期間で売り上げを上げるんだ?」
三島も沢村の提案には賛成したい気持ちだったが、やはり現実を見据えていない意見に協力はできないと言う気持ちもあった。
三島店長の冷静な意見で辺りに流れていた希望の風は制止し、沢村に向かって今度は向かい風が吹き付けた。
しかし、バカ骨頂状態の彼は費えることのない自信をもって立ち向かってみせた。
「そうだな…他の店と同じ物売ってたって仕方ねぇだろ?他の店が驚くような物を置いて宣伝すれば…もっとお客さんも増えるんじゃねぇかっ!?」
「…ふっ、あははははっ!それはおもしろいなっ!」
彼の意見は具体性を全く欠いていたが、彼なりに精一杯な意見だったのが三島にはとても嬉しく、おもしろく聞こえた。
「三島さん。おもしろそうではないですか。彼が言っているのは、要するにオリジナル商品ですよ。確かに、目玉になれば…」
そう、諦めていては先は決まってしまう。そんな事に今更気付かされたのだ。三島は現実を見据えて考えているつもりで、現実と言う限界を勝手に作ってしまっていたのだ。
「ちょっと待ってよ。安売りとかにしない?オリジナル商品なんて何ヶ月かかると思ってるのよ?今日言って明日からできる事じゃないじゃない。」
かなり冷静な意見だったが、三島は嬉しそうに答えた。
「だったら明日から出来るものにすれば良い。そうだろ、沢村君。」
「そうっす!その通りです!」
彼女もそれを聞いてようやく笑顔を見せた。他の店員も同じ様に笑顔になっていた。吹き荒れていた諦めムードはもうない。
そう、考え方次第なんて事は世の中いくらでもある。気付く事さえできれば大きな困難でさえ心躍る事に変えられるのだ。
ダメだ。と、諦めた瞬間に未来は閉ざされてしまう。諦めは肝心と言うが、その時節を間違えてはならない。そんなところだろう。


