23区の生活が始まって早くも一ヶ月が経った。
連れてこられた当初こそ様々な反発や抵抗があったものの、時間が経つに連れて徐々にそれも減ってきた。
多くの人はその生活が変わることはなく、変わった部分があるにも関わらずに地上を取り戻していた。
それは、改変を実感できないものが多いからである。
年収や財産、そして労働意欲に沿った世界。以前と同じ生活を望むなら、それ相当の労働をすれば良いのだから。そして、意欲があればそれは許される世界なのだから。
「いらっしゃいませ!」
沢村もまた、あれから充実した生活を送っていた。そう、生活は変わったと言うには微々たるものかもしれないが、個々の意思や精神には大きな影響を与えていたのだろう。
「沢村君、休憩して良いよ。」
長谷川がそう言うと、沢村は清清しい顔つきでこう返した。
「はい!じゃぁ、これ終わったらバック行きます。」
別人のような熱心さに長谷川も嬉しそうだ。
「長谷川さん、ちょっと来てくれないか?」
珍しく奥から店長の三島が長谷川を呼んだ。
「あ、はい。」
長谷川は店長と共にバックへ消えていったが、一瞬見えた店長の表情には暗雲が立ち込めるかのように暗く鈍いものだったのを沢村は見逃さなかった。
「何だろうな。」
─バックルーム─
沢村は休憩する為にバックルームに来た。店長と長谷川の姿は見えない。
「どこに行ったんだろ?」
ほんの好奇心から彼は裏口の扉の方へ行ってみた。そおっと扉を開けると、店長と長谷川の声がヒソヒソ聞こえてきた。
「…だと言う。近々、区画間での事業見直しが…。」
「…では、全店舗に対して調査が…?」
「…この店舗の売り上げは知っているだろう?」
「はい…、となると統廃合の対象として…。」
「それだけは避けたいが…、このままでは…。」
なんだかやばそうな話だ。内容は彼の頭では理解できないものだったが、とても不穏な内容である事ぐらいは直感で感じた。
「…何の話かわかんねぇけど…バックに戻ろう。」
物音に細心の注意を払いながら彼は休憩室に戻った。
「あ~、しっかしこの時間帯は暇で仕方ないな。」
モニターを見ても客は一人もいない。この時間帯は場所柄もあってか、閑古鳥が毎日のように歌っている。
「…ん?誰か来た。スーツだけど…リーマンかな?珍しい。」
ふと店内に入ってきた客は商品を見る事なくレジへ直進し、店員と何やら会話をしている。店員は慌てた様子でレジを離れた。
「おいおい、なんて無用心な。」
ガチャンッ!
「店長はいませんか!?本部の人が来て…店長を呼んでくれって!」
レジをしていた山城が珍しく顔を白めているのに沢村は驚いたが、さっき店長と長谷川が裏口の方で話をしていた事を思い出した。
「店長達なら裏口の方だぜ。」
山城は返事もせずに裏口の方へ走って行った。しばらくして早足で三人がバックルームを通り、店内へと向かって行った。
「…何かマジでやばそうだな…」
気になった沢村も後をついて行った。
─店内─
「…あなたが23区花未川地区店の店長…三島さんですね。」
スーツの男からはとてもヤリ手な感じが漂う。どこか普通の人とは思えない、表現に困る威圧感とも言うべきものを全身から放っている。
「はい。…そうです。」
三島はもうそのスーツの男が誰かわかっているようだった。
「私は3区、フーズナイングループの営業管理課課長…祭堂 史朗(さいどう しろう)と申します。今日は、この店舗の閉鎖についてお話に来ました。」
「へ…閉鎖…ですか?」
嫌な予感はしていたが、その事実に彼は一瞬夢ではないかと思った。
「この店舗は先週の運営会議において赤字店舗として採算がこれ以上見込めず、今月限りを持って閉店とする事が決定されました。」
スーツの男の話に黙っていた三島だったが、思い留めていた怒りを一気に噴出した。
「ちょっと待って下さい!確かに現在は赤字ですが、急に閉店なんて…!」
それに便乗して沢村も口出しをした。彼にしてみればようやく掴みかけた職場が突然閉店させられるなんて話は寝耳に水だったに違いない。
「俺も反対だ!訳わかんねぇよ!」
祭堂は全く動じず、淡々と言い返した。
「これは上層部の会議で決まった事なのです。あなた方が何を言ったところで覆る事はありませんし、閉店は既に決定されたのです。それでは。」
一方的な展開に誰も成す術がなかった。全員がうなだれるように頭を下げ、奥歯をギリギリと噛み締めるしかなかった。
「…店長…どうにかなんねぇのかよ?」
沢村は込み上げる怒りを必死で抑えながら、三島の目を強く見つめて言った。
「相手は3区の連中だ…。私達とは住む次元も何もかも段違い過ぎる…。無視をして営業を続けても物流から止められるだろう。それに、この店舗の負債は個人で支払えるレベルの金額ではないしな…。閉店を受け入れざるを得ない…。」
沢村が少し身を乗り出して煮えたぎった憤懣をブチ撒けようとしたら、隣に居た新川がそれより先に暴発してみせた。
「冗談じゃないわよ!それじゃ私はまた勝手な都合で切り捨てられる訳っ!?これじゃ前と何にも変わらないじゃないっ!!」
凄い剣幕だ。あまりの威圧感に沢村は後ずさりして、自分が出そうとしていた不満の言葉全てを慌てて心の引き出しにしまった。その後は臆病な子犬のように身を潜めた。
「しかし…、これは本部の決定だからな…。」
現実を散々味わってきた大人の方々には、耳の痛い聞き慣れた統廃合話である。長谷川はまるで自分に言い聞かせているような口調だった。
「私だって悔しいんだ。こんな…はずじゃないって!」
長谷川の顔のしわ一つ一つから赤い脈が読み取れそうな程だ。彼はドロップアウトしていた経験もあるし、誰よりも不当な解雇やら倒産やらには敏感なはずだろう。
皆一様に暗く沈んだ表情をしている。怒りか、絶望か、個々の違いはあるかもしれないが突然の通告に全員がショックを受けているのは確かだった。
「…ひとまず、今日すぐに閉店と言う訳じゃない。今月いっぱいは営業しなくてはいけないんだ。皆、それまで精一杯やろう。」
三島は店長らしく気丈に立ち回ってみせたが、誰の顔からも影が消える事はなく、ただ言われるがままに店へとぞろぞろ戻って行った。
「…終わりかよ?こんなんで本当に終わりなのかよ…?」
挫折し、反省し、ようやく楽しさを感じられはじめた沢村。だが、彼の前に現れたのはまたしても現実と言う名の大きな鉄壁だった。
「……これが、”ゲンジツ“ってやつか…。」
シオカラトンボの群れが人波の頭上を滑空し、浅葱色に染まったその躯体を薄白群が永久に広がる僻遠の彼方へと溶かしていく。
街路樹に鈴なるようにして群れている蝉を追い回す少年が、汗をシャツに滲ませながら白陽炎の向こう側へと消えていく。
彼はそんな光景の果てで、鬼籍に入ろうとする自分の未来をかすかに見ていた。
連れてこられた当初こそ様々な反発や抵抗があったものの、時間が経つに連れて徐々にそれも減ってきた。
多くの人はその生活が変わることはなく、変わった部分があるにも関わらずに地上を取り戻していた。
それは、改変を実感できないものが多いからである。
年収や財産、そして労働意欲に沿った世界。以前と同じ生活を望むなら、それ相当の労働をすれば良いのだから。そして、意欲があればそれは許される世界なのだから。
「いらっしゃいませ!」
沢村もまた、あれから充実した生活を送っていた。そう、生活は変わったと言うには微々たるものかもしれないが、個々の意思や精神には大きな影響を与えていたのだろう。
「沢村君、休憩して良いよ。」
長谷川がそう言うと、沢村は清清しい顔つきでこう返した。
「はい!じゃぁ、これ終わったらバック行きます。」
別人のような熱心さに長谷川も嬉しそうだ。
「長谷川さん、ちょっと来てくれないか?」
珍しく奥から店長の三島が長谷川を呼んだ。
「あ、はい。」
長谷川は店長と共にバックへ消えていったが、一瞬見えた店長の表情には暗雲が立ち込めるかのように暗く鈍いものだったのを沢村は見逃さなかった。
「何だろうな。」
─バックルーム─
沢村は休憩する為にバックルームに来た。店長と長谷川の姿は見えない。
「どこに行ったんだろ?」
ほんの好奇心から彼は裏口の扉の方へ行ってみた。そおっと扉を開けると、店長と長谷川の声がヒソヒソ聞こえてきた。
「…だと言う。近々、区画間での事業見直しが…。」
「…では、全店舗に対して調査が…?」
「…この店舗の売り上げは知っているだろう?」
「はい…、となると統廃合の対象として…。」
「それだけは避けたいが…、このままでは…。」
なんだかやばそうな話だ。内容は彼の頭では理解できないものだったが、とても不穏な内容である事ぐらいは直感で感じた。
「…何の話かわかんねぇけど…バックに戻ろう。」
物音に細心の注意を払いながら彼は休憩室に戻った。
「あ~、しっかしこの時間帯は暇で仕方ないな。」
モニターを見ても客は一人もいない。この時間帯は場所柄もあってか、閑古鳥が毎日のように歌っている。
「…ん?誰か来た。スーツだけど…リーマンかな?珍しい。」
ふと店内に入ってきた客は商品を見る事なくレジへ直進し、店員と何やら会話をしている。店員は慌てた様子でレジを離れた。
「おいおい、なんて無用心な。」
ガチャンッ!
「店長はいませんか!?本部の人が来て…店長を呼んでくれって!」
レジをしていた山城が珍しく顔を白めているのに沢村は驚いたが、さっき店長と長谷川が裏口の方で話をしていた事を思い出した。
「店長達なら裏口の方だぜ。」
山城は返事もせずに裏口の方へ走って行った。しばらくして早足で三人がバックルームを通り、店内へと向かって行った。
「…何かマジでやばそうだな…」
気になった沢村も後をついて行った。
─店内─
「…あなたが23区花未川地区店の店長…三島さんですね。」
スーツの男からはとてもヤリ手な感じが漂う。どこか普通の人とは思えない、表現に困る威圧感とも言うべきものを全身から放っている。
「はい。…そうです。」
三島はもうそのスーツの男が誰かわかっているようだった。
「私は3区、フーズナイングループの営業管理課課長…祭堂 史朗(さいどう しろう)と申します。今日は、この店舗の閉鎖についてお話に来ました。」
「へ…閉鎖…ですか?」
嫌な予感はしていたが、その事実に彼は一瞬夢ではないかと思った。
「この店舗は先週の運営会議において赤字店舗として採算がこれ以上見込めず、今月限りを持って閉店とする事が決定されました。」
スーツの男の話に黙っていた三島だったが、思い留めていた怒りを一気に噴出した。
「ちょっと待って下さい!確かに現在は赤字ですが、急に閉店なんて…!」
それに便乗して沢村も口出しをした。彼にしてみればようやく掴みかけた職場が突然閉店させられるなんて話は寝耳に水だったに違いない。
「俺も反対だ!訳わかんねぇよ!」
祭堂は全く動じず、淡々と言い返した。
「これは上層部の会議で決まった事なのです。あなた方が何を言ったところで覆る事はありませんし、閉店は既に決定されたのです。それでは。」
一方的な展開に誰も成す術がなかった。全員がうなだれるように頭を下げ、奥歯をギリギリと噛み締めるしかなかった。
「…店長…どうにかなんねぇのかよ?」
沢村は込み上げる怒りを必死で抑えながら、三島の目を強く見つめて言った。
「相手は3区の連中だ…。私達とは住む次元も何もかも段違い過ぎる…。無視をして営業を続けても物流から止められるだろう。それに、この店舗の負債は個人で支払えるレベルの金額ではないしな…。閉店を受け入れざるを得ない…。」
沢村が少し身を乗り出して煮えたぎった憤懣をブチ撒けようとしたら、隣に居た新川がそれより先に暴発してみせた。
「冗談じゃないわよ!それじゃ私はまた勝手な都合で切り捨てられる訳っ!?これじゃ前と何にも変わらないじゃないっ!!」
凄い剣幕だ。あまりの威圧感に沢村は後ずさりして、自分が出そうとしていた不満の言葉全てを慌てて心の引き出しにしまった。その後は臆病な子犬のように身を潜めた。
「しかし…、これは本部の決定だからな…。」
現実を散々味わってきた大人の方々には、耳の痛い聞き慣れた統廃合話である。長谷川はまるで自分に言い聞かせているような口調だった。
「私だって悔しいんだ。こんな…はずじゃないって!」
長谷川の顔のしわ一つ一つから赤い脈が読み取れそうな程だ。彼はドロップアウトしていた経験もあるし、誰よりも不当な解雇やら倒産やらには敏感なはずだろう。
皆一様に暗く沈んだ表情をしている。怒りか、絶望か、個々の違いはあるかもしれないが突然の通告に全員がショックを受けているのは確かだった。
「…ひとまず、今日すぐに閉店と言う訳じゃない。今月いっぱいは営業しなくてはいけないんだ。皆、それまで精一杯やろう。」
三島は店長らしく気丈に立ち回ってみせたが、誰の顔からも影が消える事はなく、ただ言われるがままに店へとぞろぞろ戻って行った。
「…終わりかよ?こんなんで本当に終わりなのかよ…?」
挫折し、反省し、ようやく楽しさを感じられはじめた沢村。だが、彼の前に現れたのはまたしても現実と言う名の大きな鉄壁だった。
「……これが、”ゲンジツ“ってやつか…。」
シオカラトンボの群れが人波の頭上を滑空し、浅葱色に染まったその躯体を薄白群が永久に広がる僻遠の彼方へと溶かしていく。
街路樹に鈴なるようにして群れている蝉を追い回す少年が、汗をシャツに滲ませながら白陽炎の向こう側へと消えていく。
彼はそんな光景の果てで、鬼籍に入ろうとする自分の未来をかすかに見ていた。


