茜色の夕清水に方羽のアブラゼミが放物線を描きながら水面を流れていく。
日陰に居た猫達は仲間と打ち合わせたように、路中に躍り出てじゃれあっている。
傾いていく太陽を追うように人達が足を早め、その顔に一日の終わりを深く滲ませている。そんな人達の終着駅にでもなったのか、コンビニには次から次へと人が流れ込んできていた。
「いらっしゃいませ!」
「1093円になります。…ありがとうございました!次のお客様…!!」
「ちょっと、これもうないの?」
「すみません!今すぐにお持ちいたします!」
こんな寂れた商店街にこれだけの人間がいたのか疑問に思う程の人で溢れている。
「これでしょ?はい、どうぞ。」
驚いた新川は誰かと思い、声の方を見た。すると、そこには沢村が立っていた。
「これだ。ありがとう。」
お客は沢村の持ってきた商品を手に取るとレジへと向かっていった。
「あんた、クビになったんじゃないの?」
そう彼女が言うと、それを予想してたかのように沢村はふんぞりかえった。
「関係ねぇだろ。俺だってやりゃできんだよ。」
沢村の態度に彼女は一瞬イラついたが、少し微笑みながら口を開いた。
「ふーん…。どうでも良いけど、ボサっと突っ立ってないでさっさと商品陳列してよね。」
いつも通りの冷めた言葉だったが、その言葉にはにわかに温かさが含まれていた。
「わかってるよ!」
沢村もいつもの調子で答え、商品の陳列に取り掛かった。
なぜか以前の様な嫌気よりは楽しさを感じている。彼は心のどこかで、店員のメンバー全員と心が繋がったような一体感を感じ始めていた。
「いらっしゃいませ!」
たくさんのバイトをしてきたが、これだけ精力的になれたのは彼自身未経験だった。
(何か…今、すっげえ働いているな俺…。)
商品を並べたり、いらっしゃいませと言ったり、掃除したり…。そんな事は面倒だし無意味だし面白くないと思っていた。でも、きっとそれはやりたくなかったから。やりたくないからやらなかった。
必死になるのが、格好悪いって思ってたのかもしれない。傷になんのが嫌で逃げ回っていただけかもしれない。プライドが高くて選り好みばっかりしていたかもしれない。
そんなんでちっとも楽しめる訳ねぇよな。
自分を全開にする気持ち良さ、忙しさや大変さを共有できる仲間との繋がり…。それさえ知っていれば、俺だってこんなにちゃんと働けるんだ。
「ありがとうございました!」
あれだけ精力のなかった沢村は面影も無いくらい、その声に店長も目を疑った。
気付けば夜も更け、ようやく店内はいつも通りの雰囲気になっていた。
「よし、今日は店を閉めよう。」
コンビニは24時間とは言え、深夜では集客が見込めないためか営業しないようだ。
「はい。」
他のメンバーが閉店作業に取り掛かると、沢村もそれに混ざって作業した。
そして、片づけが終わった後…店長は全員バックルームに集めた。
「…みなさん、お疲れ様でした。では、今日の給料を渡します。」
みんな喜んで顔を緩めてみせたが、沢村だけは目を伏せた。
「…長谷川さん、はい。次は新川さん。どうぞ。」
「社員でも日払いかぁ…でも、この制度で急に連れてこられたから助かったかも。」
横で新川はお札を指折り数えている。
沢村はそれを横目でうらめしそうに見て、顔を深く伏せた。
すっかり肩を落とす沢村。店長は気付かれぬようにそっと沢村の前に立った。
「最後に沢村君。君の分だ。」
「えっ?」
沢村が顔を上げると、薄っぺらい茶封筒が目の前にあった。
「また、明日もよろしく頼むよ。」
「良いんですか!?やったぁっ!!」
子供のようにはしゃぐ沢村の姿を見て、みんな癒されたように笑ってみせた。できの悪い子ができる様になると妙に嬉しいものである。
 家路を歩く沢村の手には給料袋と、廃棄品のコンビニ弁当がしっかりと握られていた。
「やればできるじゃん。」
 後ろから声がしたかと思うと、沢村の横にサッと新川がやってきた。ふいをつかれた沢村の鼓動は一気に加速した。
「お、おぅ…。」
 散々今まで憎まれ口しか出なかったのに、急に褒めるような事言われるとその反動は想像以上に大きい。
「そう言えば、あのおっさん発信機を取った後から姿が見えないけど?どこ行ったんだ?」
 照れ隠しか、彼は急ぎ足で言葉を並べた。新川はあちらの方向を見たまま、少し考えるそぶりを見せた後に答えた。
「…さぁ?離反者だからいつまでも人目に付く場所には居ないでしょ。どこかに逃げたんだと思うけど、今頃は捕まってるんじゃない?」
 新川の推論に沢村もうなづいて納得した。
「でもよ、せっかく23区から逃げられたのに結局ここに来るなんてな。」
「あんたあの話聞いてなかったの?ここ以外は誰も人が居ないのよ?23区に来て捕まるとしても、飢え死にする事はないだろうし。」
 それは彼もわかっていた。だが、彼の言いたい事は他にあったようだ。
「いや、魚釣りしたりして自給自足って言うの?そう言うのはできるじゃん。ほら、TVでも無人島に一週間とかやってるだろ?アイツみてぇに素潜りとかで食料を集めて、何とか凌いでいけるんじゃないかって。」
 さっきまでの感心が興ざめした。そう言いたげなほど呆れた表情で新川は沢村を見た。
「あのねぇ…、あれはTV。調味料とか調理器具は用意してくれてるでしょ?手ぶらなんだから火を起こす事さえ難しいはず。だから、あの人はこっちを選んだのよ。」
 彼はあまり話を聞いている様子がなかった。どちらかと言えば、現実的に話されるよりも夢物語として話たかったからだ。
 ついこの間までそれが普通だったのに、何ともおかしな事ではあるが、彼にとっては親のすねをかじりたおして楽に生きていた頃が随分昔にさえ思えていた。
 路上をふと見ると、一冊の破れた地図が捨ててあった。そこに記されているのはかつての日本。思わず沢村の目じりには涙が溜まりだし、心に言いようのない郷愁が溢れた。
「泣いてるの?」
 隣を無機質に歩いていた新川は彼の様子がおかしい事に気付いたようだった。
「………別…に。」
 また冷たい言葉を吐くのかと彼は身構えたが、新川は前を向いたきり何も話さなかった。
「ここって東京なのかな?あんなに星がきれいに見えるなんて、なんか不思議…。」
 しばらくして彼女が呟くようにそう言った。沢村は何故かこみ上げる涙を必死でこらえながら、夜天を仰いでみた。
 確かに、嘘のように夜空には星が瞬いている。
「…ほんとうだ。」
 彼の頬をつたった涙は、静かにアスファルトまで落ちていった。まるで夜空をかける流れ星のように、その輝きが途絶える先に小さな花が咲くように…。
─沢村の部屋─
 コンビニでの一件もあり、彼の部屋に筑波と新川が来て一連の事を話す事となった。
「そうか…相沢は富士の樹海に行ったのか…。」
 筑波は話の最中に驚いたり怒ったりする事は一切なかった。まるで、全てを見透かしていたかのように、わかりきっていたかのように淡々と話を聞いていた。
「えぇ、でも輸送は全然来なかったそうよ。最終的に食料を奪う為にみんなで殺し合いを始め、逃れ切ったのは沢村さんだけみたい。」
 事の顛末に筑波はどこか淋しげな影をその顔に滲ませ、肩で溜息を深くついた。
「輸送は恐らく23区反対派の連中の役目だったのかもしらんな。23区に入った離反者が23区の食料を富士樹海まで運搬する…。だが、そんなリスクが高いだけで何も自分に得がないとすぐにわかり、誰もしなかったんだろう。まぁ、現実的に無理だろうしな。」
 沢村はだらしなく床に寝転んで、低く粗末な天井を見上げて言った。
「それって結局、どっちも裏切ったって事になんだろ?実際に富士の樹海計画ってのはどういうもんだったのか…サッパリわかんねぇな。」
それを聞いて筑波は少し申し訳なさそうに顔を伏せ、新川と目が合わないように彼女の反対側へと頭を向けた。
「あの計画の正体は…離反者にとって夢物語だった。強制収容から逃れたとて社会や経済とは実質的に隔離されたも同然だと、それは誰もが承知済みだった。…だが、抗わずにして自由や理想を得られる訳ではないだろうっ!?」
 温厚で冷静な筑波からは想像もできないほどの興奮しきった怒声に、一同は目を丸くさせた。
「じゃぁ、初めっから上手く行かないってわかっていてやったの!?」
 静かに聞いていた新川は刹那に激怒し、部屋が割れそうなほどの声で筑波に噛み付いた。
「あの時は私も知らなかったんだ!それに…、君だってあの日強制収容されたくないから町に居たんだろう!?」
 刃を返すように更に語気を強めた筑波の顔は赤鬼のようだった。
「違うわよっ!私は知らなかっただけ!知っていたらちゃんと手続きしに行ったわ!」
 どんどんボルテージばかりが上昇していく両者の間で沢村は黙っていた。二人が恐いというよりは、興味がないだけなのだが。
「…すまない。偶然とは言え君を巻き込んだのは事実だ。私はどうかしていたのも確かなんだ。富士の樹海に新社会を創生しようなんて、所詮は法案反対を理由に自分が権力を握りたい人間の集まり…。いや、そこまで崇高な理念なんて持ち合わせてなどいない…ただの下郎。束縛を恐れ、管理されることに楯突くことが正義だと猛進した狂信者だったんだ。存在しない縄にすがっただけ、溺没して当然の群れ…。」
 筑波が謝っても新川の表情からは一行に怒りが消える様子がなかった。むしろ怒りのガスを全身に充満させて今にも暴発させようかと言うほどだ。
「私はね…ずっと働いていたの。生きるために、生活するために。だから、法案を知り手続きする時間さえなかった。何も知らない私を…あなたは拉致したんだっ!」
 正直、話は堂々巡りになりそうだ。呆れた顔で沢村が火中の栗に水をさす。
「もうやめろよ。筑波のおっさんは話を信じていたけど裏切られて、おめぇはよくも知らないのにノコノコついて行ったんだろ?どっちもどっちだよ。」
 余計な口出しに新川は標的を沢村に変えた。
「何よ!一番バカなニートがわかったような事をっ!」
 罵られても沢村は怯む様子などなく、まるでバカを晒していた頃とは別人のような凛々しい表情で言った。
「俺は最初こんな所に連れてこられてかなり嫌だったよ。けどよ、今日俺とお前が一緒に働いて、大変だったけど何か心地良かったじゃん?何で今更終わった事を蒸し返す意味があるんだよ?終わった事は終わった事だろ?俺が今更ニート辞めて真面目にしておけばよかったなんて言ったら…お前、笑うだろ?」
 まともな事を言わない設定の人間に諭されるとダメージは大きいものである。新川の怒りは蒸し暑い夏風に混じって消えてしまった。
「…ふん。それもそうだけど。て、言うか…あんたさっきから私の事「お前」って呼んでない?私、あんたのなんなのよ?」
「いやいや、お前こそ俺の事「あんた」って軽々しく言ってんじゃねぇか。」
 沢村はケラケラと笑ってみせた。それを見て強張っていた筑波の顔も少し緩んだようだった。
「まさか沢村君に諭されるとは思っていなかったな。」
 新川は席を立ち、玄関へと向かった。
「話は大体わかったし、私はもう帰るわ。」
 ツカツカとそのまま新川は出て行った。
「…沢村君。ひとつ聞いてくれるか?」
 筑波は新川が出て行くのを確認すると細めた声で沢村にそうささやいてきた。とても深刻そうな雰囲気である。
「なんだよ?急に。」
「これは…彼女には秘密にして欲しいんだが…、実はな…樹海計画のリーダーは…私。共生党民奉員統括であり、共生党の党首なんだ。」
「は…?」
 言動などから薄々筑波が普通ではないのは感じていたが、彼にとっては話が見えない上に突然のカミングアウトで困惑するしかなかった。
「相沢は共生党員で私にとっては実行部隊のリーダーだった。つまり、実行部隊の頭が離反者を捕縛する政府側の人間だったと言う事になる。そして、相沢は政府側でありながら私の計画を横取りしようとした…。」
「…おっさんの話が難し過ぎてわかんねぇよ。」
 沢村の知能指数ではついていけない内容でも、筑波は構わないと言った様子を貫いた。
「聞いてくれるだけで良い。さっきの続きだが……、相沢は恐らく政府側から食料などの輸送があると言われていたのだろう。政府側にも相沢のような人間がいて、23区外の区画を作ろうと画策した…。だが、何らかの理由でそれができなくなった。相沢は樹海で他に集まった人間を監視し、そのリーダーになる予定だった…。結局、トカゲの尻尾切りと言うことで相沢は切り捨てられ、計画自体が抹消された。23区賛成派は最初からそうなる事が読めていたのかもしれない…。反対派を上手くあぶり出して始末する…その為に私の計画を利用した…。」
 ふと筑波が沢村の方を見ると、彼は既に横になって眠りこけていた。
「…君には退屈な話だったな。」
 筑波はそっと彼を起こさぬように気遣いながら部屋を出た。
「お疲れ様。お互い明日を懸命に生きよう…沢村君。」
 部屋を出た筑波は夜空を仰いで、誰に言うでもなくそう呟いた。雲ひとつない夏の夜天に輝く星は、輝かしくも薄っすら闇で曇る明日を思わせるように光っていた。