太陽は天辺まで昇り、白く照り輝くアスファルトの上を空き缶がカランカランと転がり続け、閑散とした商店街にその音を響かせている。
バックヤードでは昼時と言う事もあり、売れ残りのお弁当が出てきた。
店も人が来る気配がないので一時休憩状態にし、全員がバックヤードに集まっていた。
 ソファーにどかりと座っている男を囲むようにしてそれぞれが話の続きを待っている。
 男は目じりに溜まった目ヤニを指の腹で拭い、乱雑で油膜のへばりついた髪をかきあげて、バックヤードにいる全員を一瞥した。そして、ゆっくりと口を開いた。
「…俺は政府の網を潜り抜け、富士の樹海へと向かった。そして、計画で決めていた集合場所に向かった。」
「そう言えば、あなたは政府側で共生党ではないんでしょう?どうして共生党の計画を?」
 新川は相変わらず無愛想な態度で男に聞いた。
「もともと、離反者の計画自体は政府に筒抜けになっていた。だがな、富士の樹海だけは政府見解でも手出しの出来ない計画だった。共生党以外にも俺みたいな連中は“富士樹海自由区計画”には高い関心を抱いていたのさ。何たって現代に残る自然の大迷宮だからな。逃げ込めば、逃げ込んだヤツさえ迷う…そんな場所だ。俺が賛同したのは共生党の作戦ではなく、裏で進められていた政府側の離反者が立てた計画の方だったのさ。裏の案は共生党のヤツをダシにして逃げ、同じように樹海に集まって独立区を作るってヤツだったんだが…。」
~富士樹海、自由区計画集合場所~
 鬱蒼と立ち並ぶ樹木が永遠と360℃を取り囲む世界で、俺は一番に集合場所に着いたようだった。
 そう、集合場所には誰もいなかったのさ。
「なんだよ…誰一人逃げ切れてやしないのか…?」
 こう言うのって一人だととても不安になるんだよ。
何せ何人も仲間がいる予定で来ているだろ?
誰も居ないとどうすれば良いのか、そもそも計画自体本当だったのかとか…それを誰かに聞ける訳もないしな。
 段々その状況が恐くなって、俺は自分の動ける範囲で人を探すことにしたんだ。
「誰かいないかーっ!」
 数時間は探したか。誰一人居そうに無いし、声だけが樹海の木々に消えていく。
余計に恐怖感と孤独感が今まで以上に襲ってきて、俺はもうどうにかなりそうになった。
 探すのは諦めて、とりあえず集合場所に帰ったのさ。すると、人影が見えたのさ。
「っ!?お…っ…オイ!!」
 俺がありったけの声を出すと、集合場所に居た6・7人が嫌そうな眼でこっちをチラと見やがった。
まぁ、俺は気にせずに駆け寄ったよ。とても一人が恐かったんだろうな。
「なんだ、他にも居たのか?」
 七三分けの黒縁眼鏡をした小太りが俺を見てそう言ってな、一瞬殴ってやろうかと思ったんだが、せっかく合流できたからスルーしてやった。
「いやー、誰もいないかと思ったぜ。さっきまで一人だったから、誰かいないか近くを探し回っていたところなんだよ。」
 そう言うと、ちょっと賢そうな20代後半ぐらいのスリムなヤツが口を開いた。
「では、あなたも自由区に参加されている方ですか?」
「ああ!元は政府側の人間でな…九条達也って言うんだ。よろしくな。」
 俺のテンションに誰も乗ってくるどころか間逆ぐらいの反応で、どうにも暗い雰囲気の方が断然優位な重苦しい感じだった。
「九条さんですか…、私は畑中健二です。私も元は…そうですね財界人とでも言っておきましょうか。」
 他にも人間は居るのだが、しゃっべたのはこの三人だけだ。後は素性も何も明かしたくないのか…だんまり決め込んで俯いていた。
 それっきり、誰もしゃべろうとしない。訳のわからない沈黙と、陰鬱な樹海特有の空気だけが辺りをウヨウヨ漂ってるだけだ。
 しびれを切らした俺は、とりあえず畑中だけに向かってしゃべった。
「おいおい、黙っていても仕方ないしさ。とりあえずこれからの相談をしよう!」
 俺は暗い空気とか大嫌いなんだ。だから、一秒でも早くこんな根暗集団の集い的な状態は抜けたかった。でも、これがいけなかったんだな。
「そうですね…では、計画通りに動くと言うのはどうですか?」
 黙り込んでいた他の人間もようやく顔を上げ、軽く頷くか「そうですね。」と小声で返事をした。
改めて面子を見るとまともなヤツらって言うよりは、訳アリ感がどいつもこいつもプンプンしてきそうな…嫌な雰囲気を身にまとっていた。
 まぁ、俺もそんなヤツらと変わらないぐらい訳アリなんだけどな。類は友を呼ぶってね。
「では、計画を確認します。合流後は富士樹海を拠点とし、23区とは異なった自由区独自の社会を形成していく…その為の食料などは確か…。」
「輸送されてくるんだろ?待っていれば自由区に賛同する連中からここに食料やら支援物資が届く。で、俺らはタダ飯食ってるだけか?」
 俺がそうつっけんどんに言葉を選ばずに言い放った。実際、集まったは良いが何をすれば良いか、いざとなると真っ白になってしまってたんだろう。
 案外“自由”ってのは、その程度のもんかもしらねぇな。
「…そうですね。単に23区を離れて生活していたのでは何も意味がない…。」
 どうやら他の連中も同じような感じだった。言ってみるなら、恐い親が嫌で集団家出した中学生みたいな面をどいつもこいつもしてたのさ。
「こう言うの蚊帳の外って言うんですよね。」
 若いとんちんかんそうな女が空気も読まずさらっとそんな事を言って、場の空気は一気に淀んだ。
「黙ってくれませんかあなた?あの、私は食料待つなんてできません。だって、家を出て計画を実行してここまで来るまで何も食べる事ができなかったし。もう本当にお腹が減ってどうにかなりそうなんです。」
 年増なセレブ気取りのおばさんが自己主張を高らかに掲げると、更に場の空気は乱れてきた。まぁ、こんな状況で自分の欲求を顕わにされても誰も何もできねぇんだが。
「空腹ぐらいでギャァギャァ騒ぐな。これだから若者は嫌なんだ。それよりも寝る場所の方が大事だろう?こんな森の中ではとても寝れやしない。」
 中年のちょうど中間管理職なんかがピッタリ似合いそうなおやじは正論をさも自分だけが言えているような口調で言った。でもな、いくら正論でもこの意見も場の空気にいらん不安を足し注ぐだけ、いらぬおせっかいだった。
 そんな空気を読んでか、一人マトモな畑中が言った。
「布団も食料と共に輸送される計画になっていますから…輸送を待ちましょう。」
 そんな調子で一日目は文句のオンパレードだったな。いや、まだこの時はまっしだったんだ。翌日から状況がどんどん悪くなったのさ。
~富士樹海・二日目~
 太陽が昇り、朝が来る。そんな当然の事を心底願い続けて、ようやく朝を迎えたのが二日目の始まりだった。
 何でかって?まぁ、特に詳しく一つ一つを覚えてはいないんだが…。何せ空腹に加え樹海で寝るって状況は想像すりゃわかるだろ?
 個々での言い争いから無限の憤懣。誰一人なんか欲求が満たされる訳もなく、ろくに寝れもしないで朝を迎えたのさ。
「…食事になりそうな物は全員でこれだけですね?」
「だから、もう隠してないって!」
 二日目の朝は…中年の女と若い男が取っ組み合いの喧嘩をしているところから…って言うのが正確な表現だろうな。いや、こいつらを含め夜通しこんな調子だったから説明はしづらいんだ実際。また、後でどうしてこうなったかは話すけどとにかく言い争ってた。
「嘘つけよ!てめぇだけ生延びようって魂胆だろうがっ!」
「もうやめてよ!昨日からずっとそれでしょ!?いい加減見てるほうも疲れてくるんだから!ちょっとは考えてよ!」
 俺はずっと黙って静観してたさ。理由は簡単。あんなクソ喧嘩で無駄に体力使うなんてバカとしか思えなかったからな。
 そう、集まったヤツの何人かは昨日の晩からずっとそんな喧嘩をそれぞれで起こしては誰かが仲裁に入るってのを繰り返してたのさ。
 問題を大きくしたのは食料を持っていた三人。一人目は畑中。ま、性格からして持ってそうだったし、まぁ…きっかけはバカ女だったけどな。
~前日の夜~
「あーもうお腹ペコペコでどうにかなりそう!」
 例のとんちんかんな女がみんなに聞こえるように大声でそんな事をくどくど繰り返していた。みんなイライラしだして、特に若い男は今にも殴りかかりそうな眼をしてた。
「仕方ありませんね。みなさん、ちょっと集まってもらえますか?」
 急に畑中はそんな事を言ってみんなを一つの場所に集めた。何をするのかと黙って見ていたら、懐からいくつか食料を出したのさ。
「おぉ!食べ物!」
「ダメよ!私が!」
 人間ってのは窮地においては野生化すんだろうな。エサに飛びつく野犬を彷彿とさせるような必死さを間近で見ていた俺は恐怖にさえ感じていた。
 焦って手を出す両者に、畑中は割って入った。
「待って下さい二人とも!これは、もしもの為に私が持っていた食料なんです。」
 落ち着けようとする畑中の言葉は野獣らに届くどころか、逆に牙を剥かせる結果にしかならなかった。
「なんでだよっ!?てめぇだけ生き残ろうってのか!?」
「お願い!私は何も食べてきてないの!もう死にそうなの!私にだけでも良いから!」
「てめぇ!腹減ってんのはてめぇだけじゃねぇんだぞコラ!」
 まるで生死をかけたイス取りゲームってところか?ま、実際それに近いもんはあったのさ。全てを覆うような樹海の木々、夜闇にうごめく草木が幽咽をそこら中で響かせて、背中を張り付くような冷たさが常に付きまとってくる。
そんな状況だ。みんないつ費えるかわからぬ正常な精神を必死で保っていたんだろ。
「二人ともっ!やめて下さい!これは…みんなで平等に分けましょう。」
 畑中がそう言うと醜い争いは止まった。だが、和解なんて立派な状態には程遠く、どちらかと言えば沸騰しかけたお湯に水を加えた程度のもんだった。二人の表情は共に依然として険しく、いがみ合い、隙あらばどちらかがどちらかに手を出しそうな感じだった。
「私が持っているのはコレだけです。これから食料の補給を受けられるまで何日かかるかは誰にもわかりません。できればもう少し後で分けた方が…。」
「私はもう我慢できない!」
 畑中の意見を聞ける思考はないと言うか、よほど空腹に馴れていない女だったんだろうな。ま、対外あの世代は温室育ちで戦争も飢えも知らないだろうから仕方ない。
「わ…わかりました。では、他にも食料を持っている方がいればそれも出してもらえませんか?誰かが誰かより食料を持っているとまた争いになりかねませんし…。」
 正論は正論。ま、やつとしても虎の子の食料だったろうしな。
だけど、この言葉に一瞬全員が黙ってピクリとも動かなくなったのさ。
 そう、黙って食料を隠し持っているヤツが何人かいたんだよ。
「私は持ってないよ!持ってたらもうとっくに食べてるもん!」
 とんちんかんな女だけにこれは本当だとすぐにみんなわかった。
食料を持っていたら隠すよりも自慢すらしそうな程な感じだったしな。
 だが、他はそれぞれ怪しかった。このアホな女に続くように「持っていない。」と、口々にしたが全員本当にもっていなかったのかこの時点ではわからなかったのさ。
「…どうやら食料を持っているのは私だけなようですね。では、人数分分けましょう。」
 畑中は恐らく俺と同じように気付いていたのかもしれない。
だけど、持物検査なんてできる立場ではなかったしな。
隠し持っている物をバカ正直に出すような人間は畑中ぐらいなものだった。
 …で、中年の女のくだりに入る訳だ。そうだな…みんなで食料を分けたは良いがみんな寝られない事にイライラしてとうとう明星あたりに時間がなってきた頃だ。
「あーっ!こんなトコロで寝れる訳ねぇだろう!」
「静かにしてもらえませんか?騒いでも体力を消耗するだけですよ?」
「あ~あ、早くふかふかのベッド運ばれてこないかなぁ……」
 グゥゥ~~~~
 とんちんかんな女だけに腹もトンチンカンだったらしい。
その音は全員に彼女の空腹をわざわざお知らせするかの如く大きく鳴った。
「お前、また?」
「どうしよう~!さっきもらった食料はもらってすぐに食べちゃったし…」
 この段階で実は全員同じような状態だった。何せ一人が持っていたわずかな食料を全員分頭数できっちり分けたんだからな。その量は一口で食べ終えてしまう程の量で、ないよりかはましな程度だ。
「ねぇ!食料もってないっ?」
 急に子猫みたいなかわいい仕草でとんちんかんな女はたかりだしやがってな、これがまた何ともウザイんだが…。当然みんな一応にスルーして、誰も女に水一滴すら分ける事はなかった。
「ねぇねぇ~お願い…何でも良いから少し分けてよぉ。」
「僕も、もう何も残ってないんですよ…。」
 時間が経てば経つほどみんなの顔が暗くなってきやがる。
いや、最初は表情が曇っていくんだがな、ある時から何かの糸が切れていくんだよ。
覇気のなかった表情が急に強張ってきてな。
目つきは鋭くなって、誰もが苛立ちを隠せない程の険しい表情になってくるんだ。
 飲まず喰わずで人がどれだけ我慢できるか知ってるか?医学的には3日だと言うが、これはあくまで目安の数値だ。精神的なストレスや置かれている状況や環境で変わってくる。
 ま、人間はな、ある程度自分の持っている我慢の限界を超えると行動に移すらしい。
「おい!てめぇっ!!」
 集団から少し離れた茂みから突然男の怒声が静寂を裂くように轟いて、みんな声のした方向に走って行った。
すると、若い男は中年の女の胸倉を掴んで今にも殴りかかりそうな勢いだった。
慌てて畑中が若い男の体を掴み取り押さえた。
 何があったのかは話すまでもなく皆わかった。中年の女の足元には簡易食料が入っていただろう包みが4個ばかり散らかっていたのさ。
「この女!食料を隠し持ってやがったんだ!」
 若い男の表情はまるでモンスターそのもんだ。眼の奥に潜む闘争心は溢れんばかり、もう既に鬼の形相だった。
「隠し持ってるなんて!私たちがどれだけ辛い気持だかわかってんの!?」
 とんちんかんな女が子猫から一転して鬼へと変貌。あぁ、やっぱり女って言うのは怒らせると男なんて屁みたいなもんだと思ったよ。隣で狼の様に吠える若い男の恐さなんか比にならんくらいだった。あれは怒りなんてもんじゃねぇ、殺意そのもんだ。
 そっから話はややこしくなるんだが、簡単に言うと中年の女は吊るし上げにされてフルボッコになりかけた。で、他に食料を持っていないか調べようと畑中がみんなを誘導してリンチはやめにしたんだ。
 若い男だけは随分長い時間くだを巻いては何度も再燃して、途中からは関係のない事にまで口実に言い争ったりと、この件で場の空気は地獄以下の状態に陥った。
 みんな同じ離反者なんだがな、何せ知らぬ者同士…袖振り合っても仲良しこよしになれる状況じゃない。そんな一夜が明けても、状況は好転しなかった。
「おい!いつなったら輸送とか来るんだよっ!」
「落ち着いて下さい!叫んだって体力を消耗するだけですよ!」
「うるせぇ!大体てめぇは何様なんだ!?リーダー気取りで仕切りやがって!」
 若い男の横暴さは更に酷さを増していくばかり、相手をする畑中も穏やかな表情の奥ではキレかけの自分を必死で押し込めている様な感じだ。
 食料の一件から全員の関係は協力関係から牽制関係になり、誰もが誰も信用せず、自己暴発にかられだす者がついに出てきた。
「私、森を出ます。」
「僕も出ます。明るい内なら何とかなると思いますから。」
 そう、とうとう我慢できなくなったヤツらが待つのをやめて樹海を出ようと言い出した。
「そんな…樹海を出ようなんて…自殺行為ですよ!」
 畑中は必死で止めた。だが、もうこんな状況では誰も誰の言う事を聞かない。
「あなたに私の自由を奪う権利があるんですか!?」
「こんなところに居る方が自殺行為じゃないんですか!?」
 そんな感じで3人が集合場所から離れた。
残ったのは俺と畑中に若い男、それにとんちんかんな女と中年の女の5人だった。
 女が残った理由は空腹で歩けないから。中年の女は若い男の監視下に入ってしまった様で、行動が若い男に制限されていたからだった。
 樹海にたった5人。いつ来るともわからぬ希望をただ待つ。時間は過ぎるが、一向に良い知らせなどなく、まさにサドンデス状態。そうやって2日目は終わった。
 3日目…食料も水も絶え絶えな状態は以前として変わらず、もはや誰も一言もしゃべらなくなった。みんな目の下にクマを作って、疲弊しきった様子だった。
 そして、どうやら誰かが一線を超えちまったようだ。
「きゃぁーーーーっっ!!」
 若い女の悲鳴で木々から小鳥が一勢に逃げ飛んだ。
ガサガサガサっと葉の散らす音の向こう側に、嫌な暗雲が立ち込めているのを俺は確かに見た。
 急いで3人は声のした方へ向かうと、若い女はへたり込んで体をガタガタと震わせて酷く怯えていた。
どうしてか、それはすぐにわかった。
 深緑の雑草と木々の間々に、入り混じる鮮血の赤。
周囲には鉄と硫黄を混ぜた様な異臭が溢れるように満ちていた。
 雑然と生い茂るコケやシダに包まれているのは、明らかに中年の女の亡骸だった。
「こ…殺されて…る?」
 どうやら腹部をナイフか何かで刺されて死んだようだ。めちゃくちゃに破かれた服からは、えぐれた傷口がよく見える。どうやら殺された後に物色されたらしい。
「だ…誰だよっ!?誰が殺ったんだよっ!?」
「あんたじゃないのっ!?あんたが殺したんでしょうっ!!」
 人間ってのはな、一線超えれば何でもするんだよ。例え同志でも自分が生き残るためには殺す。
動物ってのは本来みんなそうだろ?
仲間の屍を超えて自身の遺伝子をそれぞれ残していくのが生物ってもんだ。
その為に手段を選ぶなんて普通じゃねぇって事さ。
 誰もが疑わしいんだよ…。そんな状況にお前らいられるか?
誰かと顔を合わすのでさえ一種の恐怖にすら感じるぜ。
「もう待ってられっか!」
 若い男は早々に冷静さを欠いた行動に出た。
この中ではまともだと思っていた畑中もさすがに考えを180℃変えやがった。
「こ…こ…こんな所!!もう嫌だっ!なんだって言うんだ!」
 本当に冷静なって考えれば樹海に来てまだ三日目だぜ?輸送ってのがもう来ないと決め付けるのは早過ぎるんだが、もう三日も待てば答えは出たも当然だったかもな。最初から約束されていた訳じゃねぇし、あくまで計画だったからな。
「あんたはどうすんのよ?」
 急に若い女の方が俺にそう言ってきた。
「俺か…そうだな。夜になったら抜ける。誰かに出くわして殺されたくねぇしな。」
 それを聞くと、女はマイロードのスイッチオンって感じだったな。
「そーっ!誰もここに残らないんじゃ居たって意味ないし。私も勝手にするわ。」
 全員が散り散りになった…。俺にとっては予定内の出来事だった。来る時に乗ってきたバイクまで戻れば、燃料と食料が残っている。もしもの場合に用意しておいたものだ。
切り札は最後まで残しておくものさ。
「…しっかし、殺しまでするとは…な。」
 夜になり、ただでさえ薄気味悪い樹海の木々は本性を現したようにわずかな光でさえ蹂躙していくようだった。恐らく、俺の知らないところで他のヤツらは殺し合いに発展していっただろう。届かない食料、樹海の暗鬱、信用できない人間、どれを取っても殺意にしか結びつかなさそうだ。実際、悲鳴のようなものが樹海を抜けるまで俺の背後をまとわりついて…どこまでも付いてきているような…嫌な感じだった。
─コンビニ・バックルーム─
 男の話に全員が顔を青くさせていた。
「…で、バイクもあったのにマンホールから出て来る必要がどこに?」
 どこまでもツンケンしている新川に、沢村は内心で「この女、キツっ…」と思った。
「あぁ、そうだな。樹海を出てバイクに乗れたのは乗れたのさ…だが、燃料切れでな。ガソリンを入れようと思ったが…どこのスタンドも無人で閉鎖。セルフも行ったが全部ダメだった。それどころか店も何も全部閉鎖しててな…。そこでようやく気付いたのさ…、この日本には23区以外にもう誰一人いやしないってな。」
 男のふかすタバコの煙は、どこか重く、地を這っていくようにさえ見えた。
「……絶望した俺は、23区の区画ラインを必死で探し、そのギリギリの所まで辿り着いた。後は…近くのマンホールからひたすら内部…いや、姉ちゃんを目指した。」
 新川は不思議そうな顔をした。
「わ…私?」
 男はしっかりうなづいて、してやったりと言った感じの緩慢な表情を見せた。
「ああ…、筑波と俺とで逃げたあの夜。みんな捕まって絶望してたろ?あのわずかな一瞬で、俺は姉ちゃんに小型発信機を付けておいたんだよ。筑波のヤツには前もって仕掛けておいたんだが、故障しちまったか…どこかでなくしやがったか…服を洗濯したか…まぁ、発信機が残っていた方が姉ちゃんだったって事だがな。それだけを頼って来たって訳だ。」
 沢村はすかさずツッコミを新川に入れた。
「お前、服かえてないのかよ?」
 新川はなんともバツの悪そうな表情だった。
「わ…悪い?別に良いじゃない。同じ服着まわしててもさ…チッ。」
 彼女の舌打ちには「余計な事を言うなよ。」と言う意が存分に込められていそうだった。
ついでに、彼女は4日経ってもお風呂に入らない事もよくある事と言うのは内緒である。
「ふぅーん。」
ニタリとほくそ笑む沢村だったが、場の空気はその軽い浮ついた態度とは依然として不釣合いなものだった。
カチャ…音もなく波打つ空間に、小さな波紋が広がり渡った。みんなの眼は疲れきったような鈍い色で、部屋の扉を開けた人物はそれに一瞬たじろいだ様だった。
「あの…そろそろ店が混んできたんですけども…。」
一同は一瞬「えっ?」と言う感じに顔の色を変え、店内監視用のモニターへ一斉に首をひねった。
「いかん。話に夢中になってしまっていたようだ。」
映像を見る限り5・6人のお客が店内に居て、更に駐車場へ複数台が入って来ていた。
「さ、休憩は終わりにしてみんな仕事に取り掛かろう。」
 長谷川はそう言って先陣を斬るように、さっそうとバックルームを出て行った。
「後で良いから発信機取ってよね。居場所が知られてるって何かキモチ悪いから。」
 新川は捨て台詞を吐いて長谷川に続いた。
「よーし!戻ろう戻ろう!いや~おもしろかったなぁ~!」
意気揚々と大手を振って沢村がみんなに続くと、店長は急に振り返って顔をしかめた。
「あ、沢村君だったかな。君、もう帰ってくれて良いから。」
唐突にそう言われた沢村は一気に動揺していた。
ついさっきまで同じ空間で凄い話を共有したのだ。
一体感と言うか妙な仲間意識が芽生え、一緒に働く気満々だったのだ。
納得できなかった沢村はすぐに言葉を返した。
「なんでだよっ!?店混んで来てんだろっ!?俺まだまだ働けるし…。」
バックルームを出ようとしていた店長は他の人を通し、扉の前から沢村に向けて言った。
「君は店外の掃除を全然真面目にしていなかっただろう?朝にも言ったけど、君はバイトじゃなくてバイト見習いなんだよ。いわば、仮採用みたいなもんだ。わかったか?」
ことごとく突き刺さる正論の前に、沢村は何も言えなかった。
バタン…全ての幕が閉じてしまったような重苦しい音が沢村の胸にドスンときていた。
「そんな…待てよっ!!おいっ!!店長っ!!?」
ありったけの声も分厚い鉄扉が全て砕いてしまったようだった。
バックルームに訪れる静寂の中、カチっとライターの火をつける音だけが虚しく響いた。
沢村が振り返ると、見たことも無いほど口角を吊り上げた醜悪な笑みで男が笑っていた。
「ふふふ…、で?若いの…どうするんだ?」
しゃがれた声で甘く男は囁いてきた。
振り返った沢村は一瞬答えに窮したが、いかんせん利口ではないので考えもせず少しして言い返した。
「このまま帰ったって…、俺はどうすれば良いんだよ…!?」
ありったけの不満を男にぶつけたが、男の表情は相変わらず嫌な笑顔のままだった。
「俺に聞かれてもなぁ…さぁて、どうするんだ?……ふふふ、所詮ここも樹海も変わらんようだな。生きるためには何かを犠牲にしなければならない。それがお金か…命か…時間か…ふふふ。」
その心をえぐるような言葉に、沢村はさっきの話がどんどん真実味を帯びていくように思えた。
…俺は、このまま行くと…切羽詰って店の売り上げを…ひょっとしたら…。
「……みんな殺すか?確かにそりゃぁ楽だな。誰かの命を犠牲にする…か。だがな、それじゃぁ結局は樹海に残った連中と同じ結末だろうな。お前さんに未来はない。」
さすがの沢村もそれはわかったようだった。
彼には先程の話はよほど衝撃が強かったのだろう。
もはや、実体験に近いぐらいに沢村の心に深い影響を与えているようだった。
「……俺はこんなんで死にたくないっ!何か…すっげぇ嫌だ!」
男はソファーにそっと横たわると、身をもぞもぞさせながら毛布を深々とかぶった。
「若いの…そこまでわかったんならどうすりゃ良いかわかんだろ?もう子供じゃねぇんだし、てめぇの尻ぐらいてめぇで拭けんだろが…。良いか、人間ってのは最初は何でも失敗すんだよ。だがな、失敗して己の悪さを知るんだ。そして、次は動くんだよ。お前はもう自分の悪さを知っている段階だ。後は動け、そんでまた己の悪さを知って次に進むんだ。」
「おっさん…。」
 男は付け加えるように言った。
「今日の反省を活かす為に明日はあんだよ。知らない自分に出会うために未来はあんのさ。」
思わず沢村は「おっさんカッコイイ…」と思ってしまった。
しかし、言葉の意を全て理解はできず、どう動けば良いのかわからないようで、頭をグシャグシャと手の平で荒らした。
「でもよ…一体どうすりゃ良いんだっ!?クビって言われた後じゃ…。」
それを寝ながら見ていたソファーの男は面倒臭そうな表情で、深く溜息をついた。
「はぁ……、つくづく世話のやけるヤツだな。モニター見てみろよ。」
男の渋みきった声が沢村を落ち着かせた。
「…モニター…?」
ゆっくりと沢村は監視カメラの映像が映し出されている小さな画面に近付いていった。モニターの向こうでは、次々とお客が店内に入って来て、とても忙しそうである。
「こんな状況で謝りに行っても…無理だよなぁ…。」
ガックリと沢村が肩を落とすと、後ろからまた溜息が聞こえた。
「ふぅ…さすがニートってか。謝るって言っても、直接ごめんなさいを言うだけじゃねぇはずだ。謝るだけなら、コドモでもできんだぜ。あ~、もう俺は寝るからな。」
「おい!おっさん!?」
沢村がいくら呼びかけても男は無視して眠りに就いてしまった。
恐らく狸寝入りではあっただろうが、口を聞いてくれそうな気配は一切無い。
「…どうしよう。」
沢村はもう一度モニターを見てみた。
店内をかけまわる店員達に次々来るお客。そして、それを見ているだけの自分…。
(今、謝りに行っても怒らせるだけ…ここで見ていても俺に未来は無い…。)
そして、沢村の心にようやく働く為に必要な火が灯った。
「…クビになってたって関係ねぇ…、俺だってやればできるって所を見せてやりゃ良いんだ!ここで生き抜くためには…それしかねぇ!」