夏休みがあけて三日後に学力テストが行われる。始業式が終わった教室内はまだ夏休みの余韻を残し、どこか浮足立っていた。
 連日、部活のあとにプールに行きまくっていたモトはきれいな眼鏡焼きができていて、女子から笑いをとって楽しそうだ。
 それを見ながら僕は自分の席に座り、細貝と話をしている。

 「モトもよくやるなぁ。あれ、中学のときから鉄板ネタなんだよ」
 「あそこまでくっきりしてると芸術だよな」
 「プールじゃなくてテニスで焼けて欲しかったけどね」
 「確かに」

 くしゃっと細貝が笑うと教室中の視線が向けられた。僕はすぐに気づいたけど、細貝はまたモトを見て、笑っている。
 学校ではクールな細貝しか知らないクラスメイトたちはざわついていた。

 「有馬くんと付き合うようになって細貝くんやさしい顔になったよね」
 「それネタじゃないの?」
 「え、マジでしょ?」
 「いやいや、あり得ないでしょ」
 「それもそっか」

 聞こえてますよ、と言いたくなるほど声が大きい。わざと聞かせているんじゃないだろうか。
 確かに男同士で付き合うなんてネタだとしか思えないだろう。あの生暖かい空気は夏休みを挟んで、リセットされたらしい。

 (てか意外とみんな憶えているもんだな)

 一か月半という長い空白があったのに、僕と細貝が付き合っている話は色褪せていなかった。
 むしろ佐山からは「二人で夏休みどこに行ったの?」と揶揄い半分で訊かれ、細貝が生真面目に「水族館と夏祭り、花火大会とあとはテニスの試合を見に行った」と律儀に答えるのだ。
 あの、クールで冷徹な細貝が、だ。
 クラスでは地蔵のように一言も話さなかったのに、急に饒舌に話すものだから佐山を始めとしたクラスメイトは驚いている。
 急に机に突っ伏した細貝は、アメーバみたいにだらっと腕を垂らした。

 「あ〜テストやばいな」
 「いつも上位五番以内に入るくせに自慢?」
 「あれは山張ってるだけ。定期テストって範囲が決められてるだろ? でも学力テストはめちゃくちゃ範囲広いから無理」
 「細貝は短期集中型なんだ」
 「テニスばっかしてるから、勉強は本番直前に詰め込んで終わったら忘れるタイプ」
 「受験のとき、どうしてたの」
 「あれは必死こいて詰め込んだ。でももう無理」

 はぁと盛大な溜息を吐いた細貝はよほど学力テストに不安があるらしい。
 僕は毎日予習復習を欠かさないので、首席をキープしている。

 「じゃあ僕んちで一緒に勉強する?」
 「いいの?」
 「うん。今日部活休みだし」
 「行く!」

 やったーと両手を上げる細貝に再びクラスの女子たちが目を剥いていた。

 (夏休み前とは全然キャラが違うもんね)

 細貝は話してみると結構楽しいし、冗談も言う。でもこれといった親しい友人はおらず、一人でいることが多かった。
 黒岩えみりに憧れていたからだ。
 でも元々クラスの誰も細貝と積極的に関わろうとしていなかった。
 美術品のように触れてはいけないようなオーラを放っていたので、恐れおののいていたのだろう。

 (炭酸が苦手なこともきっと僕だけ知ってる)

 ちょっとした優越感に僕は隠れてふふっと笑った。





 「この式だと次数が少ない文字から整理するんだよ」
 「……てことはyで整理するからx3ー1てこと?」
 「そうそう」

 僕が一言アドバイスをしただけで、細貝はさらさらと式を解いた。
 ワークの答えと照らし合わせて僕は赤マルをつけてあげる。

 「合ってるよ」
 「よっしゃ!」
 「細貝は自頭がいいんだね。すぐ理解できるじゃん」
 「それは有馬の教え方が上手いからだ」
 「そんなことないよ」
 「そんなことある」

 言い切ってくれる賛辞は清々しいので、素直に受け止められる。

 「ありがとう」
 「ん」

 僕がお礼を言うと嬉しそうに笑ってくれる。その顔を見るとこれでいいんだ、と自信がつく。

 「そのボールペン、使ってくれてるんだ」
 「前野がちょうどインクが切れたから」

 僕が持っているのは水族館で細貝にプレゼントしてもらったボールペンだ。グリップの握り心地もよくて気に入っている。
 細貝のラケットバックにはアザラシのぬいぐるみストラップがぶら下がっていた。潤んだ瞳が僕の方をじっと見ていて、なんだか落ち着かない。

 (これのどこが似てるんだろう)

 細貝の目は節穴なんじゃないか。誰がどう見たって、僕とアザラシは似ていない。
 僕の視線の先に気づいた細貝はぬいぐるみを指さした。

 「俺の「ユーセー」可愛いでしょ」
 「なんで僕と同じ名前付けてるの!」
 「有馬は「悠聖」で、こっちは「ユーセー」だよ」
 「どっちも同じだから!」

 僕がツッコむと細貝はくしゃっと笑った。その笑顔に流されかけてしまい、僕は顎に皺を寄せる。

 「……外でその子の名前言わないでよ」
 「もちろん。じゃあ二人だけの秘密な」

 色気を滲ませる微笑みに僕の顔は熱くなってしまう。美人は三日で飽きるとはよく言うけれど、僕はまだ慣れそうもない。

 「休憩しようか」

 僕は気分を変えようと立ち上がった。学習机の上には炭酸とミルクティーのペットボトルがあり、それぞれのコップに注いだ。もちろん細貝はミルクティーだ。

 「にしても細貝が甘党なの意外だな」
 「俺的には有馬が辛党な方がビックリ。マシュマロとかパフェとか食べてそうな顔してるのに」
 「どんな顔だよ」
 「可愛い人には可愛いものを掛け合わせたくなるだろ」
 「猫耳メイド服みたいな?」
 「……有馬って結構スケベだな」
 「例えの話でしょ!」

 ジト目で見られてしまい僕は慌てて否定した。ぱっと思いついたのが猫耳メイド服だったのは佐山たちのせいだ。
 十一月の文化祭に向けて、なにをやりたいかと佐山と堺の二人が話していたのだ。聞き耳を立てていたら堺が「猫耳メイド喫茶」という案を出し、「いまどき古すぎるだろ」と佐山に突っ込まれているのを思い出したのだ。
 それでうっかり口を滑らせてしまった、というわけだ。決して僕の案ではない。
 僕がちびちびと炭酸を飲んでいると頬をぷにっと指で刺された。

 「ごめん、機嫌直して?」

 小首を傾げる細貝はまるで主人にお伺いを立てる犬のように愛くるしい。黒目がちな瞳が潤んでいるのがいかにもあざといのだ。
 でも僕は単純なのですぐにほだされてしまう。

 「別に怒ってないよ」
 「だと思ってた」
 「じゃあ言うなよ」
 「ちゃんと有馬の言葉として聞いておきたかったの。思い違いして嫌な思いさせたくないし」

 ストレート過ぎるジャブにノックアウトされそうになる。なんとか耐えられたのは、今日まで数々の賞賛を浴びてきて耐性ができたからだろう。
 細貝の僕への好意はちゃんと伝わっている。でもそれに応えられるかは別だ。
 幸いなことに僕と細貝が付き合っていても、生徒会選挙に支障はなさそうだ。むしろ応援の声があるくらいで、誰が攻めても落ちない不落の細貝を射止めたことで、なぜか僕の評価が上がっているらしい。
 そのせいで早々に別れるタイミングが掴めなかった。

 「にしてもここが有馬の部屋ね」

 細貝はぐるりと僕の部屋を見渡した。一般家庭である僕の家は普通の大きさの戸建てで、僕の部屋は六畳しかない。
 ベッド、机と本棚を置いただけでパンパンだ。真ん中に折りたたみテーブルを置いてしまえば、背の高い細貝には窮屈かもしれない。

 「あんまりジロジロ見ないでよ」
 「エロ本はベッドの下に隠す派?」
 「そんなの持ってない!」

 細貝がベッドの下を漁ろうとするので慌てて首根っこを掴んで、元の位置に座らせた。

 「そうやって慌てると怪しいな」
 「ないってば! じゃあ確認していいよ!」
 「嘘。ごめん、そんな怒んないで」

 細貝が両手を合わせて謝ってくれるので僕は溜飲を下げた。このあざとさに弱い。
 細貝はもう一度部屋を見回して、締まりのない顔をした。

 「この部屋、有馬の匂いがするからちょっと浮かれてんの」
 「へっ、変なこと言うなよ!」
 「だって好きな人の部屋だぞ? 興奮するなって言う方が無理だろ」
 「そ……そんなこと言われても」

 細貝の黒い瞳が腹をすかせた猛獣のように鋭く光る。あまり深く考えなかったけれど付き合っているカップルは、部屋に入ったらあんなことやこんなことをするのだろうか。

 (いや、でも細貝は僕が嫌がることはしないはずだ)

 僕が拒否すれば細貝はこれ以上踏み込んでこない。でも僕が嫌じゃなかった場合はどうなってしまうのだろう。
 細貝が顔を寄せてきた。密集した睫毛の際まで見える。線を引いたような二重まぶたに前髪が挟まっていた。

 (やばい……すごいドキドキする)

 これって抱きしめられる流れ? それともキスされるの?
 ぎゅっと瞼を閉じた。真っ暗闇の中、僕たちの呼吸音だけがやけにクリアに聞こえる。
 だがすぐに細貝の気配が離れた。

 「なにもしないよ。怖がらせてごめん」

 勉強再開しようか、と細貝はシャープペンを握った。意識がもうワークに向かっている。
 さっきまで部屋に満たされていた甘さが消え失せていた。
 なんだか勿体ないような気がしてしまうのはどうしてだろう。
 僕はシャープペンを握っている細くて長い指をじっと見つめた。

 「どうした?」

 目尻を下げて笑う細貝はもういつも通りだ。野獣の影は消え、一途なわんこに戻っている。それがなぜか悲しい。
 悲しい感情の糸を探ると、その根底に「触れて欲しかった」という気持ちに気づく。
 どうして触れて欲しいのか、数珠繋ぎで探索していくと真新しい宝箱をみつけた。

 (もしかして……僕は細貝を好き、なの?)

 「好き」という呪文を唱えると宝箱がぱかりと開く。そこには金銀財宝が僕を祝福するかのように輝いていた。
 なんで。嘘。いつから。
 動揺で頭の中がこんがらがる。まったく身に覚えがないのに、妙にしっくりきてしまう。
 頭を抱えながら僕はテーブルに突っ伏した。

 「まじでどうした? 具合い悪い?」
 「……なんでもない」

 僕はしばらく顔を上げられなかった。





 十月一日、球技祭が開催される。
 生徒全員がバスケ、バレーボール、ドッジボール、卓球のどれか一つの競技に参加し、順位によってポイントが与えられる。三学年まとめての総合順位をつけられ、上位三クラスには豪華な景品がもらえるのだ。
 今年の優勝クラスは、二万円分の焼肉ギフト券という超豪華な景品を用意している。
 先月の選挙で無事、生徒会長に任命された僕が先代たちからのツテの通りに用意したものだ。
 絶対優勝するぞ、とモトと佐山、堺の三人がクラスを盛り上げ、球技祭まで毎日練習させられた。
そのかいがあって僕たちのクラスは順調に勝ち進んでいる。が、ドッチボールを選択した僕とモトは初戦で敗退した。
 テニスより熱心に練習していたモトはショック過ぎる結果に体育倉庫の前で座り込んでしまっている。

 「負けた……あんなに練習したのに」
 「その熱意を少しでも部活に向けてくれたらいいのに」
 「おれ、今日からドッチボール部になる」
 「うちの学校にそんな部活ありません」
 「じゃあ生徒会長の権限で作ってよ」
 「部員を五名以上揃えて、顧問の先生を見つけてから生徒会に申請してください」
 「あと三人か。佐山たち入ってくれるかな」
 「僕を頭数に入れないでよ」
 「おれたち、ニコイチだろ」
 「勝手にニコイチにしないで」

 慰めてあげようかと思ったけど、随分軽口が叩けるものだ。
 元気そうなモトは放っておいて、僕はトーナメント表に視線を落とした。

 「男バスの試合始まってるね」

 僕たちの試合の十分後にバスケチームの試合が始まる予定だ。
 モトはパンと膝を叩いた。

 「よし、じゃあ体育館へ急ごう」
 「切り替え早いなぁ」
 「そりゃお祭りは楽しまなくっちゃ!」

 お祭り男としての血が騒ぐらしい。モトは昔から学校行事は積極的に参加するタイプだ。
 僕たちは中靴に履き替えて体育館へと向かった。
 広い体育館ではバレーボールが二面、バスケが一面使っている。
 コートを囲うように応援の生徒で溢れ、二階にまで人がみっちり埋め尽くされている。
 三面すべて男子が試合している影響か、応援席には女子が多い。

 「すごい大盛況だな」
 「ね、まだ外でもドッチボールやってるのに」
 「そりゃあれ目当てじゃない?」

 モトが指さした先は僕たちのクラスの男バスチームだ。その中で一番背の高い男がみんなの注目を浴びている。
 体操服に赤いビブスを着た細貝だ。
 襟で汗を拭っているだけで、歓声があがっている。いつもさらさらしている黒髪が汗でぺったりとしていて幼く見えた。
 バスケコートにだけ人がやけに密集していて、モトの言う通り細貝目当てなのだろう。
 細貝の人気に改めて驚いた。

 「すごい人気だね」
 「そりゃ最近笑顔は増えたわ、話しやすいわで人気もうなぎ登りだろう」
 「そこまで?」
 「別人級に人が違うからな。入れ替わってると言われても納得しちゃうよ」
 「そっか」

 いまさら気づくなんて遅い。
 細貝と付き合っているのは僕だし、彼が好きなのは僕だ。金メダルを授与されたときのようにこっそりと胸を張る。
 ピーと笛が鳴ると試合が再開した。
 相手チームは三年五組の先輩たちで、背の高い人を揃えている。得点は二十対十九で僕たちのクラスが負けていた。
 味方からパスを受けた細貝は華麗にドリブルをして、一人また一人と抜いていく。最後にパスのフェイントをしてからシュートを決めた。あまりに流れるような動作に瞬きすらできない。
 きゃあと黄色い歓声と拍手が飛び交う。さながらアイドルのコンサートのような盛り上がりだ。
 細貝は観客の声援には応えず、チームメイトとハイタッチをしている。汗で煌めく笑顔に胸が甘く疼きだす。

 (カッコいい)

 僕は体操服の胸元をぎゅうと掴んだ。そうでもしないと跳ね馬の如く暴れる心臓を抑えられない。
 テニスをしている細貝は見慣れているけど、バスケは新鮮だ。荒っぽい動きやボールを放つ指先までが凛として美しい。
 細貝の動き一つ一つを細胞に刻みつけるように僕はじっと見つめていた。

 「そういやいつ別れるの?」
 「いまいいところなんだけど」
 「細貝と別れるって言ってた話は結局どうしたの?」

 僕は弾かれたように隣のモトを見た。眼鏡の奥の瞳が細められている。
 細貝と恋人になったのは夏休み直前の七月下旬だ。確かにあと数日で三か月が経つ。  

 (すっかり忘れてた)

 細貝が好きだと自覚してからというもの、いまの関係が心地よくて深く考えないようにしていた。
 僕の真意を探ろうとするモトの視線がチクチクと刺さる。
 その目が、あの日の母親に似ていた。「男が好きなの?」と海に投げ出されたような絶望した瞳は、僕を簡単に追い詰める。
 首を締めつけられたように苦しくなって、はぁと息を吐いた。吸おうとすると喉に引っかかりを覚える。それでもなんとか呼吸を繰り返していると、頭の中が暗い靄に埋め尽くされた。
 与えられた肩書きを護らなければ僕の存在意義はない。ただでさえ兄ちゃんより劣っている僕は、努力をし続けなければならないのだ。
 念願だった生徒会長という新たな肩書きに汚点を残すわけにはいかない。

 「そう……だね。もうすぐ別れるよ」

 言葉が鋭利な刃物のように僕の胸を刺した。痛みでうっかり泣いてしまいそうだ。
 本当はそんなこと思っていない。
 細貝とずっと付き合っていきたい。
 けれど僕の小さなプライドが邪魔をする。

 「それでいいのか?」
 「いいもなにも、最初からそういう話だったし」
 「細貝のこと好きになれなかったのか?」

 縋るようなモトの言葉に僕は目を合わせることができない。
 部活に出ない細貝のことを最初は嫌いだった。
 でも細貝の周りが、細貝の気持ちを無視して動いた結果、酷い男に仕立てあげたのだと知った。
 本当はやさしくてお茶目で甘党な細貝を、砂の中で見つけた宝石のように大切にしまっている。
 でもそれをただ愛でているだけの時間はもう終わったのだ。
 ピーとホイッスルが鳴り、コートに視線を向けるといつの間にかうちのクラスではなく、違うチームの試合が始まっていた。コートの端で万歳をしているクラスメイトがいるから、どうやら勝ったらしい。
 その輪から外れ、タオルで汗を拭きながら細貝が僕たちの方に来てくれた。視線が合い、僕は片手を上げる。

 「お疲れ」
 「ん」

 細貝は僕と目を合わせることなく、僕の横を通り過ぎ、体育館を出て行ってしまった。
 こんなこと初めてだ。
 慌てて振り返ると細貝の周りに女子が集まっている。なにか話しているのか喧騒の中に笑い声が混じっている。
 細貝の背中が明らかに僕を拒絶していた。

 (もしかしていまの会話、聞かれてた?)

 さっと血の気が引き、床に足が縫われたように僕は一歩も動けなかった。





 「細貝、一緒に帰ろう」
 「……ラビットあるから先帰る」

 帰りのホームルームが終わった放課後。細貝は僕を見向きもせずラケットバックを肩にかけ、教室を出て行ってしまった。
 目の前で扉が閉まった音をかき消すように教室内は騒がしい。

 (拒否られた)

 じんと胸の奥が痛い。
 閉まったままの扉を睨みつけているとモトに肩を組まれた。

 「一番の功績者は帰っちゃったの?」
 「ラビットがあるみたい」
 「ふーん、なら仕方がねぇな。で、打ち上げどうする?」

 僕ははっと顔をあげた。クラスメイトたちの視線が僕に向いている。
 総合優勝はできなかったけど男バスは優勝した。その打ち上げをいつやるかとみんなと話していたのだ。

 「じゃあ週末の金曜はどう? カラオケでいいよね」
 「よし、じゃあ金曜行ける人手を挙げて〜!」

 モトが出欠を取る声が右から左に抜け、僕は重たい溜息を吐いた。

 「金曜に行ける奴多いな。有馬、細貝に連絡しといて」
 「わかった」

 僕はその場でカラオケ店の予約を取り、部活をしてから帰ってきた。

 「細貝に連絡しないと」

 ラインアプリを立ち上げて、細貝とのトーク画面を開く。

 《打ち上げ金曜日になったけど大丈夫?》

 すぐに既読がついた。どうやらラビットは終わっているらしい。時刻は夜の八時を過ぎたところだから、帰宅途中なのかもしれない。
 返事が来るだろうかとぎゅっとスマホを握りしめる。でも待てど暮らせど返事はこない。
 もしかして既読スルーするつもりか。
 もう一度送ろうと指をタップしかけたけど、なんて書けばいいのかわからない。
 代わりに画面をスライドさせると昨日までのやり取りが出てきた。お互いマメな性格ではないので、ほとんど業務連絡みたいなものばかりだ。
 でも毎日おやすみのメッセージは来ていた。枕詞のように《大好きだよ》も欠かさずについている。
 今日はもうメッセージは送ってくれないだろう。そんな気がした。

 「やっぱり会話聞かれてたんだ」

 僕が別れるつもりでいたことを細貝は知ってショックを受けたのかもしれない。
 でも、僕が別れるつもりでいたことを細貝は最初から承知のはずだ。なんせ嫌っていたことにも気づいていたくらいなんだから。

 (だったら僕が嫌になったのかな)

 細貝と話すと呼吸が楽だった。取り繕わなくていい関係は僕にとって貴重で、唯一の息抜きの場でもある。
 生真面目で肩書きに恥じない「有馬悠聖」としての僕が好きなだけで、本当の僕を嫌になったのだろうか。
 そう思えばしっくりくる。

 「細貝に……嫌われたんだ」

 僕はスマホを握りしめたまま途方に暮れた。