第5話

 商店街の祭りの日がとうとうやってきた。

 「わぁー黒髪羽崎先輩新鮮!」
 「真面目っぽい!頭良さそうっす!」
 俺は集合場所のテントに着いた途端に、宮本と溝場に今朝染めたての黒髪をグリグリと弄られた。
 「やめろよ。ワンデーの髪染めだから、あんまり触ると色移るぞ!」
 俺は二人の手から逃げだした。普通になんか恥ずかしい。
 そんな俺を、篠崎はなぜかうっとりとした顔で見て、「あれ、俺の為に黒くしてくれたんですよ」と、隣にいる牧原に言ってドン引きされていた。
 「とにかく、俺は今から町内会長に挨拶してくるから!音響のチェックとか道具のチェックとかしといてよ。松木、あとはよろしくな!」
 そう言って、俺は逃げるようにテントを出ていった。

 主催者である町内会長のいるテントには、すでに兄貴がいた。
 暑いのに涼しい顔でスーツを着込んでいる。
 「ああ、君が大道芸部の子だね。今日はよろしくお願いします」
 町内会長は気のいい笑顔で握手を求めてきた。
 「はい、お世話になります。パフォーマンスの機会を頂きまして、ありがとうございます」
 俺も丁寧に頭を下げながら握手をする。
 「羽崎さんの弟さんなんだってね。うちはお父さんにもお兄さんにも世話になってるんだよ。兄弟揃ってしっかりしたもんだね」
 「いえ、こちらこそ、いつもお世話になってますよ」
 兄貴が軽く口を挟む。
 「いやぁ、私は大道芸を間近で見たことなくてね。弟さんの芸、楽しみにしてるよ」
 会長はニッコリと微笑んでくれた。
 兄貴と一緒に挨拶なんて堅苦しいことになりそう、と気が重かったが、そんな事無かったな、とホッとした。
 「正直、俺にはよくわからなくてね。危ない事もするのかな、子供や老人も来る商店街の祭りで怪我でもされたらかなわないな、って思って初めは反対してたんだ」
 会長が苦笑いしながらそう言ってきたので、俺はドキリとする。そうか、責任者としてはそういう心配もあるのか、と俺はすこし驚いた。
 会長は続けた。
 「でも、君が羽崎議員の息子さんだって聞いてね。なら是非やってもらおうじゃないかってなったんだ」
 「あ……そう、なんですね」
 会長の言葉に、俺はつい笑顔が固まってしまった。
 そうか、そうだったんだ。
 ……うん、まあそうか。……親父のおかげ……。
 「名津」
 兄貴が鋭い声で俺の名を呼んだので、ハッとして顔を上げた。ヤバい、笑顔笑顔。
 「確かに、怪我は怖いですよね。ご心配ありがとうございます。絶対に観客の人達をドン引きさせるような失敗はしませんので」
 そう言って頭を下げる。
 あー、早くこの場を立ち去りたい。
 ボロが出て変な事喋っちゃう前に逃げたい。
 俺は唇を噛んだ。
 その時だった。
 「あの、大道芸部の代表の方、いらっしゃいますか。すみません、音響のチェックをお願いします」
 係の人から声がかかった。
 あれ?松木に頼んだはずなのに。
 でも正直この場から逃げられるのでホッとした。
 「今行きます。会長、それでは失礼します」
 俺はそう言って、急いで音響係りに付いていった。

 BGMやマイクのチェックを終えると、部員たちのいるテントに戻った。
 「おい、音響チェック頼んでいったじゃん」
 俺はすぐさま松木に文句を言う。松木は面倒くさそうに答えた。
 「係の人から代表者は誰ですかって聞かれたから、今町内会長のとこに挨拶行ってますって答えたらさっさと係の人があっちに行っちゃったんだって。俺のせいじゃねえし」
 「ふうん。まあちょっと助かったけど」
 「何?兄貴にチクチク言われた?」
 「別に。ただ、偉い人との会話って苦手なだけ」
 「ふーん。ま、お前ってそうだよな」
 松木は軽く笑う。
 「でも、篠崎は心配してたぞ」
 「篠崎?」
 俺は首を傾げて聞き返した。
 「何で?」
 「知らねえけど。なんかお前の事心配してずっと落ち着かねえでいたから、外の空気でも吸って落ち着いてこいって追い出した」
 「可哀想。俺の事が心配なんじゃなくて、初めてのパフォーマンスだから緊張してたんじゃないの」
 「何いってんだよ。俺は篠崎が犯人だと思ってるぜ」
 「何の犯人?」
 「外の空気を吸ってくるふりして、係の人に、『音響は代表者しか分からないので代表者に確認をお願いします』とでも言ったんじゃねえかって。それで堅苦しい挨拶が長引かないようにお前を抜け出させたんじゃないかって」
 「……いやまさか」
 俺は笑ったけど、松木は一切笑ってなかった。
 「まあいいや。とりあえず、ちょっと練習しようぜ。お前もバランス芸ちょっと練習しとけよ。最近篠崎に付きっきりでシンクロ練習ばっかしてただろ」
 「バランス芸もちゃんと練習したよ。ローラーボーラー、 もう自分のモノにできてるね」
 俺は胸を張って答える。
 筒の上に板を乗せてその上に乗って芸をするバランス芸。公演でやるのは初めてだったが、練習での成功率は高い。
 「ならいいけどよ。バランス芸は失敗したら怪我の危険性があるからな」
 怪我、という言葉に、俺はさっきの会長の言葉を思い出した。
 『子供や老人も来る商店街の祭りで怪我でもされたらかなわない』
 そうだ、絶対怪我なんかできない。
 「わかってる。大丈夫」
 そう自分に言い聞かせるように言った。


 お祭りのステージショーが始まった。
 地区の中学校のブラスバンド部の演奏から始まり、ダンススクールの子供達のポップダンス、地元青年会の太鼓演舞などが続く。

 もうすぐ俺達の出番だ。
 皆緊張しているようだが、一年生の篠崎と牧原は更に緊張しているようだ。
 俺は先ず、牧原に声をかけた。
 「牧原、大丈夫。宮本とのパッシング、楽しみにしてる。絶対かっこよくできるよ。練習したもんな」
 「はい」
 牧原は小さく返事をしてくれた。宮本が牧原の肩を抱く。
 「ふふ、大丈夫だよ。牧原さん上手だし。失敗しても絶対私がフォローするから」
 「はいっ!」
 今度ははっきりとした返事が返ってきた。宮本とうまくやっているようで嬉しい。
 次は、牧原よりもガッチガチに緊張している篠崎に向き合った。真っ青な顔をしている。ほら、やっぱりさっきも俺を心配して落ち着かなかったんじゃなくて激烈に緊張してただけなんじゃないか。
 俺は、固まってしまっている篠崎のほっぺをムニッと強めにつねった。
 「い、痛いです」
 「笑顔!って前も言っただろ?」
 「は、はい」
 「俺と一緒にパフォーマンスするんだぞ?」
 「はいっ!」
 「嬉しくないのか?」
 「そんなわけないです!」
 「じゃあ笑え。な?観客メロメロにするんだろ?」
 「はいっ」
 篠崎の顔が少し緩んだ。
 良かった。少し緊張が解けたようだ。

 俺は皆の顔を見渡す。

 「じゃあ皆!練習通り、いいパフォーマンス魅せるぞ!」

 アナウンスが聞こえてきた。
 さて、俺達の出番だ。
 お遊び部なんかじゃない。危険なパフォーマンスなんかじゃない。それを証明するには、実践してみせるしかないのだ。