第4話

 カチ、カチ、と軽快な音が響く。
 今日も俺は篠崎と一緒にシンクロの練習だ。
 技自体はほぼ難しく無いので、とにかく篠崎のタイミングに合わせる事が大事だ。
 最後の大技、両手大回転。
 ガチャン、と音を立てて、シガーボックスが床に落ちた。
 篠崎は成功している。俺が失敗したのだ。
 「珍しいっすね、篠崎が成功して羽崎先輩が失敗するの」
 部屋の隅の方で見ていた溝場が、茶化すように言う。
 「まあ、そんな時もあるよ」
 「いや、今日の羽崎は明らかに調子悪いぞ」
 松木がキッパリと言う。
 「授業中だってぼんやりして怒られてたし、昼休み弁当と間違えて筆箱開けて食おうとしてたし、掃除のときはモップと間違えてヒョロガリの山田の腕を握ったし……」
 「うるさいな、変なこと暴露すんなよ」
 俺は後輩たちがドン引きしているので、慌てて松木の口を抑える。
 「羽崎先輩、お疲れですか?帰ります?送っていきますよ」
 篠崎が心配そうに言う。
 「いや、全然大丈夫だから。心配しないで」
 かえって今日はあまり早く家に帰りたくない。またもし兄貴と鉢合わせして何か言われるのが嫌だ。あの優しい笑顔を見ると、妙に気持ち悪くて、そして逆らえなくて、疲れる。
 「なあ、もし俺がさ」
 ボソリ、と言葉が漏れた。
 「もし急に明日とか黒髪にしてきたら、どう思う?」
 「えっと、受験生だから、面接対策に染めたんだろうな、って思うくらいですが」
 部屋の隅で休憩しながらお菓子をボリボリ食べていた宮本が、なんてことないかのように言う。
 うん、まあ、そりゃそうか。別に髪染めるくらい普通だしな。おかしいことではないか。
 「染めるんですか?」
 溝場が聞いてきたので俺は頷いた。
 「んー、まあね。そうしようかなーって」
 「染めるなら、お祭りのステージ終わってからの方が良くないですか?だって、羽崎先輩のその金髪、似合ってますし、華がありますし。俺個人的には黒髪の羽崎先輩想像しただけで鼻血出そうですけど」
 篠崎が言う。後半なんか変な事を言った気がしたけどとりあえずスルーすることにした。
 「ま、でも今黒くして篠崎と見た目もシンクロさせるのもアリかなーって思ってさ」
 俺がそう言って髪をつまんでみせる。
 するとなぜか篠崎は少し怖い顔になった。
 「羽崎先輩が俺に合わせる必要はありません。合わせたいなら俺が羽崎先輩に合わせます。俺が髪を染めます」
 「あ、いや、別にそこまでしなくても……」
 「羽崎先輩が黒髪にしたくてするなら全然ありなんですけど、俺に合わせて……なんてしないで下さい」
 「う、うん。わかった、わかったから。しないしない」
 篠崎が変なテンションになってきたので俺は慌てて否定する。
 「てか、元々身長も全然違うんだから見た目無理に合わせ無くてもいいんじゃね?気になるなら帽子でも被るか?」
 松木が軽く言う。
 「あー、うん。帽子、帽子ね」
 俺は少し頷いた。
 兄貴の言ってた挨拶も、帽子を被るなら髪を黒くしなくてもいいだろうか。いや、挨拶に帽子被ったままのほうが失礼だよな、と俺は小さくため息をついた。


 部活終わりの帰り道。篠崎が近づいてきて言った。
 「羽崎先輩、もしよかったら、帰り、ちょっと買い物お付き合いしていただいてもいいですか?」
 「ん?いいよ」
 俺は頷いて篠崎と一緒に並んで校門を出た。
 なぜか篠崎から誘ったくせに、何も言わないで無言で歩いている。
 しばらくしてから、篠崎は小さく「すみませんでした」と言った。
 「え?何が?」
 「……多分事情、あるんですよね。その、黒髪にしようとしてる、しなきゃいけない理由、みたいなの」
 「え」
 なんでわかったんだろうか。顔に出ていたんだろうか。
 「いや、別にそんな」
 「あんな深いため息つかせるつもりじゃなかったんです。すみません、俺、自分のことしか考えてなくて、祭りが終わってからの方がいいだとか、俺に合わせないでくれだとか言ってしまって……」
 「いや、その、別に」
 言ってから俺は自分の発言を一旦反芻してみた。
 確かに、俺は兄貴に黒髪にしろと言われた。嫌だったけど、どうしてもってわけでもなかった。だから誰かに背中決めてもらおうとした。
 「黒髪にしたらどうする?」と。
 「……ごめん。自分のことしか考えてなかったのは俺のほうだったわ」
 俺はつい立ち止まり、篠崎の背中にそう呟くように言った。
 「俺、理由が欲しかったんだ。兄貴に言われて黒髪にするんじゃなくて、大道芸部の誰かのために黒髪にするんだって、そうしたくて……」
 「兄貴?」
 篠崎は想定外の俺の発言に首を傾げた。まあ、急に兄貴とか言われてもわかんないよな。
 「ちょっと、そこの公園で話でもしない?」
 俺は困惑しながら突っ立っている篠崎の腕を掴むと、近くの公園に向かって歩き出した。

 公園には、小さい子供が数人はしゃいでいた。俺達は公園の隅のベンチに腰を下ろした。
 「羽崎真って知ってる?」
 突然の俺の問いに、篠崎は一瞬目を泳がせて、そして頭を下げた。
 「すみません、聞いたことある気がするんですが。羽崎ってことは、ご親族ですか?」
 「親父だよ。市議会議員してる」
 まあ選挙権の無い高校生なんて、市長の名前は知ってても市議会議員の名前なんか知らない奴の方が多いだろう。
 「すみません、勉強不足で……」
 「全然問題ないよ。……じゃあさ、羽崎晴琉って知ってる?」
 「……あ、それは知ってます!イケメンすぎる議員秘書って、去年あたり有名になってた人ですよね」
 「そ、その、議員より有名な秘書が、俺の兄貴」
 自虐的に笑うと、篠崎はぽかんとした顔になった。
 「自分で言うのもなんだけどさ、親父は真面目な政治家だと思うし、兄貴もすげえ親父の為に頑張ってると思うんだ。……その、変に有名になっても絶対驕ったりしないで真摯に働いてる……」

 そう、俺の兄貴、羽崎晴琉は、去年親父について選挙活動をしているところを写真に撮られ、SNSで「イケメンすぎる秘書いるだけど」とバズった。その後テレビの取材やらなんやらを受けたりしたが、親父を立てるとこを忘れず、絶対に調子に乗るようなヘマもせず、ハニトラにも引っかからずに好感度を保ち続けた。
 だからだろうか。好感度が下がらない兄貴のことが面白くなかったマスコミが、俺に目をつけたのだ。
 金髪ピアス、大道芸のようなお遊びの部活、奔放すぎる次男坊としてモザイク付きだが小さなニュースサイトに載った。
 勿論、うちの高校はそもそも自由な校風で金髪もピアスも禁止されているわけではないし、大道芸の協会からもお遊びとは何事だとブチ切れられたらしいし、何よりただの高校生を勝手に晒すことに対しても炎上があったりしてあっさり何事もなくなった。
 でも、兄貴はそれでも気に入らなかったらしい。
 それから頻繁に俺の行動に口を出すようになってきた。
 恋人はおろか、友達すら家に入れようとはせず
 、大道芸の公演も、明らかにボランティアだとか地域貢献と見られるようなものだけを受けるように、と強く制限された。

 「俺、兄貴の言うこともわかんないわけじゃないしさ、親父の仕事の邪魔になるようなこともしたくないけどさ。……別に悪いことしてないのに何で言う事聞かなきゃダメなんだよ!ってワーッてなるんだよね」
 一通り説明した後に篠崎を見ると、なぜか泣きそうな顔をしていた。やば、重かったか?俺は急いで付け足した。
 「ま、別にそんな束縛されてるとかじゃないから!ほら、だから今までもこの髪色とピアスで老人ホーム訪問とかしてたし?」
 「羽崎先輩……」
 篠崎が近づいて、俺の髪をそっと触った。
 「すみません、さっきの部活での発言、訂正します」
 「何?」
 篠崎は俺を見下ろしながら言った。
 「俺の為に黒髪にしてください」
 「ん?」
 「俺のシンクロの為に、黒髪にして下さい」
 「あー……」
 俺は少し笑った。篠崎は優しい。だから俺があんな事を言ったから『自分の為に』と言ってくれているんだろう。
 「ありがとうな、篠崎。でもこれは俺の問題で、篠崎が無理にそう言ってくれなくても……」
 「違います」
 え?違うの?よく見たら篠崎はなぜか怖い顔をしている。
 「あー……篠崎?」
 「俺はそのままの羽崎先輩が好きだし、羽崎先輩がもし俺に合わせて、ってことなら嫌でした。でも、俺以外の意見に合わせるのはもっと嫌です。俺以外の為に自分を変えようとしているならいっそ俺に合わせて下さい。俺の為に黒髪にしてください」
 篠崎が俺の肩を強く掴む。
 「お、おい。ちょっと痛いって」
 「……す、すみません……」
 篠崎は慌てて手を離した。俺は肩をさする。仔犬のように小さくなっている篠崎に向かって小さくため息を吹きかけ、そして笑いながら言った。
 「あのさ、それ、そのままの俺が好きなら、黒髪にするなって言うんじゃないの?」
 「そう、ですよね。でも、羽崎さん優しいから、我を通して金髪でいるのも落ち着かないのかなって。だったら俺の為に黒髪にするって思ってくれれば、羽崎さんの気持ちも落ち着くし、俺も『羽崎さんが俺の為に……』って興奮するし、一石二鳥です」
 興奮はよくわからないけど。でもやっぱり篠崎は優しい。
 「そっか」
 「そうです」
 「じゃ、篠崎の為に黒髪にしようかな」
 「……もう一回言ってもらっていいですか」
 「黒髪にしようかな」
 「その前です」
 「えっと、篠崎の為に……」
 「ありがとうございます!」
 篠崎が突然大声で言ったので、周りにいた子供達がビクッとした。
 おい、子供ビビらせんな、と叱ると、嬉しそうに「はいっ」と言った。なんなんだこの篠崎の情緒は。
 「まあ、そう決まったら、シンクロ、絶対成功させような」
 俺が言うと、篠崎は自信なさげではあったが笑顔で頷いた。