第2話

 ガチャン、とけたましい音が響いた。
 篠崎がシガーボックスを落とした音だ。

 あれからうちの大道芸サークルに入った篠崎だったが、想像以上に彼は上達しなかった。練習は真面目にしているのだが、どうも運動神経が良くないのもそうだが、壊滅的に不器用なのも原因のようだ。
 入部して三ヶ月は経つが、まだ基本の技のみしか出来ない。
 篠崎はまず自分のやる道具としてシガーボックスを選んだ。俺があの時見せたパフォーマンスを気に入ってくれたらしい。
 篠崎は背も高いし、うまくできれば迫力があって映えるだろうな、と思う。

 「篠崎、腕だけで練習するな。膝を使って勢いをつけるんだ。猫背にならないで姿勢を正せ」
 俺は篠崎の後ろに回り、曲がってしまっている腰に手を添えてまっすぐ立たせる。
 そして、後ろから篠崎の二の腕をつかんで姿勢を補正した。
 「こっちの腕をこう。両端抜きは、膝を使って飛ばしたらすぐに腕をこう回す。いいか」
 篠崎の背中にビッタリとくっついて説明していると、篠崎のすぐ近くでディアボロを練習していた牧原律がジトッとした目でこちらを見てきた。
 牧原は篠崎と同じ一年の女子だ。篠崎のすぐ後に入ってきた新入部員の一人である。
 「羽崎センパーイ、篠崎くん、真っ赤になってまーす」
 「なってない!」
 牧原の言葉に篠崎が慌てた。
 「なってたなってた。合コンで肉食系女子に胸を押しつけられた童貞みたいに真っ赤になってた」
 「え、待って。俺そんなセクハラみたいな事していた?」
 俺は慌てて自分の行動を振り返る。
 まあ確かにしっかり身体を密着させてたけど。つーか篠崎の身体が大きすぎるからどうしてもそうなっちゃうだけなんだけど。
 「いや!羽崎先輩は全然悪くないです。ありがたいです!ちょっとこんなに人が身体が近くに来るのに慣れてなくて恥ずかしかっただけで」
 「え、松木先輩に同じ事されても顔色一つ変えてなかったくせに」
 「ちょっと黙ってくれるかな」
 篠崎は牧原を睨む。
 牧原もよく篠崎をからかうタイプだ。はじめの頃は心配していたが、篠崎の下手なことや運動神経など人が嫌がることをからかう様子は無いし、何より篠崎も平気で言い返して本気で嫌がっている様子も無いのでほおっておいた。むしろ仲が良いようで何よりだ。
 「篠崎、春にやった老人ホーム訪問の時には技の完成が間に合わなくて結局出ないで終わっちゃったけど、今度の商店街のお祭りまでにはなんとか簡単なのでも完成させたいよね」
 俺は言った。
 篠崎はコクコク頷いだ。
 「一つでもいいから大技完成させたいんだけどな。一か八か試してみるか?案外大技のほうがうまくいくかもしれないし。シンプルなピルエットならそこそこ映えるし……」
 「あの……」
 おずおず、と言った様子で篠崎が構成を思案中の俺に言った。
 「あの、両手大回転……俺出来るんです……」
 「え?」
 俺は思わず聞き返す。
 「え?あれ結構ムズいぞ。見せて見せて」
 俺がそう言うと、篠崎は小さく頷いて、シガーボックスを床に置いて揃えると、大きな深呼吸する。
 持ち上げて、キレイな姿勢で立ち上がる。
 いつもの猫背じゃない。
 そして、膝を使って勢いをつけると、ふ、と腕を大きく動かした。カチン、と気持ちいい音がしてキャッチが成功した。
 凄くキレイだった。
 見惚れた。
 すげえ。やっぱこいつ、映えるな!!
 パチパチ、という拍手が聞こえて俺は我に返った。
 近くにいた牧田や、端の方で道具の手入れをしていた溝場と宮本が歓声を上げたのに気づいて、俺も慌てて拍手をする。
 「おい、何だよこんなの出来るなら言えよ!なんで隠してたんだよ!」
 溝場が篠崎に文句を言うと、篠崎は慌てた。
 「ち、違うんです。昨日、ちょっとやってみたらたまたま出来て……」
 「たまたまで出来るようなもんじゃないよ。え、もしかして天才だった?」
 俺も笑いながら言うと、篠崎は何かモゴモゴと小さく呟いていた。
 その時だった。
 勢いよく部室のドアがあいて、松木が入ってきた。
 「おーい、大学の大道芸サークルからローラーボーラー借りてきたぞー」
 「げっ」
 俺は松木の持ってきた大きな板と筒に、つい嫌そうな顔をしてしまった。バランス芸に使う、少し大きめの道具だ。
 「おい、何だその顔は。羽崎がやってみたいって言うからわざわざ借りてきたんだぞ」
 「いや、それはありがたいんだけどさ。今日荷物多い日だから持って帰るのキツーって思っちゃって」
 「知らねえよ。根性で持って帰れよ」
 ゴリラ発言をする松木。えーと不満な声を漏らした時だ。
 「あの、俺手伝います!」
 篠崎が手を挙げて俺たちの間に割って入ってきた。
 「身体だけはデカいので、荷物持ちとか余裕です」
 「いやいや、篠崎俺ん家と逆方向だろ?いいよ無理しなくて」
 「いいじゃん、持ってもらえよ」
 松木は適当に言う。
 「後輩こき使うのも先輩の仕事だろ」
 「なんだよそれ」
 俺は呆れ顔になった。
 しかし、篠崎も妙にやる気満々だし、実際一人で持って帰るのは正直きつい。
 「じゃ、よろしく頼もうかな」
 「はいっ!」
 篠崎はパッと顔をかがやかせた。
 後ろで溝場と宮本が「随分と懐かれちゃったこと……」と呟いていたけど無視することにした。


 帰り道、篠崎は大きなローラーボーラーを軽々と持ち上げて俺の少し後ろをついてきていた。
 「これってバランス芸に使うんですか」
 篠崎がローラーボーラーに目をやりながら尋ねてきた。
 「ああ、そう。バランス系は怖くて今までやってなかったんだけどさ。高校最後の年くらい、チャレンジしたくて」
 「楽しみです。羽崎先輩のバランス芸」
 「篠崎もやってみろよ。意外な才能発揮するかもしれないぜ。……あ、そうだ」
 俺はふと思い出して篠崎を振り返った。
 「そういやあ、両手大回転、あれすごいよな!なんで簡単なの出来なくてあれは出来るんだよ。あれこそ才能じゃね?」
 「違います」
 篠崎はキッパリと言った。
 背の高い篠崎の目が、じっと俺を見下ろしている。
 「見たからです。何度も何度も何度も」
 「ん?」
 「羽崎先輩が、入学式の時に見せてくれた大回転。あれ、あとから動画撮らせて貰ったじゃないですか。あれ、羽崎先輩がかっこよすぎて、何回も見たんです」
 「へえ。俺が見本になったかぁ。そりゃ何よりだわ。でも俺でも色々YouTubeとかでプロの見本動画とか見るけど、なかなかうまくいかないぜ」
 「そんなもんじゃないです。多分、もっと見てました」
 篠崎は足を止めた。俺もつい足をとめる。
 「ずっとずっと、何度も何度も、シガーボックスの動きだけじゃなくて、足の動き腰の動き、首、肩、目線、まばたき、呼吸のタイミング、呼吸した時の喉仏の動きまで覚えちゃうくらいに」
 そう言うと、篠崎は俺に近づいた。喉仏、の言葉と共に、篠崎の手は俺の首筋に触れた。くすぐったいな、と思った。そのまま喉仏を優しく撫でてくる。篠崎の息がなぜか上がっていた。俺の首を触っただけでなんで疲れたみたいな声を出すんだろうか。やっぱローラーボーラー重かったか?
 篠崎は続ける。
 「そうしたあと、羽崎先輩と全く同じ動きをしたくて、シガーボックスを持たないままに同じ動きを何度も練習してみたんです。それで羽崎先輩とシンクロ出来るくらい同じ動きが出来るようになって。で、昨日なんとなくシガーボックスを持ってやってみたら、出来たんです」
 一気に言ってから、篠崎は少し寂しそうな顔をした。
 「すみません、ちょっとキモいですよね……」
 「いや、すげえだろ」
 俺は即答した。
 「すげえってそれ。つーかさ、他の技もいっぱい見ろよ!そうしたらいっぱい技出来るようになるぜ!」
 「いや、俺は羽崎先輩の動画しかそこまでの情熱を持って見ることはできません」
 「そうかぁ」
 なんか重い事を言われてるような気がしたけど気にしないことにした。
 「じゃ、今度俺見本やってみせるからさ、動画撮ってよ。そんでそれ見て練習しなよ」
 「えっ……そんなわざわざ申し訳ないです!動画なら、羽崎先輩の前の公演の時とか練習の時の隠し撮りとかあるので!
 「隠し撮りって言い方はやめような」
 俺は苦笑いする。
 「ちゃんとまっすぐの位置から撮った動画の方が見やすいし上達も早いよ。大した手間じゃないし、今日にでも簡単な技撮って送るよ。あ、それともいらない?」
 「絶対いります!」
 篠崎は嬉しそうにそう強く言った。
 そうしているうちに、うちの家の前までついた。篠崎は、俺の家を見てあんぐりと口を開けている。
「羽崎先輩のおうち、大きいんですね……」
「ん?まあちょっとだけな。昔からの家だからデカいだけだよ」
 俺はそっけなく言って、荷物を受け取ろうと手を伸ばした。
 「サンキューな。あとはここで大丈夫」
 「え、部屋までお持ちししま……」
 「いらない」
 つい、思わず強めに言ってしまった。俺は急いで取り繕う。
 「いや、ほら部屋散らかってんだよ。見られたくないものとかあるし」
 「そうですよね。すみません気遣いがなくて」
 「いや、本当助かったよ、ここまで来てくれて」
 そう言うと、俺は篠崎から急いでローラーボーラーを受け取ると、さっさと玄関に向かった。
 「じゃ、また部活でな」
 「はい。お疲れ様です」
 篠崎は小さく手を振ってその場を立ち去っていった。
 俺は大きなため息をつく。
 感じ悪かったかな。明日謝ろう。俺はそう思いながら、重い気分で自分の家に入っていった。
 
 次の日会った時気まずくなるかと心配していたが、篠崎はケロっとして「いつ、羽崎先輩の動画送ってくれるんですか」とキラキラした顔をしていた。
 心配しすぎだったようで俺はホッとした。