【7話】
「睦月ー、帰ろうぜ」
睦月の席に誠也がやってきたので、睦月もカバンを持って立ち上がる。
学年が上がって、睦月と誠也h2年では別々のクラスだったが、3年では同じクラスになった。
高校最後の体育祭、文化祭はあっという間に終わってしまった。年が明け、いよいよ大学受験を間近に控えたクラスの雰囲気は、ピリピリした緊張に包まれている。
睦月は3年で美術部の部長を務め、文化祭の展覧会を最後に引退した。そして、大学の経済学部を受験することにした。
誠也は勉強のため勤務日数を減らしているが、洋菓子屋でアルバイトを続けている。誠也は製菓学科のある東京の4年制大学を志望している。製菓学校は社会人になってからでも入ろうと思えば入れるからと言っていた。
「共通テストの日って、毎年雪降ったり雨降ったりしてね? 天気予報雨だってさ、2日とも」
「寒い時期だし仕方ないよ」
帰り道、睦月と誠也が喋るたびに、吐く息が空気中で白くなる。
「睦月さ、もうすぐ誕生日じゃん。なんか欲しいものないの」
「言っていいの」
「俺に買えるものならな」
「買えないかも」
「マジで? ま、とりあえず言ってみ」
睦月はしばらく迷ったが、意を決して言うことにする。
「……誠也が作った誕生日ケーキが食べてみたいな、って」
「そりゃ確かに買えないな!」
と誠也が犬歯を見せて笑う。
「でも、忙しいし受験終わってからでいいよ。それに、誕生日じゃなくても……暇なときにでも」
睦月が尻すぼみになるのも無理はない。睦月の誕生日は、共通テストの2日目と同じ日なのだ。
共通テスト1日目は予報通り雨になった。睦月と誠也は傘をさして、会場の大学へと向かった。
2日目は気温が下がり、雨から雪に変わった。2日続きの試験がようやく終わり、誠也の姿を探すが見当たらない。LINEを見ると、先に帰ると数分前にメッセージが来ていた。
「睦月! お疲れ!」
試験会場の大学を出ようとしたところで朝美に会った。クラスが離れ、教室の場所も1階と2階に離れたのもあって、顔を合わせるのはずいぶん久しぶりだった。
「お疲れ。どうだった?」
「数学ミスっちゃったけど、たぶんあとは大丈夫だと思う。睦月は?」
「大丈夫だと思うけど、名前書き忘れてないかなとか今更気になってきた」
「わかる。確認してもやっぱ気になるよね。あれ、信濃は?」
「先に帰るってさ」
朝美と話しながら駅まで歩き、家に帰って自己採点をした。マークミスがなければ悪くない点数だ。あとは志望大学の試験さえヘマをしなければ、十分合格点が取れそうでまずはホッとする。
『睦月、今家? 行っていい?』
誠也から突然LINEが来たのは、睦月が夕食を食べ終えた後だった。
『家にいるよ』
と返すと、30分後にインターホンが鳴った。
「睦月、これ」
ドアを開けるなり差し出されたのは取手のついた白い箱だ。中身は、箱の形から一目瞭然だった。
「誕生日おめでとう」
「もしかして、今まで作ってくれてたの?」
「昨日のうちにできるところまでやって、さっきデコレーションした」
「ありがとう……こんな大事な日に、ごめんね無理言って」
「テストも大事だけど、睦月の18歳の誕生日は1回しかないからな」
じゃあ、と帰ろうとする誠也を、睦月は呼び止めた。
「上がっていって。一緒に食べよう」
母は今日、遅番のシフトの人に交代を頼まれたらしい。帰宅は9時ごろだ。
リビングのテーブルでケーキの箱をそっと開けた睦月は、思わずわあ、と声を上げる。
睦月の両手に乗るくらいの大きさの、生クリームと苺のオーソドックスなケーキだった。
ケーキの天面には苺がぎっしりと並んでいる。お店のケーキみたいに透明なゼリー状のものでコーティングされていて、その苺宝石みたいにつやつやと光っている。苺の周りは、繊細な生クリームのデコレーションで囲まれていた。ケーキの中心に置かれたチョコレートのプレートには、筆記体で『Happy Birthday MUTHUKI』と書いてある。
睦月は誠也に取り皿とフォークを渡したが、「睦月にあげたから」と言ってやんんわりと断られてしまう。
「あのさ、あんまり行儀良くないかもしれないけど、このまま食べてもいい?」
「どーぞ」
睦月は、フォークを持ってきて、デコレーションを崩さないようにそっと一口すくって食べた。しゅわっと口の中で溶けるスポンジと、甘酸っぱい苺を包み込むようななめらかな生クリーム。誠也が自分のために作ってくれたのだと思うと、たまらなく幸せが込み上げてくる。
「ホールケーキをそのまま食べるのって、子供のころの夢だったんだよね」
睦月は誠也の作ってくれた誕生日ケーキをじっくりと味わう。誠也は肘をついて睦月を眺めながら、
「夢を叶えられてよかったわ」と笑った。
無事に志望大学に受かった睦月は、入学手続きのほかに、下宿の下見や契約、引越し準備などで春休みはあっという間に過ぎていった。それは誠也も同じだったらしい。春休みはほとんど会う時間がないまま過ぎていった。
睦月は地元の大学と東京の大学と迷い、東京の大学に入学することに決めた。幸いなことに、ふたりの通うことになる大学が近いおかげで、大学至近の下宿を借りても、電車で30分もすれば互いの家に行ける距離だ。ふたりは何回か待ち合わせて、互いの大学や最寄駅の周りを歩いてまわった。
とうとう4月に入り、大学の入学式がやってきた。
睦月は春休みの間に新調したスーツを着て、少し緊張しながら大学の門を通り抜ける。
大学は高校と比べて何もかもの規模が大きい。桜の植わった道は広く、早くもサークルの勧誘に来た学生たちに次々とチラシを渡される。校舎は何棟も立っていて、広い中庭やベンチもある。散歩したり片隅で桜の絵を描いている老人もちらほらといる。大学だけでひとつの小さな街を形成しているような感じだ。
ふと、高校の入学式を思い出す。あのときは、中学からの知り合いがいたが、今は顔見知りの学生はひとりもいない。懐かしくて、少し寂しい。
入学式の案内をカバンから出そうとしたそのとき、ポケットでスマートフォンが震えた。
『入学おめでとうございます』
誠也からだった。白いもふもふの犬が「おめでとうございます」の文字とともにぺこぺこお辞儀するスタンプつきで送られてきた。
『入学式どんな感じ?』
『まだ始まってないけど人が多くて迷ってる。誠也は?』
『俺も同じ感じ。サークル勧誘すげえ。大学って感じする』
『ねえ、今から電話してもいい?』
睦月がそう送るとすぐに既読がついて、誠也から電話がかかってきた。
「どしたん?」
「あのさ、入学式終わったら会いたいなって」
「もちろん」
待ち合わせをして通話を切る。睦月はあらかじめ送られてきた入学書類に入っていたキャンパスマップを見て、会場の大ホールを目指して歩く。
ホールの周りにはひときわたくさん桜が植えられていた。そして新入生の入学を、前途を祝福するかのように、満開の桜を咲かせている。
睦月は、その大ホールに向かって歩みはじめた。
