【5話】
夏休みが終わると、学校は一気に文化祭モードになった。
11月に2日間続けて行われる文化祭では、各クラスが演技、遊戯、飲食のどれかにエントリーし、その出し物をすることになる。睦月のクラスは多数決でお化け屋敷をすることになった。
白熱した話し合いは4時間目終了のチャイムがなるまで続いた。
ふう、と一息つくと、教室の外で誠也が手を振っていた.睦月は誠也に手を振り返して、一緒に食堂に行く。
「珍しいね、うどん」
睦月はいつになくゆっくりときつねうどんを咀嚼している誠也に訊ねる。誠也は洋菓子を作っていると小麦粉ばかり食べることになるからといって、いつも食堂では米を使ったメニューを選んでいるのだ。
「土曜に親知らず抜いたんだよ。あー、米食いてえな」
「え、そうなの」
改めて見てみると、誠也の右側の頬が少し腫れているように見えなくもない。
「親知らずって抜かないといけないの?」
「生え方にもよるかね。キレーに生えて来りゃいいんだけど、俺、歯並びギチギチだし、しかも中途半端に生えてきて痛かったから抜いた」
誠也が片側の歯ででうどんを咀嚼するのを眺めながら、「文化祭、出し物決まった?」と睦月は訊ねた。
「クレープ屋のおにーさんになりまーす」
と、誠也はおどけて言う。
「すごい、ぴったりじゃん」
「睦月んとこは?」
「僕はお化け屋敷のおにーさんになります」
「マジで、睦月がお化け? お客さん怖がらせられる? ってか睦月は道具係とか裏方選ぶと思ってたわ」
「選んだんだけどね。じゃんけんで負けちゃったから」
満場一致でお化け屋敷に決まった割に、お化け役に立候補する生徒は少なかった。だから道具係からじゃんけんで負けた生徒がお化け役に流れたのだ。睦月もそのひとりだった。
「ねえ、当日担当する時間合わせてさ、一緒にまわろうよ」
睦月が言うと、誠也はうどんを食べる手を止めて睦月を見る。
「どうしたの?」
「いや、睦月って、、あんまり自分の意見を言わないからめずらしいなと思って。いいぜ、まわろ」
だが、少し考えてから誠也が言う。
「でも睦月のお化けは絶対見とかなきゃなあ。2日あるし、1日目フリーにして2日目担当にするか」
「そうしよう」
準備に明け暮れている間に、あっという間に文化祭前日がやってきた。
睦月は放課後、美術部の顧問と先輩たちとともに空き教室に暗幕を張り、作品を飾っていた。
睦月の夕景を描いた絵は、まだ塗りたい気持ちもあったが完成と言って良かった。絵は、暗幕の前に飾るとまた違った雰囲気を纏う。
睦月は絵を眺めながら、夜景でなく夕景にして良かったと思った。夜景だったら、きっと綺麗に描けたと満足して終わっていただろう。
「いい絵だね」
と睦月の隣に立った小川に言われ、睦月は照れ臭くなった。
「夜景にしようと思ったけど、夕景にしてよかったです」
一筆ずつ色を乗せていく間に、睦月は何度となく誠也と一緒に遊んだ昔を思い出しては、今の誠也を想った。完成した絵画は、そうして幾度となく誠也のことを思い返した過程の軌跡でもあった。
文化祭1日目はふたりで見てまわった。
2日目、睦月がお化け役をするのは午後からなので、午前中に誠也のクラスのクレープを食べにーーというより、おそらく生地を焼いているだろう誠也を見に行こうと思って飲食店のブースに向かった。
秋晴れの空の下、グラウンドには模擬店のブースができてる。その中で一際長い行列のできている店があった。それが誠也のクラスのクレープの模擬店だった。
誠也は店頭で生地を焼いていた。襟足の伸びた髪を後ろでひとつにくくり、黒いエプロンをつけている。
クレープ屋にあるような丸い鉄板がないので、2口の簡易コンロの両方にフライパンを置いていた。誠也は生地を流し込むと、フライパンをうまく回し、生地をひっくり返して両面に焼き色をつける。その見事な手つきに並んでいる大半の女子が見惚れているのは言うまでもない。
睦月も列について誠也を見ていたが、模擬店内にはずいぶんと人が少なかった。生地を焼く誠也、隣で焼いた生地に果物とクリームを乗せて巻いている生徒、注文を取る生徒、後方で果物を切っている生徒、それだけしかいない。
誠也の隣で生地にトッピングしている生徒は、手慣れていないのかかなりもたついている。それも行列の一員なのだろう。見かねた誠也が、注文を聞いて包むのを手伝う。集中しているのだろう、できたクレープを「ん」と無愛想に突き出して渡しているが、渡された女子は頬を赤くして店の前を去ってゆく。
果物を切っていた生徒が突然、「苺なくなっちゃった」と困った顔で声を上げた。注文をとっていた生徒がそれを聞いて声を張り上げる。
「すみません、フルーツがなくなったので列は一旦ここでストップします。今並んでもらってる方は、途中からバナナとオレンジのクレープになりますがご了承くださーい」
睦月のちょうど後ろで列は打ち切りになり、並んでいた数人の女子が不服そうに列を外れていった。前に並んでいた女子生徒は、とりあえず誠也を見れたらなんでもいいと想って並び続けているか、諦めて帰るかのどちらかだった。列が少し短くなる。
ようやく睦月の順がやってきたが、その前でちょうどカットされたフルーツは全部なくなってしまった。前の子もかなりフルーツを間引かれたクレープをうけとっていたので仕方がない。
「大盛況だね。気にしないで」
「昨日の午前もフルーツ切らしたのに、なんで増やしてないんだ?」
誠也がめずらしく苛立っている。とはいえ、おそらく材料購入を担当していた生徒は今ごろ買いに走っているのだろう。
「なあ、フルーツもうほんとになんもないの」
睦月が後方の生徒に声をかける。女子生徒がクーラーボックスをいくつか開けて探す。
「うーん、あっ、剥いてないオレンジ一個だけ残ってた!」
「お、それちょーだい」
誠也はオレンジを受け取ると、ナイフで皮を易々と剥いてゆく。そしてオレンジのしぼり汁をフライパンに入れ、加熱したところに砂糖とバターを加えた。さいごに紙皿に四つ折りのクレープ生地を乗せると、残してあったオレンジを小さく切って乗せ、その上からオレンジソースをかけた。
「ん、即席クレープジュゼット」
「え、いいの?」
「いいに決まってるだろ、睦月に作ったんだから」
睦月が喜ぶと誠也は恥ずかしそうに顔を逸らす。そしてエプロンを脱ぐとパイプ椅子に置いた。
「もうすぐ交代だろ。もう作るもんないし先抜けるわ」
「おつかれー、信濃、ありがとう」
午前中、きっと一番立ち働いていたのは誠也なのだろう。誰も不平を言うことなく誠也を見送る。
中庭のいつものベンチに座り、睦月はクレープジュゼットをまじまじと眺めた。
「食べねえの。オレンジ嫌いだっけ」
「好きだけど……食べちゃうのもったいなくて」
初めて誠也が睦月に作ってくれたものだ。感慨深くてなかなかフォークを突き刺すことができない。
「熱いうちに食べたほうがうまいぞ。それに、洋酒なかったから味ぼやけてるかも。今度ちゃんとしたの作ってやるよ」
「ほんとに? じゃあ遠慮なくいただきます」
生地はほんのり甘く、もちもちしている。とろっとしたオレンジソースと、みずみずしいオレンジの果肉がクレープ生地によくあっていた。
「おいしいよ、とっても」
「そーか」
誠也は顔を逸らしているが、ちょっと耳が赤い気がした。
「働いたら腹減ったわ、睦月、食堂行こうぜ」
「ぼく、今日はいいや。クレープ食べさせてもらったし。そろそろ準備に行くね」
実は、睦月は朝からあまり体調が良くなかった。クレープの列に並んでいる間、日が当たっていたのもあったのだろうか、さきほどから頭痛がしている。
しかし、せっかく誠也がお化け屋敷を楽しみにしてくれているのだし、クラスの生徒たちにも迷惑をかけたくなかった。
午前担当の生徒と交代して、睦月はブレザーを脱いでお化け役の衣装を着る。
お化け屋敷のコンセプトは口裂け女だ。教室を彷徨う客がさまざまな口裂け女に声をかけられ、時に驚かされることになる。
睦月は女子生徒に口が裂けたメイクをしてもらい、長髪のカツラをかぶり、血糊のついた白のロングコートを羽織った。
部屋の中は大勢いた生徒がいなくなった直後のような、むっとする熱気に満ちている。メイクを隠すために大きめのマスクで口を覆っているのもしんどさに拍車をかける。だが、睦月はちょっとやばいな、と思いつつ、迷惑をかけたくない一心で役をこなした。
次の客が歩いてくる気配がして、睦月は
「……あたし、きれい?」
何度目かわからないそのセリフを口にしながら、客の前に足音を忍ばせて姿を現す。
「睦月?」
と訊ねられる。誠也だった。
「お前、声震えてる。大丈夫か?」
「……ちょっと、しんどい。ふらふらする」
「マジか。外出るぞ。背負ってやるわ」
「え、いいよ」
「早く、次の客来たら詰まるだろ」
急かされた睦月は、前にしゃがむ誠也の肩に手をかけ体重を乗せる。誠也は睦月を軽々と背負うと、足早に教室を出た。
「えっ、二ノ瀬くんどうしたの?」
出口で待っていた係の生徒が、誠也と睦月をみてびっくりする。
「睦月体調悪いらしいから保健室連れてく。って他の人にも言っといて」
「ごめんねぇ」
「あ、待って! メイク!」
女子生徒が睦月にクレンジングシートを手渡してくれる。
保健室は誰もいなかった。
睦月は帳簿に名前と来室の理由を書いて、メイクを落とし、顔を洗ってからベッドに寝かせてもらった。誠也がパイプ椅子を引っ張ってきて、カーテンを引いたベッド横に腰を下ろす。
「ちょっと熱あるな。いつから?」
額に当てられた誠也の手がひんやりとして気持ちいい。
「うーん、やばいなと思ったのは昼くらい」
「解熱剤飲むほどでもないし、水飲んで寝る、だな。ちょっと寝とけよ、ショートホームルーム始まる前に起こしてやるから」
「そうする。ありがとう」
しばらく寝て起きると頭痛はおさまっていた。かなりぐっすり眠れた気がする。睦月は何時だろうとぼんやりしながら考え、ふと手元を見た。誠也が睦月の手を握ったままベッドに突っ伏して眠っている。
そのとき、保健室の引き戸が開いて、教師のしゃべる声がした。寝ている子がいるから静かにしてねとでも言ったのだろう、カーテンの外の会話はすぐに聞こえなくなった。
「睦月ー? 起きてる?」
朝美が小声で話しかけてきたのに気づくと同時に、シャッとカーテンが開いた。
「普通は返事聞いてから開けると思うんだけど……」
「ごめんごめん。え、信濃なんでいるの? え? えーー! 言ってよ睦月!」
朝美の目は、ふたりの繋がれた手をしっかりと見つめている。甲高い朝美の声に気づき、誠也がもぞもぞと動いた。
「カバン、こっちの椅子に置いとくね。じゃ、お大事にお幸せに!」
忙しなくカーテンが引かれた後、誠也がようやく頭を上げた。
「あれ、さっき誰か来てなかったか?」
「朝美に見られた……」
「藤岡ならべつにいいんじゃね。ってか、握ってきたの睦月だぞ。起こそうと思って掌つついたら握って離さないから、起こすの諦めて俺も寝たんだよ」
「食虫植物みたいに言わないでくれる?」
「何その例え、面白いな!」
誠也が笑う。どうやら笑いのツボに入ったらしく、誠也は腹を抱えて喉の奥でくつくつと笑う。
「な、俺にぶつかってみ」
急に声をひそめて誠也が言うので、睦月は訝りながらとんと肩を叩いた。
「もうちょい強く」
睦月は誠也の胸板を押しのけようとする。すると、誠也はがばっと両手を広げて睦月に抱きついてきた。
「ちょっと、何っ」
「食虫植物のマネ。捕まったら出られませーん」
ふざけて言う誠也に睦月は声を殺して笑う。
「二ノ瀬君起きた? そろそろ下校時刻よー」
ふたりの会話を聞いていたのかいないのか、絶妙なタイミングで保健教師が声をかけてきた。なので、睦月は早々に誠也の腕から抜け出すことになった。最終下校時刻を知らせるチャイムがなった。
抱きしめられたのは初めてだった。もうちょっとそのままでいたかったな、と思いつつ、睦月はベッドを降りた。
