「じゃんけん、ぽん!」
 「あっ」
 「瀬川と下野の負けー」
 「がんばって」

 俺と下野、そしてクラスメイトの男子三人、計五人でじゃんけんをして俺と下野が負けた。

 「瀬川くん、またペアになったね。よろしくね」

 負けたパーの手をヒラヒラさせている下野。

 「下野、二人三脚はペアの相性が重要だ」
 「そうだね。僕、足遅いんだけど大丈夫かな」
 「俺が引きずってでも1位になるから」
 「え、引きずり刑じゃん……」

 オリエンテーション合宿とゴールデンウィークがおわり、新緑の季節--5月も中旬を迎えようとしていた。月末に行われる体育祭に向けて、出場種目を決めているところだ。綱引きや玉入れなどの団体競技から先に定員がうまっていき、二人三脚とリレーが最後に残った。この二つは得点が高いので足の早い奴が出場するのがいいんじゃないかと意見が出た。にも関わらず、立候補もなければ他薦もなし。しかたなくじゃんけんで決めようということになった。
 その結果、俺と下野が二人三脚、音無と真中がリレーに出ることに。四人とも致命的にじゃんけんが弱いらしい。


 昼休み、俺、真中、下野、音無の四人でベンチに座り昼食を摂る。下野のお気に入りの場所である屋上にはめったに人が来ないので、5時間目が始まるまで四人でここで過ごすのが日課になっている。下野と音無は弁当持参、俺と真中は購買でパンを買うか、コンビニのおにぎりを食う。真中は今日、3時間目がおわった後に早弁したので手持ち無沙汰にスマホをいじっている。

 「瀬川くんは応援団とかいいんじゃない?」
 「学ラン似合いそうだよね」
 「よく声張り上げてるからちょうどいいんじゃね?」
 「応援団、一年は入れないだろ。ってか、放課後、リレーと二人三脚の練習あるみたいだけど真中は参加できんの?」
 
 真中の動きがピタッと止まり、手からスマホが滑り落ちた。眉間にシワを寄せて苦悶の表情を浮かべている。

 「うぅわ、だっっっる!」

 ベンチの下に落ちた真中のスマホを下野が拾って真中の手の中に戻した。

 「誰か代わってくんねーかな」
 「じゃんけん負けたんだから無理だろ」
 「真中くん、いつも早く帰ってるけどバイトでもしてるの?」
 「いや、寝て菓子食って動画みてる」
 「わぁ~無気力の極み」
 「時々ゲームもする」
 「五月病なの?」
 「こいつの場合万年無気力だから」
 「無気力症候群じゃない?」
 「病気じゃないし。通常運転だから」


 放課後、ジャージに着替えてグラウンドに出る。運動部の練習の邪魔にならないように端の方で準備運動をした。軽くグラウンドを2周してから、下野の右足と俺の左足を足首の位置でひもで結んだ。

 「え、もうくっついて走るの? 歩幅とか腕の振りとか、もっと練習した方がーー」
 「とりあえず走ってみてからな」
 「う、うん」
 「外側の足からな? いくぞ? せーのっ……」

 バタンッ。前のめりに盛大にこけた。まぁ最初だからこういうこともある。

 「ご、ごめん。足まちがえた」
 「おう……大丈夫か」

 下野に手を差しだしてゆっくりと立ち上がる。

 「もう一回いくぞ? せーのっ……」

 バタンッ。さっきとまったく同じこけ方をした。まぁこんなこともある。

 「ご、ごごごごめん! 頭ではわかってるんだけど、身体がいうこときかなくて」
 「おう……こっちだぞ? こっちの足を先に出すんだからな?」

 ゆっくりと立ち上がり、念を押すように下野の左足を軽くペチペチと叩いた。次こそ、三度目の正直で成功する……はず!

 「いくぞ? せーのっ……」

 バタンッ。二度あることは三度ある。三回も同じこけ方をしたせいで、膝や肘の同じ個所にばかり砂がついた。
 
 (これは怒ってもいいんだろうか。相手が真中や音無だったら怒鳴りつけてやるんだけど、下野だからな~。失敗して落ち込んでるとこに怒ってしまったら余計に落ち込むだろうしな~)

 こけた状態のまま、青空に浮かんだ雲の流れを眺めつつ考えていると、下野が泣きながら謝罪していた。俺が放心状態だったから怒りを通り越して呆れて見限られたのだと思ったらしい。

 「いや、俺が悪かった。下野の言う通り、まずはひもなしでタイミングを合わせる練習からするか」
 「瀬川ぐん~~~なんでそんなに優しいの~~~怒ってもいいんだよ~~~むしろ怒って!」
 「ドМか。怒る必要ないだろ。下野は一生懸命やってんだから」
 「うっ、僕、瀬川くんに一生ついていくよ」
 「やめろ、おまえの人生まで背負わせんな」
 
 少し休憩しようかと、朝礼台まで移動してそこに腰かけ、他の生徒の様子を眺める。

 「ちょっと男子! ちゃんとやってよ!」

 リレーの練習をしている真中と音無。バトンの受け渡しに手間取ってバトンを落としてしまっている。さっきから何度も。同じチームの女子がイライラした様子で注意している。

 「ちゃんとやってんだけどな~」
 「なかなかうまくいかないね。俺たち、相性が悪いのかな?」
 「あー、そうかも。すんませーん、もう帰っていいっすかー?」
 「いいわけないでしょ! 成功するまで帰らせないから!」

 急に二人の顔つきが変わり、キリッと表情が引き締まったと思ったら顔を見合わせてウンと頷き合った。そして、さっきまでの動きからは想像できないような俊敏な走りでバトンを受け渡す。

 「すごーい!」
 「なんだよ、やればできんじゃねぇか」

 俺も下野も女子たちも、興奮してパチパチと拍手をおくる。

 「帰っていいんすよね?」
 
 おかげで士気が上がり自分たちもがんばろうと思った矢先、やる気を削ぐようなことを言う真中。さっきのキリッとした表情は幻だったのだろうか。

 「お先でーす」
 「おつかれさま~」

 練習に使ったバトンを女子に手渡して二人ともさっさと校舎内へ戻っていった。バトンを握りしめてわなわなと怒りに震える女子。

 「気の毒だな」
 「うん……」
 
 女子に同情しながら、下野と練習を再開した。


 練習をおえて下野と一緒に教室に戻ると、窓際の席で夕日に照らされているイケメンがいた。ただスマホをいじっているだけなのに絵になる。横から見ると鼻筋がよりいっそうキレイに映える。

 「音無くん、まっててくれたの?」
 「おつかれさま~二人と一緒に帰ろうと思って」
 「すぐ着替えるね」

 一応、更衣室はあるが別の棟にあるため行くのが面倒で男子は教室で着替えることが多い。女子はちゃんと更衣室を使っているみたいだけど。
 ジャージと体操服を脱いでいると、ふと視線を感じ、そっちに目を向けると、音無が頬杖をついてじっとこちらを見ていた。

 「なんだよ?」
 「ん? べつに~」

 ふるふると首を振り、いつも通り穏やかに笑っている。

 (男の着替えなんかみてなにが楽しいんだ? それとも違うとこ見てんのか?)

 周りを見回してみても、教室内にいるのは俺と下野と音無の三人だけで、特に変わったこともない。そうこうしているうちに、他のクラスメイトが教室に入ってきた。

 「おっ、瀬川意外といい腕してんじゃん」
 「なんかスポーツやってんの?」

 確かサッカー部の二人組。着替え途中のタンクトップ姿のせいで、いつもは制服の袖に隠れている二の腕がみえている。

 「中学までは野球やってた。今はたまに筋トレするくらい」

 二人にふにふにと二の腕を触られて少しくすぐったい。

 「早く着ないと風邪ひくよ」

 いつの間にか傍にいた音無に、ふわっとカッターシャツを肩にかけられる。

 「お、おう」

 さすが気遣いのできるイケメン。女子にもこういうことをしてあげてるんだろうか。そういえば、最近、女子と一緒にいるところを見かけないな。

 サッカー部の二人が帰っていき、俺たちも三人で学校をでた。他愛ない話をしている間に駅に着き、反対方向の下野とわかれて、ちょうど到着した電車に音無と一緒に飛び乗る。空いている席がなかったので吊革につかまり、スマホを取り出して通知を確認していると真中からラインがきていた。意味不明な文字の羅列におもわずふきだしてしまった。

 「なに? どうしたの?」
 「これ、真中からのライン」

 音無に見せると、フッと口元をゆるめる。

 「疲れて寝ぼけてたんじゃない?」
 「たぶんな」
 「……真中くんとはいつから仲いいの?」
 「中学の時から」
 「そっか。いいなぁ~真中くんがうらやましい」
 「うらやましい?」
 「真中くんは、俺が知らない中学時代の瀬川くんのこと知ってるから」

 すぐそばにいるのに、電車の走行音や車内アナウンスで音無の声が聞き取り辛い。音無の声を拾うために、口元に耳を寄せると、ぐっと距離が近づいてふわふわした音無の匂いを感じる。
 
 「そんなの、今から知っていけばいいだろ。おまえが聞きたいならいくらでも話してやるよ」
 「え? ほんと?」
 「話せる範囲でな」
 「じゃあね~恋バナ! 瀬川くんの恋バナが聞きたい!」
 「範囲外です」
 「えーなんでー!?」
 「と言うか、話せるネタがない」
 「好きな人とかいなかったの?」
 「いなかったな。恋愛に興味なかったから」

 話をしている間に最寄り駅に到着した。電車を降りると外はすっかりうす暗くなっており、東の空にぽっかりと月が浮かんでいる。ホームから改札へ歩く人の流れにのってゆっくりと足を進める。

 「瀬川くん、」

 呼びかけられ、横をみると、隣を歩いていると思っていた音無がいなくて、探すようにキョロキョロしていたら、電車を降りてすぐのところで止まっていた。

 「なんだよ、どした?」
 「俺さ、今、好きな人がいるんだけど、どうしたらいいのかわからなくて」
 「それ、俺に聞く?」
 「……あ、ごめん。こんなこと言われても困るよね」
 
 外套がぼんやりと灯る。反対側のホームにはまばらに人がいるが、こちら側にはもう俺たちしかいない。音無の元へ歩み寄り、じっと顔を覗き込む。薄暗い中でも、音無は相変わらずきれいだ。不安気に何度も瞬きをしており、その度に長いまつ毛が揺れる。

 「なんて顔してんだよ」

 俺がため息をつくと、音無はきゅっと口を引き結んだ。いつもふわふわ笑っているのに、今の音無からはそんな余裕は感じられない。

 「俺が見惚れるくらいかっこいいんだから、自信もて」

 気合を入れるつもりでバシッと背中を叩いてやったら、「ありがとう」と苦笑した。

 「国宝級の顔面もってんだから、それ活用してグイグイ押せばいいんじゃね?」
 「……適当だな~」
 「だから、恋愛経験ゼロの俺に聞くなって」
 「べつに、瀬川くんからアドバイスが聞きたいわけじゃないんだけど」
 「はぁ? なら、AIにでも相談しろよ」
 「その方がマシかもね~」
 
 改札を出る頃にはすっかりいつもの音無にもどっていて安心した。
 それにしても音無の好きな人って誰だろう。最近ずっと一緒にいるのに、全然見当がつかない。きっと俺の知らない人なんだろう。年上の美人なお姉さんとか、意外と年下の生意気な妹系かもしれない。つき合うことになったら、彼女のことを大切にするだろうから、今までみたいに一緒に過ごせないな。それはちょっと寂しいかも。


 その後、俺と下野はこつこつと毎日放課後に練習を重ね、息が合うようになり、走る速度も早くなった。リレー組の真中と音無は相変わらず適当な練習しかせず、同じチームの女子たちも呆れてしまい、練習不足のまま本番を迎えることになった。

 体育祭当日、緊張で吐きそうだという顔面蒼白な下野の背中を撫でてやりながらスタート位置にいく。足首の位置でしっかりとひもを結び、下野の肩に手を置いた。

 「大丈夫だ。練習通りやればうまくいく」
 「そ、そうだね。あれだけ練習したんだからきっと大丈夫」

 互いに励まし合って深呼吸をする。

 「位置について……よーい……」

 パァァンという合図で、俺は右足、下野は左足を踏み込んだ。

 「いちっ、にっ、いちっ、にっ、いちっーー」

 掛け声に合わせてリズムよく足を運ぶ。トラックのコーナーに差し掛かった。俺は歩幅を大きく、下野は小さくしてコーナーを曲がる。前に隣のクラスの奴らが走っている。その背中を追うように必死で足を動かした。息が苦しい。足が痛い。白いゴールテープがみえる。もうすぐだ。このままゴールしたら俺たちは2位ーー

 ガクン、と視界からゴールテープが消えて、地面に落ちていく。一瞬、なにが起きたのかわからなかった。ひもで結んでいる左足から靴が脱げて、その拍子にバランスを崩し、下野を巻き込んで転倒した。地面に倒れている間、すぐ横を走り抜ける足音が聞こえた。

 (やばっ! 早く起き上がらないと!)

 下野に声をかけてひもを解く。慌てて起き上がった下野の足と俺の足をもう一度ひもで結んで走り出し、なんとかゴールすることができた。結果は、最下位だった。

 悔しそうに涙を流す下野の背中をさすりながらクラスの観覧席へ戻る。クラスメイトはみんな口々に励ましの言葉をくれた。俺たちを非難する声はなかった。転倒したのは俺のせいなのに、自分のせいだと言う下野。申し訳ない、悔しい、情けない。いろんな感情が胸の中でぐるぐると渦巻いている。油断したら涙になってあふれてしまいそうだ。

 「トイレいってくる」

 トイレに行くふりをして席を外した。一人になって感情を落ち着けないといけない。人気(ひとけ)のない場所を探しふらふらと歩いて、辿り着いたのは体育館の裏だった。壁に背を預け、そのままずるずると腰を下ろす。下を向いたとたんにポタポタと落ちて、アスファルトに丸い染みを作っていく。声をあげないように手の平で口を覆うが、どうしても嗚咽がもれてしまう。息苦しい。

 ーーーどれくらい時間が経ったのかわからない。グラウンドから歓声が聞こえる。まだ体育祭は続いているようだ。
 涙を流したおかげで少し落ち着いた。頬に残る涙の跡を、手の甲で拭う。

 「そろそろ戻らないと……」
 「その状態で戻ったら、泣いたのバレバレだよ」
 「うわっ!? 音無!?」

 音無が隣に座っていた。いつから居たのか、全然気づかなかった。

 「びびったー。いるなら声かけろよ」
 「抱きしめてもいい?」
 「え?」

 俺の返答を待たずに、音無の腕が伸びてきて胸の中に包まれる。ふわりと香る音無のにおいと体温、ドキドキと動く心音が聞こえる。落ち着いていた心がざわざわしてまた涙腺がゆるんできた。このままだったらまた泣いてしまう。

 「……ごめっ、ちょっと、苦しいから」

 なんとか声を絞り出すと、胸の中から解放され、顔を覗き込まれる。目元をそっと親指の腹で拭ってくれた。心配そうに眉を下げて、音無も泣きそうな顔をしている。それをみて俺も、胸が締め付けられて目の淵に涙がたまっていく。

 「落ち着いたら、おいで」

 優しいささやき声に安心してぽろっと一粒、涙が落ちた。音無は眉を下げたまま優しく笑って、俺の頬にそっと触れると立ち上がり、グラウンドへ戻っていった。
 音無が行ってしまった後も、しばらく胸が痛いままで、胸に手をあててゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 「よし!」

 立ち上がってグラウンドに向かった。

 クラスの観覧席に戻ると下野が心配そうな顔で近寄ってきた。リレーが始まると言うので二人で前方へ移動する。トラックに四人の選手がスタート位置についた。

 「位置について……よーい……」

 パァァンという合図で、第一走者が走り出す。ウチのクラスは4人中3位、そのままの順位で次の走者にバトンがわたる。すぐ前の選手に追いついたものの、追い抜けず、3位のままバトンは真中にわたった。

 「真中くーん! がんばれー!」

 下野が大きな声で真中を応援する。練習中に一度だけ見せたキリッとした表情で1人を追い抜いた。ギリギリ2位でバトンはアンカーの音無へ。バトンを受け取った途端にぐんと加速して、あっという間に1位との差が埋まっていく。

 「わっ! 音無くんすごい!」

 音無の追い上げにクラスのみんなも大興奮。大きな声をだして応援している。

 「いけー! おとなしー!!」

 気がつくと俺も声をだしていた。ゴール前の直線で横に並び、ほぼ同時にゴールした。

 「え? なにあれ!? すごくない!?」
 「練習の時はもっと遅かったよね!?」

 「あの2人、あんなに早かったっけ?」
 「体育の時はだるそうにやってたのにな」

 クラスのみんながざわざわガヤガヤしている。俺と下野は顔を見合わせて苦笑い。
 審議の結果、数センチの差で2位になってしまったが、観覧席に戻ってきたリレー組は大いに讃えられた。

 「瀬川くんみてくれた? 俺の走り〜すごかったでしょ?」
 「お、おう。すごかったな」

 「練習の時から真面目にやればよかったのに」
 「脳ある鷹は爪隠すってやつだよ」
 「それは謙虚な人のことだよ。真中くんはただの怠慢でしょ」
 「なんかおまえ、俺にだけ当たりきつくない?」
 「そんなことないよ。気のせいでしょ」

 真中と下野のやり取りに顔が綻ぶ。

 「あの二人、意外と仲いいよな」

 音無に声をかけると、少し驚いたような顔をしてから、ぱぁぁと花が咲いたような明るい笑顔をみせた。

 「瀬川くんが笑ってる……よかった」

 突然、ドクンと心臓が跳ねる。なにかが胸に刺さったような痛みを感じた。

 (え……なんだこれ?)

 さっき、体育館裏で感じた痛みとはまた違う。胸が奥の方からぎゅぅぅっとつかまれたみたいになって息苦しい。心臓がドキドキして身体が熱くなっていく。

 「瀬川くん? 顔、赤いよ?」

 額に手を当てられて顔をのぞきこまれる。心臓の音が早くなり、目を合わせていられなくて下を向いた。

 「大丈夫?」

 額から、そっと音無の手を引き離す。

 「顔、洗ってくる」

 音無の顔をみれなくて、視線を下げたままで水道の方へゆっくりと向かう。歩きながら胸に手をあてて深呼吸するけど、胸の痛みはおさまらない。

 (なんだよこれ……急にどうしたんだよ……)