「おい、早くしろって!」

 体育がおわりグラウンドから校舎へ戻る途中、中庭を通りかかると男子生徒の気怠げに叫ぶ声が聞こえた。そこには数人の男子生徒が校舎の壁際に固まっていた。一人が下を向いて直立している。そいつを囲むように三人が群がっており、そのうちの二人はスマホを構えていた。

 「またやってる」

 俺の隣で様子をみていた友達の真中(まなか)が呆れたようにため息をこぼす。隣のクラスの連中だった。四人でSNSに動画を投稿してよくバズっているらしい。校内でも動画を撮影する姿を度々見かけていたが、なにやら最近揉めているらしく、ケンカがエスカレートしていじめに発展していた。

 「早くしないと次の授業始まっちゃうんですけど~」
 「お前がバズりたいっつーから手伝ってやってんのに」
 「しにてぇのかよ、クソが」

 不快だ。せっかくサッカーの試合でゴールを決めて逆転勝利をおさめたのに、良い気分が台無し。通りかかる生徒からも呆れた声がちらほら聞こえるが大抵の奴は見て見ぬふりをする。関わりたくないからだ。

 「えぇ!? やっべ! コイツ泣いてんだけど!」
 「きもっ!」

 聞くに堪えない罵詈雑言に虫唾が走る。ずっと下を向いている彼は拳を握りしめてわずかに身体を震わせていた。

 「瀬川やめとけって」

 制止する真中の声を振り切って奴らの間に割って入った。

 「あぁ!?」
 「んだよ、お前」

 「きもいのはお前らだろ」

 震えている彼の手首をつかみ、立ちはだかる三人の間を通りぬけようとしたが肩を掴まれた。

 「そいつ(かば)うんならお前が代わりに脱げ」

 「はぁ? お前らだけでやってろよ」

 掴まれた肩にぐっと力が込められる。怯まずに睨み続けていると、バタバタと教師がやってきていじめっこ達は素早く退散した。

 「余計なことすんなよ」

 つかんでいた手を振りほどかれて、涙が滲む目を鋭く俺に向けると、彼もスタスタと校舎に入っていった。

 「だからやめとけっつったのに」

 真中がまた呆れ顔で俺をみる。掴まれた肩が、じんじんと痛み始めた。

 その後、奴らがいじめている場面をみかけることはなくなった。いじめられていた彼が中学に来なくなったのだ。お前のせいだと、いじめっこのうちの一人に言われた。

 俺は本当に余計なことをしてしまったのだろうか。
 彼らの事情も何も知らず、勝手に割って入って正義感を押し付けてしまった。
 彼の人生を、めちゃくちゃにしてしまった。

 ***

 「はぁ……」

 しんと静まり返った空間にため息がこぼれた。年季の入った男子トイレの小便器は汚れも頑固で、底の方の黄ばみがなかなか取れない。さっきから洗剤をつけてこすっているけど黄ばみはずっとそこに存在している。洗剤の方が先になくなってしまいそうなので、黄ばみを落とすのは諦めた。あとは適当に床に水を撒いてトイレットペーパーを補充したらおわり。丁寧に手を洗ってからトイレを出て教室に戻ると、まだ人が居残っていた。背が高くて触り心地のよさそうなふわふわの茶髪に優しそうな顔立ちのイケメン、その隣には当たり前のように女子が居座っている。チラと目が合って微笑まれた。びっくりして軽く手を上げると、「バイバイ」と手を振られた。きれいな顔にドキドキしてしまい、慌ててカバンを手に取りそそくさと教室を出た。男にも優しいあのイケメン、モテるのも頷ける。
 
「名前、なんだっけ?」

 高校に入学してから二週間、まだクラスメイトの名前を覚えられずにいる。中学からの付き合いの真中と同じクラスになれたのはラッキーだった。クラスメイトの名前と顔が一致しない俺をこそっとフォローしてくれる。面倒くさがり屋だが優しい奴だ。いつもなら真中と一緒に帰るのに、今日は一人だ。入学して間がないのに3回も遅刻をしてしまった俺は、罰としてトイレ掃除を言い渡されてしまった。ハラスメントが問題視されている昨今、教師が生徒に罰を与えるなんて前時代的だと思う。まぁ遅刻した俺が悪いんだけど。


 職員室に寄って担任教師にトイレ掃除がおわったことを報告すると飴をくれた。いちごミルク味だ。職員室を出てからすぐに包みを開けて口に放り込む。口内に甘さがひろがってほっとする。働いた後だと特別うまい。


 学校を出てから駅に向かう途中、高架下の暗がりで高校生が高校生に絡まれていた。壁際に追い込まれて財布を出せと言われている。絡まれてる方はウチの高校の男子生徒で小柄で丸メガネの見るからに弱そうな風貌だ。絡んでる方は他校の生徒で、金髪で耳にはピアスだらけのガタイがいい強面で見るからに柄の悪い風貌だ。すれ違い様に丸メガネと目が合った。怯えていて今にも泣きだしそうだ。縋るようなSOSの視線から目をそらし早歩きで通り過ぎる。が、角を曲がったところで足を止める。踵を返し、引き返そうとした。が、再び足を止める。

 (どうせ面倒なことになるんだから関わるな!)

 (いやいや、明らかに困ってただろ! 助けに行け!)

 冷静で保守的な俺と正義感つよつよな俺が頭の中でたたかっている。

 (ばあさんを助けて遅刻してトイレ掃除させられたじゃねぇか! 正義感を発揮したってろくなことがない!)

 (ばあさんは喜んでただろ! それでいいじゃねぇか!)

 「あ~~~! もうっ! わかったよ! いくよ! いきますよ!」

 迷いを振り払うように頭をぶんぶん振り、さっきの高架下へと急いで戻る。びゅんっとものすごいスピードでなにかが横を通り過ぎて、慌てて振り返るとさっきのガラの悪い金髪ピアスが急いで逃げていくところだった。

 「あぁ? なんだあれ?」

 高架下には丸メガネと警官、野次馬がちらほらいて、警官が丸メガネに話を聞いているところだった。

 (よかった~。助かったんだな)

 安心しておもわずため息がこぼれ、踵を返し駅に向かった。


 駅に到着した電車に乗り空いていた座席に腰を下ろす。ぼんやりと車内の吊り広告を眺めていると『君たちはどう生きるか』という言葉が目に留まった。有名な監督のアニメ映画が円盤化するらしい。その発売日が記載されていた。

 (そういえばこの映画みてないな。真中がおもしろかったっつってたからみようかな~……)

 「どう生きるかってそんなの……」

 ぼそりと口から独り言がもれて恥ずかしくなってきゅっと口を引き結ぶ。周りを見ると、イヤフォンをしていたり本を読んでいたり話をしていたり、俺の独り言に気付いている人はいなかった。ふと、斜め前に吊皮を握って立っているじいさんがいた。電車が揺れる度に足元がふらふらして危なっかしい。強い揺れがきたら転んでしまうんじゃないか。心配で、見ていてハラハラしてしまう。

 (ここは席を譲るべきだろ! 人として!)

 (いやいや、年寄扱いするな! ってキレられるかも。しばらく様子を見た方がいいんじゃないか)

 次の瞬間、ガタンッと強く揺れてじいさんの身体がふわっと横に倒れた。

 (あぶないっ!!)

 じいさんを助けようと席を立とうとしたところで、どこからか長い腕が伸びてきてじいさんの身体を支えた。

 「……ふぅ~、すまんなぁ~助かった。ありがとう」
 「いえいえ。こっち座ります?」
 「おぉ~ありがとうなぁ~。どうも最近足腰が弱って……」

 (じいさんを助けて席まで譲るなんて、人格者すぎる!)

 「あっ」

 どこかでみたことあると思ったら、その人格者は教室にいたイケメンだった。またふと目が合って、ふんわりと微笑まれる。

 「うっ……」

 心臓が痛い。本日二度目。男の笑顔にドキドキさせられてしまった。不覚。まぁ、イケメンだからしかたない。


 「瀬川くん、」

 電車を降りたところで呼び止められた。振り向くとさっきのイケメンがいた。ふわふわと柔らかい笑みを浮かべている。

 「おー、おつかれ」

 並んでゆっくりとホームを歩く。俺よりも背が高く、手足も長くて小顔。スタイル抜群な上にイケメンって、コイツは前世でどんだけ徳を積んだんだろう。

 「さっきじいさん助けてたじゃん。すげぇな」
 「瀬川くんも、助けようとしてたでしょ?」
 「え?」
 「下野(しもの)くんのことも助けようとしてたよね?」
 「下野?」
 「高架下で絡まれてた子」
 「あぁー、あいつ下野っていうんだ」
 「同じクラスだよ」
 「え、そうだっけ?」
 「……もしかして、俺の名前も覚えてない?」
 「あ、いや、そんなわけ……」
 「音無(おとなし)です。音無(おとなし)理人(りひと)
 「おとなし……おとなし。うん、覚えた」
 「入学して二週間も経つのに、名前覚えてないなんて、ひどいなぁ~」
 「悪かったよ、名前覚えんの苦手だから」

 ふわふわとした空気感をまといゆっくりと言葉を発する様は、想像通りで。会話の途中で時折目が合うとやんわりと頬を緩める。やっぱりモテる男は違うな。一挙手一投足が魅力的で、空気感を自分のものにしてしまう。こいつと話してると俺まで頭の中がふわふわしてくる。

 改札をでたところで、連絡先を交換した。入学してから誰かと連絡先を交換したのは初めてだったから(真中は元々知ってる)、なんだか少し浮ついた気持ちになってしまう。

 「じゃあ、また明日ね」
 「おー」

 「あ、瀬川くん!」

 帰ろうとしたところでまた呼び止められて、振り向いた。

 「道に迷ったおばあちゃん助けて遅刻しないようにね~」
 「え、なんでそのことーー」
 「ちゃんと理由言わないと、またトイレ掃除させられるよ~」
 「いや、ばあさん助けてたから遅刻しましたって、誰が信じるんだよ」
 
 途端に音無から笑みが消えて、まっすぐに俺を見据える。

 「信じるよ。俺は信じる」
 
 「へ?……えーっと」

 音無の変わりように戸惑っていると、すぐにさっきの柔らかい笑顔にもどり、ばいばーいと手を振って去っていった。

 「……なんなんだよ、こわいし」