〇二月初めの放課後。正門前で待つ依須玖の元に、楓が駆け寄ってくる。
楓「せんぱーい!」
呼び声に気づいて振り返り、手を振ってくれる依須玖。
楓「すいません遅くなりました。今日日直で」
依須玖「大丈夫だよ。お疲れ様」
ぽん、と楓の頭を撫でてから歩き出す依須玖。楓は撫でられた場所にこっそり触れて嬉しそうに笑い、依須玖の後を追う。
楓「先輩、今日もお稽古ですか」
依須玖「そうだねえ」
楓「大変ですね」
依須玖「まあ、嫌いではないからね」
楓「そうですか」
ふふ、と口元を緩めながら、傍らの依須玖を見上げる楓。空は晴れているが、辺りにはすっかり雪が積もっている。
楓(家に押しかけた日以来、先輩はまた俺と話してくれるようになった。俺のしつこさに呆れて、諦めて付き合ってくれているだけなのかもしれないけど)
楓(転校しちゃった人の代わりに先輩が生徒会の会計をやってるのは本当。日本舞踊の稽古を再開したのも本当)
楓(だけど生徒会の仕事がない日は一緒にお昼を食べてくれるし、稽古がある日でも、こうやって待ち合わせして帰るくらいの余裕はあるみたい)
楓は頭の中で、「いいね。『雪の国』、昔から気になってた」という依須玖の言葉を思い出す。さりげなく空が晴れていることを確認し、ぎゅっ、とこっそり拳を握ってから、思い切ったように口を開く。
楓「先輩って今夜、外出れたりしますか?」
依須玖「え?」
不思議そうに首を傾げる依須玖。目を丸くして楓を見つめ返してくる。
依須玖「稽古があるから、早くても九時くらいになるけど」
楓「いいです。大丈夫です。どうしてもその、今夜がよくて……駄目、ですか?」
ドキドキしながら、上目づかいで依須玖の表情をうかがう楓。しばらく考えていた依須玖だが、ふいに手を伸ばして楓の指先に触れてくる。
依須玖「わかった。でも楓くん、手袋はちゃんとしてきてね?」
楓「!」
ぱっと頬を赤くして、弾かれたように後ずさる楓。その様子を見て、依須玖は「あはははは」と愉快そうに笑う。
楓((まったく、とむくれつつ)……そんなこんなで、からかい上手な先輩も完全復活。だけど俺は『からかい』じゃなくて――)
依須玖に合わせて歩きながらも、触れられた指先をじっと見下ろす楓。
楓(……先輩の、本当の気持ちがほしい)
*
その日の夜、二十一時。神社のある山のふもとに集合した楓と依須玖。雪の積もった石階段を指さす楓を見て、依須玖が険しい顔をする。
依須玖「上るの? 暗いし、絶対に滑るから危ないよ」
楓「すいません。境内の方に、先輩にどうしても見せたいものがあるんです」
依須玖「……僕はまあ、いいけど」
じっと楓を見返してくる依須玖。それを見た楓は、依須玖はどうやら、自分のことを心配してくれているらしいと気づく。
楓「俺も全然大丈夫です。体育の成績5なので!」
依須玖「そこ?」
依然不安そうな表情の依須玖は、おもむろに楓の肩に手を回し、ぐいと階段の方に押し出す。
依須玖「じゃあ楓くんが先行って。もし滑ったら、僕が支えるから」
楓「え。先輩細いから心配です」
依須玖「そう思うならなおさら、絶対に落ちないで」
依須玖の真剣な表情にドキッとする楓。「はい」と素直に返事をして、石階段を上り始める。
二人は慎重に階段を上り、鳥居のところまで無事たどり着く。楓はそこから依須玖の手を握り、昔依須玖とよく遊んでいた社殿の脇まで引っ張っていく。
依須玖「……!」
眼下に広がる景色を見て、息をのむ依須玖。神社のある小高い山からは、雪に覆われた双色町全体が見渡せる。
雪の白さが月の光を反射して、地上はとても明るく、キラキラと輝いている。そこにぽつぽつと民家の灯りが加わり、眩しいくらい。
楓「あれが『白い太陽』」
楓はそう言って、夜空に浮かぶ満月を指さす。
楓「あれが『海』」
今度は、高くそびえる遠くの山脈を示す楓。そんな楓の方を、依須玖が驚きに満ちた表情で振り向く。
依須玖「それって――」
楓「『雪の国』です。月が山に沈む様子って、海に沈む太陽みたいだなって。そうだったら面白いなって、俺の想像ですけど」
楓「先輩昔、言ってましたよね? 『行ってみたい』って」
じっと依須玖の顔を見つめる楓。依須玖は一瞬目を見開いて驚くが、もう誤魔化したりはしない。
楓「言い伝えって、実際に誰かが体験した神秘的な出来事や景色が元になってることが多いですよね。それでふと思ったんです。この町に伝わる『雪の国』も、もしかしたら実在するのかもしれないって――現に、俺が信じ込んでた『雪童子』の正体は先輩だったんだし」
きちんと手袋をはめた手で、依須玖のコートの裾をきゅ、と握る楓。
楓「ずっと聞きたかったんです。先輩、俺と昔会ったことがあるって、どうしてあんなに隠してたんですか? もしかして……(うつむいて少しためらった後、泣きそうな顔で依須玖を見上げて)俺のこと、嫌いだから、ですか?」
心底驚いた様子の依須玖。しばらくその場で固まってしまうが、やがて首を左右に振り、「そんなわけないよ」と言って楓の方に腕を伸ばす。
楓「(そのまま抱きしめられて)!」
依須玖「ほんとにそれ、全然違う。誤解すぎる」
楓「でもっ」
依須玖「僕はただ単純に、楓くんをがっかりさせたくなかったんだ。僕が昔ついたちっちゃな嘘を、君はすっかり信じてるみたいだったから――夢を壊したくなかった。だけど結局、上手く隠せなくて……バレるのが怖くて、逃げた」
依須玖「僕が楓くんのこと嫌いだなんて絶対にない。そんな勘違いさせてごめん。昔も今も、僕は君のことが大事だよ」
依須玖の言葉に、依須玖の胸に顔を埋めたまま目を潤ませる楓。
一方依須玖は、抱き込んだ楓の頭を撫でながら、楓と再会した時のことを思い出している――学校の外周で、掃除のためにホウキを持った楓が、はらはらと散る落ち葉を見上げている。
依須玖(転校してきた時から、同じ学校にいることは知っていた。時々目で追っている自分がいることにも気づいていた)
依須玖(でもあの日、初めて足を止めて見惚れてしまった)
風に舞う葉っぱの動きが面白いのか、木々を見上げる楓の横顔はとても楽しそう。無邪気なその表情に、依須玖はすっかり視線を奪われてしまっている。
依須玖(少し反った喉元があの日のままだった。あの頃の、雪を見上げる彼の、僕の大好きだった横顔がそこにはあった)
楓「(ぐす、と鼻をすすりながら)なんですかそれ。先輩、わかりづらすぎます」
依須玖「ごめん。まっすぐに誰かと向き合うの、本当に苦手なんだ」
楓「そんなのはもう、とっくに察してましたけど……」
二人はどちらからともなく身を離す。楓は依須玖の手をとって顔を上げ、なにか言いたげな表情をする。
楓「あの、先輩」
依須玖「なに」
楓「もう一個、伝えたいことがあるんですけど」
依須玖「うん?」
楓「でもその……俺今、すごく不安で」
目の縁に涙をためたまま、楓は依須玖を見上げる。
楓「だから、先に聞かせてください。俺がなにを言っても、あなたは俺のそばから消えませんか……?」
息を抜くようにして笑った後、「もちろん」と応える依須玖。その笑顔を見て安心した楓は、今度は別の緊張で胸をドキドキさせながら依須玖を見上げる。
楓「じゃあ言いますね」
依須玖「うん」
楓「(すうっと息を深く吸ってから)俺、細先輩が好きです。すごく、すごく好きです。寂しい時は真っ先に俺のところに来てほしい。先輩が辛い時も、悲しい時も、いつでも先輩のそばにいれるような人間になりたい」
楓「だから細先輩、俺と付き合ってください……!」
最後まで言い切った楓は、ぎゅっと目をつむって依須玖の返事を待つ。
そんな楓の頬に手を伸ばした依須玖は、そのままぐいと引き寄せて楓の唇にキスをする。
楓「! ふ……ん、んん――ひゃっ、」
舌を入れて、さらに深く口づける依須玖。しばらくキスを続け、楓の息が続かなくなった頃にようやく唇を離す。
楓「(真っ赤になって後ずさりしながら)なっ、急になにを……!」
依須玖「いいの?」
楓「へ?」
依須玖「僕、多分わりと重いよ。今でさえけっこう、楓くん以外どうでもいいし。付き合ったらどうなるか自分でもわかんない」
驚いて目を見開く楓。しかしじわじわと喜びに口元が緩んで、最終的には両手の拳を握って「大丈夫です!」と答える。
楓「先輩は重いくらいがちょうどいいです。どんと来いって感じで!」
楓の言葉に、大きく吹き出す依須玖。ツボに入ったのか、その場で腹を抱えてくつくつと笑い始める。
楓「あ、ちょっと! そんなに笑うことないじゃないですか、人が真剣に答えたのに!」
依須玖「いやだって、ねえ。この流れでそんな、ムードのかけらもない……」
楓「悪かったですね! 色気がなくて!」
しきりに笑う依須玖とぎゃんぎゃん騒ぐ楓。澄んだ冬の夜空には、そんな二人を見守るように満月が輝いている。
*
◯そして二月十三日(※バレンタイン前日の金曜日)、帰りのホームルーム終わりの教室。
明良「かーえーで!」
席替えをして廊下側の席になった明良が、窓際一番前の席で帰る準備をしている楓に話しかけてくる。
楓「なんだよ、にやにやして」
明良「来てるぞ、お客さん」
楓「え」
明良が廊下の方を指さすので顔を向けると、恥ずかしそうにこちらの様子をうかがう女子生徒が立っている。
明良「なんかモテ期なんじゃねーの? いってら〜」
ひらひらっと手を振って自分の席に戻り、荷物をさっさとまとめて立ち去ってしまう明良。それをなす術もなく見送った楓は、廊下に立つ女子生徒と目が合って、とりあえず小さく頭を下げる。
楓(くっそ、明良のやつ。俺が細先輩と付き合ってるの知ってるくせに……!)
仕方なく女子生徒の元へ向かい、体育館裏まで連れていかれる楓。女子生徒の手には明らかに本命チョコとわかる感じの、小さな手提げがある。
女子生徒「烏丸くん、好きです! 合同授業の時とかに見かけて、ずっと気になってました。私と付き合ってください!」
がばっと頭を下げて、女子生徒は手提げを楓に向かって突き出す。その勢いに気圧されつつ、あわあわと顔の前で両手を動かす楓。
楓「ごめん、実は俺、もう付き合ってる人が――」
依須玖「なにしてるの、楓くん」
楓「!」
突然背後から肩を組まれて驚く楓。振り向けば、にっこりと笑った依須玖と目が合う。しかし依須玖の目の奥は全然笑っていないため、楓は(ひっ!)と内心恐怖する。
楓「せ、先輩。なんでここに?」
依須玖「楓くん、来るの遅いなーって思って。なに、呼び出し? 告白?」
楓「ちょっっっと!」
デリカシーのない発言に楓は焦るが、依須玖は全然気にしない。ぽかんと口を開けて呆然とする女子生徒にすっと視線を向け、突然腕を伸ばして、彼女のボブヘアーを片方だけ耳にかけてやる。
依須玖「(優しく笑って)こうした方が、もっと可愛いよ」
女子生徒「!!!!!」
女子生徒は顔を真っ赤にして依須玖を見上げる。目が完全にハートになっていて、依須玖に心を奪われていることが丸わかり。
依須玖「(当たり前のように楓の肩に腕を乗せて)さあ楓くん、帰ろうか。荷物大丈夫? 持とうか?」
楓「……大丈夫です。ってか先輩の方が荷物やばいじゃないですか(ドン引きの顔)」
女子生徒に背を向けて歩き始める二人。よくよく見れば、依須玖は普段使っているスクールバッグの他に紙袋を三つ持っていて、その全てにパンパンにチョコが詰まっている。
依須玖「義理だよ義理」
楓「(ひときわ豪華な包装のやつを指さして)いやこれとか、絶対本命……」
依須玖「関係ないよ。僕が好きなのは楓くんだけだもん」
そう答えた依須玖は、楓を見下ろしてにっと笑う。
依須玖「それともなに、やきもち?」
楓「!」
楓(くっ、顔がいい……!)
ぐぬぬぬ、となる楓の髪を軽くさらい、依須玖は楽しそうにしている。
楓「やっ、やきもちっていうか、心配になります。さっきみたいなのとか」
依須玖「さっき?」
楓「さっきのその、わざと惚れさせる、みたいなやつです。いつか刺されるんじゃないかと……」
楓は青い顔をして、深刻な表情。それを見た依須玖が「大丈夫だよ」と答える。
依須玖「僕は楓くんのことが大好きだから、楓くんのそばにいれなくなるようなことはしないよ」
楓「……ほんとです?」
依須玖「もちろん」
ふと目と目が合って、どちらからともなく触れるだけのキスをする二人。唇が離れると、楓はすぐにぱーっと顔を赤くしてうつむく。
依須玖「あはは、どうしたの?」
楓「いや、その」
依須玖「うん?」
楓「……冬って、意外とあったかかったんだなあって思って」
楓の言葉に、ぱっと目を見開く依須玖。珍しく少しだけ頬を赤くして、心の底からの優しい顔で笑う。
依須玖「うん。知ってた」
〈『細先輩はつかめない』 了〉
楓「せんぱーい!」
呼び声に気づいて振り返り、手を振ってくれる依須玖。
楓「すいません遅くなりました。今日日直で」
依須玖「大丈夫だよ。お疲れ様」
ぽん、と楓の頭を撫でてから歩き出す依須玖。楓は撫でられた場所にこっそり触れて嬉しそうに笑い、依須玖の後を追う。
楓「先輩、今日もお稽古ですか」
依須玖「そうだねえ」
楓「大変ですね」
依須玖「まあ、嫌いではないからね」
楓「そうですか」
ふふ、と口元を緩めながら、傍らの依須玖を見上げる楓。空は晴れているが、辺りにはすっかり雪が積もっている。
楓(家に押しかけた日以来、先輩はまた俺と話してくれるようになった。俺のしつこさに呆れて、諦めて付き合ってくれているだけなのかもしれないけど)
楓(転校しちゃった人の代わりに先輩が生徒会の会計をやってるのは本当。日本舞踊の稽古を再開したのも本当)
楓(だけど生徒会の仕事がない日は一緒にお昼を食べてくれるし、稽古がある日でも、こうやって待ち合わせして帰るくらいの余裕はあるみたい)
楓は頭の中で、「いいね。『雪の国』、昔から気になってた」という依須玖の言葉を思い出す。さりげなく空が晴れていることを確認し、ぎゅっ、とこっそり拳を握ってから、思い切ったように口を開く。
楓「先輩って今夜、外出れたりしますか?」
依須玖「え?」
不思議そうに首を傾げる依須玖。目を丸くして楓を見つめ返してくる。
依須玖「稽古があるから、早くても九時くらいになるけど」
楓「いいです。大丈夫です。どうしてもその、今夜がよくて……駄目、ですか?」
ドキドキしながら、上目づかいで依須玖の表情をうかがう楓。しばらく考えていた依須玖だが、ふいに手を伸ばして楓の指先に触れてくる。
依須玖「わかった。でも楓くん、手袋はちゃんとしてきてね?」
楓「!」
ぱっと頬を赤くして、弾かれたように後ずさる楓。その様子を見て、依須玖は「あはははは」と愉快そうに笑う。
楓((まったく、とむくれつつ)……そんなこんなで、からかい上手な先輩も完全復活。だけど俺は『からかい』じゃなくて――)
依須玖に合わせて歩きながらも、触れられた指先をじっと見下ろす楓。
楓(……先輩の、本当の気持ちがほしい)
*
その日の夜、二十一時。神社のある山のふもとに集合した楓と依須玖。雪の積もった石階段を指さす楓を見て、依須玖が険しい顔をする。
依須玖「上るの? 暗いし、絶対に滑るから危ないよ」
楓「すいません。境内の方に、先輩にどうしても見せたいものがあるんです」
依須玖「……僕はまあ、いいけど」
じっと楓を見返してくる依須玖。それを見た楓は、依須玖はどうやら、自分のことを心配してくれているらしいと気づく。
楓「俺も全然大丈夫です。体育の成績5なので!」
依須玖「そこ?」
依然不安そうな表情の依須玖は、おもむろに楓の肩に手を回し、ぐいと階段の方に押し出す。
依須玖「じゃあ楓くんが先行って。もし滑ったら、僕が支えるから」
楓「え。先輩細いから心配です」
依須玖「そう思うならなおさら、絶対に落ちないで」
依須玖の真剣な表情にドキッとする楓。「はい」と素直に返事をして、石階段を上り始める。
二人は慎重に階段を上り、鳥居のところまで無事たどり着く。楓はそこから依須玖の手を握り、昔依須玖とよく遊んでいた社殿の脇まで引っ張っていく。
依須玖「……!」
眼下に広がる景色を見て、息をのむ依須玖。神社のある小高い山からは、雪に覆われた双色町全体が見渡せる。
雪の白さが月の光を反射して、地上はとても明るく、キラキラと輝いている。そこにぽつぽつと民家の灯りが加わり、眩しいくらい。
楓「あれが『白い太陽』」
楓はそう言って、夜空に浮かぶ満月を指さす。
楓「あれが『海』」
今度は、高くそびえる遠くの山脈を示す楓。そんな楓の方を、依須玖が驚きに満ちた表情で振り向く。
依須玖「それって――」
楓「『雪の国』です。月が山に沈む様子って、海に沈む太陽みたいだなって。そうだったら面白いなって、俺の想像ですけど」
楓「先輩昔、言ってましたよね? 『行ってみたい』って」
じっと依須玖の顔を見つめる楓。依須玖は一瞬目を見開いて驚くが、もう誤魔化したりはしない。
楓「言い伝えって、実際に誰かが体験した神秘的な出来事や景色が元になってることが多いですよね。それでふと思ったんです。この町に伝わる『雪の国』も、もしかしたら実在するのかもしれないって――現に、俺が信じ込んでた『雪童子』の正体は先輩だったんだし」
きちんと手袋をはめた手で、依須玖のコートの裾をきゅ、と握る楓。
楓「ずっと聞きたかったんです。先輩、俺と昔会ったことがあるって、どうしてあんなに隠してたんですか? もしかして……(うつむいて少しためらった後、泣きそうな顔で依須玖を見上げて)俺のこと、嫌いだから、ですか?」
心底驚いた様子の依須玖。しばらくその場で固まってしまうが、やがて首を左右に振り、「そんなわけないよ」と言って楓の方に腕を伸ばす。
楓「(そのまま抱きしめられて)!」
依須玖「ほんとにそれ、全然違う。誤解すぎる」
楓「でもっ」
依須玖「僕はただ単純に、楓くんをがっかりさせたくなかったんだ。僕が昔ついたちっちゃな嘘を、君はすっかり信じてるみたいだったから――夢を壊したくなかった。だけど結局、上手く隠せなくて……バレるのが怖くて、逃げた」
依須玖「僕が楓くんのこと嫌いだなんて絶対にない。そんな勘違いさせてごめん。昔も今も、僕は君のことが大事だよ」
依須玖の言葉に、依須玖の胸に顔を埋めたまま目を潤ませる楓。
一方依須玖は、抱き込んだ楓の頭を撫でながら、楓と再会した時のことを思い出している――学校の外周で、掃除のためにホウキを持った楓が、はらはらと散る落ち葉を見上げている。
依須玖(転校してきた時から、同じ学校にいることは知っていた。時々目で追っている自分がいることにも気づいていた)
依須玖(でもあの日、初めて足を止めて見惚れてしまった)
風に舞う葉っぱの動きが面白いのか、木々を見上げる楓の横顔はとても楽しそう。無邪気なその表情に、依須玖はすっかり視線を奪われてしまっている。
依須玖(少し反った喉元があの日のままだった。あの頃の、雪を見上げる彼の、僕の大好きだった横顔がそこにはあった)
楓「(ぐす、と鼻をすすりながら)なんですかそれ。先輩、わかりづらすぎます」
依須玖「ごめん。まっすぐに誰かと向き合うの、本当に苦手なんだ」
楓「そんなのはもう、とっくに察してましたけど……」
二人はどちらからともなく身を離す。楓は依須玖の手をとって顔を上げ、なにか言いたげな表情をする。
楓「あの、先輩」
依須玖「なに」
楓「もう一個、伝えたいことがあるんですけど」
依須玖「うん?」
楓「でもその……俺今、すごく不安で」
目の縁に涙をためたまま、楓は依須玖を見上げる。
楓「だから、先に聞かせてください。俺がなにを言っても、あなたは俺のそばから消えませんか……?」
息を抜くようにして笑った後、「もちろん」と応える依須玖。その笑顔を見て安心した楓は、今度は別の緊張で胸をドキドキさせながら依須玖を見上げる。
楓「じゃあ言いますね」
依須玖「うん」
楓「(すうっと息を深く吸ってから)俺、細先輩が好きです。すごく、すごく好きです。寂しい時は真っ先に俺のところに来てほしい。先輩が辛い時も、悲しい時も、いつでも先輩のそばにいれるような人間になりたい」
楓「だから細先輩、俺と付き合ってください……!」
最後まで言い切った楓は、ぎゅっと目をつむって依須玖の返事を待つ。
そんな楓の頬に手を伸ばした依須玖は、そのままぐいと引き寄せて楓の唇にキスをする。
楓「! ふ……ん、んん――ひゃっ、」
舌を入れて、さらに深く口づける依須玖。しばらくキスを続け、楓の息が続かなくなった頃にようやく唇を離す。
楓「(真っ赤になって後ずさりしながら)なっ、急になにを……!」
依須玖「いいの?」
楓「へ?」
依須玖「僕、多分わりと重いよ。今でさえけっこう、楓くん以外どうでもいいし。付き合ったらどうなるか自分でもわかんない」
驚いて目を見開く楓。しかしじわじわと喜びに口元が緩んで、最終的には両手の拳を握って「大丈夫です!」と答える。
楓「先輩は重いくらいがちょうどいいです。どんと来いって感じで!」
楓の言葉に、大きく吹き出す依須玖。ツボに入ったのか、その場で腹を抱えてくつくつと笑い始める。
楓「あ、ちょっと! そんなに笑うことないじゃないですか、人が真剣に答えたのに!」
依須玖「いやだって、ねえ。この流れでそんな、ムードのかけらもない……」
楓「悪かったですね! 色気がなくて!」
しきりに笑う依須玖とぎゃんぎゃん騒ぐ楓。澄んだ冬の夜空には、そんな二人を見守るように満月が輝いている。
*
◯そして二月十三日(※バレンタイン前日の金曜日)、帰りのホームルーム終わりの教室。
明良「かーえーで!」
席替えをして廊下側の席になった明良が、窓際一番前の席で帰る準備をしている楓に話しかけてくる。
楓「なんだよ、にやにやして」
明良「来てるぞ、お客さん」
楓「え」
明良が廊下の方を指さすので顔を向けると、恥ずかしそうにこちらの様子をうかがう女子生徒が立っている。
明良「なんかモテ期なんじゃねーの? いってら〜」
ひらひらっと手を振って自分の席に戻り、荷物をさっさとまとめて立ち去ってしまう明良。それをなす術もなく見送った楓は、廊下に立つ女子生徒と目が合って、とりあえず小さく頭を下げる。
楓(くっそ、明良のやつ。俺が細先輩と付き合ってるの知ってるくせに……!)
仕方なく女子生徒の元へ向かい、体育館裏まで連れていかれる楓。女子生徒の手には明らかに本命チョコとわかる感じの、小さな手提げがある。
女子生徒「烏丸くん、好きです! 合同授業の時とかに見かけて、ずっと気になってました。私と付き合ってください!」
がばっと頭を下げて、女子生徒は手提げを楓に向かって突き出す。その勢いに気圧されつつ、あわあわと顔の前で両手を動かす楓。
楓「ごめん、実は俺、もう付き合ってる人が――」
依須玖「なにしてるの、楓くん」
楓「!」
突然背後から肩を組まれて驚く楓。振り向けば、にっこりと笑った依須玖と目が合う。しかし依須玖の目の奥は全然笑っていないため、楓は(ひっ!)と内心恐怖する。
楓「せ、先輩。なんでここに?」
依須玖「楓くん、来るの遅いなーって思って。なに、呼び出し? 告白?」
楓「ちょっっっと!」
デリカシーのない発言に楓は焦るが、依須玖は全然気にしない。ぽかんと口を開けて呆然とする女子生徒にすっと視線を向け、突然腕を伸ばして、彼女のボブヘアーを片方だけ耳にかけてやる。
依須玖「(優しく笑って)こうした方が、もっと可愛いよ」
女子生徒「!!!!!」
女子生徒は顔を真っ赤にして依須玖を見上げる。目が完全にハートになっていて、依須玖に心を奪われていることが丸わかり。
依須玖「(当たり前のように楓の肩に腕を乗せて)さあ楓くん、帰ろうか。荷物大丈夫? 持とうか?」
楓「……大丈夫です。ってか先輩の方が荷物やばいじゃないですか(ドン引きの顔)」
女子生徒に背を向けて歩き始める二人。よくよく見れば、依須玖は普段使っているスクールバッグの他に紙袋を三つ持っていて、その全てにパンパンにチョコが詰まっている。
依須玖「義理だよ義理」
楓「(ひときわ豪華な包装のやつを指さして)いやこれとか、絶対本命……」
依須玖「関係ないよ。僕が好きなのは楓くんだけだもん」
そう答えた依須玖は、楓を見下ろしてにっと笑う。
依須玖「それともなに、やきもち?」
楓「!」
楓(くっ、顔がいい……!)
ぐぬぬぬ、となる楓の髪を軽くさらい、依須玖は楽しそうにしている。
楓「やっ、やきもちっていうか、心配になります。さっきみたいなのとか」
依須玖「さっき?」
楓「さっきのその、わざと惚れさせる、みたいなやつです。いつか刺されるんじゃないかと……」
楓は青い顔をして、深刻な表情。それを見た依須玖が「大丈夫だよ」と答える。
依須玖「僕は楓くんのことが大好きだから、楓くんのそばにいれなくなるようなことはしないよ」
楓「……ほんとです?」
依須玖「もちろん」
ふと目と目が合って、どちらからともなく触れるだけのキスをする二人。唇が離れると、楓はすぐにぱーっと顔を赤くしてうつむく。
依須玖「あはは、どうしたの?」
楓「いや、その」
依須玖「うん?」
楓「……冬って、意外とあったかかったんだなあって思って」
楓の言葉に、ぱっと目を見開く依須玖。珍しく少しだけ頬を赤くして、心の底からの優しい顔で笑う。
依須玖「うん。知ってた」
〈『細先輩はつかめない』 了〉


