◯年明け一月二日の昼、楓の家の居間。楓はコタツに入り、天板に片頬をべっとりくっつけて魂が抜けたような顔をしている。
母「(ガーガー掃除機をかけながら)ちょっとー、あんたまだそこにいるのー? もう昼過ぎだけどー?」
母「新年早々辛気臭い顔でダラダラダラダラ、明良くんとは遊ばなくていいわけ? あとそこ邪魔。掃除機かけたいの」
母「楓、聞いてる? 邪魔なの。じゃーま。楓!」
しびれを切らした母親に耳を引っ張られて「いでででででっ」と悲鳴をあげる楓。
楓「いったいな、なにすんだよ!」
母「なにすんだよじゃないわよ! 宿題もしないでダラけてるくらいなら、初詣にでも行ってきなさい!」
楓の母は惰性でついていたテレビをプチン! と消して、楓の首根っこを掴んで玄関から放り出す。とたんに北風が吹きつけて、「寒!!!!」と青ざめる楓。
楓(くっそ、母さんのやつ……! 正月くらい好きに過ごさせてくれよ)
はあ、とため息をついて、着替えるために一度家の中に戻る楓。自室の襖を開けて、部屋着のジャージから外用のジーンズとタートルネックに着替え、パーカー、ダッフルコートを重ねる。
楓(あ……)
ふいに、勉強机の上で楓の視線が止まる。そこには、十二月の祭りの時に持ってきてしまった依須玖の手袋が置いてある。
楓(勢いで持ってきちゃって、タイミングなくて返せないままなんだよな)
しゅん、と落ち込んだ顔でうつむく楓。一度は手袋から目を逸らすが、少し考えてから、やっぱりと思い直して手袋を掴み、コートのポケットに突っ込む。
楓(神社でたまたま会うかもしれないし。もし見かけたら、そのまま声かけて返しちゃおう。それで――)
楓(それで、無事に返せたら、先輩に関わるのはもうやめよう)
自分で考えておきながら、ズキっと胸が痛む楓。しかしすぐに頭を左右に振って、振り切るようにバタバタと自室を出ていく。
*
〇神社にたどり着いた楓。一月二日だが、まだ初詣をする人がいるので境内はそれなりに賑やか。拝殿で手を合わせて戻る際、社務所の前を通ると、楓に気づいた猪瀬が近づいてきて声をかけてくれる。
猪瀬「楓くん」
楓「あ、どうも。明けましておめでとうございます」
猪瀬「おめでとう。ねえ、あの後依須玖くんとは、ちゃんと仲直りできた?」
楓「え……。俺、先輩と喧嘩したなんてひと言も」
猪瀬「あんな切羽詰まった顔されたら誰だって察するわよ。それに急に帰っちゃうし」
楓「……」
うつむいて沈黙する楓。少し迷うが、やがてためらいがちに口を開く。
楓「俺、先輩に嫌われてるんじゃないかと思ってて」
猪瀬「え?」
楓「小さい頃の俺、先輩のこと――当時は雪童子だって思ってましたけど、人に話しちゃったんです。しかもそれ、多分先輩のおばあちゃんと家政婦さんで。『誰にも言わないで』って言われてたのに」
猪瀬「(悲しそうに眉を下げて)そうなの。でもそんな小さい時のこと、依須玖くんは気にするような子でもないと思うけど」
楓「……それは俺も、そうかもな、とは思うんですが」
楓(だけどもし、先輩が俺のことを嫌いなんだとしたら、全部つじつまが合うんだ。先輩がやたら親しげに近づいてきたことも、急に距離を置かれたことも)
楓(だって俺は、今すごく悲しい。寂しいし、傷ついてる。先輩の嘘が「相手を傷つけるための嘘」だとしたら大成功だ。あんな風に拒絶されたって、俺はまだ――先輩のことが、好きなんだから)
ポケットの中の手袋を握りしめる楓。そんな楓に向かって、猪瀬が困り顔のまま口を開く。
猪瀬「依須玖くんね、楓くんと話す時、すごく嬉しそうだった」
楓「……昔の話ですよ」
猪瀬「ううん。十二月にここで会った時もそう。楓くん見た瞬間にぱあって目の奥が輝いて――依須玖くんってほら、普段からけっこう何考えてるかわからないでしょう。私昔から心配だったの。だから楓くん、ちゃんと話して、ちゃんと仲直りしてね」
そこまで話したところで、若い巫女が猪瀬を呼びにくる。「またいつでも来てちょうだい」と微笑んで、去っていく猪瀬。
猪瀬に向かってぺこりと頭を下げつつ、依然浮かない顔の楓は、今度こそ帰ろうと石階段に向かう。
しかし境内からの降り口付近で、上ってきた集団の中に依須玖と依須玖の祖母を発見する。
依須玖は階段を上る祖母の腰を支えつつ、張りつけたような笑顔で彼女に話しかけている。しかし依須玖の祖母はニコリとも笑わず、見た目は上品だが厳しさがひしひしと伝わってくる感じ。そのオーラにすっかり気圧されて、楓は手袋のことなどすっかり忘れて固まってしまう。
楓(前に細先輩の家に行った時は、具合が悪いって顔を見せなかったけど――あれが、細先輩のおばあちゃん……?)
予想以上の威圧感に戸惑う楓。視線をさまよわせながらうつむき、拳をきゅっと握る。
脳裏に浮かぶのは、今まで依須玖が自分に見せてくれた様々な表情(心からの笑顔や呆れ顔、頬をビンタした時の目をまん丸くした顔など)。
楓(――信じるのは、怖い。裏切られるのは辛いから。なにかを伝えるのは怖い。間違った選択をしたら、あの人はまた俺の前から消えてしまうかもしれないから)
楓(でも……)
先ほどすれ違った時の依須玖の顔を思い出して、ごくりと唾を飲み込む楓。
*
〇冬休み明けの学校、昼休み。手に白無地の封筒を持ち、少し頬を赤くしつつ、意を決した顔で廊下を突き進む楓。
楓「失礼します! あの!」
楓が勢いよく扉を開けたのは、依須玖のクラス。思い切って声を発した楓に、クラス中の視線が刺さる。
楓((かーっと頬を赤くして)う……! いや駄目だ、めげるな俺)
楓「あの、細先輩いますか。いなかったらこれ、渡してほしいんですけど」
手に持った封筒を掲げて楓が言うと、少しの間の後、教室の真ん中辺りでたむろしていた男女グループが応えてくれる。
男子「細なら、今日は熱で休みだぞ。けっこう出てるってメッセで言ってたから、しばらく来ないと思う」
楓「え」
女子「君一年だよね。名前はー? 細が来てからでよければ全然渡すけど」
楓「あ、ええっと……じゃあ大丈夫です。お騒がせしました……!」
楓(マジかー!)
そそくさと立ち去る楓。今日絶対に話すつもりでいたので、肩透かしを食らったような気持ち。
楓(どうしよう、予想外すぎて咄嗟に断っちゃった。……ってか先輩って熱出すんだ)
廊下の隅で立ち止まり、うつむいて、考え込むような表情をする楓。
楓(大丈夫、かな?)
*
◯その日の放課後、細家の前。立派な門扉を楓が見上げている。
楓(結局来てしまった……!!!)
楓はマスクをしっかりつけ、両手には大きいコンビニの袋(スポーツドリンクとかゼリーとか風邪薬とかプリンとかが大量に入っている)を持っている。
楓(だって、だって!! あの細先輩が熱って!! なんか意外すぎて!!!)
緊張のあまり、きょろきょろと意味もなく周囲に視線を走らせてしまう楓。心臓はずっとドキドキしっぱなしで、明らかに不審。
家政婦「あのー、なにかご用事でしょうか?」
楓「ひゃい?!」
横から声をかけられて、肩を大きく震わせる楓。声のした方に顔を向ければ、買い物袋を持った女性(細家の家政婦)が怪訝そうな表情で楓を見ている。
楓「あ、ああああえっと、俺、細先輩……依須玖さんに話したいことがあって」
家政婦「依須玖坊ちゃんならお熱で、今日は学校も休んでらっしゃいます」
楓「ええ、それでその、お見舞いも兼ねて」
ガサガサっと音をたてながら、手に持っているコンビニ袋を持ち上げてみせる楓。中身が入りすぎてパンパンに膨らんでいる様子を見て、家政婦は苦笑いをする。
家政婦「依須玖坊ちゃんに聞いてみます。お名前は?」
楓「楓です。烏丸楓」
家政婦「楓さんですね。承知いたしました」
ソワソワしながら待つ楓。やがて家政婦が戻ってきて、「ご案内しますね」と門を開け、依須玖の部屋まで案内してくれる。
楓「し、失礼します」
長い廊下を歩いて依須玖の部屋にたどり着いた楓は、家政婦に礼を言ってから、おずおずと依須玖の部屋の襖を開ける。しかし中には誰もおらず、戸惑っていると、隣の寝室から「こっち」と呼ばれる。
依須玖「体が辛いから寝てる。でも楓くんは、こっちの部屋には入ってきちゃ駄目だよ。あんまり近づくとうつる」
依須玖の部屋に入って、寝室との境の襖を開ける楓。寝室の中央には布団が敷いてあって、依須玖はその上で、上半身だけを起こしてこちらを見ている。
依須玖「なにしにきたの。すごい荷物だって聞いたから、とりあえず通したけど」
楓「あ、俺、先輩のお見舞いにと思って……大丈夫、ですか」
依須玖「大丈夫だよ。冬になると毎年、一回はやるんだ。二、三日寝れば治る」
言ったそばからごほごほと咳き込む依須玖。心配になって、楓は腰を浮かせて駆け寄ろうとする。
依須玖「駄目だよ楓くん。そっちにいなさい」
楓「いっ……、嫌です」
依須玖「どうして。ほんと、うつるよ」
楓「むしろうつして、早くよくなってください」
依須玖の制止を聞かず、無理やり寝室の方に入る楓。依須玖は戸惑いつつ、嬉しくないわけでもない、みたいな顔で目を逸らす。
依須玖「(ぼそっとつぶやくように)君にはほんと、敵わないよ」
楓「? なにか言いましたか?」
依須玖「いやなにも。で、なにを買ってきてくれたの?」
依須玖は「仕方ないなあ」といった表情で、楓の両脇にあるコンビニの袋を指さす。
楓「え? ああえっと、スポーツドリンクと、ゼリーと、プリンと、念のため風邪薬とホットアイマスクと……(どんどん袋から商品を出して、依須玖の布団の横に並べていく)」
依須玖「(ふっと勢いよく吹き出して)楓くん、買いすぎ」
楓「な……! だって俺、ほんとに心配で……!」
真っ赤になって弁解しようとする楓。しかし依須玖の顔に浮かんでいる笑みに気づいて、目を見開く。
楓「(意を決して)あの――っ」
依須玖「楓くん、なにか話してよ」
楓「え?」
依須玖はもぞもぞと掛け布団に潜り込み、仰向けに寝て、楓の方に片腕を投げ出す。
依須玖「楓くんの好きな、不思議な言い伝えの話。なんでもいいから久しぶりに聞きたいんだけど」
投げ出した手の指先で、正座で座る楓の膝にちょん、と触れる依須玖。
嬉しくなった楓は勢いよく顔を上げる。目が合うと、依須玖は寝転がったまま微笑み返してくれる。
楓「じゃ、じゃあ、俺が一番好きな『雪の国』の話を――」
言いかけたところで、一度言葉を切る楓。「雪の国」は雪童子が住んでいるとされる場所の言い伝え。つい依須玖の反応をうかがってしまうが、依須玖は特に気にする様子もなく、穏やかな顔で目をつむっている。
依須玖「いいね。『雪の国』、昔から気になってた」
楓「……!」
知らないフリをされなかったことに驚きつつ、喜びを隠せない楓。前のめりになりながら「雪の国」の話をする。
楓「『雪の国』は雪童子や雪女がすんでいる国として、双色町に伝わる話です。昔、吹雪の夜に雪女と遭遇した男が、その女の後をついていくと――」
楓はそのまま、依須玖の隣で様々な民話の話をする。しばらく夢中になって話すが、途中でふと気づいて依須玖の顔を見ると、すーっと静かに寝息をたてて眠っている。
楓((ふっと笑って)……相変わらず綺麗だなあ)
自分の方に投げ出された依須玖の手をこっそりと握り、依須玖の寝顔を見つめた楓は、静かに立ち上がって寝室を後にする。
そのまま隣の依須玖の部屋を通った時、机の上に、以前泊まった時にはなかった折り紙が一つ飾ってあることに気づく。
楓(え、これって――)
それは、幼い頃楓が依須玖にあげた折り紙。そのことに楓も気づき、昔のやり取りを思い出す。
楓「(幼い依須玖に折り紙を差し出しながら)君と同じ『ゆきわらし』。雪の国に住んでるんだよ」
楓「『雪の国』はね、真っ白で明るくて、遠くの海に白い太陽が沈むんだよ。すごく寒いけど、キラキラでとっても綺麗なんだって!」
その会話をした時、幼い依須玖がとても優しい笑顔をしていたことにも気づいて、はっとする楓。胸をいっぱいにさせながら、依須玖の部屋を去る。
【続く】
母「(ガーガー掃除機をかけながら)ちょっとー、あんたまだそこにいるのー? もう昼過ぎだけどー?」
母「新年早々辛気臭い顔でダラダラダラダラ、明良くんとは遊ばなくていいわけ? あとそこ邪魔。掃除機かけたいの」
母「楓、聞いてる? 邪魔なの。じゃーま。楓!」
しびれを切らした母親に耳を引っ張られて「いでででででっ」と悲鳴をあげる楓。
楓「いったいな、なにすんだよ!」
母「なにすんだよじゃないわよ! 宿題もしないでダラけてるくらいなら、初詣にでも行ってきなさい!」
楓の母は惰性でついていたテレビをプチン! と消して、楓の首根っこを掴んで玄関から放り出す。とたんに北風が吹きつけて、「寒!!!!」と青ざめる楓。
楓(くっそ、母さんのやつ……! 正月くらい好きに過ごさせてくれよ)
はあ、とため息をついて、着替えるために一度家の中に戻る楓。自室の襖を開けて、部屋着のジャージから外用のジーンズとタートルネックに着替え、パーカー、ダッフルコートを重ねる。
楓(あ……)
ふいに、勉強机の上で楓の視線が止まる。そこには、十二月の祭りの時に持ってきてしまった依須玖の手袋が置いてある。
楓(勢いで持ってきちゃって、タイミングなくて返せないままなんだよな)
しゅん、と落ち込んだ顔でうつむく楓。一度は手袋から目を逸らすが、少し考えてから、やっぱりと思い直して手袋を掴み、コートのポケットに突っ込む。
楓(神社でたまたま会うかもしれないし。もし見かけたら、そのまま声かけて返しちゃおう。それで――)
楓(それで、無事に返せたら、先輩に関わるのはもうやめよう)
自分で考えておきながら、ズキっと胸が痛む楓。しかしすぐに頭を左右に振って、振り切るようにバタバタと自室を出ていく。
*
〇神社にたどり着いた楓。一月二日だが、まだ初詣をする人がいるので境内はそれなりに賑やか。拝殿で手を合わせて戻る際、社務所の前を通ると、楓に気づいた猪瀬が近づいてきて声をかけてくれる。
猪瀬「楓くん」
楓「あ、どうも。明けましておめでとうございます」
猪瀬「おめでとう。ねえ、あの後依須玖くんとは、ちゃんと仲直りできた?」
楓「え……。俺、先輩と喧嘩したなんてひと言も」
猪瀬「あんな切羽詰まった顔されたら誰だって察するわよ。それに急に帰っちゃうし」
楓「……」
うつむいて沈黙する楓。少し迷うが、やがてためらいがちに口を開く。
楓「俺、先輩に嫌われてるんじゃないかと思ってて」
猪瀬「え?」
楓「小さい頃の俺、先輩のこと――当時は雪童子だって思ってましたけど、人に話しちゃったんです。しかもそれ、多分先輩のおばあちゃんと家政婦さんで。『誰にも言わないで』って言われてたのに」
猪瀬「(悲しそうに眉を下げて)そうなの。でもそんな小さい時のこと、依須玖くんは気にするような子でもないと思うけど」
楓「……それは俺も、そうかもな、とは思うんですが」
楓(だけどもし、先輩が俺のことを嫌いなんだとしたら、全部つじつまが合うんだ。先輩がやたら親しげに近づいてきたことも、急に距離を置かれたことも)
楓(だって俺は、今すごく悲しい。寂しいし、傷ついてる。先輩の嘘が「相手を傷つけるための嘘」だとしたら大成功だ。あんな風に拒絶されたって、俺はまだ――先輩のことが、好きなんだから)
ポケットの中の手袋を握りしめる楓。そんな楓に向かって、猪瀬が困り顔のまま口を開く。
猪瀬「依須玖くんね、楓くんと話す時、すごく嬉しそうだった」
楓「……昔の話ですよ」
猪瀬「ううん。十二月にここで会った時もそう。楓くん見た瞬間にぱあって目の奥が輝いて――依須玖くんってほら、普段からけっこう何考えてるかわからないでしょう。私昔から心配だったの。だから楓くん、ちゃんと話して、ちゃんと仲直りしてね」
そこまで話したところで、若い巫女が猪瀬を呼びにくる。「またいつでも来てちょうだい」と微笑んで、去っていく猪瀬。
猪瀬に向かってぺこりと頭を下げつつ、依然浮かない顔の楓は、今度こそ帰ろうと石階段に向かう。
しかし境内からの降り口付近で、上ってきた集団の中に依須玖と依須玖の祖母を発見する。
依須玖は階段を上る祖母の腰を支えつつ、張りつけたような笑顔で彼女に話しかけている。しかし依須玖の祖母はニコリとも笑わず、見た目は上品だが厳しさがひしひしと伝わってくる感じ。そのオーラにすっかり気圧されて、楓は手袋のことなどすっかり忘れて固まってしまう。
楓(前に細先輩の家に行った時は、具合が悪いって顔を見せなかったけど――あれが、細先輩のおばあちゃん……?)
予想以上の威圧感に戸惑う楓。視線をさまよわせながらうつむき、拳をきゅっと握る。
脳裏に浮かぶのは、今まで依須玖が自分に見せてくれた様々な表情(心からの笑顔や呆れ顔、頬をビンタした時の目をまん丸くした顔など)。
楓(――信じるのは、怖い。裏切られるのは辛いから。なにかを伝えるのは怖い。間違った選択をしたら、あの人はまた俺の前から消えてしまうかもしれないから)
楓(でも……)
先ほどすれ違った時の依須玖の顔を思い出して、ごくりと唾を飲み込む楓。
*
〇冬休み明けの学校、昼休み。手に白無地の封筒を持ち、少し頬を赤くしつつ、意を決した顔で廊下を突き進む楓。
楓「失礼します! あの!」
楓が勢いよく扉を開けたのは、依須玖のクラス。思い切って声を発した楓に、クラス中の視線が刺さる。
楓((かーっと頬を赤くして)う……! いや駄目だ、めげるな俺)
楓「あの、細先輩いますか。いなかったらこれ、渡してほしいんですけど」
手に持った封筒を掲げて楓が言うと、少しの間の後、教室の真ん中辺りでたむろしていた男女グループが応えてくれる。
男子「細なら、今日は熱で休みだぞ。けっこう出てるってメッセで言ってたから、しばらく来ないと思う」
楓「え」
女子「君一年だよね。名前はー? 細が来てからでよければ全然渡すけど」
楓「あ、ええっと……じゃあ大丈夫です。お騒がせしました……!」
楓(マジかー!)
そそくさと立ち去る楓。今日絶対に話すつもりでいたので、肩透かしを食らったような気持ち。
楓(どうしよう、予想外すぎて咄嗟に断っちゃった。……ってか先輩って熱出すんだ)
廊下の隅で立ち止まり、うつむいて、考え込むような表情をする楓。
楓(大丈夫、かな?)
*
◯その日の放課後、細家の前。立派な門扉を楓が見上げている。
楓(結局来てしまった……!!!)
楓はマスクをしっかりつけ、両手には大きいコンビニの袋(スポーツドリンクとかゼリーとか風邪薬とかプリンとかが大量に入っている)を持っている。
楓(だって、だって!! あの細先輩が熱って!! なんか意外すぎて!!!)
緊張のあまり、きょろきょろと意味もなく周囲に視線を走らせてしまう楓。心臓はずっとドキドキしっぱなしで、明らかに不審。
家政婦「あのー、なにかご用事でしょうか?」
楓「ひゃい?!」
横から声をかけられて、肩を大きく震わせる楓。声のした方に顔を向ければ、買い物袋を持った女性(細家の家政婦)が怪訝そうな表情で楓を見ている。
楓「あ、ああああえっと、俺、細先輩……依須玖さんに話したいことがあって」
家政婦「依須玖坊ちゃんならお熱で、今日は学校も休んでらっしゃいます」
楓「ええ、それでその、お見舞いも兼ねて」
ガサガサっと音をたてながら、手に持っているコンビニ袋を持ち上げてみせる楓。中身が入りすぎてパンパンに膨らんでいる様子を見て、家政婦は苦笑いをする。
家政婦「依須玖坊ちゃんに聞いてみます。お名前は?」
楓「楓です。烏丸楓」
家政婦「楓さんですね。承知いたしました」
ソワソワしながら待つ楓。やがて家政婦が戻ってきて、「ご案内しますね」と門を開け、依須玖の部屋まで案内してくれる。
楓「し、失礼します」
長い廊下を歩いて依須玖の部屋にたどり着いた楓は、家政婦に礼を言ってから、おずおずと依須玖の部屋の襖を開ける。しかし中には誰もおらず、戸惑っていると、隣の寝室から「こっち」と呼ばれる。
依須玖「体が辛いから寝てる。でも楓くんは、こっちの部屋には入ってきちゃ駄目だよ。あんまり近づくとうつる」
依須玖の部屋に入って、寝室との境の襖を開ける楓。寝室の中央には布団が敷いてあって、依須玖はその上で、上半身だけを起こしてこちらを見ている。
依須玖「なにしにきたの。すごい荷物だって聞いたから、とりあえず通したけど」
楓「あ、俺、先輩のお見舞いにと思って……大丈夫、ですか」
依須玖「大丈夫だよ。冬になると毎年、一回はやるんだ。二、三日寝れば治る」
言ったそばからごほごほと咳き込む依須玖。心配になって、楓は腰を浮かせて駆け寄ろうとする。
依須玖「駄目だよ楓くん。そっちにいなさい」
楓「いっ……、嫌です」
依須玖「どうして。ほんと、うつるよ」
楓「むしろうつして、早くよくなってください」
依須玖の制止を聞かず、無理やり寝室の方に入る楓。依須玖は戸惑いつつ、嬉しくないわけでもない、みたいな顔で目を逸らす。
依須玖「(ぼそっとつぶやくように)君にはほんと、敵わないよ」
楓「? なにか言いましたか?」
依須玖「いやなにも。で、なにを買ってきてくれたの?」
依須玖は「仕方ないなあ」といった表情で、楓の両脇にあるコンビニの袋を指さす。
楓「え? ああえっと、スポーツドリンクと、ゼリーと、プリンと、念のため風邪薬とホットアイマスクと……(どんどん袋から商品を出して、依須玖の布団の横に並べていく)」
依須玖「(ふっと勢いよく吹き出して)楓くん、買いすぎ」
楓「な……! だって俺、ほんとに心配で……!」
真っ赤になって弁解しようとする楓。しかし依須玖の顔に浮かんでいる笑みに気づいて、目を見開く。
楓「(意を決して)あの――っ」
依須玖「楓くん、なにか話してよ」
楓「え?」
依須玖はもぞもぞと掛け布団に潜り込み、仰向けに寝て、楓の方に片腕を投げ出す。
依須玖「楓くんの好きな、不思議な言い伝えの話。なんでもいいから久しぶりに聞きたいんだけど」
投げ出した手の指先で、正座で座る楓の膝にちょん、と触れる依須玖。
嬉しくなった楓は勢いよく顔を上げる。目が合うと、依須玖は寝転がったまま微笑み返してくれる。
楓「じゃ、じゃあ、俺が一番好きな『雪の国』の話を――」
言いかけたところで、一度言葉を切る楓。「雪の国」は雪童子が住んでいるとされる場所の言い伝え。つい依須玖の反応をうかがってしまうが、依須玖は特に気にする様子もなく、穏やかな顔で目をつむっている。
依須玖「いいね。『雪の国』、昔から気になってた」
楓「……!」
知らないフリをされなかったことに驚きつつ、喜びを隠せない楓。前のめりになりながら「雪の国」の話をする。
楓「『雪の国』は雪童子や雪女がすんでいる国として、双色町に伝わる話です。昔、吹雪の夜に雪女と遭遇した男が、その女の後をついていくと――」
楓はそのまま、依須玖の隣で様々な民話の話をする。しばらく夢中になって話すが、途中でふと気づいて依須玖の顔を見ると、すーっと静かに寝息をたてて眠っている。
楓((ふっと笑って)……相変わらず綺麗だなあ)
自分の方に投げ出された依須玖の手をこっそりと握り、依須玖の寝顔を見つめた楓は、静かに立ち上がって寝室を後にする。
そのまま隣の依須玖の部屋を通った時、机の上に、以前泊まった時にはなかった折り紙が一つ飾ってあることに気づく。
楓(え、これって――)
それは、幼い頃楓が依須玖にあげた折り紙。そのことに楓も気づき、昔のやり取りを思い出す。
楓「(幼い依須玖に折り紙を差し出しながら)君と同じ『ゆきわらし』。雪の国に住んでるんだよ」
楓「『雪の国』はね、真っ白で明るくて、遠くの海に白い太陽が沈むんだよ。すごく寒いけど、キラキラでとっても綺麗なんだって!」
その会話をした時、幼い依須玖がとても優しい笑顔をしていたことにも気づいて、はっとする楓。胸をいっぱいにさせながら、依須玖の部屋を去る。
【続く】


