〇依須玖視点、回想。楓とよく会っていた社殿脇。天気は雪。積もった雪を払った大きめの岩に、幼い依須玖と楓が二人並んで座っている。

「(ポケットから折り紙を取り出して)見て見て! 今日作ったの」
「これ、なに?」
「君と同じ『ゆきわらし』。雪の国に住んでるんだよ」
「雪の国?」
「え、知らないの? 『雪の国』はね、真っ白で明るくて、遠くの海に白い太陽が沈むんだよ。すごく寒いけど、キラキラでとっても綺麗なんだって!」
「行ってみたい、かも」
「ね! ……あれ、でも君は『ゆきわらし』だから、雪の国から来たんじゃないの?」
「(少し焦って)行ってみたいっていうか、帰りたい……? ぼくは、ええと、その――そう、迷子なんだ。雪の国から来たはずなんだけど、記憶がなくて、帰り方もわからない」
楓「そうなんだ……」

 自分自身が迷子になったみたいに、とても悲しそうな顔をする楓。しかし、しばらくじっと考えごとをしたかと思うと、ぱっと顔を上げて無邪気に笑う。

楓「じゃあ、寂しくなった時はここに来て。俺が絶対に遊んであげるから」

 幼い依須玖は少し驚きつつも、瞳を輝かせて楓の笑顔を見つめる。

依須玖「……ありがとう」
楓「うん! あ、じゃあ指切りしておこう?」

 楓が小指を差し出すので、依須玖もおずおずとそれに応じる。「ゆーびきーりげーんまーん」と無邪気な歌声が響く。

依須玖(楓の手はいつも冷たかった。「直接触った方が楽しい」と言って、いつも手袋を外してしまうから)
依須玖(いつからか僕も、自分の手袋をポケットにしまい込むようになった。肌に直に触れる雪はふわふわと柔らかくて、もちろん冷たいけれど、楓と一緒にいる時は、なぜかどこか優しく、温かいもののように感じた)
依須玖(雪が降るのをあんなに待ち望んでいた日々はない。それこそ、雪の降る音が聞こえるくらいに耳をそば立てて――)

楓「めちゃくちゃ卑怯だ」

 突然よみがえった険しい声に、はっと目を開ける依須玖。あたりを見回しながら上半身を起こして、自分が夢を見ていたと気づく。

依須玖「……わかってるよ、そんなこと」

 早朝のまだ薄暗い和室、部屋の真ん中に敷いた布団の上で、楓に叩かれた頬に触れながらうつむきがちにつぶやく依須玖。思い出しているのは、第二話後半で雪童子の話をした楓の、誤魔化すような笑顔。

     *

〇終業式の日、高校の体育館。全校生徒が集められ、ステージ上では校長先生が冬休みの注意事項などを滔々と述べている。

教師「えーそれじゃあ、この後は各教室でホームルームやって解散で。校長先生もおっしゃってましたが、皆さんくれぐれも羽目を外しすぎないように。ありがとうございました」

 ありがとうございましたーっと生徒たちが応えて、とたんに辺りがガヤガヤと騒がしくなる。

明良「なーなー楓! 午後一緒にカラオケ行こうぜ!」

 そわそわ感丸出しの明良が、前に並ぶ楓の肩を叩く。しかし楓はずーんと落ち込んでいて、カラオケどころではない。

楓「ああ……うん。いいね。行ってらっしゃい」
明良「だーかーら、話聞いてた? お前も行くの! で、一緒に『君が代』歌うの!」
楓「いやなんで国歌?」

 思わずツッコミを入れてしまい、はっと両手を口にあてる楓。そんな楓を、明良がにやにや見てくる。

明良「よっしゃ、ツッコめるなら元気いっぱいだな」
楓「明良が流れるようにボケるせいだろ。いい。俺は行かない。そんな気分じゃない」
明良「はあ? いつまで落ち込んでんの? 明日から冬休みだよ? じめじめしてないで、いい加減切り替えなって」
楓「お前って時々、本当に容赦のない発言をするよな……」

 え? と肩を(すく)めてとぼけてみせる明良。そのまま楓の肩に手を回してきて、午後の予定を勝手に練り始める。

明良「フリータイムでー、ドリンクバーはもちろんありだろ? そういやこの前部活のやつらと行った時、ソフトクリームの機械壊れてたんだよなあ。どうしよ、あっ、せっかくだしバスで隣町の店舗まで行く? ってかそうか、予約しないと入れないかもしんないな。なー楓、何時がいい?」
楓((全部無視して)叩いてしまった……)

 依須玖の頬を叩いて「先輩の馬鹿! もう知りません!」と言った時のことを思い出す楓。考えれば考えるほど、後悔の念が押し寄せて胃が痛くなってくる。

楓(あんな風にキレるつもりじゃなかったのに。それこそ、叩くつもりなんて微塵もなかった)
楓(あれからずっと、メッセージ送ってもはぐらかされるし、校内ですれちがっても話しかけるなオーラ出されるし……)

 祭りの後の約二週間、なんとか依須玖と話す機会をつくろうと努力していた楓。しかし全て躱されてしまい、すっかり途方に暮れている(【明日のお昼休み会えませんか】というメッセージを送る→翌日夜に【ごめん、気づかなかった】の返信、お昼休みに教室に突撃→依須玖はクラスメイトとめちゃくちゃ盛り上がってて話しかけられない、それならばと放課後ダッシュで教室に行く→依須玖は忍者のような速さで既に帰宅していて、依須玖のクラスメイトに「細ならもう帰ったよ?」と言われる、など)

明良「おい楓、マジで予約するかんな。十四時! やっぱ来ないとかなしだかんな!」
楓「……だから俺、そもそも行くなんてひと言も」

 さすがにうんざりした表情で顔を上げる楓。しかし視界の先で、こちらをじっと見つめる依須玖に気づき、言葉を切る。

楓「(あ……と目を見開いてから)せんぱ――」

 勇気を出して、二年生の列に向かって歩き出そうとした楓。しかし依須玖はそれを拒絶するように視線を逸らしてクラスメイトに話しかけ、動き出した列の流れに乗って体育館を出ていってしまう。

 傷ついた顔で、楓はきゅっと唇を噛みしめる。

楓(本当に、なんでこんなことになっちゃったんだろう――)

     *

〇その日の午後、楓は結局、明良とカラオケに来ている。しかし気分は落ち込んだまま。手には色々混ぜすぎて真っ黒になったソフトドリンクを持ち、『君が代』で百点を狙おうとする明良のダミ声をよそに、神妙な面持ちでソファに座っている。

明良「(楓の隣に勢いよく腰かけて)っだー、九十八点! 無理だ! これ以上はもう、無理!」
楓「……明良ってさ、なんで歌う時だけダミ声になるんだろうね?」
明良「あ? 喧嘩売ってんのか?」
楓「違うよ。ただただ普通に謎なだけ」

 ほーん? と疑わしそうな目で楓を見る明良。おもむろに机の端からタブレットを引き寄せて、楓の前にドン! と置く。

明良「んなことより。ほら、お前もそろそろ歌え」
楓「いいよ、明良まだ歌いたいでしょ」
明良「俺はもう喉限界。一回休憩」

 ぐでん、とソファに身を預ける明良を見て、楓は仕方なくタブレットに手を伸ばし、曲を検索する。けれども目は文字の上を滑るばかりで、結局は曲を決められないまま手を止める。

楓「ねえ、明良」
明良「んー?」
楓「明良ってさ、どんな時に嘘つく?」
明良「(少し考えてから、眉をひそめて)なにお前、細先輩に嘘つかれたわけ?」
楓「んー……うん。まあ」
明良「どんな嘘」
楓「俺たち、実はちっちゃい頃に会ったことがあったらしいんだ。先輩は最初っからそれを知ってたはずなんだけど、でもずっと『そんなことないよ』って誤魔化されてる」
明良「ふうん……?」

 腕を組んで首を傾げ、じっと考える明良。

明良「一般的に考えて、嘘って二種類あるよな」
楓「二種類?」
明良「そ。相手を傷つけるための嘘と、相手を守るための嘘」
楓「まあ、確かに」
明良「細かい事情なんて俺には全然わかんねーけどさ。でも多分先輩が嘘ついてんのは、お前を守るためなんじゃねーの」
楓「俺を?」
明良「おう。だって細先輩、めちゃくちゃお前のこと好きじゃん」

 予想外のことを言われて、ぱっと顔を赤くして驚く楓。

楓「……そ、そうかな」
明良「だってこの前の祭りの時、先輩めっちゃ怖かったぞ。ほら、俺が手袋外してさ、お前の熱みてやろうとした時」

 その時の依須玖の様子を思い出す楓。

楓(肩に回った先輩の腕……確かにすごく力が強かった)
楓(でも……)

明良「あ! そうだ!」

 急に大きな声を出した明良。びくっと大きく肩を跳ねさせた楓の横で、ポケットから慌ただしくスマートフォンを取り出す。

明良「お前に見せてやろうと思ってすっかり忘れてた! ほらほら、これで元気出せ」

 明良が見せてくれた画面に映っていたのは、教室で図工の授業に取り組む小さい頃の依須玖。「えっ」と顔を上げた楓に、明良は得意そうに説明する。

明良「俺の兄ちゃん一個上だろ? たまたま細先輩の話したら、昔こっちにいたって聞いてさ。小一の時の学級通信残ってて、もしかしてと思って見せてもらったら載ってた」

 お手柄だろ? とドヤ顔をする明良。しかし楓は、またもや明良どころではなく、依須玖の写真に釘づけになっている。

楓(ほんとにあの子だ……やっぱり、雪童子は細先輩だったんだ)

 昔言われた「誰にも言わないで」という言葉を思い出して、きゅっと唇を噛みしめる楓。いてもたってもいられなくて、バッと勢いよく立ち上がる。

楓「ごめん明良。俺、今日はもう帰る」
明良「え?」
楓「ほんとごめん。お釣りいらないから」

 ずっと手に持っていた謎ドリンクをテーブルに置き、財布から出した二千円もその隣に置いて、慌ただしく部屋を出ていく楓。取り残された明良は呆気にとられながら、楓が出ていった扉を見つめる。

明良「おお、おー……? なんかよくわかんねえけど頑張れー……?」

 明良は楓が残していったドリンクになんとなく手を伸ばし、一口飲んで「マズッ!」と吹き出す。むせながら「ってかよく見たら、なんだこの色ーっ!」と叫ぶ。

     *

〇視点代わって、カラオケ屋を出て商店街を走り抜ける楓。

楓(先輩がなに考えてるか、やっぱり俺には全然わからない)
楓(でもそうだ。諦めずに知りたいと思うんだったら、俺が行かなきゃいけない場所は――)

 楓はしばらく国道を走り、石階段を上って、神社の境内にたどり着く。

猪瀬「あら、楓くん?」

 肩で息をする楓に気づいて声をかけてきたのは、社殿の前を掃き掃除していた猪瀬。

猪瀬「どうしたの? 珍しい」
楓「あの、今って少しお時間ありますか」
猪瀬「え?」
楓「俺、昔のことを――細先輩のことを、聞きたいんです」

 目をまん丸くして驚く猪瀬。しかし楓の切羽詰まった顔を見て、少し困りつつも優しく微笑む。

猪瀬「わかったわ。少しだけなら」

 こっちへいらっしゃい、と楓を案内してくれる猪瀬。そのまま社務所を抜け、奥の休憩スペースで楓にお茶を出してくれる。

楓「(パイプ椅子に座って、湯呑みを受け取りながら)すみません、ありがとうございます」
猪瀬「ええ。寒々しくてごめんなさいね。――で、なにが聞きたいの?」
楓「ええっと、その。俺って昔、ここによく来てた時期があったの、知ってますか?」
猪瀬「そうね。確かにそんなこともあったわね」
楓「あの時俺が遊んでたのって……細先輩、ですよね?」

 おずおずと猪瀬の表情をうかがう楓。猪瀬は「うーん」と少し考えた後、ふっと笑って「そうね」と応じる。

猪瀬「楓くん、ついに気づいちゃったのね。依須玖くん残念がるだろうなあ」
楓「どういう意味ですか、それ」
猪瀬「私、小さい頃の依須玖くんに口止めされてたの。『楓はぼくのこと雪童子だって信じきってる。だから絶対に、本当のことは言わないで』って」

 「言わないで」という言葉に、ズキリと胸が痛む楓。

楓「なんで、昔の先輩はそんなこと……」
猪瀬「わからないわ。でも多分、不安だったんじゃないかしら」
楓「不安?」
猪瀬「そう。自分がただの人間だってバレて、楓くんの関心を失うことへの不安」

 目を丸くして驚く楓。猪瀬は自分の湯呑みを傾けながら話を続ける。

猪瀬「依須玖くんのお家ってね、とーっても厳しいらしいのよ。ただでさえ由緒正しい家柄なのに、桐子(きりこ)さん――依須玖くんのお母さんはすぐに離婚して戻ってきちゃって。その反動か、ちっちゃい頃から依須玖くんはお稽古事三昧。たぶん、おばあちゃんの言いつけね」
猪瀬「依須玖くんは文句も言わずによくやってたわ。でもお母さんの方が気の毒がって。学校帰りにここに寄って息抜きさせるように、家政婦さんに頼んでたみたいなの」

 楓の頭の中に、とある光景がよみがえる――神社のある山のふもとの駐車場で、若い女性と、六十歳くらいの女性が口論している。小さな楓はそこに近づいて、「あのっ」と口を開く。

楓「それで、ちっちゃい細先輩は、どうして来なくなっちゃったんですか……?」
猪瀬「ここでサボってるのがおばあちゃんにばれちゃったみたい。まあ人の噂なんて、どこから広がるかわからないものだからねえ。その後桐子さんとおばあちゃんの仲がますます悪くなって、結局依須玖くんたちはまた東京に戻ることになって――って、このあたりは、私も噂程度にしか知らないけれどもね」

 その言葉を聞き、青い顔でうつむく楓。湯呑みを持った手が小さく震えている。

猪瀬「ちょっと楓くん、大丈夫?」
楓「大丈、夫です。お時間取ってすみません。ありがとうございました」
猪瀬「あ、ねえ」

 心配そうな表情の猪瀬に一礼して、楓は足早に休憩スペースを出る。社務所を抜けて境内に出ると、冷たい冬の風が顔一面に吹きつけて楓の前髪を巻き上げる。

楓(やっぱり、俺のせいだった。俺があんなこと言ったから先輩は――)

 先ほど思い出した場面の続き。女性二人に近づいた楓は、心底困った感じで口を開く。

楓「あの、男の子見ませんでしたか? 黒髪で、肌が白くて、とっても綺麗な男の子なんです」
楓「俺の友だちなんです。雪が降った日は、いつもこの神社で一緒に遊んでて……いつもはいるんだけど、いないんです。かくれんぼのつもりなんだろうけど、俺どうしても見つけられなくて」

 楓の証言に、六十歳くらいの女性の方(=依須玖の祖母)は眉間のシワを深くする。その後ろで、若い女性(=依須玖の送迎を担当していた家政婦)が慌てた感じで自分の口元を押さえる。

楓(「誰にも言わないで」って言われてたのに)
楓(俺が話しちゃったから、細先輩は……)


【続く】