◯第四話と同じ週の金曜日、放課後。

楓「ただいまあ」

 自宅の引き戸をがらりと開ける楓。靴を脱ごうとしていると、居間から祖父が顔を出す。

祖父「おうおう、ようやっと帰ってきたわ。楓、悪いけどそのまま、猪瀬さんのところにこれ届けてくれや」

 祖父から「ほい」と渡されたのは、ちょうど両手で抱えられるくらいの大きさの桐の箱。

楓「あー、今年うちだったんだ」
祖父「そうだぞ。くれぐれも落とさないように」
楓「わかった。鞄だけここ置いてっていい?」
祖父「ええ、ええ。後で恵美ちゃんが片づけるじゃろ」

 「ほんじゃあよろしく」と言って居間に帰っていく祖父。楓は玄関にスクールバッグを置き、桐の箱だけ持って、学ランのまま外に引き返す。

 外は相変わらず曇り。住宅街を歩き、商店街を抜けて、楓はやがて神社のある山の(ふもと)にたどり着く。そのまま境内へと続く石階段を上ると、上った先で、社殿前で話し込む二人組を見つける。

楓「あ」
依須玖「ん?」
猪瀬「あら」

 二人組の一人は依須玖で、もう一人はこの神社の神主の奥さん・猪瀬だった。楓は依須玖との思わぬ遭遇にドキリと心臓を跳ねさせつつ、表向きはなんでもない風を装って、二人にぺこりと頭を下げる。

猪瀬「こんにちは楓くん」
楓「こんにちは。あの、これ、祖父から預かってきました」
猪瀬「あらあら、ありがとう」

 楓から桐の箱を受け取って、猪瀬は一度社務所へ消えていく。猪瀬が見えなくなると、依須玖が不思議そうな顔で楓に近寄ってくる。

依須玖「楓くんさっきぶり。あの箱ってなに?」
楓「鬼神像(きしんぞう)ですよ。明日のお祭りで奉納するやつ。毎年双色(ふたいろ)小物の彫り師が当番制で作ってて、今年はうちだったみたいなんです」
依須玖「ああ、そういう」

 ※箱の中に入っていたのは、二十センチくらいの高さの鬼の像。双色町では毎年、十二月のこの時期に神社で祭りが開かれ、鬼神像を奉納して翌年の繁栄を祈る。

楓「先輩こそ、どうしてここに?」
依須玖「僕は明日の打ち合わせだね」
楓「打ち合わせ? なにかやるんですか」
依須玖「踊るんだよ。あそこで」

 依須玖がすっと指さしたのは、参道を挟んで社務所の向かい。町内会の男手によって、小高いやぐらが組まれている最中。

楓「(驚いて)踊るって、日本舞踊ですか?」
依須玖「そう。本当は伯母が来る予定だったんだけど、インフルエンザみたいで。流行ってるのかな? 楓くんも気をつけて」
楓「はあ、ありがとうございます……あの、何時ですか? 踊るの」
依須玖「十七時だけど。楓くん観にきてくれるの?」
楓「当たり前じゃないですか――と、友だち、ですし」

 言ったとたんに恥ずかしくなって、ふいと目を逸らす楓。それを見た依須玖は、ぱっと顔を輝かせる。

依須玖「ありがとう。嬉しいよ」

 にっこりと微笑まれて、胸のうちが温かくなる楓。「じゃあ、頑張ってください」と頭を下げて、依須玖と別れる。

楓(先輩の日本舞踊、まさか観れる機会があるなんて思わなかった。綺麗なんだろうなあ)

 期待に胸を膨らませながら、足取り軽く石階段を下りる楓。しかし、下から噂話をする女性の声が聞こえてきて、ぴたりと足を止める。

女性1「それにしても、依須玖くんは可哀想ねえ」
女性2「そうよね。転校だって、あんな中途半端な時期にね。お母さんアメリカなんでしょ」
女性3「まああのお家、二番目は昔っから奔放だったものね。奥さんも手焼いてたじゃない」
女性1「そうよねえ。でも子どもにとばっちりがいくのはねえ……」

 やがて顔が見えたのは、中年女性三人。やぐらを組む男連中に差し入れを持ってきたのか、手には大きなビニール袋を持っている。

女性1「あら楓くん。こんばんは」

 すれ違う時に声をかけられて、とりあえず小さく会釈をする楓。しかし女性たちが通り過ぎても、楓の胸には強いモヤモヤが残る。

楓(違う。全然わかってない。細先輩は全然、可哀想なんかじゃない。強くて綺麗でカッコよくて――)

 楓の頭の中を、張りつけたように笑う依須玖の顔がよぎる。とたんに足取りが重くなり、階段の途中でしゃがみ込む楓。

楓(違う、のかもしれない。あの人はただ、それを表に出さないだけで)
楓(いつか、ちゃんと見せてもらえるのかな)

 そのままの体勢で、しばらく動けない楓。空からはひらひらと、白い雪が降り始める。

     *

〇翌日十六時過ぎ。神社のある山の前を通る国道が歩行者天国になっており、左右にずらりと屋台が立ち並んでいる。その入口でスマートフォンをいじりながら、明良を待つ楓。

明良「わりー、遅くなった!」

 はらはらと舞う雪の中、小走りで駆け寄ってくる明良。厚手のダウンにニット帽、マフラーという出で立ち。手には手袋、足元はブーツで、完全防寒である。

明良「にしてもまさか、こんなに降るなんて思わなかったよなあ」
楓「ね。落ち着いてよかった」
明良「でもこの後、また強くなるらしいぞ。傘持ってきたか?」
楓「……やばい。忘れた」
明良「しゃあねえなあ、シャカシャカポテト一個で入れてやる。ってか手袋もしてねえじゃん。大丈夫なわけ?」
楓「出掛けに探したんだけど見つからなかった」
明良「お前そういうとこズボラだよな」

 ダッフルコートのポケットに両手を突っ込んで肩をすくめる楓。明良と並んで歩き出し、境内を目指す。
 石階段を上りきると、やぐらでは既に演目が始まっている。有志によるお笑いライブや、和太鼓の演奏など。小さい町なりにけっこう人が集まっているが、明良が先頭に立って人混みをかき分け、見やすい場所に楓を引っ張っていってくれる。
 やがてアナウンスが入り、三味線の音と共にやぐらに現れる依須玖。青磁色(グレーがかった淡い青緑色)の着物に灰色の袴という出で立ちで和傘を持ち、いつもとは別人のように凛々しく真剣な表情。美しい佇まいに、観客たちは一瞬息をのみ、すっかり依須玖に視線を奪われる。
 曲が始まると、狭いやぐらの上でも、依須玖は自由自在に舞ってみせる。かといって荒っぽいわけではなく、伝統芸能特有の品のよさをしっかりと感じさせる動き。

楓(わ……なんか先輩、いつもと全然、)

 すっかり見惚れてしまう楓。瞬間、和傘の下から依須玖からの視線を感じてドキッとする。

楓(目合った? 偶然かな)
楓(っていうか、踊ってる先輩って――)

 段々強く降り出した雪の向こうで、依須玖は美しく踊り続ける。その様子、特に、冷たいほどに鋭い瞳と白い肌、漆黒の髪、降りしきる雪といった光景に目を奪われていた楓の脳裏に、突然幼い男の子の声が蘇ってくる。

男の子「雪の国?」

楓(え……?)

 自分で自分の思考に戸惑う楓。その声は、幼い頃遭遇した雪童子のもの。
 なぜ雪童子と依須玖が重なるのか、楓はわからない。しかし、雪の中で舞う依須玖を見れば見るほど、雪童子のことを思い出す。

楓(なんで俺、今あの子のことを――)

 呆然としている間に依須玖の演目は終わり、周りでは大きな拍手がわき上がる。隣の明良も興奮気味に両手を打ち鳴らすが、楓はだらりと両手を下げたまま、誰もいなくなったやぐらを見つめている。

明良「細先輩すげーな! 俺日本舞踊初めて見た。おい楓、お前もちゃんと拍手しろよ」

 楓の肩を掴み、前後に揺らす明良。しかし楓が全く反応しないのを見て、不審そうに眉をひそめる。

明良「――楓?」

     *

〇数十分後、屋台の間を歩く楓と明良。雪はだいぶ大粒になり、明良は左手でシャカシャカポテトの袋を持ちつつ、右手で傘を持って楓に半分差し掛けてくれている。

明良「なー楓、どうしたんだよ。さっきからぼーっとしてさあ」
明良「ってかちょっと傘持ってくんね? 俺ポテト食いてえんだけど」

 どんなに話しかけても心ここにあらずな楓に、明良は「おーいー」と嘆きながら軽く体当たりする。

明良「マジでさ、聞いてる? 傘持ってって。一瞬でいいから!」

 明良が言った瞬間、ふわんと傘が持ち上がる。驚いた楓と明良が後ろを振り返ると、黒いコートに黒い傘をさした依須玖が、反対の手で明良の傘を持ち上げて立っている。

明良「うえっ、細先輩っ?」
依須玖「こんにちは。さっき、観に来てくれてたよね。ありがとう」

 ういっす、と頭を下げる明良と、戸惑いがちに依須玖を見上げる楓。なにも言わない楓をフォローしようと、明良が早口で話し始める。

明良「すいません、こいつちょっと前から変なんです。ぼーっとして黙り込んじゃって……。あ、もしかして具合悪いとか? 楓、ちょっとデコ見して――」
依須玖「明良くん」

 楓の熱を確かめるために手袋を外そうとした明良だが、鋭い声で呼ばれてびくりと肩を震わせる。

依須玖「――だよね? 楓くんの友だちの。傘持ってるから、ポテト食べなよ」
明良「え。あ、はい……? あ、いやでも、そんな」

 遠慮しようとする明良に向かって、「ね?」とにっこり依須玖が微笑む。有無を言わせないその笑顔に、明良は慌てて手に持っていたシャカシャカポテトの袋を開け、中身を食べ始める。

依須玖「楓くん大丈夫? 本当に具合悪いの?」
楓「……(答えられず、目も合わせられない)」
依須玖「調子悪いなら帰ろうか。送ってくから」
明良「あの! もう大丈夫です。満足したんで」

 口いっぱいにポテトを詰め込んだ明良が、依須玖の手から自分の傘を回収する。「よかった」と応じた依須玖は、空いた手でさらりと楓の肩を抱き込み、自分の傘の下に引き込む。

依須玖「確かに楓くん、なんだか様子がおかしいね。僕が家まで送っていくよ」
明良「え、いいんですか」
依須玖「もちろん。それじゃあ、また」

 ひらっと手を振ってから、再び楓の肩を抱いて歩き始める依須玖。少し驚きつつされるがままの楓と、目をまん丸くして二人を見送る明良。
 そのまま人混みを抜け、屋台が途切れたあたりで、依須玖はだらりと投げ出された楓の手に気づく。手袋をしていないその手に触れ、「冷たい」と顔をしかめる依須玖。

依須玖「駄目だよ楓くん。雪の日はちゃんと、手袋しなきゃ」

 依須玖は自分の左の手袋を外して、楓の左手にはめる。楓の右手は自分の左手とつなぎ、コートのポケットに入れる。

依須玖「楓くんのお家、こっちであってる? よく見たらマフラーもしてないじゃん。帰ったらすぐにお風呂入るんだよ」

楓(先輩の手、あったかい)

 隣を歩く依須玖を気にしながら、ふと思う楓。瞬間、また男の子の声が頭に響いてくる。

男の子「楓、手冷たい。手袋しないで遊ぶからだよ」

 はっきりと思い出した雪童子の顔がまたもや依須玖と重なり、はっと息をのむ楓。隣の依須玖をまじまじと見つめて、ようやく真実に気づいていく。

楓(滑らかな白い肌に、夜色の髪。雪のように綺麗な男の子――声をかける直前の、寂しそうに空を眺める横顔)

 楓の頭に、再び過去の記憶がよみがえる。当時の依須玖は今よりもずっと表情が乏しく、楓が声をかけに行くと、いつも寂しそうな顔で空を見上げていた。

楓(そうだ……先輩はいつも、にこにこ笑ってばかりだから気づかなかった)

楓「あの、先輩」
依須玖「ん?」
楓「俺たちやっぱり、昔会ったことありますよね――?」

 緊張した面持ちで、けれども確信を持って尋ねる楓。驚いた顔で立ち止まった依須玖は、初めは笑って誤魔化そうとするが、楓の真剣な目を見て表情を険しくする。

依須玖「前も言ったけど、気のせいだよ楓くん」
楓「……っ! どうしてそんな嘘をつくんですか。先輩最初っから気づいてましたよね? なんでちゃんと言ってくれないんですか」
依須玖「……」
楓「どうしてそんな、頑なに隠すんですか。先輩が、先輩がそんなんだから、俺はっ」
依須玖「……悪いけど、週明けからお昼は別でいいかな」
楓「(呆気にとられて)は?」
依須玖「実はね、生徒会の会計が年内で転校するんだ。代わりにやってほしいって以前から先生に頼まれてて、それの引き継ぎがお昼休みに入ることになった」
楓「え」
依須玖「放課後もね、祖母から日本舞踊の稽古を再開しろってずっと言われてて、もう断りきれそうにない」

 依須玖が言外に「お前とはもう会わない」と告げていることに気づいて、楓は顔を歪める。

依須玖「そんな顔しないで。また時間がある時は連絡するから、ね」

 依須玖が浮かべているのは、あの貼りつけたような笑顔。
 それを見た楓は、自分の中でなにかがプチンと切れるのを感じる。

楓「(ゆっくりとうつむいて、唸るような声で)先輩は、いっつもそうだ」
依須玖「? 楓くん?」
楓「そうやっていつも、俺を馬鹿にして」
依須玖「……僕はべつに、馬鹿にしてなんか」
楓「してるでしょう!」

 突然大きな声で叫んで、ポケットに入れられていた手を思いきり振り解く楓。

楓「大事なことは誤魔化して、本当のことは言わないで! のらりくらりかわして、逃げて、やたら近づいてくるのに、こっちが近づきたいと思った瞬間に離れようとする……! ずるい。ずるいですよ。めちゃくちゃ卑怯だ。俺がいったい、どんな気持ちで、どんな気持ちでいつも、」

 じわっと涙がにじんで、言葉に詰まる楓。それでも思いきり依須玖を睨みつけて、自由になった右手で依須玖の頬をぱしっと叩く。

楓「先輩の馬鹿! もう知りません!」

 叩かれた頬を押さえて、驚きに目を見開く依須玖。
 楓はそれには構わずに、勢いよく駆け出してその場を去る。


【続く】