〇ガコン、と音をたてて、自動販売機の取り出し口にホットココアの缶が落ちてくる。
それを右手で取り出して、後ろを振り返る明良。気まずそうに立つ楓に向かって、先に買って左手に持っていたコーヒーの缶と、取り出したばかりのココアの缶を掲げる。
明良「ほら。どっちがいい?」
楓「……ココア」
明良が「ん」と差し出してきたココアの缶を受け取る楓。熱い缶をまともに掴んでしまい、「あっつ!」と小さく悲鳴をあげる。
明良「馬っ鹿、お前静かにしろよ。授業抜けてきてんだからさあ」
楓「(拗ねたように顔を逸らして)教室で叫んでギャルに説教された明良に言われたくない」
明良「おい。誰のせいだよ。話聞かねーぞ」
※簡単な回想、第三話ラスト、教室でドでかい声で叫んだ明良は、ここに来る前にギャルの長澤さんに「うるさい!」とガチギレされていた。
楓「……そうだよね。ごめん」
明良の「話聞かねーぞ」発言に、わりとしっかりしゅんとする楓。それを見た明良は慌てて、「冗談だってば」と訂正する。
明良「もーお前、どうしちまったんだよ。やりづれえなあ。ほらこっち、さっさと来い」
動きの鈍い楓の腕を引っ張って、明良はずんずん歩く。たどり着いたのは体育館裏。二人は白い息を吐きながら、コンクリート製の犬走りに横並びで腰かける。
明良「で、恋がなんだって?」
ストレートに聞かれて、恥ずかしさがぶり返してくる楓。かーっと耳まで赤くして、膝の間に顔をうずめる。
楓「ごめん明良、やっぱりさっきのは聞かなかったことに……」
明良「いや無理だろ。ギャルに怒られた俺の名誉とホットココア代はどうなる」
楓「……」
反論できない楓。しぶしぶといった感じで口を開く。
楓「だからさ、その。明良は好きな人とか、いたことあるのかなあって気になって」
明良「なに急に。楓好きな人できたん?」
楓「! なんで……!」
明良「えっ、お前オモろ! わかりやす過ぎるだろ!」
ヒーヒー笑いながら、ぺちぺちとコンクリートを叩き出した明良。楓はそれをじっとりとした目で睨みながら、ココアのプルタブを開けて口をつける。
楓「いいよ、もう……そうだよ、好きな人できたの。でも人を好きになったのなんて初めてだから、なんか落ち着かなくて」
明良「ああ、それで寝れない?」
楓「寝れない、し……起きてる間中ずっと、その人のことで頭いっぱいで――」
先日、依須玖に抱きしめられた時のことが楓の脳裏をよぎる。依須玖の言った「まったく君は、本当に危なっかしいなあ」という言葉を思い出して胸がぎゅっとなり、体も熱くなる。
楓(あの時からずっと、心臓が変だ。朝起きてからも先輩がそばにいるってだけでドキドキしっぱなしだったし、別れて自分の家に帰ってからも、先輩と話したことばっかり思い出してなんにも手につかない)
明良「で、相手は誰」
楓「え」
明良「なにその顔。恋バナで相手の名前言わないとか興醒めなんですけど」
じーっと見つめられて狼狽える楓。しばらく迷った後、明良の顔色をうかがいながらおずおずと口を開く。
楓「……引かない?」
明良「は? なにが?」
楓「お、男、なんだけど」
驚いたようにちょっと目を見開く明良。しかしそれ以上は特に表情を変えず、「名前は?」と楓の回答を促す。
楓「(意を決して)細、先輩」
かーっと顔を赤くする楓。そんな楓をまじまじと見つめた後、明良はぷはっと吹き出して破顔する。
明良「なーんだ、そういうこと!」
楓「なにその反応」
明良「だってさ、なんであんなに懐いてんのかなーって不思議だったわけ。なるほどね、好きだから昼休みのたびに会いに行ってたわけね」
楓「いや、好きになったのはついこの前で……」
明良「そんなわけなくね? お前絶対、もっと前から細先輩のこと好きだったんだって」
ばしばしと背中を叩かれて、ココアがこぼれそうになる。「痛い、やめろっ」と明良を止めつつ、自分でも「そうなのかな」という気になってくる楓。
楓(そうなのかな。俺前から、細先輩のこと好きだったのかな)
初めて目が合った時のことや「付き合ってくれるの?」とからかわれた時のことを思い返す。それから、いつもの空き教室で窓を開けてぼんやりと外を眺める依須玖の横顔を思い出して、はっと気づく。
楓(そうだ。俺は)
楓(先輩のあの顔が――)
楓「……ねえ明良」
明良「んー?」
楓「明良はさ、なんで最初、先輩のこと『怖い』って言ったの?」
楓の質問に「あー、」と首を傾げて考える明良。
明良「だってあの人、人あたりいい風装って、全然本当のこと言わなそうじゃん。笑顔が胡散臭いっていうか、そういうのってほら、見てればわかるだろ。だから心配だったんだよな。まあお前が案外懐いてるから、上手くやってんなら俺が口出すことでもないかなって思って見てたけど」
「そういえばその辺、どうなの?」と尋ね返され、返す言葉に迷う楓。じっと考えながら、途切れ途切れに答える。
楓「そんな感じは……うん。正直ある、かな。明良の言ってること、すごくよくわかる」
楓(笑顔全部が嘘ってわけでもないだろうけど……細先輩は本当につかめない。本心を、心の底を、わかりきれない。見えたと思ったらはぐらかされる。近づいた瞬間にからかわれて、煙に巻かれて、いつの間にか手の届かない場所にいってしまう)
楓「でも俺は、それが嫌ってわけじゃなくて。むしろ……」
楓(俺はむしろ、そういう先輩のことを――)
明良「……ふうん。まあじゃあ、頑張れよ」
ぽん、と肩を叩かれて、驚いて顔を上げる楓。にへへ、と笑った明良と目が合う。
明良「知りたいって思ったんだろ。だったら頑張れ。嫌われてるわけじゃなさそうだしな」
明良の言葉がストンと胸に落ちて、気持ちが軽くなる楓。
楓「そう、かな。嫌われてないかな」
明良「嫌いなやつわざわざ呼びつけて飯食わねーよ。ってかもう両思いなんじゃねーの」
楓「いやいや。俺そもそも、先輩の恋愛対象に入れるかどうかわかんないし」
明良「なに弱気なこと言ってんだよ。そういうのは気合いが大事だ!」
楓「サッカー馬鹿の明良と一緒にしないで」
明良「なんだお前、俺が脳筋だって言いたいのか?」
明良がふざけて、楓の頬を引っ張ってくる。負けじとやり返す楓。しばらくやり合って、お互いに笑い合う。
笑い疲れた頃、楓は「はーっ」と息を吐きながら後ろに倒れ込む。
楓「……ありがと、明良」
楓の視界の中、冬の曇り空をバックに、明良が照れくさそうに笑う。
目を細めてそれを眺めながら、自分の思考を整理する楓。
楓(人をからかってばかりでつかめなくて、よく笑うのにどこか人を寄せつけない細先輩。でも一人でいることが望みなら、どうして時々、あんなに寂しそうな顔をするんだろうって不思議だった)
楓(知りたいと思ってもいいのだろうか。そばにいたいと――あの人をわかりたいと思ってもいいのなら、俺は)
キンコーンとチャイムが鳴り始め、明良は楓を引き起こし、二人は仲良く話しながら教室に戻る。
◯視点変わって、複数人のクラスメイトと移動教室中の依須玖。二階の渡り廊下の窓から明良とじゃれ合う楓を見つけ、思わず立ち止まり、むっと顔をしかめる。
依須玖のクラスメイト「どしたん細? 早く行かないと遅れるぞー」
依須玖「……うん。ごめん」
にこりと笑って、小走りで友人に追いつく依須玖。そのままクラスメイトたちと他愛のない話をしながら、目的の教室に向かう。
*
◯その日のお昼休み、空き教室。いつも通り窓際の席で向かい合って座り、お弁当を食べる楓と依須玖。
依須玖は澄ました顔で食べているが、楓はドキドキ・ソワソワしていて、それがなんとなく態度にも出ている。
依須玖「……なにかいいことでもあった?」
楓「(内心ドキッとしつつ)えっ? なんでですか」
依須玖「なんだかソワソワしてるから」
はっと両手を頬にあてる楓。依須玖にじーっと見つめられて、顔を赤くしながら目を逸らす。
楓「いや、ええと。これはその……、」
なんでもないです、と誤魔化そうとして、明良の「頑張れよ」という言葉を思い出す楓。「そういうのは気合いが大事だ!」というアドバイスも思い出し、ごくりと唾をのむ。
楓「――なので」
依須玖「ん?」
楓「だから、その。先輩と一緒にいれて、楽しい、ので」
楓(ひゃー、言ってしまった……!)
依須玖の方を向かないまま、心臓バクバクの楓。耳で依須玖の気配を探り、返答を待つが、少し経っても依須玖から反応がない。
楓「……せ、先輩?」
恐る恐る依須玖の方へ視線を戻した楓。その視界に飛び込んできたのは、ぽかんと呆けた依須玖の顔。目をまん丸く見開いて、素で驚いているのがわかる感じ。
楓(これはどういう表情? もしかして俺、失敗した……?)
依須玖の感情が掴めず、戸惑う楓。その様を見て我に返った依須玖が「ああ、ごめん」と謝ってくる。
依須玖「楓くんがそんな風に思ってくれてたなんて、意外だなってびっくりしてた。僕も一緒に過ごせて楽しいよ」
にっこりと笑う依須玖。
しかし楓は、貼りつけたような依須玖の笑顔に、無性に焦りを感じる。
楓「あの、俺ほんと、いつも思ってますから!」
依須玖「え?」
楓「先輩と過ごす時間、とっても楽しいです。先輩は俺の話をたくさん聞いてくれるし、笑ってくれるし、優しいし。この前お家に呼んでくれたのも嬉しかったです。恥ずかしくって、なかなかちゃんと言えないですけど……」
ちらっと上目づかいで、楓は依須玖を見る。
少しの間。依須玖はやがて、思わずといった様子で、楓の輪郭に手を伸ばしてくる。
依須玖「その恥ずかしいのを堪えてまで、今ちゃんと言ってくれたのはどうして?」
楓「……え」
依須玖「楓くんはどうして、それを今僕に言ってくれたの?」
楓「えっと、それは、その――」
楓(そんなの決まってる。それは俺が、あなたを好きだから――)
言うに言えず、顔だけ赤くなる楓。そんな楓を、依須玖の綺麗な黒い瞳がじっと覗き込む。
楓の心臓は、今までで一番といっていいほどにドキドキと高鳴る。慌てて目を逸らそうとするが、依須玖の手がそれを許さず、逃げようとする楓の顔の向きを固定してくる。
楓は吸い込まれるように依須玖の顔に釘づけになって、目を離せない。視線だけで会話した二人は、やがてどちらからともなく顔を近づけて、キスする雰囲気になる。
しかし唇が触れ合う直前、小さく震える楓に気づいた依須玖が、はっと我に返って動きを止める。
楓「……?」
楓はゆっくりとまぶたを開ける。明るくなった視界の中、目が合った依須玖は、にっと笑って楓の頭をポンポン撫でてくる。
依須玖「駄目だよ楓くん。そんな風にあっさり流されちゃ」
その表情を見て、からかわれたのだと気づく楓。一気に全身が熱くなる。
楓「おっ、俺、べつに流されたわけじゃ」
依須玖「(遮って)楓くんって、クラスに仲いい子いるの?」
楓「は?」
依須玖「クラスの友だち。楓くんはいつも、僕とお昼食べてくれてるでしょ。でもたまには、クラスの友だちとも食べたいかなって」
楓(え……? なんで今さら、そんなこと気にするんだろ)
そう思いつつ、口には出せない楓。
依須玖「(笑顔だが、少し圧のある感じで首を傾げて)ねえ、どうなの?」
楓「(焦って)あ、明良って幼馴染がいますけど――でもそいつは部活のやつと食べてるし。だから俺、今のままで大丈夫ですよ」
依須玖「そう」
嬉しいとも不愉快とも判断がつかない真顔で沈黙する依須玖。その反応に戸惑う楓だが、そこでちょうど予鈴が鳴る。
依須玖「もうこんな時間か。楓くん、全部食べれた?」
楓「え? あ、はい」
依須玖「よかった。じゃあ午後も頑張るんだよ」
自分の弁当をさっさと片づけて、先に教室を出ていってしまう依須玖。
楓は動揺から動けず、その場に一人取り残されてしまう。
*
◯その日の夜、楓の家。風呂上がりの楓は自室で畳に寝転がり、スマートフォンをいじっている。
楓【もしかして今日、怒らせちゃいましたか?】
依須玖とのトーク画面に文字を打ち込む楓。しかし送信ボタンは押せずに、結局は全て消して、大きくため息をつきながら画面を消す。
頭の中では、昼間の依須玖とのやり取りがぐるぐる巡っている。キスされそうになったことを思い出せば耳まで赤くなり、明良の話をした後の依須玖の表情を思い出せば、不安から胃がきゅっとなって苦しくなる。
楓(昼間の先輩、なんか変だった……? 放課後一緒に帰った時にはもう、すっかりいつも通りだったけど)
楓(やっぱり、俺がグイグイいったのがいけなかったのかな)
考えても考えても思考は堂々巡りで、やがて嫌になった楓は、勢いよく上体を起こしてわしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜる。
楓「あー、もう! なんだこれ!!」
なんだか泣きそうになりながら叫んだ楓。ふと、勉強机の上に置いてあった雪童子の置物と目が合って、へにょりと眉尻を下げて情けない顔をする。
楓(なあお前、どうすればいいと思う……?)
もちろん、なにも答えてはくれない雪童子。
楓は部屋の真ん中で膝を抱えて、うつむく。つい再びもれてしまった「はあ」というため息が、楓の部屋にこだまする。
【続く】
それを右手で取り出して、後ろを振り返る明良。気まずそうに立つ楓に向かって、先に買って左手に持っていたコーヒーの缶と、取り出したばかりのココアの缶を掲げる。
明良「ほら。どっちがいい?」
楓「……ココア」
明良が「ん」と差し出してきたココアの缶を受け取る楓。熱い缶をまともに掴んでしまい、「あっつ!」と小さく悲鳴をあげる。
明良「馬っ鹿、お前静かにしろよ。授業抜けてきてんだからさあ」
楓「(拗ねたように顔を逸らして)教室で叫んでギャルに説教された明良に言われたくない」
明良「おい。誰のせいだよ。話聞かねーぞ」
※簡単な回想、第三話ラスト、教室でドでかい声で叫んだ明良は、ここに来る前にギャルの長澤さんに「うるさい!」とガチギレされていた。
楓「……そうだよね。ごめん」
明良の「話聞かねーぞ」発言に、わりとしっかりしゅんとする楓。それを見た明良は慌てて、「冗談だってば」と訂正する。
明良「もーお前、どうしちまったんだよ。やりづれえなあ。ほらこっち、さっさと来い」
動きの鈍い楓の腕を引っ張って、明良はずんずん歩く。たどり着いたのは体育館裏。二人は白い息を吐きながら、コンクリート製の犬走りに横並びで腰かける。
明良「で、恋がなんだって?」
ストレートに聞かれて、恥ずかしさがぶり返してくる楓。かーっと耳まで赤くして、膝の間に顔をうずめる。
楓「ごめん明良、やっぱりさっきのは聞かなかったことに……」
明良「いや無理だろ。ギャルに怒られた俺の名誉とホットココア代はどうなる」
楓「……」
反論できない楓。しぶしぶといった感じで口を開く。
楓「だからさ、その。明良は好きな人とか、いたことあるのかなあって気になって」
明良「なに急に。楓好きな人できたん?」
楓「! なんで……!」
明良「えっ、お前オモろ! わかりやす過ぎるだろ!」
ヒーヒー笑いながら、ぺちぺちとコンクリートを叩き出した明良。楓はそれをじっとりとした目で睨みながら、ココアのプルタブを開けて口をつける。
楓「いいよ、もう……そうだよ、好きな人できたの。でも人を好きになったのなんて初めてだから、なんか落ち着かなくて」
明良「ああ、それで寝れない?」
楓「寝れない、し……起きてる間中ずっと、その人のことで頭いっぱいで――」
先日、依須玖に抱きしめられた時のことが楓の脳裏をよぎる。依須玖の言った「まったく君は、本当に危なっかしいなあ」という言葉を思い出して胸がぎゅっとなり、体も熱くなる。
楓(あの時からずっと、心臓が変だ。朝起きてからも先輩がそばにいるってだけでドキドキしっぱなしだったし、別れて自分の家に帰ってからも、先輩と話したことばっかり思い出してなんにも手につかない)
明良「で、相手は誰」
楓「え」
明良「なにその顔。恋バナで相手の名前言わないとか興醒めなんですけど」
じーっと見つめられて狼狽える楓。しばらく迷った後、明良の顔色をうかがいながらおずおずと口を開く。
楓「……引かない?」
明良「は? なにが?」
楓「お、男、なんだけど」
驚いたようにちょっと目を見開く明良。しかしそれ以上は特に表情を変えず、「名前は?」と楓の回答を促す。
楓「(意を決して)細、先輩」
かーっと顔を赤くする楓。そんな楓をまじまじと見つめた後、明良はぷはっと吹き出して破顔する。
明良「なーんだ、そういうこと!」
楓「なにその反応」
明良「だってさ、なんであんなに懐いてんのかなーって不思議だったわけ。なるほどね、好きだから昼休みのたびに会いに行ってたわけね」
楓「いや、好きになったのはついこの前で……」
明良「そんなわけなくね? お前絶対、もっと前から細先輩のこと好きだったんだって」
ばしばしと背中を叩かれて、ココアがこぼれそうになる。「痛い、やめろっ」と明良を止めつつ、自分でも「そうなのかな」という気になってくる楓。
楓(そうなのかな。俺前から、細先輩のこと好きだったのかな)
初めて目が合った時のことや「付き合ってくれるの?」とからかわれた時のことを思い返す。それから、いつもの空き教室で窓を開けてぼんやりと外を眺める依須玖の横顔を思い出して、はっと気づく。
楓(そうだ。俺は)
楓(先輩のあの顔が――)
楓「……ねえ明良」
明良「んー?」
楓「明良はさ、なんで最初、先輩のこと『怖い』って言ったの?」
楓の質問に「あー、」と首を傾げて考える明良。
明良「だってあの人、人あたりいい風装って、全然本当のこと言わなそうじゃん。笑顔が胡散臭いっていうか、そういうのってほら、見てればわかるだろ。だから心配だったんだよな。まあお前が案外懐いてるから、上手くやってんなら俺が口出すことでもないかなって思って見てたけど」
「そういえばその辺、どうなの?」と尋ね返され、返す言葉に迷う楓。じっと考えながら、途切れ途切れに答える。
楓「そんな感じは……うん。正直ある、かな。明良の言ってること、すごくよくわかる」
楓(笑顔全部が嘘ってわけでもないだろうけど……細先輩は本当につかめない。本心を、心の底を、わかりきれない。見えたと思ったらはぐらかされる。近づいた瞬間にからかわれて、煙に巻かれて、いつの間にか手の届かない場所にいってしまう)
楓「でも俺は、それが嫌ってわけじゃなくて。むしろ……」
楓(俺はむしろ、そういう先輩のことを――)
明良「……ふうん。まあじゃあ、頑張れよ」
ぽん、と肩を叩かれて、驚いて顔を上げる楓。にへへ、と笑った明良と目が合う。
明良「知りたいって思ったんだろ。だったら頑張れ。嫌われてるわけじゃなさそうだしな」
明良の言葉がストンと胸に落ちて、気持ちが軽くなる楓。
楓「そう、かな。嫌われてないかな」
明良「嫌いなやつわざわざ呼びつけて飯食わねーよ。ってかもう両思いなんじゃねーの」
楓「いやいや。俺そもそも、先輩の恋愛対象に入れるかどうかわかんないし」
明良「なに弱気なこと言ってんだよ。そういうのは気合いが大事だ!」
楓「サッカー馬鹿の明良と一緒にしないで」
明良「なんだお前、俺が脳筋だって言いたいのか?」
明良がふざけて、楓の頬を引っ張ってくる。負けじとやり返す楓。しばらくやり合って、お互いに笑い合う。
笑い疲れた頃、楓は「はーっ」と息を吐きながら後ろに倒れ込む。
楓「……ありがと、明良」
楓の視界の中、冬の曇り空をバックに、明良が照れくさそうに笑う。
目を細めてそれを眺めながら、自分の思考を整理する楓。
楓(人をからかってばかりでつかめなくて、よく笑うのにどこか人を寄せつけない細先輩。でも一人でいることが望みなら、どうして時々、あんなに寂しそうな顔をするんだろうって不思議だった)
楓(知りたいと思ってもいいのだろうか。そばにいたいと――あの人をわかりたいと思ってもいいのなら、俺は)
キンコーンとチャイムが鳴り始め、明良は楓を引き起こし、二人は仲良く話しながら教室に戻る。
◯視点変わって、複数人のクラスメイトと移動教室中の依須玖。二階の渡り廊下の窓から明良とじゃれ合う楓を見つけ、思わず立ち止まり、むっと顔をしかめる。
依須玖のクラスメイト「どしたん細? 早く行かないと遅れるぞー」
依須玖「……うん。ごめん」
にこりと笑って、小走りで友人に追いつく依須玖。そのままクラスメイトたちと他愛のない話をしながら、目的の教室に向かう。
*
◯その日のお昼休み、空き教室。いつも通り窓際の席で向かい合って座り、お弁当を食べる楓と依須玖。
依須玖は澄ました顔で食べているが、楓はドキドキ・ソワソワしていて、それがなんとなく態度にも出ている。
依須玖「……なにかいいことでもあった?」
楓「(内心ドキッとしつつ)えっ? なんでですか」
依須玖「なんだかソワソワしてるから」
はっと両手を頬にあてる楓。依須玖にじーっと見つめられて、顔を赤くしながら目を逸らす。
楓「いや、ええと。これはその……、」
なんでもないです、と誤魔化そうとして、明良の「頑張れよ」という言葉を思い出す楓。「そういうのは気合いが大事だ!」というアドバイスも思い出し、ごくりと唾をのむ。
楓「――なので」
依須玖「ん?」
楓「だから、その。先輩と一緒にいれて、楽しい、ので」
楓(ひゃー、言ってしまった……!)
依須玖の方を向かないまま、心臓バクバクの楓。耳で依須玖の気配を探り、返答を待つが、少し経っても依須玖から反応がない。
楓「……せ、先輩?」
恐る恐る依須玖の方へ視線を戻した楓。その視界に飛び込んできたのは、ぽかんと呆けた依須玖の顔。目をまん丸く見開いて、素で驚いているのがわかる感じ。
楓(これはどういう表情? もしかして俺、失敗した……?)
依須玖の感情が掴めず、戸惑う楓。その様を見て我に返った依須玖が「ああ、ごめん」と謝ってくる。
依須玖「楓くんがそんな風に思ってくれてたなんて、意外だなってびっくりしてた。僕も一緒に過ごせて楽しいよ」
にっこりと笑う依須玖。
しかし楓は、貼りつけたような依須玖の笑顔に、無性に焦りを感じる。
楓「あの、俺ほんと、いつも思ってますから!」
依須玖「え?」
楓「先輩と過ごす時間、とっても楽しいです。先輩は俺の話をたくさん聞いてくれるし、笑ってくれるし、優しいし。この前お家に呼んでくれたのも嬉しかったです。恥ずかしくって、なかなかちゃんと言えないですけど……」
ちらっと上目づかいで、楓は依須玖を見る。
少しの間。依須玖はやがて、思わずといった様子で、楓の輪郭に手を伸ばしてくる。
依須玖「その恥ずかしいのを堪えてまで、今ちゃんと言ってくれたのはどうして?」
楓「……え」
依須玖「楓くんはどうして、それを今僕に言ってくれたの?」
楓「えっと、それは、その――」
楓(そんなの決まってる。それは俺が、あなたを好きだから――)
言うに言えず、顔だけ赤くなる楓。そんな楓を、依須玖の綺麗な黒い瞳がじっと覗き込む。
楓の心臓は、今までで一番といっていいほどにドキドキと高鳴る。慌てて目を逸らそうとするが、依須玖の手がそれを許さず、逃げようとする楓の顔の向きを固定してくる。
楓は吸い込まれるように依須玖の顔に釘づけになって、目を離せない。視線だけで会話した二人は、やがてどちらからともなく顔を近づけて、キスする雰囲気になる。
しかし唇が触れ合う直前、小さく震える楓に気づいた依須玖が、はっと我に返って動きを止める。
楓「……?」
楓はゆっくりとまぶたを開ける。明るくなった視界の中、目が合った依須玖は、にっと笑って楓の頭をポンポン撫でてくる。
依須玖「駄目だよ楓くん。そんな風にあっさり流されちゃ」
その表情を見て、からかわれたのだと気づく楓。一気に全身が熱くなる。
楓「おっ、俺、べつに流されたわけじゃ」
依須玖「(遮って)楓くんって、クラスに仲いい子いるの?」
楓「は?」
依須玖「クラスの友だち。楓くんはいつも、僕とお昼食べてくれてるでしょ。でもたまには、クラスの友だちとも食べたいかなって」
楓(え……? なんで今さら、そんなこと気にするんだろ)
そう思いつつ、口には出せない楓。
依須玖「(笑顔だが、少し圧のある感じで首を傾げて)ねえ、どうなの?」
楓「(焦って)あ、明良って幼馴染がいますけど――でもそいつは部活のやつと食べてるし。だから俺、今のままで大丈夫ですよ」
依須玖「そう」
嬉しいとも不愉快とも判断がつかない真顔で沈黙する依須玖。その反応に戸惑う楓だが、そこでちょうど予鈴が鳴る。
依須玖「もうこんな時間か。楓くん、全部食べれた?」
楓「え? あ、はい」
依須玖「よかった。じゃあ午後も頑張るんだよ」
自分の弁当をさっさと片づけて、先に教室を出ていってしまう依須玖。
楓は動揺から動けず、その場に一人取り残されてしまう。
*
◯その日の夜、楓の家。風呂上がりの楓は自室で畳に寝転がり、スマートフォンをいじっている。
楓【もしかして今日、怒らせちゃいましたか?】
依須玖とのトーク画面に文字を打ち込む楓。しかし送信ボタンは押せずに、結局は全て消して、大きくため息をつきながら画面を消す。
頭の中では、昼間の依須玖とのやり取りがぐるぐる巡っている。キスされそうになったことを思い出せば耳まで赤くなり、明良の話をした後の依須玖の表情を思い出せば、不安から胃がきゅっとなって苦しくなる。
楓(昼間の先輩、なんか変だった……? 放課後一緒に帰った時にはもう、すっかりいつも通りだったけど)
楓(やっぱり、俺がグイグイいったのがいけなかったのかな)
考えても考えても思考は堂々巡りで、やがて嫌になった楓は、勢いよく上体を起こしてわしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜる。
楓「あー、もう! なんだこれ!!」
なんだか泣きそうになりながら叫んだ楓。ふと、勉強机の上に置いてあった雪童子の置物と目が合って、へにょりと眉尻を下げて情けない顔をする。
楓(なあお前、どうすればいいと思う……?)
もちろん、なにも答えてはくれない雪童子。
楓は部屋の真ん中で膝を抱えて、うつむく。つい再びもれてしまった「はあ」というため息が、楓の部屋にこだまする。
【続く】


