〇二週間後、お昼前の教室。急遽授業が自習になってしまい、騒がしい。
明良「っにしても荻セン発熱か~。絶対インフルだろ。流行んないといいけどなー」
『荻セン』は楓たちの担任・荻窪先生のこと。ついさきほど熱で早退した。前の黒板には学年主任が書いた【自習※静かに!】の文字。その周りには生徒が書いた【オギセンお大事にー】【インフル一号?! 乙!】の文字もあり、クラスメイトの何人かはそこに群がって、荻センや学年主任の似顔絵を描いて遊んでいる。
明良「あれ、増えすぎると学級閉鎖じゃん? 授業ないのは嬉しいんだけどさ、部活もできねえから嫌なんだよ。わかる?」
明良は前の席に座ったまま、体をねじって振り向いて楓の机に肘を突き、指先でシャープペンシルを弄んでいる。楓の相づちは待たず、つらつらと続ける。
明良「寒くても練習試合はやるしさー。雪降ったら校庭は使えないけど、そういう時の室内トレーニングって意外と馬鹿にできないのよ。あれだ、米作りと一緒。楓んち農家だからわかるだろー。結局土台作りが大事なんだよ何事も」
くるくるっとペン回しをする明良。しかし失敗して、シャープペンシルを落としてしまう。拾わなきゃ、といった様子で床に視線をやる明良だが、ふいにムッと顔をしかめる。
明良「とりゃっ」
楓「ひっ?!」
ずっと机に突っ伏していた楓は、明良から突然チョップされて驚く。チョップが当たった肩のあたりを押さえつつ、恨めし気に顔を上げる。
楓「痛ったいな、なにすんだよ」
明良「お前が無視し続けるからだろ。ちょっとは味わえ、人の心の痛みを」
楓「物理攻撃は違くない……?」
そう言いつつ、楓の頭はへろへろと再び机に戻っていってしまう。一度席を立ってシャープペンシルを拾った明良は、そんな楓の様子を見ながらため息をつく。
明良「なに、今日も呼び出し?」
楓「今日もっていうか、基本呼び出しっていうか」
明良「お前マジで俺に感謝しろよ? 普通な、急に弁当ボッチにされたら、友情に亀裂入りまくりなんだからな? まあ俺は部活の奴らと食えるから許してやってるけど、本当ならゼッコーだぞゼッコー」
明良「ありがとうございます明良様……」
机に両手を突いて、大げさに頭を下げてみせる楓。明良はそれを見て、「苦しゅうない」とふんぞり返る。
明良「にしてもさー、もう二週間だろ? そんなに嫌なら断ればいいのに。お前って付き合い良いよな」
楓「嫌……なわけではないよ、うん」
明良「じゃあなんでそんなになってるわけ?」
楓の机に頬杖を突いた明良が、猫目をぱっちりと開いて「心底謎」といった表情で見下ろしてくる。楓は机に片頬を突けたままそれを見上げ、なにも答えられなくて目を逸らす。
楓(なんで、なんて。そんなの自分でもわからない)
楓(会いたいのに、会いたくないというか。会いたくないのに、会いたいというか)
*
〇昼休みに入り、キーンコーンカーンコーンとチャイムの音。弁当を持った楓が、三階の空き教室の扉をおずおずと開ける。
楓「お邪魔しまーす……」
視線を上げると、教室の奥の方に依須玖が座っている。依須玖は窓を少しだけ開けて外を見ていたが、楓に気づいて振り返り、にっこりと笑う。
依須玖「お疲れ。待ってたよ」
ぺこりと頭を下げて依須玖に近寄る楓。依須玖はすぐに窓を閉めるが、まだ冷気が残っていて、楓は小さく身震いをする。
楓「いつも開けてますけど、寒くないんですか?」
依須玖「べつに? こもった空気の方が、僕は嫌いだからね」
にこにこ笑いながら依須玖は楓の方を見てくる。楓はその向かいに腰を下ろし、スクールバッグから弁当箱を取り出す。
楓・依須玖「いただきまーす」
二人同時に手を合わせた後、それぞれ食べ始める。楓が一口目をもごもごやっていると依須玖が話しかけてくる。
依須玖「午前中は授業どうだった?」
楓「え? ああ、朝は数学で小テストがあって、二限は国語で……そうだ、昼前に担任が熱出して帰ったんです。それで自習になって、まあもちろん、皆騒ぐじゃないですか。そしたら学年主任が来ちゃって、その時黒板にめっちゃ落書きしてあったからよけいに怒られて、大変でした」
依須玖「あはは。一年の学年主任って誰だっけ?」
楓「森センです」
依須玖「それは怒りそうだなあ。担任は?」
楓「荻センですね」
依須玖「荻窪先生熱なんだ。ってことは僕たちも、午後の英語は自習かな」
相づちを打ちつつ、上品な仕草でエビチリを口に運ぶ依須玖。ただお弁当を食べているだけなのに無駄に神々しいその姿を見て、楓はぐぬぬ、と唇を噛む。
楓(細先輩に「友だちになって」と言われてから二週間。初めは何事かと思ったけれど、特に大した事件もなく、こうして空き教室で一緒にお弁当を食べるだけの毎日が続いている)
楓(だからこそ俺は、この人の意図が全くつかめなくて戸惑っている。だって普通、弁当を一緒に食べるためだけに、わざわざ他学年の人間に声をかけたりなんてしないだろう)
ごくごくと水筒を飲む依須玖。蓋を閉めながら楓の視線に気づき、にこりと笑う。
依須玖「そんなに熱心に見られてると、緊張するな」
楓「(はっと我に返って)見てません!!!」
ぐりんと勢いよく依須玖から顔を背ける楓。しかし依須玖は椅子から腰を浮かせて、楓の輪郭に長い指をすっと伸ばしてくる。
依須玖「またまたそんな、嘘つかなくてもいいのに」
楓「嘘じゃないです! 本当です!」
依須玖「素直な方が人生楽だよ?」
楓「ずっとこれで生きてきてるのでお構いなく!」
依須玖「楓くんは面白いなあ。そんな風に意地張っても、可愛いだけなのに」
顎クイのポーズで楓の顔を引き寄せ、じっと見つめてくる依須玖。距離の近さに、楓の顔はぼんっと赤くなる。
楓「~~、~~~~っ!!!」
依須玖「おっと危ない」
パニックに陥った楓が繰り出した頭突きを、危なげもなく避ける依須玖。空振りした楓は真っ赤な顔のまま、依須玖をきっと睨み上げる。
依須玖「あはは、可愛い猫ちゃんだ。そうだ、チュールはないけど飴ならあるよ。ここ来る前にクラスの女子からもらったんだけど、食べる?」
依須玖は自分のスクールバッグを漁って、棒つきキャンディーを取り出す。その顔がとても生き生きしているのを見て、頭を抱える楓。
楓(遊ばれてる! 俺、絶対この人に遊ばれてる!)
依須玖「どうする? いるの? いらないの?」
楓「いらないですよ! だいたい、人からもらったものをすぐに横流しするのはどうかと思います」
依須玖「真面目だね。そんなことより楓くん、飴はともかく、お弁当も早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
楓「(「誰のせいで」と言いたいのを飲み込んで)…….先輩って、どうしてそんなんで友だちいるんですか?」
依須玖「ん? 急に失礼だなあ。まあ顔じゃない?」
楓「顔って」
依須玖「真理だよ。綺麗なものは皆好きでしょ」
自分の顔のよさをわかっている風に、小首を傾げて見せる依須玖。その動きに合わせて、黒髪がさらりと流れる。
依須玖「楓くんは僕の顔嫌い?」
楓「っ……、(きょろきょろと目を泳がせてから)……す、」
依須玖「す?」
楓「すっ……、好き、ですけど(『好き』だけ異様に小さな声)」
依須玖「だよね。よかった」
照れることもなく、ノーダメージで弁当の続きに戻る依須玖。それを見た楓は大きくため息をつく。
楓(駄目だ。やっぱりどうしても振り回される……すごい疲れるから嫌なのに)
楓(でも顔が綺麗なのは本当だから、近づかれるとドキドキするしつい見ちゃうんだよな)
唇を尖らせながら、ちらりと上目づかいで依須玖を見る楓。ぱちりと目が合い、小さく微笑まれて、気まずさから目を逸らす。
楓「っていうか先輩、お弁当にエビチリって豪華ですね」
依須玖「そう?」
楓「そうじゃないですか? しかもそれ、エビ大きいから冷食じゃなくて手作りですよね」
依須玖「まああの人たちは、お金もらってやってるからねえ」
依須玖の発言に驚いて、思わず箸を止めてしまう楓。
楓「失礼ですけど、細先輩のお家ってどこに……?」
依須玖「三丁目の高台だね」
楓「あの、やたらデカい門と生垣のある?」
依須玖「まあ多分、そう」
楓(超金持ち……!)
楓は頭の中で、以前見かけたことがある旅館みたいに立派な和風の屋敷を思い出す。依須玖の家は代々『細ホールディングス』という会社を経営していて、町では昔からかなりの資産家として有名。
楓「細先輩、ささめ、ささめホールディングス……そっか、なんで俺気づかなかったんだ」
依須玖「楓くん知らなかったんだね」
楓「自分で言うのもあれですけど、俺そういうの疎いんです。めちゃくちゃお坊ちゃんじゃないですか」
依須玖「母が次女だから、後継ぎではないけどね。まあその分気楽にやらせてもらってるよ」
楓より一足先に弁当を食べ終えた依須玖は、「ごちそうさまでした」と手を合わせて片づけを始める。
楓「マジか……あの屋敷で生活してる人間が実在するなんて(まだ呆然としている)」
依須玖「家が広いとその分静かで過ごしやすいよ。だけどそうだな」
依須玖は自分のスクールバッグに弁当をしまいつつ、ふと顔を上げる。
「実の親が作ってくれたお弁当っていうのは、人生で一回くらい食べてみたかったかな」
楓ははっと顔を上げて依須玖を見つめる。依須玖は楓の方には視線を向けず、心ここにあらずといった様子で窓の外を眺めている。
その横顔に、なんとなく胸を締めつけられる楓。
楓(……細先輩といるのは疲れる。疲れるっていうか、戸惑ってしまう。男の人にこんな、ドキドキしてしまう自分はおかしいんじゃないかとか、この人はなんのメリットがあって俺と昼食を食べようとするんだろうとか、そういうよけいな悩みも増えて、正直この二週間、心を乱されっぱなし)
楓(だけどそれでも、俺がこの人からの誘いを断れないのは――)
依須玖「そうだ楓くん。もし家の方向同じだったら、今度から一緒に帰らない? 確か部活やってないんだよね」
おもむろに振り返り、先ほど窓を眺めていた時とは打って変わった仮面のように完璧な笑顔で誘ってくる依須玖。楓は複雑な気持ちでその顔を見つめた後、目を逸らしながらぼそりと答える。
楓「いい、ですけど……」
*
〇放課後、正門前。昇降口から出てきた楓がスマートフォンを開くと、依須玖からメッセージがきている。
依須玖【ごめん。先生に呼ばれたから、少しだけ待っててくれる?】
【わかりました】と返信して、その場に立ち尽くす楓。やがて女子生徒の集団が近づいてきたので、邪魔にならないよう端に寄る。そのままスクールバッグから付箋がたくさんついた一冊の分厚い本を取り出し、立ったまま読み始める。
依須玖「(十分後くらいに、楓の背後から現れて)『双色町の民話と特色』?」
楓「!!!」
突然声をかけられて、驚きすぎて声も出せずに飛び退く楓。依須玖は表紙を覗き込んでいた顔を上げて、「楓くんそういうの好きなんだ」と口を開く。
楓「好きっていうか、たまたま面白そうだなって思って借りただけです」
依須玖「でも付箋すごいよ?」
楓「こっっれは、その、えっと、その……」
誤魔化しきれずに黙り込み、気まずさからうつむく楓。
依須玖「(ふっと優しく笑って)べつに隠すことないのに」
楓「……なんか、馬鹿にされそうで嫌なんです。女子みたいだし」
依須玖「趣味趣向に女子も男子もないでしょ。それに僕は、楓くんが大事にしてるものを馬鹿になんてしないよ。そんなに分厚い本読んで付箋だらけにするくらいなんだから、ちゃんと胸張って好きって言いな」
楓の頭をぽん、と撫でて、依須玖はさっさと歩き出す。しかしすぐに、立ち止まったままの楓に気づいて振り返る。
依須玖「楓くん?」
依須玖に撫でられた頭を自分の手で押さえて、恥ずかしそうに顔を赤くしている楓。今までからかって近づいた時とは違う、心底照れていそうなその姿に、依須玖は目を奪われる。
依須玖「楓く」
楓「せっ、先輩は、『雪童子』って知ってますか」
楓の言葉を聞いた瞬間、依須玖の表情が少し強張る。楓はそれには気づかず、話を続ける。
楓「俺、昔あったことがあるんです。信じてもらえないかもしれないけど――」
〇楓の回想。山の上にある神社の境内、天気は雪。社殿脇の見晴らしのよくなっている場所で、幼い楓は一人の男の子に声をかける。
楓「帽子、なくしちゃったの?」
ふわふわと降る雪の中、くるりと振り返る男の子。
男の子「帽子?」
楓「うん。だって君、『ゆきわらし』でしょ? ……『ゆきわらし』はね、雪の精なんだよ。藁の帽子被ってるってお父さんが言ってた。でも君は被ってないから、なくしちゃったのって聞いたの」
楓の言葉に、答えるでも答えないでもなく、しばらく戸惑ったような様子の男の子。しかし楓に「なくしちゃったの?」と再び聞かれ、ようやく口を開く。
男の子「ぼくは――」
〇回想終わり。回想前と同じ場所に立ち、恥ずかしそうに目を伏せたまま、一生懸命に話す楓。
楓「その子は本当に、雪とおんなじくらいに綺麗な男の子で。俺の家は父親とじいちゃんが 双色小物の彫り師やってて、あそこには時々、お守り用の細工を届けに行くんです。俺はあの日初めて一緒に連れていってもらって、それからは雪が降るたびに父や母にせがんで遊びにいきました」
楓(彼はいつも、一人であそこにいた。はらはらと降る雪の中、俺が声をかけるまではぼんやりと空を見上げていて、声をかければ必ず振り向いて遊んでくれた)
楓「俺、もう一度あの子にあいたいんです。あって、謝りたい」
依須玖「……謝りたい?」
楓「はい。最初にあった時、あの子は俺に『誰にも言わないで』って言ったんです。でも俺、その約束が守れなくて、人に話してしまって――そうしたらその後は、どんなに叫んでも探しても、雪童子は俺の前に現れてくれなくなりました」
依須玖「(大きく目を見開いて)それは、」
楓「いいんです」
依須玖がなにか続ける前に、勢いよく遮る楓。
楓「返しに困る話をしてごめんなさい。ただなんとなく、聞いてほしかっただけなので。信じてもらわなくて大丈夫です。ただ俺は、そういう体験をしたことがあって、それを信じていて、それで民話とかにのめり込むようになったっていう、そういう経緯の話がしたかっただけというか……」
へらっと誤魔化すように笑って、人差し指で頬を掻く楓。それを見た依須玖は少し沈黙した後、ごくりと唾をのんでから口を開く。
依須玖「信じるよ」
楓「……え?」
依須玖「楓くんが信じてるなら、僕も信じる。――ねえ、他に面白い話はないの? よかったら色々教えてよ」
楓「えっ、えっ? 信じてくれるんですか。ってか教えてって、先に言っておきますけど、俺だいぶオタクだから話し出したら相当ヤバいですよ」
依須玖「大丈夫。友だちの好きなものは知りたいよ」
にっこりと笑いかけてくれる依須玖。楓はぱああっと瞳を輝かせて依須玖に駆け寄り、口を開く。
楓「それじゃあまず、双色町の名前の由来なんですが――」
冬間近の田舎道を帰りながら、楽しそうに話す楓と、それを微笑ましく見守る依須玖。
【続く】
明良「っにしても荻セン発熱か~。絶対インフルだろ。流行んないといいけどなー」
『荻セン』は楓たちの担任・荻窪先生のこと。ついさきほど熱で早退した。前の黒板には学年主任が書いた【自習※静かに!】の文字。その周りには生徒が書いた【オギセンお大事にー】【インフル一号?! 乙!】の文字もあり、クラスメイトの何人かはそこに群がって、荻センや学年主任の似顔絵を描いて遊んでいる。
明良「あれ、増えすぎると学級閉鎖じゃん? 授業ないのは嬉しいんだけどさ、部活もできねえから嫌なんだよ。わかる?」
明良は前の席に座ったまま、体をねじって振り向いて楓の机に肘を突き、指先でシャープペンシルを弄んでいる。楓の相づちは待たず、つらつらと続ける。
明良「寒くても練習試合はやるしさー。雪降ったら校庭は使えないけど、そういう時の室内トレーニングって意外と馬鹿にできないのよ。あれだ、米作りと一緒。楓んち農家だからわかるだろー。結局土台作りが大事なんだよ何事も」
くるくるっとペン回しをする明良。しかし失敗して、シャープペンシルを落としてしまう。拾わなきゃ、といった様子で床に視線をやる明良だが、ふいにムッと顔をしかめる。
明良「とりゃっ」
楓「ひっ?!」
ずっと机に突っ伏していた楓は、明良から突然チョップされて驚く。チョップが当たった肩のあたりを押さえつつ、恨めし気に顔を上げる。
楓「痛ったいな、なにすんだよ」
明良「お前が無視し続けるからだろ。ちょっとは味わえ、人の心の痛みを」
楓「物理攻撃は違くない……?」
そう言いつつ、楓の頭はへろへろと再び机に戻っていってしまう。一度席を立ってシャープペンシルを拾った明良は、そんな楓の様子を見ながらため息をつく。
明良「なに、今日も呼び出し?」
楓「今日もっていうか、基本呼び出しっていうか」
明良「お前マジで俺に感謝しろよ? 普通な、急に弁当ボッチにされたら、友情に亀裂入りまくりなんだからな? まあ俺は部活の奴らと食えるから許してやってるけど、本当ならゼッコーだぞゼッコー」
明良「ありがとうございます明良様……」
机に両手を突いて、大げさに頭を下げてみせる楓。明良はそれを見て、「苦しゅうない」とふんぞり返る。
明良「にしてもさー、もう二週間だろ? そんなに嫌なら断ればいいのに。お前って付き合い良いよな」
楓「嫌……なわけではないよ、うん」
明良「じゃあなんでそんなになってるわけ?」
楓の机に頬杖を突いた明良が、猫目をぱっちりと開いて「心底謎」といった表情で見下ろしてくる。楓は机に片頬を突けたままそれを見上げ、なにも答えられなくて目を逸らす。
楓(なんで、なんて。そんなの自分でもわからない)
楓(会いたいのに、会いたくないというか。会いたくないのに、会いたいというか)
*
〇昼休みに入り、キーンコーンカーンコーンとチャイムの音。弁当を持った楓が、三階の空き教室の扉をおずおずと開ける。
楓「お邪魔しまーす……」
視線を上げると、教室の奥の方に依須玖が座っている。依須玖は窓を少しだけ開けて外を見ていたが、楓に気づいて振り返り、にっこりと笑う。
依須玖「お疲れ。待ってたよ」
ぺこりと頭を下げて依須玖に近寄る楓。依須玖はすぐに窓を閉めるが、まだ冷気が残っていて、楓は小さく身震いをする。
楓「いつも開けてますけど、寒くないんですか?」
依須玖「べつに? こもった空気の方が、僕は嫌いだからね」
にこにこ笑いながら依須玖は楓の方を見てくる。楓はその向かいに腰を下ろし、スクールバッグから弁当箱を取り出す。
楓・依須玖「いただきまーす」
二人同時に手を合わせた後、それぞれ食べ始める。楓が一口目をもごもごやっていると依須玖が話しかけてくる。
依須玖「午前中は授業どうだった?」
楓「え? ああ、朝は数学で小テストがあって、二限は国語で……そうだ、昼前に担任が熱出して帰ったんです。それで自習になって、まあもちろん、皆騒ぐじゃないですか。そしたら学年主任が来ちゃって、その時黒板にめっちゃ落書きしてあったからよけいに怒られて、大変でした」
依須玖「あはは。一年の学年主任って誰だっけ?」
楓「森センです」
依須玖「それは怒りそうだなあ。担任は?」
楓「荻センですね」
依須玖「荻窪先生熱なんだ。ってことは僕たちも、午後の英語は自習かな」
相づちを打ちつつ、上品な仕草でエビチリを口に運ぶ依須玖。ただお弁当を食べているだけなのに無駄に神々しいその姿を見て、楓はぐぬぬ、と唇を噛む。
楓(細先輩に「友だちになって」と言われてから二週間。初めは何事かと思ったけれど、特に大した事件もなく、こうして空き教室で一緒にお弁当を食べるだけの毎日が続いている)
楓(だからこそ俺は、この人の意図が全くつかめなくて戸惑っている。だって普通、弁当を一緒に食べるためだけに、わざわざ他学年の人間に声をかけたりなんてしないだろう)
ごくごくと水筒を飲む依須玖。蓋を閉めながら楓の視線に気づき、にこりと笑う。
依須玖「そんなに熱心に見られてると、緊張するな」
楓「(はっと我に返って)見てません!!!」
ぐりんと勢いよく依須玖から顔を背ける楓。しかし依須玖は椅子から腰を浮かせて、楓の輪郭に長い指をすっと伸ばしてくる。
依須玖「またまたそんな、嘘つかなくてもいいのに」
楓「嘘じゃないです! 本当です!」
依須玖「素直な方が人生楽だよ?」
楓「ずっとこれで生きてきてるのでお構いなく!」
依須玖「楓くんは面白いなあ。そんな風に意地張っても、可愛いだけなのに」
顎クイのポーズで楓の顔を引き寄せ、じっと見つめてくる依須玖。距離の近さに、楓の顔はぼんっと赤くなる。
楓「~~、~~~~っ!!!」
依須玖「おっと危ない」
パニックに陥った楓が繰り出した頭突きを、危なげもなく避ける依須玖。空振りした楓は真っ赤な顔のまま、依須玖をきっと睨み上げる。
依須玖「あはは、可愛い猫ちゃんだ。そうだ、チュールはないけど飴ならあるよ。ここ来る前にクラスの女子からもらったんだけど、食べる?」
依須玖は自分のスクールバッグを漁って、棒つきキャンディーを取り出す。その顔がとても生き生きしているのを見て、頭を抱える楓。
楓(遊ばれてる! 俺、絶対この人に遊ばれてる!)
依須玖「どうする? いるの? いらないの?」
楓「いらないですよ! だいたい、人からもらったものをすぐに横流しするのはどうかと思います」
依須玖「真面目だね。そんなことより楓くん、飴はともかく、お弁当も早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
楓「(「誰のせいで」と言いたいのを飲み込んで)…….先輩って、どうしてそんなんで友だちいるんですか?」
依須玖「ん? 急に失礼だなあ。まあ顔じゃない?」
楓「顔って」
依須玖「真理だよ。綺麗なものは皆好きでしょ」
自分の顔のよさをわかっている風に、小首を傾げて見せる依須玖。その動きに合わせて、黒髪がさらりと流れる。
依須玖「楓くんは僕の顔嫌い?」
楓「っ……、(きょろきょろと目を泳がせてから)……す、」
依須玖「す?」
楓「すっ……、好き、ですけど(『好き』だけ異様に小さな声)」
依須玖「だよね。よかった」
照れることもなく、ノーダメージで弁当の続きに戻る依須玖。それを見た楓は大きくため息をつく。
楓(駄目だ。やっぱりどうしても振り回される……すごい疲れるから嫌なのに)
楓(でも顔が綺麗なのは本当だから、近づかれるとドキドキするしつい見ちゃうんだよな)
唇を尖らせながら、ちらりと上目づかいで依須玖を見る楓。ぱちりと目が合い、小さく微笑まれて、気まずさから目を逸らす。
楓「っていうか先輩、お弁当にエビチリって豪華ですね」
依須玖「そう?」
楓「そうじゃないですか? しかもそれ、エビ大きいから冷食じゃなくて手作りですよね」
依須玖「まああの人たちは、お金もらってやってるからねえ」
依須玖の発言に驚いて、思わず箸を止めてしまう楓。
楓「失礼ですけど、細先輩のお家ってどこに……?」
依須玖「三丁目の高台だね」
楓「あの、やたらデカい門と生垣のある?」
依須玖「まあ多分、そう」
楓(超金持ち……!)
楓は頭の中で、以前見かけたことがある旅館みたいに立派な和風の屋敷を思い出す。依須玖の家は代々『細ホールディングス』という会社を経営していて、町では昔からかなりの資産家として有名。
楓「細先輩、ささめ、ささめホールディングス……そっか、なんで俺気づかなかったんだ」
依須玖「楓くん知らなかったんだね」
楓「自分で言うのもあれですけど、俺そういうの疎いんです。めちゃくちゃお坊ちゃんじゃないですか」
依須玖「母が次女だから、後継ぎではないけどね。まあその分気楽にやらせてもらってるよ」
楓より一足先に弁当を食べ終えた依須玖は、「ごちそうさまでした」と手を合わせて片づけを始める。
楓「マジか……あの屋敷で生活してる人間が実在するなんて(まだ呆然としている)」
依須玖「家が広いとその分静かで過ごしやすいよ。だけどそうだな」
依須玖は自分のスクールバッグに弁当をしまいつつ、ふと顔を上げる。
「実の親が作ってくれたお弁当っていうのは、人生で一回くらい食べてみたかったかな」
楓ははっと顔を上げて依須玖を見つめる。依須玖は楓の方には視線を向けず、心ここにあらずといった様子で窓の外を眺めている。
その横顔に、なんとなく胸を締めつけられる楓。
楓(……細先輩といるのは疲れる。疲れるっていうか、戸惑ってしまう。男の人にこんな、ドキドキしてしまう自分はおかしいんじゃないかとか、この人はなんのメリットがあって俺と昼食を食べようとするんだろうとか、そういうよけいな悩みも増えて、正直この二週間、心を乱されっぱなし)
楓(だけどそれでも、俺がこの人からの誘いを断れないのは――)
依須玖「そうだ楓くん。もし家の方向同じだったら、今度から一緒に帰らない? 確か部活やってないんだよね」
おもむろに振り返り、先ほど窓を眺めていた時とは打って変わった仮面のように完璧な笑顔で誘ってくる依須玖。楓は複雑な気持ちでその顔を見つめた後、目を逸らしながらぼそりと答える。
楓「いい、ですけど……」
*
〇放課後、正門前。昇降口から出てきた楓がスマートフォンを開くと、依須玖からメッセージがきている。
依須玖【ごめん。先生に呼ばれたから、少しだけ待っててくれる?】
【わかりました】と返信して、その場に立ち尽くす楓。やがて女子生徒の集団が近づいてきたので、邪魔にならないよう端に寄る。そのままスクールバッグから付箋がたくさんついた一冊の分厚い本を取り出し、立ったまま読み始める。
依須玖「(十分後くらいに、楓の背後から現れて)『双色町の民話と特色』?」
楓「!!!」
突然声をかけられて、驚きすぎて声も出せずに飛び退く楓。依須玖は表紙を覗き込んでいた顔を上げて、「楓くんそういうの好きなんだ」と口を開く。
楓「好きっていうか、たまたま面白そうだなって思って借りただけです」
依須玖「でも付箋すごいよ?」
楓「こっっれは、その、えっと、その……」
誤魔化しきれずに黙り込み、気まずさからうつむく楓。
依須玖「(ふっと優しく笑って)べつに隠すことないのに」
楓「……なんか、馬鹿にされそうで嫌なんです。女子みたいだし」
依須玖「趣味趣向に女子も男子もないでしょ。それに僕は、楓くんが大事にしてるものを馬鹿になんてしないよ。そんなに分厚い本読んで付箋だらけにするくらいなんだから、ちゃんと胸張って好きって言いな」
楓の頭をぽん、と撫でて、依須玖はさっさと歩き出す。しかしすぐに、立ち止まったままの楓に気づいて振り返る。
依須玖「楓くん?」
依須玖に撫でられた頭を自分の手で押さえて、恥ずかしそうに顔を赤くしている楓。今までからかって近づいた時とは違う、心底照れていそうなその姿に、依須玖は目を奪われる。
依須玖「楓く」
楓「せっ、先輩は、『雪童子』って知ってますか」
楓の言葉を聞いた瞬間、依須玖の表情が少し強張る。楓はそれには気づかず、話を続ける。
楓「俺、昔あったことがあるんです。信じてもらえないかもしれないけど――」
〇楓の回想。山の上にある神社の境内、天気は雪。社殿脇の見晴らしのよくなっている場所で、幼い楓は一人の男の子に声をかける。
楓「帽子、なくしちゃったの?」
ふわふわと降る雪の中、くるりと振り返る男の子。
男の子「帽子?」
楓「うん。だって君、『ゆきわらし』でしょ? ……『ゆきわらし』はね、雪の精なんだよ。藁の帽子被ってるってお父さんが言ってた。でも君は被ってないから、なくしちゃったのって聞いたの」
楓の言葉に、答えるでも答えないでもなく、しばらく戸惑ったような様子の男の子。しかし楓に「なくしちゃったの?」と再び聞かれ、ようやく口を開く。
男の子「ぼくは――」
〇回想終わり。回想前と同じ場所に立ち、恥ずかしそうに目を伏せたまま、一生懸命に話す楓。
楓「その子は本当に、雪とおんなじくらいに綺麗な男の子で。俺の家は父親とじいちゃんが 双色小物の彫り師やってて、あそこには時々、お守り用の細工を届けに行くんです。俺はあの日初めて一緒に連れていってもらって、それからは雪が降るたびに父や母にせがんで遊びにいきました」
楓(彼はいつも、一人であそこにいた。はらはらと降る雪の中、俺が声をかけるまではぼんやりと空を見上げていて、声をかければ必ず振り向いて遊んでくれた)
楓「俺、もう一度あの子にあいたいんです。あって、謝りたい」
依須玖「……謝りたい?」
楓「はい。最初にあった時、あの子は俺に『誰にも言わないで』って言ったんです。でも俺、その約束が守れなくて、人に話してしまって――そうしたらその後は、どんなに叫んでも探しても、雪童子は俺の前に現れてくれなくなりました」
依須玖「(大きく目を見開いて)それは、」
楓「いいんです」
依須玖がなにか続ける前に、勢いよく遮る楓。
楓「返しに困る話をしてごめんなさい。ただなんとなく、聞いてほしかっただけなので。信じてもらわなくて大丈夫です。ただ俺は、そういう体験をしたことがあって、それを信じていて、それで民話とかにのめり込むようになったっていう、そういう経緯の話がしたかっただけというか……」
へらっと誤魔化すように笑って、人差し指で頬を掻く楓。それを見た依須玖は少し沈黙した後、ごくりと唾をのんでから口を開く。
依須玖「信じるよ」
楓「……え?」
依須玖「楓くんが信じてるなら、僕も信じる。――ねえ、他に面白い話はないの? よかったら色々教えてよ」
楓「えっ、えっ? 信じてくれるんですか。ってか教えてって、先に言っておきますけど、俺だいぶオタクだから話し出したら相当ヤバいですよ」
依須玖「大丈夫。友だちの好きなものは知りたいよ」
にっこりと笑いかけてくれる依須玖。楓はぱああっと瞳を輝かせて依須玖に駆け寄り、口を開く。
楓「それじゃあまず、双色町の名前の由来なんですが――」
冬間近の田舎道を帰りながら、楽しそうに話す楓と、それを微笑ましく見守る依須玖。
【続く】


