大宮バイパスから斜め左方向に分岐し、
八王子方面に向かう国道16号線に入って
4つ目の信号の先の側道を左に入り、坂を下ると
上に16号線が走る高架下に出る。
狭い道をそのまま直進して暫く行くと、
左正面に山吹色で「やおかつ」と書かれた看板が見える。
店の前には野菜が並び、わかりやすく八百屋だ。
その、やおかつの交差点を左折するとJR川越線の指扇駅へ向かう商店街となっている。
ややさびれた商店街の一角に小江戸川越を思わせるレトロな外観のお店が駐車場の奥に建っていた。
和瓦の庇の軒下には蜘蛛の巣がモノトーンでデザインされた暖簾が下がっており、
独特のフォントで「蜘蛛忍」と描かれていた。
一見何屋さんか判らない店構えだが、広めの駐車場の道路面にインパクトのある筆文字で
「おいしい食事あります」というのぼりが4本立っている。
そののぼりと、停めやすい駐車場に吸い込まれるように、
大阪ナンバーのピンクのワゴンRは駐車場に停まった。
「あ~疲れた~!はらへった~!」
車から降りた濃紺のリクルートスーツの女性は暖簾をくぐり、縦格子の引き戸をガラガラと開ける。
入口を入ると、そのまま土間になっており、正面に衝立で仕切られたカウンター席が6つ、左奥に4人掛けのテーブル席が3つという、こじんまりとした飲食店になっていた。
いらっしゃいませ!空いてるカウンター席どうぞ!
カウンター奥の厨房から店主らしき男が良く通る気持ちのいい声で促した。
女性は促されるままにカウンターの右端の席に座り、
「メニューあります?」と関西弁で尋ねた。
作務衣の店主は
 あらへんよ!
と明るく屈託のない笑顔で答えた。
女性は少しびっくりしたが、店主の笑顔に思わず笑ってしまった。
「え!?嘘やろっ!?」


 うちは俺の気まぐれ料理だから、メニューはないんですよ。
 一応システムだけ説明しておくと、この時間はご飯か麺をリクエストしてもらって、
 出てきたものを食べてもらって、お値段はお客さんに決めてもらって、
 あそこに置いてある賽銭箱にお代を入れて帰ってもらう感じです!


と入り口横にひっそり置かれた、古ぼけた焦げ茶色の賽銭箱を指さした。


「コワっ!なんや胡散臭いけど、なかなか面白いシステムやなぁ!
 せやけど、いくら以上とか決めとかんで大丈夫なん?」


作務衣の店主はにっこり笑うと、
 お客様に満足してもらって、
 その評価として戴けるのが
 正当な報酬だと思ってますから、
 それでいいんです。
 お客さんが、この空間で私の料理を食べて
 払う価値がないと思えば、無銭飲食するもよし、
 よっぽど感動してくれて、まあ極端な話、
 うちのハヤシライスを食べて¥30,000の価値があると思えば
 ¥30,000入れてくれればいいし(笑)


「¥30,000はさすがに高くて払えんなぁ(笑)ハハハ(笑)」
はははは(笑)ウケたところで、何にします?
「あ~せやな~、そしたらご飯でお願いします。」


 御意!
急に侍口調になった男は素早い動きで厨房に入ると、
奥で盛り付けを始めた。


カウンターの正面の壁がなんとなく光沢があるように見えたので、
チョンっと指先で触ってみると、パッと壁の一部が明るくなり一瞬目が眩む。
正面の壁に馴染むように、設定された杉焼板柄のスクリンセイバーが解除されて、
PCのモニターが表示されたのだった。
調理している間、客を飽きさせない工夫のようだ。
衝立で仕切られているため、横のお客さんからモニターは見えないようになっている。
デスクトップの背景には、



当店にはメニューがございません。
ご飯か麺をリクエストいただき
ご飲食いただいております。
お代はお客様自身でお決めいただき、
当館出入り口横に設置してある賽銭箱に
任意の金額を入れてお帰り下さい。


フリーWi₋Fi SSID : spiderman
パスワード : goodmorning


店主から説明のあった内容とフリーWiFiのID・Passが、表示されていた。
レトロな雰囲気からは想像しがたい意外な仕掛けに女性は目を丸くした。
何となくYahoo!ニュースを閲覧しようとした瞬間、
店主が盆を持って現れた。


 お待たせいたしました。
 本日の飯ランチになります。


ハヤシライスの盛られた楕円形のお皿を差し出し、カウンターに置いた。


 おかわり無料なので、お申し付けください。


そう言い残すと店主は調理器具を洗いに厨房に戻っていった。


「早!うれしい…いただきます!」
アツアツのハヤシライスをスプーンですくい、
一口口にいれると
「おいしい!!」
何の変哲もないように見えるシンプルなハヤシライス。
一口食べるたびに癖になる。
「う、うまーっ!!」
あまりの美味しさに、形容詞も食べ方も上品さを失い
かきこむようにそのハヤシライスを食べ続けた。


洗い物が終わって戻ってきた店主に


「めちゃめちゃ、美味しいわ!
 何とも言えん懐かしい味がする!
 何が入っとるんですか?」


と女性が訊くと、店主は


「想い出と思いやり」


とだけ答え、美味しそうにハヤシライスを食べる女性をじっと見つめていた。


 「お客さん、どこかで会ったことあります?」


その女性に懐かしい雰囲気を感じた店主は問いかけた。


「そんな訳あらへんよ!今日生まれて初めて関東に来たんやから。
 おじさんが関西に来たことあるんやったら話は別やけど。
 おじさん、いっつもそんなこと言って若い子口説いとんのとちがうの!?(笑)」
と女性は一笑した。


 「そんなことないですよ。
 ところで
 お客さん、今日は何しに関東に来たの?」


「見ての通り就活ですわ。」


 「へー。頑張ってね!」


「おおきに。3日くらいこっちにおって就活するつもりなんやけど、
 どうも方向音痴であかんわ!初日から迷子や(笑)」


 そうなの?(笑)


「めっちゃ早起きして、名阪~東名高速ぶっ飛ばして、
 首都高でよう分からんようになってもうて、
 気が付いたら、高速降りてて、なんか無理やり曲がらされて、
 いよいよヤバいってなって、何となく側道をおりたら、
 おいしい食事あります!ってあるから、ついつられて
 ここに吸い込まれた感じかな(笑)」


 「で、どこに行きたいの?」


「今日はとりあえず前乗りで偵察だけ。
 明日は大宮と川越、明後日も大体埼玉から東京らへん。」


 「宿は?」


「そんなん決めてたら縛られてしまうから、
 その場その場で適当に探したらええかな?
 って思っとったんやけど悪い?(笑)」


 「お客さん面白いね!さすが関西人!
 破天荒なお嬢さんだけど、まあ何かの縁だから、
 余計な遠慮はしないで、何でも聞いて!
 うちは夜もやってるから、
 暇があったらいつでも来てよ。」


「おおきに。でもおじさん、私が可愛いからって、惚れたらあかんよ!(笑)
 私の名前は由紀、憶えといて。必ずまた来るわ!」
屈託のない由紀の笑顔に思わず笑みがこぼれる店主。
ハヤシライスを完食して、満足した女性は立ち上がり、


「今日のハヤシライスは¥500やな」
と賽銭箱に¥500玉を2つ投げ込んだ。


 「ありがとうございました!」


「ほな、ごちそうさま!」と言うと
由紀は店の前に停めてあったワゴンRに乗り込み
指扇駅方向へ走り去って行った。


店主は由紀が帰ったあと、夜の部の仕込みをしながら記憶をたどっていた。
不思議な関西人・由紀のことを何故懐かしく思ったのだろうか?
関西人の知人は少なく、記憶をたどっても心当たりがない。
知り合いの娘さん?
どこかの店員?
どこかで見た顔?
やはり思い出せない。
雑誌?
TV?
芸能人?
ん?そう言えば?
少し俺に似てるのか?

あ!
昔、朝ドラのヒロインでブレイクし、今や往年の大女優になっているあの人の若いころに似ているような?
…!
!…
…!
!?
店主は封印していたあの日の記憶に思いを馳せていた。