くもにんのハヤシライス
第1章
■稽古帰りのお店
『天心館』と書かれた空手道場の看板は経年劣化で傷んでいたが、中からは練習生の元気な掛け声が響いていた。
「はい、今日はここまで。よく休んで明日の試合に備えるように!」
「押忍!」
「全員正座!
黙想!
……………………。
黙想やめ。 礼!」
「ありがとうございました!」
「夜更かししないで、早く寝るんだぞ!」
師範の言葉を聞くか聞かないかのうちに、
「お疲れっした!」と
速足で道場を後にし、いつにも増して
より急いで帰ろうとする武人(たけと)は
浮足立っていた。
青梅街道から国道16号線を経由して、
八王子方面に向かう途中に
横田基地があり、通り沿いにあるベースサイドストリートから
牛浜駅方面に入った路地にその定食屋さんはあった。
お気に入りの店員がいる定食屋「雲人」(くもにん)は
ハヤシライスが人気で、一度食べたら、又食べたくなる。
寄り道してその定食屋さんに行くと
うちへ帰る時間が遅くなる。
それでも少年がそこへ向かうのには訳があった。
大人の女性が好きという訳ではなかったが、偶然
裸を目撃してしまったことから
よく父の定食屋でアルバイトをしている
ウエイトレスのお姉さんのことが
頭から離れなくなってしまっていた。
昼の部は何の変哲もないのんびりとした定食屋さんだが、
夜の部は、アルコールが提供され、ダイニングバーへと変身する。
お店の看板も凝っていて、
昼の部は「雲人」という雲をモチーフにした木製の看板で
夜の時間帯になるとクルッと回転して
「BAR CLOUDMAN」というピンクのネオンサインが光る看板に切り替わる。
定食屋「雲人」でアルバイトをしている早紀は大学4年生。
夜の部「BAR CLOUDMAN」でアルバイトをしていた母・美紀の伝手で、
昼の部 雲人でアルバイトをするようになった。
最近朝ドラで人気の新人女優に似た感じのかわいらしいルックスと
愛嬌の良さで、常連のお客さんからも人気で
「孫の嫁に来てくれんかのう!?」
と半分本気ともとれる微妙な投げかけに、
気さくな対応で上手にかわす様は、
勉強だけできる子とはちがう知性と感性を感じさせる。
早紀の本業は大学生のため、アルバイトに入るのは平日の講義のないタイミングと土曜日。
毎日18:00になると母の美紀がアルバイトに入り、早紀と入れ替わりで店を手伝うことが多い。
その日も母と入れ替わる形で、小さな厨房から出て、カウンター席に座った早紀は、
「いただきます!」と言って、まかないの「やみつきハヤシ」を食べ始めた。
次の瞬間、まだ「支度中」の札がかかっているドアが開き
♪カランカランとベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ…あ、武人くん。お帰りなさい!」
美紀が声を掛けると、空手着にジャンバーを羽織った少年は、
当たり前のようにカウンターの早紀の隣に座り、
俺もハヤシライスちょうだい!
と呼びかける。
「武人、せめて手を洗ってうがいして来なさいよ!」
早紀に言われると、武人は
チェ!お母さんかよ!?…
と、少し照れた様子で呟くと、店の奥にあるレストルームに手を洗いに行った。
武人が戻ってくると、カウンターに置かれた楕円形のお皿から、湯気が立ち昇っていた。
カウンター席の早紀の隣に座り直した武人が、
おもむろにスプーンをとって、
ハヤシライスを一口口に入れたところで、
横にいる早紀から「いただきますは!?」と言われ、
うるさいな~お母さんかよ!?
いいただいてマ~フ!
と少しおどけて、ハヤシライスをかきこむように食べ続けた。
並んで同じハヤシライスを食べている二人はさながら姉弟のようにも見える。
早紀は大学3年生になったころから「雲人」のアルバイトに入るようになり、
ちょうど同じころ武人は中学に入学し空手道場に通うようになっていた。
第1章
■稽古帰りのお店
『天心館』と書かれた空手道場の看板は経年劣化で傷んでいたが、中からは練習生の元気な掛け声が響いていた。
「はい、今日はここまで。よく休んで明日の試合に備えるように!」
「押忍!」
「全員正座!
黙想!
……………………。
黙想やめ。 礼!」
「ありがとうございました!」
「夜更かししないで、早く寝るんだぞ!」
師範の言葉を聞くか聞かないかのうちに、
「お疲れっした!」と
速足で道場を後にし、いつにも増して
より急いで帰ろうとする武人(たけと)は
浮足立っていた。
青梅街道から国道16号線を経由して、
八王子方面に向かう途中に
横田基地があり、通り沿いにあるベースサイドストリートから
牛浜駅方面に入った路地にその定食屋さんはあった。
お気に入りの店員がいる定食屋「雲人」(くもにん)は
ハヤシライスが人気で、一度食べたら、又食べたくなる。
寄り道してその定食屋さんに行くと
うちへ帰る時間が遅くなる。
それでも少年がそこへ向かうのには訳があった。
大人の女性が好きという訳ではなかったが、偶然
裸を目撃してしまったことから
よく父の定食屋でアルバイトをしている
ウエイトレスのお姉さんのことが
頭から離れなくなってしまっていた。
昼の部は何の変哲もないのんびりとした定食屋さんだが、
夜の部は、アルコールが提供され、ダイニングバーへと変身する。
お店の看板も凝っていて、
昼の部は「雲人」という雲をモチーフにした木製の看板で
夜の時間帯になるとクルッと回転して
「BAR CLOUDMAN」というピンクのネオンサインが光る看板に切り替わる。
定食屋「雲人」でアルバイトをしている早紀は大学4年生。
夜の部「BAR CLOUDMAN」でアルバイトをしていた母・美紀の伝手で、
昼の部 雲人でアルバイトをするようになった。
最近朝ドラで人気の新人女優に似た感じのかわいらしいルックスと
愛嬌の良さで、常連のお客さんからも人気で
「孫の嫁に来てくれんかのう!?」
と半分本気ともとれる微妙な投げかけに、
気さくな対応で上手にかわす様は、
勉強だけできる子とはちがう知性と感性を感じさせる。
早紀の本業は大学生のため、アルバイトに入るのは平日の講義のないタイミングと土曜日。
毎日18:00になると母の美紀がアルバイトに入り、早紀と入れ替わりで店を手伝うことが多い。
その日も母と入れ替わる形で、小さな厨房から出て、カウンター席に座った早紀は、
「いただきます!」と言って、まかないの「やみつきハヤシ」を食べ始めた。
次の瞬間、まだ「支度中」の札がかかっているドアが開き
♪カランカランとベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ…あ、武人くん。お帰りなさい!」
美紀が声を掛けると、空手着にジャンバーを羽織った少年は、
当たり前のようにカウンターの早紀の隣に座り、
俺もハヤシライスちょうだい!
と呼びかける。
「武人、せめて手を洗ってうがいして来なさいよ!」
早紀に言われると、武人は
チェ!お母さんかよ!?…
と、少し照れた様子で呟くと、店の奥にあるレストルームに手を洗いに行った。
武人が戻ってくると、カウンターに置かれた楕円形のお皿から、湯気が立ち昇っていた。
カウンター席の早紀の隣に座り直した武人が、
おもむろにスプーンをとって、
ハヤシライスを一口口に入れたところで、
横にいる早紀から「いただきますは!?」と言われ、
うるさいな~お母さんかよ!?
いいただいてマ~フ!
と少しおどけて、ハヤシライスをかきこむように食べ続けた。
並んで同じハヤシライスを食べている二人はさながら姉弟のようにも見える。
早紀は大学3年生になったころから「雲人」のアルバイトに入るようになり、
ちょうど同じころ武人は中学に入学し空手道場に通うようになっていた。



