「これはスペル間違えやすいから注意して」
テスト期間中、俺は麗と勉強をしていた。いや、勉強が苦手な俺のためにマンツーマンで教えてくれている、が正しいか。麗は頭がいい。成績は常にトップだし高校の入学式でも新入生代表として答辞を読んでいたし。塾に通ったこともなく、必死に勉強している様子もない。ただ単純に授業を聞いている。それだけだ。
「ねえ、あれって二年の美園先輩だよね」
「そうそう。実物めっちゃかっこいい」
静かな図書室でのひそひそ声は割と耳に届いたりする。当の本人は俺に教えることに集中していて、気づいていないけど。
「茉央?」
「あ、ごめん。聞いてるよ」
「よかった。ちょっと休憩する?あんまり詰め込みすぎても疲れちゃうしね」
てか、お前は俺に教えたあと自分の勉強もあるんだよな。本当だったらこの時間を自分にあてることだってできたのに俺のために…。
「なあ、麗。テスト終わってから今日のお礼させてよ」
「お礼?そんなのいいよ、むしろこうして合法的にくっついて勉強できることに感謝してるし」
「いやいや、そういうことじゃなくてさ〜〜」
「じゃあキスしようよ」
「はッッッ」
図書室内の視線が一気に突き刺さる。そしてその視線はもれなく俺の隣に流れていく。麗を見る口実に使われた気がしてちょっと複雑。俺は麗の腕をひいて一旦外に出ることにした。外の空気は澄んでいる。
「手繋いじゃった」
「へらへらすんな」
「はは、ごめんね」
謝る気のない声色にため息をつく。しばらく歩いて人通りの少ない廊下に来た。
「お礼って、そのなんていうの、飯おごるとか、そういうやつだと思ってたんだけど」
「ね、最低だね、俺」
「別に最低とか思ってねーよ。ただびっくりしただけだし」
「我慢するって言ったのに茉央の親切心に付け入るようなことして最低だよ」
生ぬるい風が吹く。最低だと思いながら俺を求める。俺に触れたいと言う。チグハグしてる。でも俺も悪い。全部、麗に委ねてる。委ねてるくせにあれはだめこれはだめって否定してる。向き合うって決めたのにぜんぜんできてない。
「わかった」
俺は決心した。
「テストが終わったらデートしよう」
◆
それから散々だった。自分からデートに誘ったくせにそのことが頭から離れず、あげく夢にまで出てきて勉強もテスト当日も集中できなかった。テストの結果はもう少し先だが期待ゼロ。ただ麗に教えてもらった箇所だけはすいすい解けたのでよしとしよう。
テストが終わった次の日の土曜日、俺と麗は街に繰り出していた。デートをするために。当然デートなのでわざわざ待ち合わせをした。同じ電車、同じ方向なはずなのに麗の姿は見えずきょろきょろあたりを見渡していると改札口を出たすぐの壁に人集りができていた。しかも全員女の子。もしやこれは——。
「れ、麗!」
あふれかえる人混みをかき分けたどり着いた先にいたのは壁にもたれかかりスマホを眺める麗。俺の声に反応した麗は顔をあげるなり満面の笑みで駆け寄ってきた。あからさまに嬉しさを押し出してくるからつられて俺の口角もあがる。周りから見れば男ふたりが笑い合っている図にしか見えない。大丈夫だろうか。
「てか時間、別だったんだな。てっきり同じ時間の電車に乗るんだと思ってたよ」
「してみたかったんだよね、好きな人よりも先に待ち合わせ場所で待つやつ」
「で、待ってたら俺じゃなくて女の子たちが集まってきたと。大変ですね〜モテ男くんは」
「茉央にモテなきゃ意味ないし、それに待ってる間もずっと茉央の写真見てた」
そう言ってスマホの画面を見せてきた。プリンセスの格好をした俺がいる。ちゃんとウィッグをかぶり、簡単なメイクまで施して。これってたしかめぐに撮られたやつだ!!なんでこの写真を麗が——あっ!!
『麗くんのノートってきれいで有名だよね、僕にも見せてー』
『やだ。河北には見せない』
『見せてくれたら去年の茉央ちんの激レア写真あげてもいいよー?ちなみに世に出てない写真だよ』
『欲しい!』
『じゃあノート見せてね?』
『わかった』
世に出てない激レア写真ってこれのことだったのか。その場にいたのがめぐだけで、俺とふたりしか持っていないまさに激レア写真。
「ちょ、恥ずいから消せ」
「やだよ、俺の宝物だよ」
「……大袈裟すぎんだろ」
「これって去年の文化祭のやつだよね。でも茉央って裏方じゃなかった?」
「文化祭が終わったあとにめぐがおもしろがって俺に着せたんだよ。かわいいめぐが着るよりも俺の方がおもしろいって。めぐって自分でメイクもできるからどうせプリンセスになるんだったらって俺の顔に色々塗りたくってた。誰も得しないただの遊びだよ」
思い出すだけで黒歴史。幸いその黒歴史に立ち会ったのがめぐだけってことが救いだ。まぁ、麗を含む三人になったことは誤算だけど。
「茉央ってさ、中性的な顔立ちしてるからメイクしたら映えるし、ウィッグ付けたら女の子に間違えられると思う。そのまんまの茉央もかわいいけど、この写真の茉央もとびっきりかわいいよ」
男の女装姿をそんなキラキラした目でかわいいって言うなよ。複雑だよ、俺は。喜んでいいのか、感謝をすればいいのかわかんねーわ。
◆
今日の大まかなデートプランは昼飯を食べたあとに水族館に行き、買い物をして帰宅だ。異性とデートしたことがない俺がネットで調べまくった結果を今日実行する。
「茉央、なに食べたい?気分とかある?」
街を歩けばそこらじゅうに飲食店がある。がっつり食べたければトンカツ、ラーメン、韓国料理、フードコートなどなど。デザートも付けたいならカフェなんかでもいい。
「俺の今の気分はマックとか」
「じゃあそうしよっか」
「え、でも麗は?」
「マックだよ」
絶対、嘘じゃん。俺に合わせてくれたんだよな。本来なら俺が麗をエスコートしなくちゃいけないのに初っ端からつまずいている。次こそは挽回したい。
「列に並んで来るから食べたいのメッセージで送って」「は、俺も一緒に並ぶ!」
「人も多いし、時間かかるから茉央はここにいて」
「でも、」
「あと俺を待つ茉央を見たいってのもある」
「……いってらっしゃい」
「ん、行ってきます」
確保した席に俺を座らせた麗は髪を撫でて去っていく。なんなんだあのスマートさは。本当に高校生なのか?実は年齢詐欺してましたとかじゃないよな。あまりにも大人びていてマックが食べたいと言ってしまって後悔した。ナイフとフォークがあるお店の方がよかったんじゃないのか。……早く大人になりたいかも。と言いつつ、てりやきバーガーのセット、ジュースは白ぶどう、ポテトはLにした。クソガキが。
「麗なに飲んでんの?」
「アイスコーヒー。茉央も飲む?」
「苦そう」
「大丈夫だよ」
おそるおそるカップに口をつけて黒い液体を流し込む。後味が苦い。大人が飲むやつだこれ。それを平気な顔して飲んじゃうんだもんな。正面に座るイケメンを見やる。いつものセンターパートに片耳ピアス、国宝級の顔面。黒のゆるっとした無地のTシャツ、バギースラックス。裾を入れることによってスタイリッシュな格好になっている。すべてが完璧。ますます俺を好きな理由が見つからない。聞いてもいいのだろうか。
ポテトをちまちまと齧りながら様子を伺っているとテーブルに影が落ちた。
「突然、声かけちゃってすいません。お兄さんたちふたりで遊んでるんですか?」
「……そうですけど」
「もしよかったらなんですけど、このあと私らふたりと合わせて四人で遊びません?スポッチャ行く予定してて人数多い方が楽しいなーって思ってて!」
「いや、今は、」
「だめですか?」
「あの、」
「俺たち今デート中なのでそっとしてもらえませんか」
あくまでも優しい口調で、だけど目はまったく笑っていない。麗のことをずっと近くで見てきたからひとつひとつの表情は理解できているつもり。おそらく邪魔されて怒ってる。
デート?という単語を口にした女の子たちは顔を見合わせて首を傾げた。男同士ではなかなか聞かない言葉だよな。でもこれはれっきとしたデートだ。
「あー、なるほど。そういうことか」
それは失礼しました、と逃げるように去っていく女の子たち。その背中はなにか言いたげだった。
再びポテトを口に運ぶ。ちょっとしなってる。
「スポッチャしたかった?」
「ぜんぜん。麗は?」
「運動きらいだしね」
「とか言いながら運動神経いいくせに」
「たまたまだよ」
アイスコーヒーを綴り、俺を見やる麗。
「茉央といるときは、その一瞬一瞬を無駄にしたくないし、誰にも邪魔されたくないんだよね。俺にとっては特別だから」
「……んな恥ずいこと言うな、普通にちょっと嬉しいだろ」
「ほんとはその恥ずかしがってる顔も俺だけが知っていればいいと思ってる。閉じ込めたい」
「最後の物騒だな」
「そう?独り占めしたいって意味だよ」
なんか別の意味も含まれてそうだけど、それ以上はなにも追求しないことにした。
◆
腹を満たしたあと、水族館にやってきた。休日ということもあって人が多い。家族連れ、カップル、友達。俺と麗は周りからどう見られてるんだろう。ま、友達だろうな。普通は、そうなんだよ。
「はぐれないでね」
青みがかかった薄暗い空間、その一言で俺の手は自然と麗の手を握っていた。びっくりしたように元々も大きな目をさらに大きく見開けた。
「はぐれないようにした」
「〜〜なんでそんなにかわいいの」
「か、かわいくは、ない!」
「かわいいよ。はあ、ほんと無理」
「ほ、ほら、さっさと行くぞ」
俺は麗の手を引いて歩き出した。手を繋いだ瞬間よりも、こうして我に返ったときが一番恥ずかしい。心臓の音が太鼓のようにドコドコ鳴っている。どうか鎮まれ。
水族館とか何年振りだろうか。小学生の遠足ぶり?麗も一緒に行ったよな。覚えてんのかな。
「茉央、覚えてる?小学生の頃に行った水族館でさ、こうやって茉央が引っ張っていろんなところに連れてってくれたんだよ」
「たしか遠足だったよな。でも引っ張ったのは覚えてねーや。連れ回したの間違いじゃなくて?」
「俺さ、昔から友達作るの苦手で、遠足も一人で回るしかなくて。俺たちクラス違ったでしょ。だからずっとベンチに座って大きなガラスの中で泳ぐ魚を見てたんだ」
麗は昔、体が弱かった。学校を休んで入院することもあったし、友達作りに苦戦していた。作っても体が弱いせいで一緒に遊ぶこともできず、相手を退屈させてしまったらどうしよう、嫌な気持ちにさせてしまったらどうしようってこどもながらに考えていたんだと思う。自分のことよりも相手のために。昔からそう。その癖みたいなものは今も変わらず抜けない。
「そんなとき、茉央が俺を見つけてくれたんだよ。なにしてんだ、体調悪いのか、一人なら俺と一緒にまわろうって。茉央も友達とまわるはずだったのに俺を優先してくれた。涙が出そうなくらい嬉しくて、それからずっと茉央は俺のヒーローであり、大好きな人なんだよ」
「なんで男なのに俺のことが好きなのか不思議だった。聞いてもいいのか考えた。セクシャルな部分だから安易に踏み込むべきじゃないってのも馬鹿なりに考えた。お前は、ただ俺をまっすぐに見ていてくれていただけなんだな。それだけでもうしあわせだよ」
「茉央を想う気持ちに嘘偽りはないよ。本当に好き」
「うん。俺、ちゃんと考える。お前のこと。つーか、考えたい。幼なじみの美園麗じゃなくて、ひとりの男としての美園麗のことを」
「その言葉が聞けただけで俺だってしあわせだよ。ありがとう、茉央。こんな俺のために」
繋いだ手はどちらからともなく強くなる。離れないように、しっかりと繋がっている。



