ついこの間まで桜が咲き乱れたいたというのに、気づけば青々とした葉が木々を彩る。カーディガンがなくても過ごせる暖かな気候にうつらうつらしていると背後から肩を叩かれた。どこかに飛んでいた意識がスッと体に戻り、おそるおそる顔をあげる。

「ここテスト範囲だから起きていた方がいいですよ」
「……うす」

 英語担当のジュリア先生は俺の短い返事を聞いてにっこりと笑った。貼り付けた笑みから「せっかく範囲教えたんだからしっかり点数取りなさいよ」という圧が見えたり見えなかったり。てかテストか。一ヶ月経つの早いな。


「茉央ちん、注意されてたねえ」

 ふふ、とカーディガンの袖をわざわざ萌え袖にして笑うめぐはどこか楽しそうだ。

「先生が来てるんだったら教えてくれよ」
「なんか茉央ちん左右に揺れてるし、先生はロックオンした目で茉央ちんのこと見てるし、それがおもしろくて放置しちゃった〜」
「ひどいな」
「ちゃんと授業聞いてない茉央ちんがわるいんだよ」

 正論で論破されてしまった。ごもっともです。俺が寝てたのが悪かったです。

「俺ならちゃんと起こすけどね」

 膝の上に影ができたと思ったら頭上から不機嫌そうな声が落ちてきた。

「でた、過保護の麗くん!」

 こら、めぐ。まーた煽るような言い方して。

「てか、なんのために茉央のうしろに座ってるの?ちゃんと見守ってくれないと困るんだけど」
「たまたまくじ引いた席がここで、たまたま茉央ちんが僕の前に座っただけだから見守るとか意味わかんない」
「じゃあ俺と代わりなよ」
「勝手に代わっちゃだめって先生が言ってましたあ」

 原因は俺(?)なのに内容がくだらなさすぎるので止める気にもなれない。

「ねえ、茉央。テスト範囲、寝てたから板書取れてなかったんじゃない?俺のうつしていいからね」
「麗くんのノートってきれいで有名だよね、僕にも見せてー」
「やだ。河北には見せない」
「見せてくれたら去年の茉央ちんの激レア写真あげてもいいよー?」

 めぐはスマホをゆらゆらと見せる。え、激レア写真ってなに?どれ?てか俺のこと撮ったことあったっけ。あたまに疑問符を浮かぶ。

「ちなみに世に出てない写真だよ」
「欲しい!」
「じゃあノート見せてね?」
「わかった」

 交渉成立、と握手するふたり。ほんとなにしてんだ。



「お邪魔します」

 控えめな挨拶をすると、パタパタと足音が近づいてきて扉からひょっこり顔を出した麗のお母さんが「茉央くん、こんにちは。ケーキあるからね」と声を弾ませた。

 ノートを写させてもらうため、麗の家にやってきた。幼なじみとはいえ家が隣同士なのはいまどきめずらしいと思ってるんだけど相場はどうなんだろう。昔よりも足を運ぶ機会が減っていたのでよそよそしくなっているのが自分でもわかる。家族ぐるみでキャンプに行ったりしていた頃はおばさんにもタメ口だったのに、さすがに今はもう無理だ。

 ローファーを揃えて階段をあがる。麗の部屋は廊下の突き当たり。白を基調としていて清潔があるきれいな部屋だ。おまけに無駄なものがひとつも置いていない。男子高校生の部屋とは思えないほどきちんとしている。

「茉央が部屋にいるの嬉しい」

 ベッドに腰掛けてネクタイを緩めた麗は両手をうしろについて俺を見やる。おい、ちょっと色っぽくない?ネクタイが緩いから?白いシャツの奥に見える肌を目にしたとき、思わず顔を逸らしてしまった。直視できない。

「茉央もこっち来てよ」

 そんな気も知らない麗は手招く。

「えっ、あー…俺はこの辺に座っとくからいいよ」

 たぶん、普段の俺なら迷わず隣に座ってるだろう。仕草ひとつで動揺したりしない。感じたことのない感情がぐるぐると脳内でまわる。

「じゃあ俺がそっち行ってもいい?」
「……おう」

 麗は嬉しそうに俺の隣に座る。硬い床よりふかふかのベッドの方が何倍も座り心地がいいはずなのに。こうなるなら素直に隣に座りに行けばよかったな、と後悔。

「べ、ベッド、行くか?」
「ううん、行かないよ」
「あ、そう」
「こっち座って冷静になった」
「そうなん?」
「あのまま茉央が隣に座ってたら押し倒してたし」
「おっ、押しっ、押し、倒すって、」
「シーツに組み敷いてキスとかね、したり」
「キス?!?」

 ガチャ

「ケーキ持ってきたわよ〜!」

 弾んだ声と共に運ばれてきたケーキ。ローテーブルの上にお盆を置いたおばさんは俺たちを見るなり「ほんと仲良いわね」と、どこか嬉しそうに笑って、そのまま去ってしまった。聞かれたかな。キスって叫んだの聞かれたかな。ああ、もう嫌だ。恥ずい。思春期かよ、俺。

「母さん、タイミング悪い」
「は、お前、まさか」
「しようとしたよ、キス」
「〜〜っ」

 だめだ。完全に麗のペースに飲み込まれてる。全部タイミングの問題で、隙があったら押し倒されてキスされてたってことだろ?つーか、ここは完全に麗のテリトリーだから逃げ場ないんじゃね?詰んでる?たらたらとこめかみあたりを汗が流れる。

「でも、まあ、そういうのは茉央が俺のこと好きになったあとにいっぱいできるから今は我慢するよ」

 麗はローテーブルに置いてあるショートケーキとモンブランを見て「どっちが食べたい?」と目をキラキラさせた。昔から甘いもの好きだもんな。俺は「どっちも好きだから、麗の食べたい方食べなよ」と返す。

「半分こしよう」
「また半分こ?」
「嬉しいこと楽しいこと、おいしいもの、全部茉央と共有したい」
「悲しいこと、苦しいことは?」
「それは俺が全部背負うよ」
「そんなこと言うなよ、自分を犠牲にするな」
「自分を犠牲にしてでも守りたいものが茉央だから」
「俺がお前のこと好きになれなかったらどうすんの」

 嫌な質問だと思う。けれど、犠牲の上に成り立つ正義なんていらない、必要ない。

「好きになってもらうために、いっぱい好きを伝える」

 まっすぐで、純粋で、迷いのない瞳にドクンと心臓が動いた気がした。今も十分に与えてもらっている嘘偽りのない気持ち。俺も真剣に向き合うときがきたみたいだ。