それからというもの、麗の俺へのアプローチがあからさまになった。ただ、そう思うのは俺だけであって周りから見れば〝ふつう〟のことらしい。

「今日も相変わらずお熱いね、お前ら」

 購買でパンを買った帰り、麗と歩いていると他のクラスのヤツが話しかけてきた。

「は、はっ、熱くねーし。な?麗!」
「んー、お熱いよ。パンも半分こして食べるし」

 そう言って買ったパンの袋を揺らした。

「おまっ」

 俺の必死な否定を無視するだと?今までそんなことなかったのに。否定も肯定も麗にはどうでもよくて、ただ俺と同じであればいい、そんなヤツだったのに。あの日を境にめちゃくちゃ自分の意思で動くヤツになってる。

「お前らはずっとそうであってくれよ〜」

 ははは、と笑って去っていく背中を睨む。ずっと幼なじみだと思っていたヤツがある日、急に一線を越えようとしてきてんだよ。そんな俺の気持ちがわかるか?わからんよな。俺もわかんねーんだから。はあ。

 俺たちはいつもふたりで机をくっつけて昼飯を食べている。そこに何人か男女が集まってきていつの間にか大所帯になってたりする。今日も数人集まってきた。

「麗くん、またクリームパン食べてる。好きなの?」

 こてんと首を倒したことによって肩の上で内に巻かれた髪がゆれる。常盤さん。この学校で人気と称されている女子。小柄で小動物みたいで守ってあげたくなる存在らしい。俺にはあざとい人にしか見えないのだが。

「カスタードクリームが好きなんだよね」
「へえ、そうなんだ。覚えとくね!」

 バレンタインにでもカスタードクリーム入りの手作りお菓子でも渡すのだろうか。とびっきりのあざとさを添えて。なんて思いながらBLTサンドにかぶりつく。もしゃもしゃと咀嚼をし、ごくりと飲み込むと正面からにゅっと腕が伸びてきた。

「なんだよ」
「俺もそれ食べたい」
「お前クリームパン食ってるじゃん」
「元々半分こにする予定だったじゃん」

 いろんなパンをたくさん食べたい俺たちはそれぞれ買ったパンを半分こにして食べる予定をしていた。二人で合計4つのパンを買ったから必然的に4種類食べられることになる。

 俺は食べたばかりのBLTサンドを麗に渡す。するとすかさず常盤さんが話しかける。

「おいしそうに食べるね、一口欲しいなあ」

 俺のときは興味すら示さなかったのに随分とわかりやすい人だ。今の常盤さんは小動物ではなく肉食動物に見える。狙った獲物は絶対に逃さない。そんな意思が瞳にこもっている。麗、逃げられんのかな。甘ったるいカスタードクリームを舌に乗せながら二人を見やる。

「俺の食べる分が減っちゃうから、ごめんね」

 そう言って引き攣った顔の常盤さんを尻目にすべて食べ切っしまった。

 俺の心配はどうやら杞憂だったみたいだ。食べ終えた麗は満足そうな顔をしてカフェラテを飲んでいるし、軽くあしらわれてしまった常盤さんは込み上げる何かをぐっと飲み込んで口角をあげている。

 この二人がどうにかなることは今後なさそう。

「茉央ちん、なーんかにやにやしてない?」

 そう言って背後から覆い被さり、顔を覗き込んできたのは高一から仲のいい河北めぐむ。きゅるんとした大きな目が特徴的で女子から「かわいい」と持て囃されている。麗がプリンスなら河北はプリンセスといったところだろう。

「してないけど。てか近いよ、めぐ」
「そー?口元がにぃってあがってた気がしたんだよね」

 口の端がぐいぐいと押される。そしてその動きは正面の男によってすぐに阻止されてしまった。

「なあに、麗くん。ものすごく怖い顔してるけど」

 煽るような声色に内心ドキドキしながら麗の顔を見ると、たしかにあまり見ることのない怪訝な表情がそこにあった。

「あんまり茉央にべたべた触んないでよ」
「なんで麗くんに指図されなきゃなんないのー?」
「俺が嫌だから」
「茉央ちんは嫌じゃないよねー?」
「茉央はどうなの」
 
 え、今、俺に話振る?双方の圧に押しつぶされそうになりながら手に持ったいた残りのクリームパンを口に放り込む。もぐもぐ。さっきまでのあまったるさが嘘みたいに味がしない。咀嚼し、ごく、と胃に流し込む。こういうときは——逃げるのが一番だったりする。

「……ち、ちょっとトイレ!!」





「——あれ、日吉くん?」

 屋上に繋がっている階段に座っているとふいに声をかけられた。階段下で俺を見上げる見知った顔。

「あ、えっと」
「和泉です、家庭科室の裏で麗くんにフラれた女って言ったら思い出してくれるかな?」
「言わなくても覚えてるよ」

 名前は今知ったけど。

 開放された窓から吹く風に髪がゆれる。それを耳にかける。きれいなストレートの黒髪は日々、丁寧に手入れされているのだろうな、と思う。

「そっち行ってもいい?」
「え、あ、うん、どうぞ」

 トントン、トントン。メトロノームのように規則正しく音が鳴る。数段下で止まった足。俺の横で腰をおろす和泉さん。気まずくないのだろうか。自分がフラれた根源が隣にいるのに。俺は若干気まずいよ。どうすることもできない歯痒さだってある。全部、麗のせいだ。

「日吉くん、ひとつ質問いい?」
「うん」
「麗くんとはいい感じなの?」

 ずいっと身を乗り出す和泉さん。ほんのりバニラの香りがする。

「……いい感じとは」
「そのまんまの意味だよ!進展あった?てか付き合った?ちゅーとかしちゃった?!」
「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて!!」

 一旦、和泉さんから距離をとる。なんなんだ一体。質問攻めに一瞬呼吸止まったわ。この子ほんとに麗にフラれたんだよな。それなのにあまりにもポジティブすぎないか?

「和泉さんは俺のこと恨んだりないの?ほら麗が和泉さんを振った理由が俺なわけ、だし。いや、自惚れてるとかそういうのではなく、その、悲しかったり苦しかったりしてるのに無理に明るく振る舞ってくれてるんだったら申し訳ないなって。俺、恋とかよくわかんないから」

 だんだん自分の声が小さくなっていくのがわかった。

「たしかに美園くんのことは好きだったよ。でも憧れに近かったのかも。隣を歩く美園くんよりも一歩、二歩先を歩く美園くんを見てる方がしっくりきたというか。つまり、私は失恋して悲しくも苦しくもないし、ふたりの恋を全力で応援したいなって思う!!」

 だから早く付き合ってよ、なんて他人事のように言う和泉さんの側で俺はあたまを抱える。異性とも付き合ったことがない俺が同性、しかも幼なじみと付き合うなんてまったく想像できない。

「あのさ、……好きってなに?」
「え、なに突然」
「俺、恋愛したことなくて。いまいちわかってないというか疎い?んだよね。ずっと一緒にいる麗の気持ちにすら気づけんかったぐらいだし」

 だって俺はあいつのことそういう対象として見たことなかったし。

「自分で考えて♡」
「え」
「じゃあ授業あるから行くね」
「ち、ちょっ」
「でも進展あったら教えてね」

 颯爽と階段を降りていく和泉さん。俺はその背中を静かに見守った。



「昼休みなにしてたの?」

 帰り道、ふとそんなことを聞かれた。つい数時間前のことだが麗に聞かれるまで振り返ることがなかったので記憶を手繰り寄せる。トイレって言って逃げたっけ。

「…トイレ」

 実際は行ってないんだけど。

「トイレにしては遅くなかった?」

 授業が始まる五秒前ぐらいに戻ってきたし、と小言を言われる。

「遅いときだってあるだろ」
「茉央、なんか匂う」

 匂うってなんだよ。汗くさいとか?だとしたら失礼にもほどがある。匂いを嗅ぐため俺の首に顔をうめている麗の肩を掴み、押し返す。が、華奢なくせして意外と力が強い麗はびくともしない。されるがままの俺はそのまま体ごと抱きしめられてしまった。

「うーん、なんだろこの匂い。茉央じゃない別の〝誰か〟の匂いなんだけど」

 人だと断定していることに驚きを隠せない。そして麗の言う〝誰か〟は検討がついている。

「もういいだろ」
「あと少しでわかりそうなの」

 より一層抱きしめる力が強くなる。匂い嗅ぐだけなのに抱きしめる必要ないと思うけど。なんて今更言っても遅いしおそらく聞く耳を持たないだろう。通行人がちらちらと俺たちを見ている。恥ずい。

「あの子の匂いがする」
「あの子って?」
「この前、俺に告ってきた子」
「お前、常に告られてるからどの子かわからん」
「俺と茉央の恋を応援してくれた子」
「ん、正解。名前は和泉さんだよ」
「なんで名前知ってるの?なんで匂いすんの?」
「さっき教えてもらった、匂いはそのときについたんだと思う」

 ムッとした顔が俺を見下ろす。

「匂いがうつるほど近い距離にいたってこと?」
「まぁ、隣に座ってたから。てかお前の今の距離も十分近いっての」
「俺の匂いもつける、上書きする」

 ぎゅうう、と十分すぎる力で俺を抱きしめる麗の声色はどこか弱々しい。そよそよと風に靡くやわらかい髪。自然と伸びる手はそれを撫でていた。

「お前、ほんと俺のこと好きなんだな」
「うん、好きだよ。茉央が思ってる以上にね」
「っ」

 麗がどれくらい俺を想っているのか、知りたくなったのは秘密だ。