あの4人での演劇鑑賞から1週間後。
今日もいつものようにアルトワ伯爵一家の皆様と私は共に夕食を食べていた。
「この魚は今朝捕れたものだそうよ」
机を挟んで向こう側に座る奥方様が本日のメインディッシュに視線を向ける。
すると、セオドアの左隣に座るレイラ様の表情が明るくなった。
「まあ、そうなの?それは楽しみだわ」
魚料理が一番好きだというレイラ様が嬉しそうに、だが、上品にフォークを使って、魚料理に手をつける。
それから美しい所作で魚料理を楽しんでいた。
かつてセオドアに
『姉さんは実は肉料理の方が好きだ。周りが勝手に姉さんが魚料理好きだと勘違いしていたから、心優しい姉さんは仕方なく、魚料理好きだということにしていた。姉さんが好きなのは肉料理』
と教えられたことに疑問を持つ。
もう1ヶ月以上、レイラ様のことを見ているが、どう見ても肉料理好きを隠して、魚料理好きなフリをしているようには見えないのだ。
普通に魚料理好きに見える。
6年前、レイラ様のことを何も知らなかった私は、とにかく一番レイラ様のことを知っていると思われるセオドアのアドバイスをよく聞き、完璧なレイラの代わりになろうと決めていた。
そしてセオドアの助言もあり、完璧なレイラ様に近づけたのではないかと思っていたが、いざホンモノのレイラ様にお会いすると、私とレイラ様は似ても似つかないものになっていた。
この1ヶ月レイラ様を見続けて思ったのだが、食の好み以外にも、選ぶものや身につけるものの好みなど、全てが若干セオドアが言うものと違う気がするのだ。
セオドアのレイラ様像が少しだけ違ったのか、わざと間違いを教え続けていたのかわからないが、今はもうそんなことどうでもよかった。
完璧なレイラ様の代わりに実はなれていなかったのだとしても、私がレイラ様の代わりを務めるのはあと数ヶ月ほどだ。もうどうでもいい話だろう。
「アイリス姉さん、美味しいね」
「そうね、セオ」
私の左隣に座るセオドアとそのセオドアの左隣に座るレイラ様が美しく微笑み合っている。
「ふふ、今日もいい1日だったわ」
「そうだな、セイラ」
それから奥方様と奥の席に座る伯爵様もレイラ様たちと同じように美しく微笑み合っていた。
美しいアルトワ伯爵一家の微笑ましい美しい夕食。
そこに紛れたニセモノはそんな彼らを傍観しながらも、スープに口をつける。
「…」
そして私は気がついた。
私が今飲んだスープに毒が含まれていたことに。
*****
夕食後、私はすぐにレイラ様の部屋へと戻り、ベッドで1人でうずくまっていた。
耐えられないほどではないが、それでも辛い腹痛と頭痛が私を襲う。
やはり、あのスープには毒が含まれていたようだ。
何故、あのスープに毒が含まれていたと確信が持てているのか。
それは6年前によく口にしていた毒と同じような味がしたからだ。
口に含んですぐには気づけなかったが、いつもの料理の深い味わいの中に微かに残る、苦味と酸味。
まるで隠し味のように現れるあの味を味わった後、私はいつも体調不良を起こしていた。
今日のスープはあれを思い出させるようなそんな味だった。
「…はぁ」
着替えもせず、そのままの格好で腹痛に耐えるように、ぎゅぅと自身の体を抱きしめ、深く息を吐く。
この毒が私を再び襲っているということは、6年前と同じように誰かが私に意図して毒を盛ったということだ。
…それは一体誰なのか。
まさかセオドア?
レイラ様が帰ってきたから邪魔になった私を排除する為に嫌がらせを再開した、とか?
しかし、セオドアは何故か私がここから出ることを反対していたはず。
では一体誰がこんなことを?
考えたいのに上手く考えがまとまらない。
頭の奥の方がズキズキと痛み、私の思考の邪魔をする。
腹痛と頭痛によってだんだん思考することさえも億劫になり始めた頃だった。
「…」
ベッドの横に冷たい表情でこちらを見下すセオドアが立っていたのだ。
な、何でまたセオドアがここに…。
いや、いつも貴族の姉と弟は常に一緒にいる、と言い、夕食後もよくセオドアはここへ来ていた。だから今もきっとここにいるのだろう。
「…セオドア、ごめん。今日はもう」
帰って。
そう冷や汗を流しながらも何とか言おうとしたのだが。
「…寝てろ」
セオドアはそんな私の言葉を遮り、自身の手で私の目を覆った。
「アルトワの者なら体調管理くらいちゃんとしろ」
それから冷たくそう言うと私からさっさと離れた。
相変わらず冷たいやつだ。
こんなにも弱っている人間に小言しか言わないとは。
そう思いながらも小さく呼吸を繰り返し、続く腹痛と頭痛に耐える。
そうしていると、カタンっとベッドの横に何かが置かれる小さな音が聞こえた気がした。
何だろう。
そう思ったのと同時に誰かが私の左手をぎゅっと握り締めてきた。
私よりも大きく、太い骨のある手が励ますように私の手を掴む。
ーーー男の人の手。
そこまで考えて誰が私の手を握っているのか察した。
きっとまだこの部屋に残っていたセオドアが私の手を握っているのだ。
「…セオ、ドア?」
様々な痛みに耐えながら、左手の方へと視線を向けると、そこには椅子に座り、こちらをじっと見つめるセオドアがいた。
その瞳には心なしか私を憂う色がある気もするが、辛すぎてそんな幻を見ているのかもしれない。
「寝ろ」
セオドアのことを何となく見ていると、またセオドアは空いている方の手で私の目を覆った。
苦しい、辛い。
冷や汗が止まらない。
辛い、辛い。
そう思う度に左手にセオドアを感じ、とても不思議な気持ちになった。
こうして私は一晩中苦しさの中で眠れない夜を何故かセオドアと過ごしたのだった。

