sideリリー
レイラ様が帰ってきて、1ヶ月が経った。
この1ヶ月の間にウィリアム様から私へまさかの結婚の打診があったがそれを私は未だに保留にしていた。
そもそも何故、何も持たない、何者でもない、私には勿体なさすぎる、あまりにも好条件なウィリアム様からの結婚の打診を未だに保留にしているのか。
それは私、リリーが今後どうなるのか、私自身がわかっていないからだった。
アルトワ伯爵家にとってシャロン公爵家との婚約はとても重要で大切にしなければならないものだ。
例えばレイラ様と入れ替わり終えた半年後、セオドアの意向で、アルトワから籍を抜くことが許されず、今後とも私がアルトワのリリーであることが決まったのなら、きっとウィリアム様と私の婚約、結婚をアルトワは歓迎するだろう。
だが、そうではなかったとしたら。
私がフローレスのリリーへと戻れたとしたら。
フローレスである私がシャロンと婚約、結婚などすれば、それはアルトワにとってとても大きな損害となってしまうだろう。
そもそも私が望めば、おそらく私はフローレスへと帰れるので、きっとこのパターンが有力だ。
私はアルトワ伯爵夫妻に恩がある。
ここまで何不自由なく、整えられた環境で育ててくれたこと、没落寸前だったフローレスを助けてくれたこと、たくさんの数えきれない彼らへの恩から、私は彼らが望まぬことはしたくなかった。
アルトワ伯爵家は何度も言うが、シャロン公爵家との婚約を重要視しており、望んでいる。
それをフローレスへと戻ったアルトワとは何の関係もない私がするということは、アルトワにとって極めて重要であり、大切にしてきたものを横から奪うということで。
そんなことやはり気が引ける。
…それでも、それでも、だ。
シャロン公爵家のウィリアム様と結婚すれば、フローレス男爵家は確実に安泰で…。
しかしアルトワ伯爵家の支援のおかげでフローレスはもう安定しており、努力を続ければ、安泰とはいかずとも、没落することは恐らくないわけで…。
こうしてぐるぐるぐるぐると同じことを何度も考え、私は答えを出せずにいた。
そして結局、私自身の今後がまだどうなるかわからないので答えの出しようがない、という結論にいつも至っていた。
「何を考えているの?」
いつものように考え込んでいた私に隣にいたウィリアム様が興味深そうに声をかけてくる。
アンタのこととか、今後のこととかいろいろだ!と思った私だったが、もちろん馬鹿正直には答えずに「今日の演劇のことを考えていました」とウィリアム様にふわりと笑った。
ここは王都で最も大きく、由緒正しい演劇場。
今日は学院がお休みなので、ウィリアム様と共にここへ演劇を観にやってきていた。
ここの演劇場は主に貴族御用達で、お金のある平民もお金さえ払えば足を踏み入れることのできる場所だ。
今日観る演劇は貴族にも平民にも人気の今流行りのラブストーリーで、開演を待つ劇場内の広い廊下は、たくさんの貴族で溢れていた。
「ねぇ、ウィリアム様とレイラ様だわ」
「休日も一緒だなんて本当に仲がいいわね」
「未来の公爵夫妻ね」
「王子様なウィリアム様と女神様なレイラ様、お似合いよねぇ」
演劇前の暇を持て余した貴族たちの注目の的はもちろんこの国一有名な2人、ウィリアム様とレイラ様だ。
貴族たちは遠巻きに私たちを見ながらも好き勝手にいろいろことを言っては、楽しそうに笑い合っていた。
噂の的にされることなど慣れているので、全く不快に感じない。今日もまた盛り上がっているなぁ、くらいにしか思えない。
そんなことを思っていると、ウィリアム様がいない方の私の隣にセオドアが呆れた顔でやってきた。
「何、ぼーっとしているんだよ。しっかりしろ。隙を見せるな」
「…え?あー、はいはい」
今日も今日とて、とても冷たい顔で私を睨むセオドアに苦笑いを浮かべて適当に相槌を打つ。
どうせセオドアはとにかく私に文句を言いたいだけなので、反論するだけ無駄だ。
「リボン完璧じゃない。直す」
「…えぇ?」
冷たくそう言い放ち、私の服の首元のリボンを一度解き、せっせと結び直し始めたセオドアに、私は困惑しつつも、なされるがままで。
またセオドアの小言が始まった、とただただセオドアのやることを受け入れていた。
何が完璧ではなかったのかよくわからないが、好きにさせておいた方がいいだろう。
そんな私たちに暇な貴族たちはまたざわめき立った。
「アルトワ姉弟、本当に仲がよくて美しい」
「完璧なレイラ様がセオドア様の前でだけはどこか少し抜けているところがまたいいですね」
「セオドア様もレイラ様だけに優しくて世話焼きなところも推せるわね」
いろいろ言われているが、これも慣れたものなので全く気にはならない。
「すごい人ね」
そんな私たちの元、セオドアの横に今度はホンモノのレイラ様が現れた。
この人混みの中で微笑むレイラ様はまさにホンモノの女神様のようだ。
ただ、私とレイラ様が2人並んで現れれば、当然騒ぎになる可能性があると判断されたので、レイラ様にはレイラ様だと万が一バレないように姿を変える魔法が施されていた。
艶やかな黒髪は輝く金髪に、星空のような深い青い瞳は燃える炎のような赤い瞳に。
だが、しかし、色が違うだけで、美しいことに変わりはないので、やはりレイラ様はとても目立っていた。
それこそ、ウィリアム様やセオドアと共に来ているあの美しい女性は一体誰なのか、という噂話が先ほどから後を絶たないほど。
本当は今日はウィリアム様と私、2人でここへ外出する予定だった。
この目立ちすぎるメンバーでのものではなかった。
だが、急遽この4人で出かけることが決まってしまったのだ。
ーーーそれは遡ること数時間前のこと。
*****
朝、レイラ様の部屋で、ウィリアム様と出かける為にせっせと準備をしていると、もうすでに出かける準備のできていたセオドアがレイラ様の部屋へと乱入してきた。
「お前の服は基本僕が選んでいるだろ?何勝手に選んでいるんだよ?」
とんでもなく不機嫌な顔でこちらを睨むセオドアに怪訝な顔をする。
いつも何かと文句や小言を言われる私だが、自主的に動いてもこんなことを言われるなんて。
「いや、服くらい自分で選べるし。それに全部セオドアが選ぶのって地味に大変じゃん。だから…」
「うるさい」
ちょっと反論しようものならこれだ。
私の主張をバッサリと切り捨てたセオドアは、さっさとクローゼット部屋へ行くと、数分もしないうちに一枚のワンピースを持ってきた。
「これに着替えろ」
「…えぇ。もう今着ているやつでアクセサリーとか考えているんだけど」
「これに着替えろ」
「…はい」
セオドアに圧をかけられて、仕方なくセオドアが持ってきたワンピースを受け取る。
それからセオドアは周りのメイドたちに声をかけ、私の全身のコーディネートを一から考え始めたのだった。
*****
結局、今日も全身セオドア監修の私が完成した後、ウィリアム様がもう到着しているらしい玄関へ、私は当然のようについてきたセオドアと共に向かった。
そして私たちは玄関ホールでレイラ様と鉢合わせた。
「あら、2人ともおはよう」
私たちの姿を見つけて微笑むレイラ様は相変わらず女神様のように美しく、どこか神秘的だ。
レイラ様に会えて嬉しくなったのか、セオドアは先ほどまで私に向けていた氷のように冷たい表情がまるで嘘かのように、花のような笑みをレイラ様に向けた。
「おはよう、姉さん」
「おはようございます」
セオドアのあまりにも違う表情に私は内心苦笑しながらも、セオドアと同じようににこやかにレイラ様に挨拶をする。
「2人揃ってどこかに行くの?」
「そうなんだ。今日はウィリアム様に誘われて演劇を観に行くんだよ」
「まあ、演劇?私も行きたいわ」
「本当!?じゃあ一緒に行こうよ!」
ん?
ほんの少し2人を眺めている間に話がおかしな方向に進んでいることに私は気づく。
そもそもセオドアがどこへでもついてくることはいつものことなので、ここまでついてきたことについても何とも思っていなかった。
だが、レイラ様との会話の内容的に、セオドアはどうやら演劇にまでついてこようとしてるみたいだ。
しかもたった今、レイラ様のことも誘った。セオドアの独断で。
今日は私とウィリアム様、2人で演劇を観に行く予定だ。なのでもちろん演劇のチケットも2人分しかないはず。それを急に2人分も追加で用意するのは難しいのではないだろうか。
「いや、急に言われてもチケットの枚数が…」
盛り上がっているところに水を差すようで、大変申し訳ないのだが、私は2人が私たちの外出に同席することを断ろうとした。
したのだが。
「問題ないよ」
それは私の後ろからやってきた誰かの落ち着いた声によって遮られた。
いや、これは誰かではなく…。
「ウィル!」
レイラ様に明るく愛称で呼ばれた人物こそがその誰かであった。
「アイリスとセオドアのチケットも用意するよ。だから2人ともおいで」
ふわりと笑うウィリアム様に私は思う。
急遽でもチケットを用意してあげるほどレイラ様がやっぱり好きなんだなぁ、と。
愛だね。
*****
数時間前の出来事を思い出して、思わずまた苦笑いを浮かべる。
セオドアもレイラ様も自由すぎるところが本当によく似ており、血を感じる。
生まれながらにして貴族だからそうなのか、2人だからそうなのかわからないが、よく言えば自由、悪く言えば自分勝手な2人だ。
「人混みは慣れてないでしょう?無理はしないでね」
「ありがとう、セオ」
そんな自分勝手な自由2人組の1人であるセオドアは傍にいる姉を心配そうに見つめ、そのもう1人である、レイラ様はそんなセオドアに優しく微笑んでいた。
本当にあの2人の席はどうするのだろうか?
急遽用意することなど本当にできるのだろうか?
全ての席が埋まっていたら難しいのでは?
「席のことなら心配しないで。2人用の特別席から4人用の特別席に変更するようにもう言ってあるから」
ただ1人だけ座席の有無について心配していると、私の考えなんてお見通しのウィリアム様が「大丈夫だよ」と私を安心させるように微笑んできた。
私の考えを当てたこと、その上で席は用意できていることを口にしたウィリアム様に、私はさすがウィリアム様だ、と感心すると同時に、その洞察力に相変わらず少し怖いと思ってしまう。
どんなに取り繕っても、この人相手では自分の考えなんて全部筒抜けなのだろう。

