「おい」
アルトワ伯爵一家の家族団欒をBGMに朝食を食べ進めていると、突然セオドアが冷たい目で私を見てきた。
やはり先ほどまで見せていたキラキラ笑顔は幻だったようだ。
「にんじん、また後回しにしてるだろ?」
「え」
セオドアにそう冷たく指摘されて、自身の皿に視線を移す。
すると様々な温野菜が並ぶ皿の端に、少しだけにんじんが集まっているような気がした。
完全に無意識にそうしていたので、正直狙ってにんじんを後回しにしていたつもり一切はない。
「あとで後悔するのは姉さんなんだから後回しにするなよ。今食べろ」
「…えぇ」
いつものように冷たく責められて、つい嫌な顔をしてしまう。
にんじんのことは確かに正直得意ではないが、食べない訳ではない。
得意ではない分、自分のタイミングで食べたいのだ。
「あとで食べるからセオドアは気にしないで」
はは、と誤魔化すように笑うとギロリとセオドアに睨まれた。
「最後の方まで苦手なものを残して、睨みつけたまま固まるお前を何度見たと思ってるんだよ。お前の食事が終わらないと僕も終われないし、学院にも遅刻するだろ」
何故、私は今、セオドアに責められ、怒られているのだろうか。
セオドアのあの態度は聞き分けの悪い、いつも同じ失敗をしている子どもに向けるものだ。
「…私のことなんて置いて先に部屋に帰ってもいいし、学院にも行っていいんだよ」
少々セオドアに反発したい気持ちを押さえながらも、そう言うと、セオドアから「はぁ」と盛大なため息が漏れた。
「いつも言っているだろ?貴族の姉と弟のあり方を。何度も何度も言わせるな」
「…」
セオドアに〝貴族の姉と弟のあり方〟について言われてしまうと私は何も言えなくなる。
結局どんなに貴族のことを学んでも、ほぼ平民のような生活をしていた私では、貴族の価値観や常識などいつまで経っても身につかないのだ。
どんなにおかしいと思っても、生粋の貴族であるセオドアがそうだと言うのならそうなのだろう、となってしまう。
「食べられないのなら食べさせてやる」
「え!いい!いいから!自分で食べるから!」
黙ってしまった私をじっと見た後、何を思ったのか徐にフォークを手に取り、私のにんじんを己のフォークで刺そうとするセオドアを、私は手をとにかく左右にぶんぶん振って止める。
子どもじゃあるまいし、本当に必要のないことだ。
あと普通に恥ずかしい!
「相変わらず仲良しねぇ」
「ああ、そうだな」
そんな私たちの変な攻防をアルトワ夫妻は微笑ましそうに、そしてレイラ様もまたその美しい星空のような瞳を細めて見つめていた。
*****
朝食後、いつものように学院へと向かう準備を済ませ、セオドアとレイラ様と一緒に玄関ホールまで移動すると、そこには今日もある人物がいた。
「やあ、おはよう」
玄関ホールにある無数の窓から射す朝日を浴び、キラキラと輝く白銀にも見える銀髪。
こちらを優しく見つめる黄金の瞳に、全てが宝石のような輝き放つ、人形のように整っている美しい人。
玄関ホールで今日もこちらに柔らかく微笑んできた人物はウィリアム様だった。
「おはようございます、ウィリアム様」
「おはよう、ウィル」
ウィリアム様に挨拶をされて、セオドアが無表情にだが礼儀正しく、レイラ様がにこやかに砕けた口調で挨拶を返す。
そんな2人に続く形で私も「おはようございます」と柔らかく微笑んでウィリアム様に挨拶を返した。
「ウィル、今日もいい天気ね」
「ああ、そうだね」
「ふふ」
「ん?どうしたの?」
「いやアナタはずっと変わらないわね」
「そう?」
王子様のようなウィリアム様に女神のようなレイラ様。
優しく微笑み合う2人は本当に絵になり、お似合いだ。
レイラ様がアルトワ伯爵家に帰ってきて以来、ウィリアム様は毎日のように私を送迎するようになった。
理由はおそらく自分の本当の婚約者であるレイラ様にこうやって会う為だろう。
学院へ行く私とセオドアをレイラ様はいつも玄関ホールまで見送り、学院から帰ってきた時もここで出迎える。
学院へは通えないレイラ様にウィリアム様が会う為には、ウィリアム様自らここに来るしかなかった。
私との婚約関係中は身分が私の方が下だという理由で、基本私の方からウィリアム様の元へ向かっていたのだが、本当に大切な人の前ではウィリアム様も身分など気にしないらしい。
微笑み合い、まだ何か話している2人を見て、やはりホンモノは違うなぁ、としみじみ思っていると、ウィリアム様がこちらに視線を向けた。
「レイラ」
すぐ目の前にホンモノのレイラ様がいるというのに、ニセモノの私を〝レイラ〟と呼び、愛おしげに見てくるウィリアム様に少し同情してしまう。
ウィリアム様は常に完璧を追い求めなければいけない人だ。だからこそ、ウィリアム様の完璧の一つである婚約者枠のレイラ様にも完璧を求められる。
だが、しかしその完璧でなければならないウィリアム様の婚約者が、実はニセモノという完璧ではないものだったら。
そんなことが世間に知れ渡ると、ウィリアム様の完璧に傷がついてしまう。
なので、ウィリアム様も、シャロン公爵家もアルトワ伯爵家の考えに賛同し、今は私をレイラ様として扱っていた。
目の前にホンモノの大切な幼馴染がいるのに、ニセモノをホンモノとして扱うなんて、どんな思いなのだろうか。きっと心苦しかったり、嫌な思いをしていたりしているのではないだろうか。
ウィリアム様とレイラ様を見るたびに、私はそう思わずにはいられなかった。
「ぼーっとしているね?どうしたの?」
「あ、いえ。少し考え事を…」
「考え事?僕がいるのに他のことを考えていたの?」
私の答えを聞き、いつもの微笑みを崩さないまま、ウィリアム様がどこか気に入らないと言いたげに私を見る。
「いや、私が考えていたのはウィリアム様のことで…」
なので、私はそんなウィリアム様に曖昧な笑顔を浮かべながらも、正直に今考えていたことを伝えた。
するとウィリアム様の表情が変わった。
「そう…。僕の前で僕のことを考えていたんだ…」
どこか嬉しそうに目を細めているウィリアム様に私は違和感を覚える。
何故、ウィリアム様はこんなにも嬉しそうなのだろうか。
全く意味がわからない。
「行こう、レイラ」
「はい」
ウィリアム様の表情の真意なんてもちろんわからない。
なので、いつもの如く私は考えることを放棄して、ウィリアム様から差し伸べられた手を取った。
それからウィリアム様に手を引かれ、馬車へと向かった。私たちの後ろには当然のようにセオドアもおり、同じ馬車に乗る。
「いってらっしゃい」
そんな私たちを今日も女神様のような優しい笑みでレイラ様は見送ったのだった。

