「ええぇ! 辞めた!? だってアレシアは剣聖なんだぞ。多くの人間が血の滲むような努力に努力を重ねても、たった1人しかなれないんだぞ!」
 「先生を追放する国に! あんなところにいる意味がありません!」

 彼女が途方もない努力を重ねてつかみ取った称号と仕事だ。そう簡単に捨てられるわけがない。ここまで言う以上は別の事情があるのか。

 「称号なんかより、この宿屋の方が大事です……というか(先生)の方が大事です!」
 「え? ちょ……」

 最後の方はよく聞き取れなかったが……

 ―――もしかしてアレシアは宿屋マニアなのか!?

 「ここがあたしの帰ってくる場所なんです!」

 剣聖アレシアが決意のこもった真剣な眼差しで俺を見る。メイド服でビビるぐらいのミニスカートがふわりと浮き上がるぐらいの気迫で。

 オッサンの精神を色んな意味で揺さぶらないで欲しい。



 ◇◇◇



 「せいっ!」
 「せいっ!」

 「やあっ!」
 「やあっ!」

 翌朝、俺はアレシアと朝の鍛錬にいそしんでいた。

 結局アレシアは、うちで従業員として雇うことになった。
 もう辞めてしまったものは仕方ない。色んな重責もあったのだろう。思うところもあったのかもしれない。詳細はわからん。彼女の過去をグジグジと掘り返すことはしない。

 オッサンにできることは、今の彼女に休息の場を提供してやるぐらいだ。
 彼女が言った「帰ってくる場所」。その言葉は俺が宿屋にこだわる理由だしな。ここがアレシアにとって帰ってくる場所となるのならばそれでいい。

 俺たちは素振りを終えたあと、木剣で軽く模擬戦というか打ち合いをする。

 「せいっ!」
 「やあっ!」

 俺もアレシアも【闘気】を使用しての打ち合いである。
 【闘気】とは、体内のエネルギーを練ってより純度を高くしたものだ。そうすることで普段より少し力を得ることが出来る。

 といっても俺が剣聖アレシアのように多彩な剣技を使えるわけもなく、【一刀両断】の振り下ろししかできない。

 対するアレシアは、俺に合わせて同じく【一刀両断】で打ち合ってくれる。
 これは彼女の気遣いだ。俺は剣士では無いただの宿屋のオッサンだから。

 だが単に気遣いだけで彼女が俺の鍛錬に付き合っているのか? というとそうでもない。
 俺は知っている。レベルの低い者に合わせて自身の力をコントロールするのもまた良き鍛錬なのだ。
 そういう意味では、俺も多少の役には立っているのだろう。

 「くっ……」
 「ぐぅう……」

 俺が木剣を振り下ろすたびに、アレシアは必死の形相で受け止めている。力のコントロールは想像以上に難しい。俺と同等のしょぼい【闘気】を維持するのが難しいのだろう。

 そんなこなんで鍛錬も終わりそうな頃に、元気な天使の声が聞こえてきた。

 「バルドさま~アレシア~おはようございます!」

 リエナが出勤してきたのだ。



 ◇リエナ視点◇



 「ふわぁ~~流石バルドさま~剣聖アレシアと朝練出来るなんて! やっぱり凄いんですね!」
 「はは、リエナ。大げさだよ。ごく一般的な型通りの打ち合いをしただけだよ」

 ……最後にチラ見しましたけど、あれが一般的なの? 

 王城の地下通路から宿屋に向かう際もミシミシ微妙に揺れていたし。地震かと思ったら、バルドさまたちの訓練だったんだから。

 ―――やっぱりバルドさまは普通じゃない。

 ふふ、バルドさまはこの先どんなとんでもないことを見せてくれるんでしょう。でも、まずは開店準備をしなきゃね。そうだアレシアにもメイド服を着させてあげないと。
 アレシアの元に行くと、随分と興奮した様子で彼女がわたしの肩を揺らす。

 「リエナ! 凄いだろう! 先生は【闘気】の達人だ! あたしのために手加減してくれたのだが、それでも受けるだけで意識を刈り取られそうな重い一撃を平然と連発してくる。こんな感覚は先生でしかあり得ないんだぞ!」

 まるで子供のようにキャッキャッと騒ぐアレシア。その青い瞳はキラキラとしている。
 なんだか私が抱いていいた剣聖さまのイメージとはずいぶん違うわね。

 「ふふ、アレシアはバルドさまのことを心から尊敬しているのですね」
 「そうだ、あたしは幼少の頃に【闘気】を先生から教わったからこそ、今のあたしがあるんだ。剣術を教えてくれる先生は山ほどいたが、【闘気】を操る人は先生以外に会ったことがない!」

 ―――やはりですか。

 バルド様は【闘気】について一般的なものとして捉えているようですが、私も実際に使える人に会ったのは初めてですね。

 おそらくごく一部の者しか使えないもののはず。バルドさまがただのオジサマではないのは明白ですが、まだまだ謎大き方ですね。
 いずれにせよお父様の言う通り、ナトル王国にとって失ってはいけない人だわ。

 「そうだな、あと先生は優しくしてくれるし。そ、そのカ、カ、カッコイイしな……」

 そう言うとアレシアは俯いてしまった。顔が真っ赤じゃないこの子。
 ふふ、やっぱりアレシアもですか。ですが、私もナトルの王女ですから。剣聖が相手でも負けませんよ。

 「どうしたアレシア? 顔が赤いぞ。ちょっと熱を測れ」

 白ティーシャツを着替えて戻ってきたバルドさまがアレシアの異変に気づいたのか、体温棒をアレシアに渡す。
 アレシアがビクッとして、熱はないですと連呼するも。バルドさまに押し切られて、体温棒を咥えさせられている。

 まあ、うらやまし……じゃなくて。やはりバルドさまはこの手の話にかなり鈍感ですね。
 何はともあれ、バルドさまに元剣聖。小国ナトルが生き残るには重要なお二人です。なんとしても他国に流れないようにしないと。まずは、宿屋経営が軌道に乗ってくれればいいのですが……

 そう思っている矢先に、扉が勢いよく開いた。

 ふふ、やりました♡ お客さんですね。

 「ああ、ここが例の宿屋ね!」「おお、冒険者ギルドで紹介されたとこだ!」

 その後も、少しづつだが客が入り始める宿屋。バルドさまが不思議そうな顔をしてます。

 「あれ? なんか客が入ってくるぞ? すげぇなビラ効果」


 当然ですよ、ビラ効果というよりは―――バルドさま効果ですけどね。