「な、なぁコタ。本当にいいのか…?」
俺はあれから流されるまま、コタの家まで連れて来られた。
学校からコタの家までは歩いて5分くらいだ。学校から2時間かかる俺の家とは大違いだ。
立派な二階建ての家で、玄関の前にはなんの種類かはよくわからないが、綺麗な花が植えられていた。
「いいですよ。そんな状態の先輩をそのまま帰すわけにはいかないですし、明日はちょうど土曜日だからゆっくりやすめるから。しかも今日は兄ちゃんぐらいしか家にいない」
やけに機嫌が良いコタは、俺の手をひいて家に入った。
「あれ、まだ兄ちゃん帰ってきてないな。あ、どうぞあがってください」
おじゃまします、と言い玄関を上る。
どうしようかと突っ立っていると、コタが俺の肩からするりとカバンを取った。
「荷物はおれの部屋に持って行っとくんで、先輩お風呂入ってきてください。着替えはおれが準備しときます。お風呂はそっちです」
慌ただしいコタが指さした方向へ歩いていくと、風呂場を見つけた。
さすがに長風呂する気は起きないので、急いで済ませた。
風呂からあがると、コタが準備してくれたであろう着替えが置いてある。
半袖のTシャツと半ズボンはコタのもののようだが、下着は新品だった。わざわざ新しいのをおろしてきてもらって少し申し訳ない。
着替えを済まして、リビングに戻るとドライヤーを持ったコタが待ち構えていた。
「はい、先輩ここ座って」
コタがポンポンとソファーを叩いた。大人しくそこに座る。
ブォー、とコタが髪の毛を乾かしてくれる。
「ずっと思ってたんですけど、先輩って髪の毛サラサラですよね」
「そうか?」
「はい。気づいたら触っちゃいそうなんでいつも我慢してるんです」
「……別にいいよ。コタなら」
「え?なんて?」
ドライヤーの音で俺の声がかき消されて聞こえなかったらしい。柄にもなく変なことを言ってしまったので、聞こえなくてよかったかもしれない。
しばらくそうした後、コタがドライヤーのスイッチを切った。どうやら終わったようだ。
「先輩、ちょっと待っててください」
「?うん、わかった」
コタは俺をソファーに座らせたまま二階に上がって行った。
それとほぼ同時くらいに、リビングのドアが開く。
「ただいまー。あ、ナツくんじゃん。いらっしゃい」
「すみません。お邪魔してます」
「いーよいーよ。座ったままで」
立ちあがろうとした俺をコタ兄が制する。
ニコッと笑って俺の隣に腰掛けた。
「ナツくん体調悪いみたいだったけど、大丈夫だった?」
「寝不足でちょっと…そういえば、俺の代わりに先輩が入ってくれたんですよね。ありがとうございます」
途中退場した俺の代わりに、コタ兄が入ってくれたらしい、とコタに聞いた。「兄ちゃんに貸し作るのはちょっと癪でしたけど」と口を尖らせていた。その貸しは俺が返さないとダメだな。と思う。
「いーよー。バレーも楽しかったし」
ニコニコと応対するコタ兄はさすがイケメン、と言ったところだ。俺もこんな先輩になれるだろうか。と考え至ったところで、一つ懸念を思い出した。
「あ、先輩って今年受験じゃないですか?迷惑だったら俺帰りますよ」
「それなら心配しないで。俺、もうスポーツ推薦で大学決まってるから」
サラッと言われて驚く。そういえば確かにコタ兄は1人ずば抜けて上手かった。スポーツ推薦、と言われても頷ける。
「今は部活じゃなくて、外のチームに入ってバスケやってる。部活は引退したから暇なんだよね」
「そうですか」
住む世界が違う。俺もバスケをやっていたらこうなれていただろうか。
また悪い方向に思考がいきそうな気がして頭を振った。
「ナツくんには感謝してるんだよ」
「え?」
「こたろーのこと。あいつ中学のときはやることなくて退屈、って感じで。かといって部活とかも興味ないみたいだったから、せっかく背あるのにもったいないって思ってたんだよ」
「いや、俺はなにも…」
「不純な動機で入ったとしても、こたろーが打ち込めるものができて良かったよ。しかも高校から始めた割には上手くなってるし。ナツくんが教えてくれてるからかな」
「それはコタ自身が努力してるからですよ」
楽しそうに言うコタ兄に、少し恥ずかしくなって早口で返した。
そんな俺を見て、「あ、そうだ」とコタ兄がなにかを思い出したように話し出す。
「ずっと聞きたかったんだけどさ、ナツくん、俺とどこかで会ったことない?」
意味深な言葉と真剣なその表情に、なにも言い返せなかった。
「先輩、これ着てくださ…って、兄ちゃん帰ってきてたのかよ」
2階から戻ってきたコタの言葉で我に帰る。
「兄ちゃん、先輩に変なことしてないよな?」
「お前は俺のことなんだと思ってるんだよ」
コタ兄を威嚇しながらコタは俺にパーカーをよこした。
「ありがと」と言って受け取る。
袖を通すと案の定、手は出なかった。
「ぶかぶかなのかわいいですね」
「くそ……」
唇を噛み締めていると、コタにポンポンと頭を撫でられた。コタは微笑んだ後、コタ兄に視線を移す。
「兄ちゃん、先に風呂入る?」
「あー、いいや。こたろーが先入れよ。俺晩飯作るわ。ナツくん食べられないものとかある?」
「特には……」
でも、食欲がないからガッツリしたものは食べられないかもしれない。そんな俺の心配を汲み取ったようにコタが口を開く。
「先輩、食欲ないんでしたよね。うどんとかなら食べれます?」
「それなら……あ、でもわざわざ俺に合わせなくても大丈夫」
「いや、俺もそんなに凝ったものは作れないから。オッケー、うどんね。作るわ」
コタ兄はニコッと笑ってキッチンに向かっていく。
なにか手伝おうとすると、「ナツくんは座って待ってて〜」と言われたので大人しくソファーに座る。
「じゃあおれお風呂入ってきますね。テレビでも観て待っててください」
「おー」
コタはリモコンでテレビをつけた後、お風呂場に歩いて行った。チャンネルを変えるが、特に観たい番組もなかったので適当なバラエティー番組をつけてぼぉっと見つめる。
お風呂から上がったからか、もしくはパーカーをコタから借りたからか、体がポカポカと心地よい温度になっていく。コタの匂いに包まれて、だんだんと瞼が重くなる。
借りたパーカーが、まるでコタに抱きしめられているかのような状況を作り出す。眠りにつくにはそれほど時間はかからなかった。
ーーーー
出汁のにおいが鼻をかすめて目を覚ます。
「あれ、ナツくん起きた?今ちょうどできたところだよ。冷めないうちに食べなー」
「あ、ありがとうございます」
立ち上がって、ダイニングまで行く。
机の上には3つのきつねうどんがおいてあった。
席に着くと、ちょうどそのタイミングでコタが部屋に入ってきた。
「お、タイミングばっちりだ。いただきまーす」
さっさと俺の隣に座り、手を合わせる。俺も手を合わせると、「どうぞー」とコタ兄が笑う。
久しぶりにまともに喉を通る食事は、なぜかすごく美味しく感じた。
「食べれそう?ナツくん」
「はい。美味しいです」
「よかった」
頷いた俺に、コタ兄は笑って手を伸ばす。
頭に触れそうになったその手を、コタが掴んだ。
「先輩に触んな」
「うわ、怖。セコムかよ」
真剣な表情のコタにコタ兄は身震いする。
「ていうか、兄ちゃんがそういうことしたらフジ先輩がめんどくさくなるからやめて」
「はは。確かに」
「わかってるんなら止めさせてよ。あの人、兄ちゃんの言うことだったら聞くでしょ」
「面白いから止めさせなーい」
「このクソ兄貴が」
隣で2人が口論し始めたのを苦笑いして見つめる。
ふと気になったことを口にした。
「そういえば、なんでフジ先輩は蓮介先輩のことになると面倒くさくなるんですか?」
「え、兄ちゃんまだ先輩に言ってなかったの?」
「あー、前言おうとした時にちょうどフジが来たから」
コタ兄の言葉にコタがため息をついた。
なにかあるんだろうか、と首を傾げているとコタ兄が机に頬杖をつく。
「俺、フジと付き合ってるんだよね」
「え」
驚きすぎて絶句する。
そんな俺を見て、2人が笑う。
「良い反応してんねー」
「おれも最初はそうなりました」
でも、これで納得した。男同士の恋愛について偏見がなかったのは、コタ兄自身が男と付き合ってるからだったのか。
「別に男が好きってわけじゃないんだけどね」
「フジ先輩だから好き、って感じですか」
「そーなのかなぁ。なんか改めて言うと恥ずいけど」
少し顔が赤くなって照れている顔は、いつもより幼く見えた。ちょっとだけコタに似てる。
「兄ちゃん、最近フジ先輩が受験勉強で忙しくてなかなか一緒にいれないから寂しいー、って嘆いてたんですよ」
「おい、いらんこと言うな」
否定しないってことはそうなのか、と温かい目で見ていると「もういいって…!」と赤い顔を背けられた。学校では見れない一面だな、と思う。
「お前だって、部活のせいで先輩と会えないって喚いてただろ」
「おれはそれが平常運転だから。ね、先輩」
「そうだな」
「くそ、ダメージ0かよ」
まっすぐ突っ込んでくるコタに勝てる人はさすがにいないだろう。頭を抱えたコタ兄が、いつも余裕のあるモテる先輩には見えなくて笑ってしまった。
「ナツくん笑わないでよ。…てか早くうどん食べよ。のびたらおいしくないから」
コタ兄に催促されて、うどんを食べることを再開する。
その後もたわいのない会話をしながら、食事の時間を終えたのだった。
ーーーー
「まだ7時かー。あ、先輩、親とかに連絡しなくていいんですか?」
「忘れてた…」
「おれの部屋に先輩のカバン置いてるんで、連絡してきてください。2階の真ん中がおれの部屋ね」
「わかった」
コタに言われた通り2階に上がり、3部屋並んでいるうちの真ん中の部屋に入った。
物は多いが整頓されていて、ものの系統もそろっていた。そして、部屋のあちこちからコタの匂いがする。
安心感と眠気を誘われて、慌てて頭を振った。
ベットに寄りかかるように置かれていたカバンからスマホを取り出す。
『友達の家にとまります』
そう母親に送る。父親は単身赴任で家にはおらず、母も仕事に行っているので、帰ってくるのは9時頃だ。特に問題はないだろう。
スマホをカバンに戻して一息つく。
コタの匂いにまた、眠気が襲ってくる。今度はどれだけ抵抗してもそれには抗えず、コタのベットに腰掛けた。
ちょっとだけ。ちょっとだけだから。
そう自分に言い聞かせて、上半身だけベットに預ける。
コタの匂いに、まぶたは反発することなく閉じていった。
ーーーー
「……ぱい、夏弥先輩!」
あれ、コタの声が聞こえる。
体を揺さぶられて意識がはっきりしてくる。
目を擦りながらゆっくり起き上がると、ぎゅっと抱きしめられた。
「……なに、こた」
「なに、じゃないですよ!また過呼吸起こして倒れたのかと思ったじゃないですか!」
「わるい…」
「寝てただけなら安心しましたよ……ほんと、心臓に悪い」
コタはボソッと呟くと、俺から離れた。
「ナツくーん、大丈夫?」
「だいじょぶです。すみませんめいわくかけて」
コタの後ろから顔を出したコタ兄に頭を下げると、「なにもないならいーよー」と笑った。
「先輩、眠いなら無理せず寝ていいですよ。おれのベット使っていいんで」
「こたは?」
「えっ?」
「こたはいっしょにねないの?」
俺がそう聞くと、コタはさも当然かのように言う。
「おれはもうちょっと何かしてから寝ますよ」
「なんで」
「まだ8時前だし」
「じゃあ、こたがねるまでまっとく」
さすがに先に寝るのは忍びない。
それに、コタと一緒に寝たほうがしっかり寝れる気がする。
「いや、無理しなくていいですよ。先輩ただでさえよく寝る人なのに、寝れてないんだから眠いでしょ」
「それは、そうだけど……」
何度言っても引かないコタに、少し悲しくなる。
寝不足と眠気MAXのせいでまったく頭が動いてなかったのか、感じたことがそのまま出てしまう。
目が熱くなったと思ったら、ポロポロと涙が出てきた。
「せ、先輩?!な、なんで泣いてるの!」
「…っ、おれはこたといっしょにねたいのに……こたはおれといっしょにねたくないの」
「……ちょ、ま、待って。ほんとに先輩がかわいくてどうしよう。どうしたらいいの兄ちゃん」
「知らんわ。一緒に寝てあげなよ」
面倒くさいと言わんばかりにコタ兄が手をひらひらと振る。
止まらない涙を、コタが俺の頬に手を添えて拭う。
「おれだって一緒に寝たいですよ。めっちゃ早いですけど、もう寝ますか」
「んん…でも、いまねたらへんなじかんにおきそうでこわい」
「ナツくーん、俺と寝る?」
「兄ちゃんは黙ってろ」
「怖ぇー」
冗談めかして言うコタ兄に、コタが鋭い視線を送る。
コタの服の袖をくいと引っ張って、注意を引く。
「こたはなにするつもりなの」
「うーん。特に考えてなかったっすけど、ゲームでもしようかな」
「じゃあおれそれみとく」
そう言うと、コタが俺の顔を覗く。
「先輩はやらなくていいんですか?」
「うん。みとくだけでいい」
「わかりました。じゃあ兄ちゃんやろうぜ」
「お、いいよ。久しぶりだな」
意気揚々と笑うコタ兄が部屋を出る。
それについていくように、俺とコタも部屋を出た。
一階に戻ると、コタ兄がテレビをつけてゲームをする準備をしていた。思っていたより楽しそうだ。
「兄ちゃん、いつもおれにボコボコにされてんのに」
「うるせー。今日こそは勝つ」
コタ兄は設定しながら言い返し、コタにコントローラーを渡した。コタはテレビの前に置かれているソファーに座ると、ポンポンと隣を叩いた。座れ、ということらしいので大人しくそれに従う。
設定ができたのか、コタ兄はコタの隣に座る。コタ兄、コタ、俺の順番だ。
画面を見ると、人気の格闘ゲームらしい。俺はあまりやったことないが、画面に書いてあるレベルから相当やりこんでいるようだ。
コタ兄がカチッとボタンを押すと、「GAME START」の文字が表示され、戦闘が始まる。
コタ兄は、見るからに強そうな武装したロボットのキャラクターなのに対して、コタは可愛らしい動物のキャラクターだ。これでコタのほうが強いのだから、この動物はさぞえげつない攻撃を繰り出すのだろう。
そう予想して画面に目をやると、コタ兄のロボットは遠距離型の攻撃で、謎のビームを発している。コタの猫のような犬のような動物は、その攻撃を掻い潜って間合いに入り込む。どうやら近接型のキャラクターらしい。
コタが次々と攻撃をロボットに入れると、「アォ」や「オゥッ」など変な声を出す。どんどんとダメージが溜まって、最終的にコタ兄のロボットが場外に押し出された。
「まずは一本ね」
「くそが」
イケメンの口から汚らしい罵声が飛び出て少し驚くが、これが本来のコタ兄の姿なのだろう。学校の女子たちに見せてあげたい反面、それを知っている優越感から見せたくない気持ちもある。
そんなことを考えているうちに、またコタ兄のロボットが場外に飛ばされた。
「兄ちゃん?もう一本おれが取ったら負けちゃうよー?」
「生意気だな。次は俺が勝つ」
余裕そうに煽るコタと、切羽詰まった表情のコタ兄はまるでいつもの様子と真逆だった。それぞれに少し似ているところがあるから、やっぱりこの2人は兄弟だと実感する。
それからも、2人の言い合いに耳を傾けながらゲーム観戦をしたのだった。
ーーーー
「そろそろ10時だな」
「先輩も限界みたいだし、終わるか」
2人の声が聞こえたかと思うと、コタがほとんど眠っているような俺の頭にポンと手を置いた。
「先輩終わりましたよ。立てますか」
「ナツくん、最後の方船漕いでたもんな」
コタに手を引かれて立ち上がる。
その勢いに全体重を乗せると、「うおっ」と言いながらもコタは抱きしめて支えてくれた。
「部屋、行きましょうか」
「ん」
2階に着くと、コタ兄は自分の部屋のドアに手をかけ、こちらに振り返る。
「おやすみナツくん。こたろーはナツくんに絶対手出すなよ」
「わかってるよ」
コタ兄とコタは軽い口喧嘩をした後、それぞれの部屋に入って行った。
コタの部屋に続いて入る。
コタはベットの近くの間接照明をつけ、ベットに入った。掛け布団をぺらっとめくって俺を招く。
「夏弥先輩。おいで」
その言葉に吸い寄せられるように、俺はコタの腕の中に入り込んだ。
コタの胸に顔を押し付けると、体いっぱいにコタの匂いが巡る。優しく抱きしめられると、その温もりも身体中に広がった。
「先輩?」
「…………ん?」
顔を上げると、コタは俺の横髪をサラッとかきあげて耳にかけた。
「ふは。ぱやぱやしててかわい」
「ぱやぱやってなに」
「そのままの意味ですよ」
ニコニコと俺を見つめるコタに、嬉しそうでよかったなぁ、と思う。
「先輩、なんでおれと寝たかったの?」
「…んえ」
眠気と闘いながら間抜けた声を出した俺をコタが見つめた。
「こたと…いっしょにいたら、なんか、あんしんして…ねむく、なるから…いやなことも、わすれられる」
「へぇ」
コタから借りた大きめのパーカーに顔を埋めると、その頭をコタが撫でた。
コタの匂いと温もりに包まれて、瞼が限界を迎える。
「おやすみ、夏弥先輩」
コタの声を耳元で聞きながら、俺は意識を手放した。
ーーーー
体が動かされる感覚がする。隣にいたコタが少し体を起こした。
「ナツくん起きてる?」
「まだ。先輩、ちゃんと寝れたかな」
「まあ、お前近くにいると眠くなるみたいだったし大丈夫じゃね」
俺を起こすまいと小声で話すのが聞こえて目を覚ます。
「あれ、先輩起こしちゃいましたか?」
「……ん」
「すみません。まだ寝てていいですよ」
「ん」
言われなくてもそうするつもりだったが、わざわざ言ってくれるならありがたくそうしよう。
俺はコタの胸に顔を埋めた。その頭をコタが撫でる。
「俺朝飯作ってくるわ。できたら呼ぶから」
「わかった。ありがと兄ちゃん」
また小声で話すのが聞こえる。俺のこと気遣わなくていいのに、と思う反面、頭に響かない程度の声で心地よく感じる。
十数分、起きているがまだ意識がふわふわと彷徨っている状態で目を閉じていたら、コタ兄が部屋のドアを開ける音がした。
「朝飯できたよ。来れる?」
「先輩に声かけてから行く」
「はーい」
コタと軽く会話した後、コタ兄が部屋を出た。
「先輩、朝ごはんできたって。起きれますか?」
頭を撫でながら言われるとまた眠くなるのでやめてほしい。コタの手首を掴んで起き上がる。
「…ねむくなるからやめろ」
「はは。理不尽だなぁ」
俺に合わせるように起き上がったコタは、俺を引き寄せて抱きしめる。
「おはようございます、先輩」
「ん…おはよ」
「なんか同棲してるみたいですね」
「ん……え?」
勢いで頷きそうになったが、意識が急浮上したことによりおかしなことを言っていることに気づいた。
「このまま結婚しますか?」
「…まずはつきあうところからだろ」
「じゃあ付き合ってくれます?」
「んー、まだだめ」
俺はそれだけ言うと、コタの腕から抜け出し、ベットから出た。さすがにお腹が空いた。
ドアノブに手をかけると、コタがまだベットから出てこないことに気づいた。
「コタ?」
振り返るとコタはポカンとして俺を見つめている。
「行かねぇの?」
「ち、ちょっと待って」
俺の言葉で我にかえったと思ったら、片手を顔に当てて、もう片方の手を開いて俺に見せる。「待って」というジェスチャーらしい。
「今先輩なんて言いました?」
「え?…行かねぇの?って」
「その前」
「……コタ?って聞いたけど」
「その前は?」
「え、なんか変なこと言った?」
思い当たる節がなくてきょとんとしていると、嬉しそうなコタがベットから出た。
「まあいいですよ。言質は取ったんで」
「言質?」
「早く行きましょ。兄ちゃんが怒る」
「あぁ、うん」
俺の背中をぐいぐいと押して、部屋の外に出る。
階段を降りながら、コタが俺の顔を覗いた。
「悪い夢は見てないですか?」
「うん。久しぶりにちゃんと寝れた」
「それはよかった」
俺が答えると上機嫌にニコニコと笑う。
さっきからやけに機嫌がいいが、なにかあったのだろうか。
ダイニングに着くと、すでにコタ兄が朝ごはんを食べ始めていた。
「お前らが遅いから先食ってる」
「ごめん兄ちゃん」
少し不機嫌なコタ兄に、コタが頭を下げる。
コタ兄は俺に視線を移すと、優しく笑った。
「ナツくんおはよ」
「おはようございます」
「よく寝れた?」
「おかげさまで」
本当にコタ兄とコタには頭が上がらない。
色々気遣ってもらって申し訳ない。今度なにかお礼しに来ないと。
「本当に色々ありがとうございました。今度お礼させてください」
「お、じゃあまた遊びに来てよ。いつでも暇してるから」
「はい」
コタ兄の言葉に頷くと、後ろからコタが腕を回してきた。
「せんぱーい。おれは?」
「コタもありがと」
「へへ。じゃあ今度デート行きましょ、2人で」
「いいよ」
この前、遊ぶ時に仲川と逢坂を呼んで、コタが拗ねていたので、2人で遊ぶ約束をしたのだ。
このやりとりを見たコタ兄が眉間に皺を寄せる。
「え、待って。それでお前ら付き合ってないの?」
「まだ、だから。ね、先輩」
「ん?うん」
同意を求められたので咄嗟に頷いたが、何のことかよくわからない。まあコタの機嫌がいいので良しとしよう。
「まあナツくんがそれでいいならいいけど…困ったらいつでも言って」
「?はい」
何となく頷くと、コタ兄がため息をついた。
「こたろー、ナツくんお前の言ったことわかってなさそうだけど」
「先輩はそれでいいの!」
とりあえずこれでよかったらしい。ホッとして席に着くと、その隣にコタが座った。
いただきます、と手を合わせて食べ始める。
少し冷めていたけど十分美味しかった。
ーーーー
「ほんとにまだ泊まらなくていいんですか?ずっと泊まってていいんですよ??」
「流石にずっと泊まるのは気が引けるわ。ありがと」
コタの家を出ると、玄関前までコタとコタ兄が見送ってくれる。コタがあまりにも名残惜しそうに言うので、思わず笑ってしまう。
「ナツくん、もうちゃんと寝れそう?」
「……それは」
コタ兄の問いかけに言葉が詰まる。昨日はコタが一緒にいてくれたおかげで眠ることができた。でも、また1人で寝るとなったらあの夢を見てしまうかもしれない。
それは絶対に避けたい、と思考を巡らせると、ある一つの打開策を思いつく。今着ているコタから借りたパーカーを指差す。
「コタ、このパーカーちょっとの間貸してくれない?」
「いいですけど……何でですか?」
やっぱりそれは聞かれるよな。できるならあまり言いたくはないのだが、背に腹はかえられない。
意を決して口を開く。
「えっと……コタの匂い安心するから、これがあったら寝れるかもって……ごめん、忘れて」
流石にキモいな、と途中で気づき、最後は口を濁らせてしまった。
おそるおそるコタの顔を見上ようとしたとき、ガバッと抱きつかれた。驚いて後退りしようとすると、腕の力が強まった。どうやら逃げれないらしい。
「いいですよ!!!!」
「え、な、なんで泣いてんの」
「こたろー、ナツくんがドン引きしてるよー」
なぜか涙を流しながら俺を抱きしめるコタに困惑していると、隣にいたコタ兄が茶々をいれた。
「先輩のかわいさが涙腺にきました……」
「なんだそれ」
まだオイオイと泣いているコタに、少し恥ずかしくなって腕の中から抜け出した。
「毎日おれの服渡しますね!!!」
「いや、別に毎日はいらない…」
「またまたぁ。おれと一緒に寝たくて泣いちゃった先輩が何言ってるんですか」
「……忘れろ」
「一生忘れません」
昨日は眠くて頭が回ってなかったから、という言い訳は多分聞いてもらえないだろう。
ニコニコと笑うコタから顔を背けると、コタ兄がスマホで時間を確認していた。
「こたろー、お前そろそろ部活じゃないの?」
「うわ、最悪。もうちょっと先輩といたいのに」
「ほら、早く準備しないとだめだろ。部活頑張れよ」
俺はここぞといわんばかりに、コタの背中をぐいぐい押して家の中に押し込む。
「あぁ〜。せんぱいぃ〜」というコタの情けない声は聞かないことにする。
「ったく、あいつほんとうるせー」
コタ兄が笑いながら、コタがいる方を見る。
苦笑いで同意して、俺は荷物を持ち直した。
「じゃあ、俺はこれで。本当にありがとうございました」
「いーよいーよ。こっちも楽しかった。また来てね」
コタ兄に頭を下げて、京原家を後にする。
秋の、少し涼しくなった風を感じながら家へ向かう。
漠然とだが、今日はぐっすり眠れる気がした。



