相手からボールを奪い、攻めの姿勢に入る。
今は相手の陣形が崩れていて、絶好の攻撃タイミングだ。
走り出したその時、視界がいきなり低くなった。
瞬きした頃には、顔の前に床があった。
ピッ、と笛が吹かれる音がして、周りの人たちの動きも止まる。
立とうとすると、足に激痛が走る。
床にへばりついて動けない俺を、チームメイトの影が覆う。
見上げると、そこには俺のことを一切心配していないようにニヤニヤとしている顔が目に映った。
“さすがにやりすぎだろ〜”
コソコソと、俺以外が話すのが聞こえる。声に笑いが含まれているのがわかった。
“いや、あれぐらいやらないとアイツ折れないじゃん笑”
“あー、マジおもれぇ。傑作だわぁ”
“清々するな笑”
わざとなのか、わざとじゃないのかわからないが、チームメイトが話している声はいとも簡単に俺の耳に入ってくる。
激痛と闘いながら、頭の中を整理した。この会話の内容からして、チームメイトはわざと俺の足を引っかけ、転ばせたのだろう。
早く立たないといけないのはわかっているはずなのに、体が震えて力が入らなかった。
“お〜い、大丈夫かよ〜笑。早く立てって〜”
手を差し出すチームメイトの笑った顔が、不気味で、怖くて────
「っは、はっ、はっ……」
パッと目を開ける。着ている服は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。
「っ、ゆめ、か……」
1人でそう呟き、ゆっくり体を起こす。
窓の外はまだ暗い。枕元に置いてあったスマホで時間を確認すると、朝、というにはまだ早い、3時だった。
普通なら十分二度寝をすることができる時間帯だが、さすがにその気にはなれなかった。
久しぶりに見た、中学時代、まだバスケをやっていた時の、いや、バスケを辞めるきっかけの時の夢。
心臓の鼓動が痛いぐらいに、ドッ、ドッ、ドッと波打っていた。
ーーーー
「はよー、夏弥」
「仲川。はよ」
いつも通り、仲川に挨拶をすると、仲川は顔を顰めた。
「夏弥、なんか顔色悪くね?体調悪い?」
「あー、ちょっと寝不足っていうか。昨日ゲームしすぎたんかも」
「夏弥がゲームするなんて珍しいな。まあ、ほどほどにしろよ」
「んー」
どうやら仲川にはバレなかったようだ。仲川は唯一俺の中学時代のことを知っている。だから多分、この夢の話をしてしまったら、変に心配させてしまうだろう。
仲川はいつも俺を気にかけてくれているから、これ以上心配をかけたくなかった。
仲川との会話を終えると、机に突っ伏す。
目を閉じるだけでも、気休めくらいにはなるだろう。
その後の授業も、全く頭に入ってこないまま、昼休みを迎えた。
いつもは屋上で待ち合わせをして、俺、仲川、コタ、逢坂で昼ごはんを食べる、というシステムになっている。
「仲川、屋上行く?」
「俺委員会の集まりあってさ。ほら、来週球技大会だろ?それの打ち合わせで。多分来週まで一緒に食えないわ」
「そっか。じゃあ逢坂も?」
仲川は体育委員長なので、体育絡みの行事になると駆り出される。そして逢坂も体育委員だ。
「そうだな」
「じゃあ、コタと俺の2人か」
「おー。気をつけろよ。やべ、もうこんな時間だ。そろそろ行くわ」
「引き止めてごめん。いってらっしゃい」
走っていく仲川を見送る。屋上に行かないとな、となんとか体を動かそうとすると、ブー、とスマホがなった。
『先輩!秋の大会のミーティングでしばらく屋上行けなくなりそうです……』
コタからのメッセージだった。
このメッセージは今の俺からしたら都合が良かった。
『わかった。頑張れよ』
一言そう送り、机に突っ伏す。
コタは俺の変化に敏感だ。髪を数センチ切ったり、身長を少し靴で盛っただけで気づく。
だから今の俺を見たら、完全に寝不足だってバレる。
後輩にかっこ悪いところを見せたくないし、迷惑だってかけたくなかった。
だから、ちょうど良い。
眠気はピークに達しているはずなのに、眠れないのに気づかないふりをしながら、目を閉じた。
ーーーー
そこから1週間。あっという間に球技大会当日を迎えた。
俺はというと、あの日からまともに寝れていなかった。
眠りにつけたと思っても、またあの夢を見る。
毎回飛び起きて、そこからは寝れるわけもなかった。
いつからか、あの夢を見るのが怖くて、寝るのをやめた。
寝不足からか、食事も喉を通らなかった。
でも、仲川は委員会で忙しそうだし、コタ達とも昼に会わなければ、それ以外で会うこともない。
だから、俺の変化に気づく人は誰もいなかった。
「羽田ー!一緒にがんばろーな!」
ボーッとしていると、同じクラスの佐々木が声をかけてきた。体育館シューズを履きながら聞く。
「えっと…なにするんだっけ」
「バレーだよ。羽田運動神経いいんだから、頼りにしてるぞー」
そう俺の肩をポンポンと叩いて、コートへ入って行った。
ほとんど気力だけで動いている俺は、やっとの思いでコートに入る。
俺は背が高い方ではないので、大体ボールをレシーブする役割だ。
ボールの軌道を見極めて、コースに入り、体の正面で受ける。
「全然決まらないんだけど!!羽田、お前バレーやってただろ!流石にうますぎるって!」
相手のチームの人たちからのブーイングが起こって苦笑する。
「やってないって」
軽くそう返しながらレシーブをする。なんとかまだ動けそうだ。2セット先取なので、それまで持ち堪えたい。
パン、と相手がボールを打ち、ブロックしていた人の手に当たり、そのせいでボールの軌道が逸れる。
ボールの軌道に入ろうとして動いたその時、足が何かに引っかかってもつれ、そのまま転んだ。
「悪い、羽田!足が引っかかった!大丈夫か!?」
ドキン、と心臓が嫌な音を立てて、鼓動が速くなっていく。
頭の中に、思い出したくもない記憶が流れ込む。
俺にわざと足を引っかけて転ばせた、元チームメイトのバカにしたような笑い顔。
「羽田、大丈夫?立てるか?」
“お〜い、大丈夫かよ〜笑。早く立てって〜”
俺に手を差し出す佐々木と、元チームメイトの声がリンクする。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
「っは、はっ、はっ」
「羽田!?」
息ができない。
空気を取り込もうとするが、それと反比例するように空気は逃げていく。
寝不足なのに無理やり体を動かした反動が来て、体が動かない。
視界が180度回転するように感じる。
呼吸が狂い出して、喉から変な音がする。
目の前が、だんだん真っ白になっていく。
誰か────
「夏弥先輩!!」
「っ、こ、こた、っは」
「話さなくて良いです。落ち着いて、深呼吸してください」
どこからか走ってきたコタは俺の体を優しく起こし、肩を腕で支えた。
全体重をコタに預けて、呼吸を取り戻すことに集中する。
「はあっ、っは、はっ」
「慌てなくて大丈夫ですよ。落ち着いて」
コタの声に少し体の緊張が解ける。
コタの服をぎゅっと握りながら、息を吐く。
だんだんと、呼吸が戻っていった。
「はあっ…はぁっ……」
「落ち着いてきました?」
ゆっくりと頷く。少し落ち着くと、自分の体が冷や汗でびしょびしょだとわかった。
「ちょっと移動しましょ。先輩は動かないでくださいね」
「……ぇ?」
俺が困惑している間に、コタがひょいと俺を持ち上げた。いつもならすぐに文句を言うところだが、体力が吸い取られて動けない上、まともに喋ることができる状態ではなかったので、大人しく運ばれた。
体育館の壁側により、腰を下ろす。コタは俺の後ろに周り、俺を支えるように座った。ありがたく背もたれにさせてもらう。
コタに全体重を預けると、それを受け入れるようにコタは俺に腕を回した。
「聞きたいことはいろいろあるんですけど、まずは水、飲んでください」
「……ん」
コタはペットボトルをパキッと開けて俺に渡す。
冷たい水が体の中を巡った。
俺が水を飲んだのを確認すると、コタはタオルを俺の首にあてる。
「先輩の汗が引いたら、保健室行きますからね」
「……はぃ」
原因は運動ではない冷や汗を何とか収めようと、じっとしているうちに、どんどん体が重くなっていく。
背中にコタの温もりを感じて、まぶたもどんどん重たくなっていった。
「あれ、ナツくんどしたの?」
「え、兄ちゃん!?静かにして、先輩寝たから!」
「疲れて寝ちゃった…んではなさそうだな。顔色悪いね」
「あ、そうだ兄ちゃん、先輩の代わりにあそこのチーム入ってあげて!」
「しょーがないな。貸し1だよ」
コタ兄の声が聞こえた気がしたが、眠気には逆らえなかった。
ーーーー
「んん……」
「あ、先輩、起きました?」
「あれ、ほけんしつ……」
周りを見ると、いつのまにか俺は保健室に運ばれていた。
部屋の中には俺とコタ以外誰もいないようだった。
「せんせいは?」
「なんか、球技大会の他の人の応急処置とかで忙しいみたいです。夏弥先輩のことはおれが一任されました」
「そ…」
俺はゆっくり体を起こす。
コタが慌てたようにそれを止める。
「まだ寝てなくて大丈夫ですか?」
「ん…いい。ねたらまた……」
また、悪い夢をみそうだから。
言葉の途中で黙った俺に、コタは顔を顰めた。
コタはスルッと俺の頬に手を滑らせた。
指で俺の目の下を撫でる。
「先輩、寝てないですよね。いつからですか」
「……せんしゅう」
「ちょうどおれとか仲川先輩とか逢坂が忙しくなったタイミングですね」
「…ん」
俺は、ベットに椅子を近づけて座っているコタと向かい合わせになるように向き直る。
「なにかあったんですか?」
俺の顔を覗くコタに、俺は目線を落とした。
言ってもいいのだろうか。
先輩なのに、後輩に弱いとこみせてもいいのだろうか。
でも、もう1人では抱えきれないところまできている。
俺のことを気にかけてくれているのに、ここで「なんでもない」と突き放すのは流石にできなかった。
「…………わるい、ゆめを、みた」
「悪い夢?」
同じ言葉を繰り返したコタに頷く。
「ねるときに、まいにち……」
「それで、寝れなかったんですか?」
「ん……」
こんな弱いところを見せて、コタに軽蔑されないだろうか。怖くなって、目の前にいるコタの肩に顔を埋めた。
「せ、せ、先輩?」
「……みそこなったか?」
自嘲するように笑うと、コタが強張った手で俺に腕を回した。
「そんなわけないじゃないですか!むしろ先輩が話してくれて嬉しいです」
「て、こわばってるけど……」
「だって、おれから先輩に寄るのはよくありますけど、先輩からっていうのはないじゃないですか!」
「…たしかにな」
確かに、いつもだったら自分からコタの肩に顔を埋める、なんてことはしない。
でも、今は。
「いまは、こうしたほうが、あんしんするから……」
おそるおそる、コタの背中に手を回した。
コタが驚いてカチンと固まるのがわかった。
「こた、きんちょうしてんの?」
「…いや、誰だって緊張するでしょ!?好きな人に抱きつかれたら!」
ワタワタと慌てるコタに思わず笑みがこぼれた。
沈んでいた心が少し軽くなった気がする。
「そうだ。さっき先輩を抱き上げたときに気になったんですけど」
コタはそう言うと、一度俺から腕を離す。
さっきまで慌てていたのが嘘のように、こちらを見透かすような視線を向けてくる。
「ひっ!?」
「先輩、ご飯たべてないですよね?」
俺の腰をガシッと掴む。
そこを触られることはあまりないので、変な感覚がする。
「こ、こた、はなし……」
「先輩が答えるまで離しません」
コタは俺の腰を掴んでいる手にグッと力を入れる。
それに反応するように、肩がビクンと跳ねた。
「や、だ、こた、こたえるからっ」
「ご飯食べてないですよね。食欲ないんですか?」
「ん、うん、た、べてなぃ」
かろうじてそう言うと、コタは俺の腰から手を離した。
よかった。このままいくと変な気分になりそうだった。
胸を撫で下ろしている俺を、ニヤニヤした顔でコタが見つめる。
「先輩って腰弱いんですね」
「だまれへんたいくそのっぽ」
「そこまで言わなくても」
コタはいたずらにそう笑ったあと、スッと俺に視線を移した。
「冗談はここまでにして、まずは先輩が寝れないのどうにかしないとなぁ」
コタがそう唸った時、保健室のドアがガチャ、と開いた。
「夏弥、大丈夫か!?」
なだれるように入ってきたのは、仲川と逢坂だった。
「なかがわ、とおうさか」
「大丈夫ですか?夏弥先輩」
「うん、だいじょうぶ。めいわくかけてごめん」
「迷惑なんて思ってねぇよ。心配してんの」
仲川はそう言って俺の頭をわしゃっと撫でた。
部屋にある時計を見ると、放課後の時間になっていたので、球技大会が終わってすぐに2人は来てくれたのだろう。
「夏弥先輩、寝れてないみたいなんです。仲川先輩なんかいい案ありません?」
コタが仲川に聞くと、逢坂と仲川はきょとんとしてコタを見つめた。
仲川ははぁっとため息をついてコタを指差す。
「いや、お前だろ」
「えっ?」
「昼ごはんの後、いつも胡太郎が夏弥先輩を寝かせてるでしょ?」
逢坂も仲川の言葉に頷く。
「先輩と一緒に寝てあげればいいんじゃない?」
逢坂のその言葉に、コタがポンと手を打った。
くるりと俺に向き直る。
「じゃあ、先輩うち泊まりに来ます?」



