6月下旬。嫌になるほどにギラギラと照る太陽は、もう夏だということを知らせているようだった。
俺はというと炎天下の中、外にいた。
「なんで俺が……」
不機嫌にそうポツリと溢す俺を、陰が覆った。
「うわ先輩めっちゃ不機嫌じゃん」
俺を見下ろすその顔は、太陽と負けず劣らずの輝きを持っていた。
「顔が眩しい」
「なんですかそれ」
そう言って笑うコタに思わず目を細めた。
顔は眩しいが、太陽を高い背で遮ってくれるおかげで、少し汗が収まった。
「コタ、ずっと俺の後ろにいろ」
「え?それっておれとくっ付きたいって事ですか!?」
「日除けになるからだよ」
「……先輩ってモテませんよね」
「うるせぇ」
後ろにいるコタを小突く。コタは小言を言いながらも俺の日除けになってくれていた。
「つかいつから始まるんすかね、プール掃除」
そう。今日はプール掃除の日だ。
プール掃除は一年の男子が毎年やる恒例行事なのだ。
では二年の俺がなんでここにいるのか。元々二年の体育委員がプール掃除を仕切るという仕事があるのだが、委員の人が1人休んでしまったので、それの代わりに駆り出された、というわけだ。
「おい京原。また夏弥に近づいてんじゃねぇか」
「げぇ。なんで仲川先輩もいるんですか」
「げぇとはなんだ、げぇとは。俺は体育委員なんだよ」
仲川が俺たちのところへやってきた。仲川は体育委員という事で、ここにいるのだ。
「夏弥から離れろ」
「嫌ですー。夏弥先輩から許可貰ってるんで」
「ほんとか夏弥」
「まあ、日除けとして?」
仲川は大きなため息をつくと「お前がいいならいいけどよ」と呟いた。面倒見がいいな、この男は。
三人で少し話していると、どこからか逢坂がやってきた。
「仲川先輩。そろそろ始めるみたいです」
「お、了解。サンキュー逢坂。行ってくるわ」
逢坂に軽く手を挙げた仲川は、前の方に歩いて行った。仲川は委員長らしく、全体の進行を取り仕切っているようだ。ちなみに逢坂も体育委員らしい。
逢坂は俺の後ろにピッタリとくっついているコタを見るとため息をついた。
「胡太郎、あんまり先輩を困らせるなよ」
「大丈夫だって逢坂。先輩から許可貰ってるから」
「すみません先輩、なんかこいつがやらかしたらいつでも言ってください」
「逢坂、おれ流石に先輩にそんなことしない…」
「あぁ、ありがとう」
「先輩?ちょっとは否定してよ」
そう話していると、前に立った仲川が声を張り上げた。
「今からプール掃除を行うんで、1年1組は2年1組から、1年2組は2年2組からという風に指示を受けて進めてください!」
仲川のその言葉に「はーい」と気の抜けた返事が返されると、それぞれ作業に取り掛かる。
「コタと逢坂って何組だったっけ?」
「3組ですよ。先輩も3組ですよね!一緒にやりましょ!」
「お、おぉ……」
圧が強いな、こいつは。そう苦笑しながら、俺は仲川から事前に教えてもらった通りに進めていく。
俺たち3組はプールの中の掃除だ。
水は抜いてあるが、一年分の汚れが溜まっていてお世辞にも綺麗とは言い難い。
それをホースの水やデッキブラシで擦って綺麗にするというのが俺たちの仕事だ。
「えっと、じゃあ誰かバケツとホース持ってきて。他の人はブラシ」
「うぃーす」
俺がしどろもどろになりながら指示を出すと、3組の後輩達が動き出す。ちゃんと指示を出せたことにホッとしていると、その肩をポンと仲川が叩いた。
「お、夏弥。ちゃんと先輩やってんな」
「仲川もな」
2人で話していると後ろからヌッと腕が伸びてきた。
思わずびっくりして振りむく。
「先輩、ブラシ持ってきましたよ」
「びっくりさせんなよ……」
「ごめんごめん」
コタはそう笑いながら俺にブラシを手渡した。
プールを見ると、ホースやバケツを持った人達が、一通り水を流し終わったようだ。
「よし、入るか」
仲川のその言葉に頷き、プールの中に入る。
水は抜かれているとはいえ、足首あたりまで水位があった。ちなみに、濡れてもいいように全員服装は体操服だ。
「うわっ…冷た……」
冷たさに思わずビクッと足をあげた。
「はは」
「おい何笑ってるんだよコタ」
見られていたことと笑われたことに恥ずかしくなり、顔が熱くなった。
「さっさとやるぞ」
「はーい」
熱くなった顔を誤魔化すように、ブラシでプールの底を擦った。
ーーーー
最初は億劫だったプール掃除も、やっていくにつれ汚れが落ちていく感覚に楽しくなってきていた。
それは俺だけでなく、全員がそんな感じだった。
「暑っ……」
だが、どんどん強くなってくる日差しに汗が止まらない。楽しいのは事実だが、それとこれとは話が別だ。そんな俺に気づいたのか、コタが近づいてきた。
「おれ日除けになりましょうか?」
「頼む……」
項垂れた俺の前に立って日除けになってくれる。これだけは背が低くて良かったなと思う。
「先輩汗ヤバくないですか?」
「あぁ……そうだな」
そう言って少しでも汗を乾かせるよう、体操服の首元を持ってパタパタと扇いだ。
コタがそんな俺をじっと見つめる。いつも何か言ってくるのに無言だったので、眉を顰めた。
「コタ?どうかした?」
「……え、あ、いや。なんでも……うわっ!?」
そうバランスを崩したコタが俺の方に倒れてくる。
体格差で完敗している俺は、体幹では耐えきれずそのまま後ろに飛ばされた。
バッシャーンという盛大な水の音と共に、俺たち2人はプールの中に倒れ込んだ。
思わずグッと閉じていた目を開けると、目の前にコタの顔があった。まるで、俺がコタに押し倒されているような構図が完成した。
「うわ、さーせん!」
「大丈夫っすか!?」
「俺たち京原にぶつかったみたいで……」
目の前のコタの顔の後ろから、ひょこっと三人の一年が顔を出した。どうやらこの三人がコタにぶつかって、それでバランスを崩したコタの先に俺がいた、という状況だったようだ。
「あー、俺は大丈夫。お前らは濡れてない?」
「全然!」
「まじでさーせん!先輩びしょ濡れにしちゃって」
「いいよいいよ」
土下座する勢いで謝ってくる一年に苦笑しながら、コタに目を向ける。
コタに退いてもらわないと立ち上がれない。さすがにずっとこのままだと、服に水が染み込んでしまう。というかもう染み込んでる。
「コタ、大丈夫?濡れてない?」
「…………」
「コタ?コタが退いてくれないと俺立てないんだけど……」
コタはただ俺をじっと見つめていて、俺がどれだけ問い掛けても届いていないみたいだった。
「コタ!」
「…………あぁ、すみません先輩。今退きます」
大声で呼びかけると、やっと反応した。コタがゆっくりと俺の上から退いた。
「大丈夫か?ぼぉっとしてたみたいだけど」
「あぁ、全然。大丈夫です」
俺が顔を覗くと、二ヘラと笑った。ただ、なにか考えているようにも見えた。
「先輩、服……」
コタはそう呟いて俺の全身を見た。
盛大に転んだので全身がびしょ濡れだ。特にTシャツが水に濡れたおかげで肌に張り付いて気持ち悪い。
今日は周りに男しかいないのでいいか、と思いTシャツに手をかけた。
そのまま脱ごうとする、と。
「ちょいちょいちょい!」
「え、なに?」
「先輩何するつもり?」
「服脱ごうかと」
「絶対ダメ!」
コタがガシッと俺の肩を掴んだ。本気のその目に何も言えない。
「このままだと気持ち悪いし……」
「じゃあ着替えに行きましょ。俺長袖持ってるんで貸しますよ」
「えぇ……長袖暑いだろ」
「文句言わないでください!ほら、行きますよ」
そう言われてズルズルと引きずられる。その様子を見た仲川が俺たちのところに来た。
「さっきすげぇ音だったけど大丈夫か?」
「あー、俺ら2人が転んだ」
答えると、仲川はため息をついた。まるで母親みたいだ。
「大丈夫かよ。だから夏弥そんなびしょ濡れなのか」
「そう。ちょっとコタと着替えに行ってくる」
「おい京原、夏弥に変なことすんなよ」
「しませんよ」
仲川がコタに謎の忠告をする。服が肌に張り付いて気持ち悪いので、コタの服をくいと引っ張って催促した。
「早く行こ」
「そうですね」
コタはそう頷くと、更衣室へ向かって歩き出した。
ーーーー
ガラガラとドアを開け、更衣室に入る。しっかりとしたロッカーがあるのはもちろん、冷暖房完備の申し分ない部屋だ。炎天下というのもあり、クーラーがガンガンに効いている。
俺は部屋の中にある長椅子に腰掛けると、プールの水と自分の体温が混ざった、言い表せない温度になったTシャツの不快感が最骨頂になり、すぐにTシャツを脱いだ。
皮膚の表面に残った水気が、クーラーで冷やされて一気に体温が下がる。
「……っ、はっくしゅ」
くしゃみをした俺を、ロッカーからなにやら取り出していたコタが振り返って見据えた。
「ちょ、先輩?なんですぐ脱ぐんですか。風邪ひきますよ」
「だって肌に張り付いて気持ち悪いから……」
「ちゃんと水気拭いてください。はい、タオル」
コタはそう言うと、俺の隣に座り、大きめのタオルを俺に被せた。体が冷えているからか温かく感じる。
「あったけぇ……」
「ちょっと先輩?ぼーっとしてないで早く拭いてください」
「……なぁコタ」
「なんですか?」
「プールの授業の後ってめちゃくちゃ眠くなるよな」
「まぁ……そうですね」
「つまり?」
「……先輩、眠い?」
「せーかい」
プールの後はじっとしているとだんだん眠くなってくる、というのは共通認識だろう。しかも温かいタオルに包まれたらもう寝てください、と言っているようなものだ。
ならその言葉通り寝るのが筋だろう。
そう思い、目を閉じる。
「先輩、寝ないでくださいよ」
「んぇ……なんで」
「せめてちゃんと体拭いてからにしてください」
「んん……じゃあコタが拭いてよ」
「は?」
隣にいるコタがカチンと固まったのをいいことに、俺はコタの肩に頭を預けた。本気でこのまま寝たい。
「……先輩、本気で言ってます?」
「おれはいつだってほんきだよ……」
「おれ、先輩のこと好きなんですよ?」
「うん、しってる……」
「じゃあ尚更そんなこと軽々しく言っちゃダメです」
半分くらい夢の中にいるようなふわふわした感じで答える。コタの体温がちょうど良い温かさで眠気を加速させる。
「はっ、くしゅ」
「ほらー。早く拭かないから」
「こたがふいてくれればいいじゃん……なぁ、たのむよ」
特に何も考えずコタの目をじっと見つめると、コタは一瞬ポカンとした後、じわじわと赤くなっていった。
コタは頭をわしゃわしゃとかきむしった後、意を決したように口を開いた。
「あー、もう!分かりましたよ!おれが拭きます」
「さんきゅー」
俺はそう言うと、目を閉じて全体重をコタに預けた。
コタは俺が被っていたタオルを取ると、優しく俺の体を拭き出した。
「ふふ……優しすぎてくすぐったい」
俺がそう笑うとコタが俺を拭く手を少し強めた。
「もう、無理言わないでください。おれこれでも結構限界なんです」
「へぇ、なんで?」
「……言いたくないです」
「なんでだよ。言えよ、先輩命令」
こんなところで先輩の権限を使っていいのか少し疑問だが気にしない。
「……好きな人の半裸見て、それに触るとか、平気でいられるわけないじゃないですか」
「……変態だな、お前」
「だから言いたくなかったんですよ……」
コタが肩を落とす。それが面白くてもっとからかいたくなった。
「そんなんで限界とか、まだまだ純粋だなぁ。コタも」
俺がそう言った途端、コタから何かが変わった音が聞こえた気がした。
鋭くなったその目に射抜かれて動けない。
その瞬間、背中に衝撃を感じた。
目の前にコタの顔がある。コタの息が顔にかかるほど近い。押し倒されているようだ。この状態今日で何回目だよ。
「……先輩、あんまりからかわないでください。このままキスしましょうか?」
「…………ごめん。俺が悪かった」
素直に謝ると、コタははぁっとため息をついて、俺の上から退いた。なんか雰囲気が変わったような、変わってないような……
「おれの服貸してあげるからちょっと待っててください」
「お、おぉ…さんきゅー」
コタは立ち上がると、自分の荷物を漁り出した。
何枚か服を持ってきて俺に見せた。
「部活の半袖の服と体操服の長袖があったんですけど、どっちがいいですか?」
「…………体操服で」
「え?でもさっき長袖暑いって言ってませんでした?」
「いや……大丈夫」
「部活のやつは半袖ですよ?こっちにした方がいいんじゃないですか?」
そう言ってコタは部活のTシャツを俺に渡した。胸元のワンポイントに学校名とBasketball team の文字が。
グッと唇を噛み締めて、そのTシャツをコタにつき返した。
「……ちょっと体冷えたから、長袖がいい」
「ほらー。だから言ったじゃないですかー!」
「うるせぇ」
コタはぶつぶつ文句を言いながらも半裸の俺に長袖のジャージを着せた。
「……デカくね?」
腕を通したはずなのに、袖から手が出ない。164cmの俺と181cmのコタの差を見れば当然と言えるかもしれない。が、無性に腹が立つ。コタを睨んだが無反応だった。ただ俺をじっと見つめているだけだ。
「……なんだよ」
何も言わないコタに口を尖らせると、コタはおもむろに俺が着ているジャージのチャックに手をかけた。そのままジッと上まであげられる。
「これ、制服に着替えるまで絶対に下げないでくださいね」
「なんで?」
「エロいから」
「はぁ!?おまっ、変態!」
さらっと放たれた言葉に驚いて、言葉が上手く出てこなかった。なんだ、「変態!」って。今更自分が言った言葉に恥ずかしくなってくる。
「おれみたいな変態がいるかもしれないんで、ちゃんと上げててください」
驚いている俺とは対照的に、さも当然かのように言う。
「…お前、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるな」
「先輩が煽ってきたせいですよ。もう開き直りました」
「俺のせいにすんなよ」
勝手に自分のせいにされているのは心外だ。さてはこいつ、「キスするぞ」と言ってきた時にはもう開き直っていたのか。
「おれもせっかくだし着替えます」
コタはそう言うとガバッとTシャツを脱いだ。
鍛え上げられたその体を見ると、なぜか胸がドキンと高鳴って、思わず目を逸らす。
「先輩、なんで目逸らすんですか?」
「……別に逸らしてないけど」
思いっきり目を逸らしながらそう言うのは流石に苦しいが仕方ない。
コタはそんな俺の視界に入るように回り込んできた。
俺はまた目を逸らす。
「やっぱり逸らしてますよね」
「うるさい」
どんどん近づいてくるコタに、シッシッと手を振る。
そんな俺を見て、コタはニヤリと笑った。
「こんなんで目逸らすとか、先輩の方が純粋なんじゃないですか?」
ここぞと言わんばかりに煽り返された。どんだけ根に持ってるんだよ。
少し腹を立てながらも、コタの満足げな眩しい顔を目を細めて見ていると。
「おい、お前らまだ?」
ガラガラとドアが開き、入ってきたのは仲川だった。
オーバーサイズのコタのジャージを着ている俺と、上裸のコタを交互に見て眉間に皺を寄せた。
「京原、お前何してた?」
「特に何も?」
「ほんとか、夏弥」
そう言われて少し考える。煽り返されたので、もう一度やり返したい。
「コタにセクハラされた」
俺の発言に、仲川の顔色がみるみるうちに変わっていった。
「おいこら京原!」
「いや待って、そんなんしてないって……」
「逢坂!」
コタの言い分も聞かず、仲川は逢坂を呼びつける。
数秒ほどで、逢坂がひょこっと顔を出した。
「呼びました?」
「逢坂、こいつを教育しなおせ」
「先輩になんかしたの京原」
「してねぇって!」
コタは仲川と逢坂に詰められて頭を抱えていた。
その状況が面白くて笑ってしまう。
「冗談だよ。コタを解放してやって」
「夏弥先輩〜〜」
流石に可哀想になったので、2人にコタを解放してもらった。解放されたコタは俺に縋る。
「よし、そろそろ戻るぞ」
仲川のその言葉に頷き、皆で更衣室を出た。
「先輩、暑いからって脱いじゃダメですからね」
「わかってるって」
コタのしつこい言葉に少し面倒になりながらも、プールに戻る。
コタは俺の隣から動いたと思えば、プールに入った。
足首くらいの水位なのを良いことに、俺に向かって水を蹴った。
「冷たっ……!おい、なんだコタ。やんのか?」
「先輩のこと泣かせてやりますよ」
そう言って俺たちはバシャバシャと水をかけあった。
蹴り上げられた水は、光に反射してキラキラと光っていた。
ジリジリと照りつける灼熱の太陽も、なぜか少しだけ心地よく感じたのだった。



