コタと2人で遊びに行った日から、2週間。
俺はコタと会わなくなった。
昼休み。いつものように仲川が俺の席までやってくる。
「夏弥、屋上行く?」
「……行かない」
「……わかった。ちゃんと飯食えよ」
仲川を見送ると、俺は机に突っ伏した。
俺が「行かない」と答えるのはわかった上で毎日聞いてくるのは、仲川なりの気遣いなのだろう。
でも、どうしても、コタと顔を合わせる気にはならないのだ。
コタにずっと、嘘をついていたこと。
バスケからずっと、逃げていたこと。
過去に向き合うこともできず、ただ目を逸らすことしかできなかったこと。
考えれば考えるほど、自分が嫌になる。
こんな自分が、コタなんかと一緒にいるべきじゃない。
ずっと前から、頭ではわかっていたはずなのに。
悲しくて、苦しくて、仕方なかった。
ーーーー
「屋上行く?」
「行かな……」
「じゃあ俺もここで食お」
「え?」
ある日、いつものように仲川の誘いを断ると、仲川は俺の前の席にどかっと座った。
「……何があったか、京原から聞いた」
仲川は弁当を広げながら呟く。
俺はなんとなく顔を伏せた。
「大丈夫か?」
「えっ……?」
「いや、夏弥にとっては思い出したくないことだろうから」
仲川はそう言って弁当のから揚げを口に放り込む。
仲川は中学から一緒で、俺に何があったかも知っていた。
「……なんでそこまで優しいんだよ」
「そりゃあ、中学からずっと一緒の友達だからな」
仲川がさらっとそんなことを言うから、泣きそうになる。
仲川が「そうだ」と声を上げた。
「京原が聞いたって。お前の過去のこと」
「……誰に?」
「京原の兄貴。夏弥の最後の試合の相手が、京原の兄貴のチームだったんだって」
その瞬間、コタ兄に言われたことがフラッシュバックする。
──ずっと聞きたかったんだけどさ、ナツくん、俺とどこかで会ったことない?
あれは、そういうことだったのか。
仲川は、もぐもぐと口を動かしながら、俺の顔を覗き込んできた。
「京原、お前に悪いことしたって凹んでたぞ」
「コタは……何も悪くないだろ」
言わずとも、俺が悪い。
コタに嘘ついて、挙げ句の果てにはずっと避け続けているのだから。
俺がそう言うと、仲川はニッと笑った。
「そう思うんなら、京原の話、ちゃんと聞いてやれよ?──ほら」
仲川は教室の外を指さす。
それを追うように目線を移すと目が合った。
「……夏弥先輩」
久しぶりに聞いたコタの声が、震えていて。
それがまた、俺の胸に突き刺さる。
「少し……話せませんか」
目を伏せたコタに、仲川の方を見るとゆっくりと頷いた。
俺はコタの方に向き直る。
「……うん」
俺のせいで、コタにこんな顔をさせたくなかった。
「屋上、行こ」
俺がそう言うと、コタの瞳が揺れた。
仲川は「おー、行ってこい」と、追い払うように手をひらひらと振って、また自分の弁当に集中し始める。
相変わらず、こいつは敵わないくらいお節介で、優しい。
ーーーー
俺とコタは、無言のまま階段を登った。
二週間ぶりの屋上は、いつの間にか冬の気配が色濃くなっていて、風が刺すように冷たい。
ベンチに腰を下ろすと、少しの沈黙が流れた。
「……夏弥先輩」
コタが、絞り出すような声で口を開いた。
「おれ、兄ちゃんから全部聞きました。……先輩が、中学のときに……酷い目に遭ってたこと」
コタの声が、風に震える。
「……ごめんなさい。おれ、何も知らなくて。先輩が逃げたかった場所に、おれが無理やり引き戻して……先輩の気持ちも考えないで、バスケ教えてほしいなんて、最低だ」
コタの大きな背中が、小刻みに震え始める。
その顔を見ると、泣くのを堪えているのか、瞳が真っ赤に潤んでいた。
「だから、これで終わりにしようと思って」
コタはそう言うと、ベンチから立ち上がって俺を見据える。
冬の陽の光が眩しくて、コタの表情がよく見えなかった。
「最初は、もう会わないでおこうと思ってました。……おれが先輩のそばにいれば、先輩を苦しめちゃうから」
俺は何も言い返せず、ただ立ち尽くすコタを見上げることしかできない。
「でも、どうしても──それで終わりにするのは嫌だった」
一歩、コタが踏み出してくる。
絶望してるみたいな声なのに、その瞳には強い光が宿っていた。
「ごめんね、先輩。これで最後にするから」
自嘲するみたいに笑うけど、どこか辛そうで声が出せない。
コタは大きく息を吐いた後、まっすぐに俺を見つめた。
「夏弥先輩──シュート決めたら付き合ってください」
「……は」
あまりに唐突な言葉に、頭が真っ白になった。
春、出会った時と同じ言葉を紡ぐコタに体が固まる。
その瞳は、あの時よりも何倍も、何十倍も真剣だった。
「次の冬の大会で、おれがシュート決めたら。その時に、告白の返事くれませんか」
コタは泣きそうな顔のまま、でも絶対に引かないという目で俺を見ていた。
謝って身を引くフリをして、結局は俺の隣にいたいっていう、強引でわがままなアイツのままで。
「これで夏弥先輩に断られたら、おれはもう二度と先輩とは関わらないって約束する」
震える声でそう言ったコタの背後を、冷たい風が吹き抜ける。
「違う」って言えたらよかった。
「コタは何も悪くない」って言えたらよかった。
なのに、こんな顔させて、「最後」なんて言わせて。
いつでもまっすぐなこいつを、俺のトラウマでここまで振り回して。
俺は何がしたいんだって、自分が嫌になる。
コタがまっすぐ見つめてくるほど、俺の胸は張り裂けそうになる。
好きだ。
どうしようもないくらい、コタのことが。
出会った時から、強引に俺の殻をこじ開けて、冷え切っていた場所に温かい光を注いでくれたコタのことが、本当はたまらなく好きだ。
本当は、今すぐその大きな背中にしがみついて、どこにも行くなと言いたい。
全部吐き出して、コタの体温に溺れてしまいたい。
でも、そんな権利は俺にはない。
いつまでも過去に囚われて、立ち向かうこともせず逃げ続けて、挙げ句の果てには嘘をついて。
いつもまっすぐにぶつかってくれるコタのことが好きだ。
だからこそ、こんな俺が、そんなコタと隣にいていいわけない。
そんな自分を、俺は許せない。
「……わかった」
ようやく絞り出した声は、ひどく冷たく、突き放すような響きになってしまった。
コタの瞳が、一瞬だけ傷ついたように揺れる。
それでも、ぐっと唇を噛み締めて、無理やり笑顔を作った。
「わがままな後輩でごめんね」
コタはそれだけ言うと、逃げるように背を向けて屋上の扉へと向かっていった。
遠ざかっていく、俺が大好きになった背中。
追いかけたい。その裾を掴んで、行かないでくれと泣き叫びたい。
その衝動を、俺は血が滲むほど拳を握りしめて抑え込んだ。
バタン、と重い扉が閉まる音が響く。
俺は凍えそうな指先を顔に押し当てて、長く、熱い息を吐き出した。



