天草俊と諫早奏は幼稚園で初めて出会った
奏は灰色と白色が混じった髪色で、ふわりとパーマ気味に広がった髪はロシアンブルーのようだ
俊は入園式のその日から奏に一目惚れをした
当時の奏は今では考えられないほど人懐っこく誰とでも仲良くした
その中でも俊は特別で、人目があろうと奏はキスをした
今でも俊はあの唇の感触を覚えている
俊は卒園を間近に控えた頃、両親の仕事の都合で引っ越すことになった
といっても5キロも離れていない距離であったが
両親にとって幼稚園は子供を預ける場所で、教育は二の次であった。毎日遠回りをして会社に行くくらいなら、近くに住む親戚に面倒を見てもらう方が良い
親戚の家族にも、俊と同じ年頃の子供がいた
俊は朝になると親戚の営む設計事務所に行って、暇な1日を過ごした
窓から幼稚園バスで送迎される親戚の子を見る度にうらめしく思った
待ちに待った入学式まで残り2週間となった時
幼稚園でお世話になった先生の披露宴に招待された
久し振りに組の皆と再会しとても嬉しかったことを覚えている
奏は上品な紫色のドレスに花の形をしたブローチを付けていた
サプライズで合唱した時も、料理をつまんでいた時も、花嫁よりも長く俊は奏に見とれていた
披露宴が終わると俊は奏と鐘の前で写真を撮った
新郎新婦が鐘を鳴らしていた場所だ
あの頃の自分は結婚の意味なんて理解していなかったが、奏と結ばれたいと願っていた
その写真は寝室のベッドの横に今も飾っている
写真は少しくすんでしまったが、思い出の中にいる奏は今も綺麗なままだ
もちろん、今の奏も綺麗だが
写真を飾ったその日から俊は毎日欠かさず話し掛けた
いつか再会するかもしれない。仄かな期待は確かなものとなり高校で再会する



俊はクラス発表の表を見て驚く
諫早奏という名前が同じクラスの中にいたとは
意気揚々教室に向かうと自分の席の後ろに奇抜な格好をした女子生徒が座っていた
クラスメイトは露骨に彼女を避け、大きな空間ができていた
俊は恐る恐る奏に声を掛ける

「諫早さんだよね」
「そうだけど」
「どっかで会わなかった」
「どっかって?」

同じ幼稚園のと言い掛けて口を閉ざす
あの時キスしてくれたなんて言ったら印象が悪くなるし気持ち悪いに決まっている

「えっと・・・どっか」
「さぁ分かんない」
「そう・・・だね」

なにか話さなければ
写真相手ならすらすらと話せたのに
頭の中が真っ白になった

「席座れば」
「そうだね」

俊はとぼとぼと自席へ戻った
それから会話をすることなく、次に話をしたのは軽音楽部の説明会に参加した時であった
偶然、奏を見掛けて声を掛けた

「奏さんも軽音楽部なんだ
もう誰と組むか決めた」
「こっちはドラマーが見つかれば決まりです」
「なら俺とバンド組まない」

数秒間の沈黙の後、うなずく

「わかった」
「よっしゃ」

俊は心の中で小さくガッツポーズをする
奏は蓮児に手を振る

「蓮児君ドラム見つけた」
「本当か」

蓮児と呼ばれた男子生徒は相当に見た目がチャラついていた
奏はこういうタイプが好きなんだ
俊は高校に入って髪を染めただけの自分に閉塞感を感じた



俊が奏や蓮児と一緒にバンドを組むと周囲の目は憐みに変わった
傍から見れば、不良とパシリだ
しかし俊は元はサッカー部だけに飄々とした見た目に反しガッツがある
すぐに気が合い打ち解けた
蓮児は見た目に反し真面目な人であった
頼んでもいないのに弁当を用意し、昼休みは中庭で3人集まり食べた
まるで小学生の時の遠足だ
バンド結成から間もない日の昼食

「俊は中学でサッカー部なんだろ
どうしてドラム叩けるんだ」
「兄貴がJ3の選手で応援に行った時の話なんだけど」

奏は箸を止め目を輝かせる

「J3凄い」

俊は大袈裟に手を振る

「いや大したことないよ」
「でも昇格したらJ1になるんだろ」
「J1? 
無理だよここ10年10位より上に行ったことがない」

それに上のリーグを目指せば、資金や施設の条件が厳しくなる
せっかくの昇格話を手放してしまうチームもあるほどだ

「車の鍵落とした人がいて。慌てて拾って渡したんだ
そしたらそのお礼にってライブに誘われて
母親と行ったんだ」

なんかもらったとチケットを母親に渡した時、物凄く驚いていた
まだロックなんか興味のないサッカー少年は出演バンドの事は露知らず
母親は鼻息を荒くして世界的なバンドだと説明した
一時期はファンクラブに入会していたが、子育てでライブから足が遠のいてしまってから退会してしまったのだと
それが関係者席でタダで観れるなんて強運の持ち主だと、かつてないほど褒め称えれた

「じゃあめっちゃ凄いドラマーなの」

奏のテンションが高くなる

「俺マジ驚いたんだぜ
関係者席にいないと思ったらステージにいたんだ
サポートメンバーで出演してて」
「名前なに」
「Satoshi」

Satoshiはアメリカ国籍の日系人だ。所属していたスラッシュメタルバンドが解散し、色々なバンドのサポートをしていた。日本のアーティストと仕事をする機会も多く、来日を重ねるうちに活動の中心を日本に置くようになった。日本人の女性と結婚し、彼女の父が社長を務める会社が俊の兄の所属するクラブのスポンサー企業なのだ

「えっまじで音楽番組でよく楽曲解説している人じゃん」
「いいなぁ私もそういう運命的な出会いしたいなぁ」

俊は奏の言葉にビクリとする

「じゃあそれがきっかけでツーバス叩いてたのか」
「小2の頃だったから5年くらいは教えてもらったかな」

奏と蓮児は静止する

「「直接!!!」」
「初めは何もできなくて怒られては泣いて帰ってたけどな」
「でもサッカー続けなくていいのか」
「まぁ兄貴の関係で幼稚園に通っていた頃からずっとやってたし
嫌いになったわけじゃないけどもう満足かな
ドラムはずっと一人だったから誰かとやりたいと思ってたし」

俊は二人の肩に手を置いてぐっと引き寄せる

「お前達と組めてよかったと思うぜ」
「馬鹿野郎
そういうのは卒業してから言えよ」
「そうだよ
もう涙出て来た
化粧崩れる」

奏はうっすらと涙を浮かべる
俊はもっと泣いた顔をみたいと思った
すぐに邪な考えは駄目だと顔を横に振った



俊ははっと目を覚ます
うたた寝してしまったようだ
ここはどこだと顔を左右に振る

「公園通り西、公園通り西
バスが完全に停車してからお降り下さい――」

たまたま最寄りのバス停で目が覚めた
俊はバスを降りて集合住宅地を歩く
同じ形の家が何軒もあるが家族の形は様々で、バスの乗客達はそれぞれの居場所へ戻る
俊が家の前に着くと、目の前にクラシックカーが停められていた
兄貴の車だ
収入に反した趣味は呆れるが、洋画に出て来るような車は良いなと思う

「ただいま」

玄関扉を開くと、鍋が煮える音と海鮮の匂いが伝わって来る

「あら俊お帰りなさい」
「母さんこの時期に鍋」
「福井のおばさんが蟹送ってくれたの」
「よぉ俊元気か」
「元気だよバカ兄貴」

兄の天草敏(アマクサトシ)は酔っているらしく顔を真っ赤にしている
俊は机の上にコンビニの袋を置く

「デザート買って来てくれたのか
えぇ」

敏は構わず袋を漁り、シュークリームを取り出す

「あげるかよ」
「8個入なら皆で分けられるよな」

そう言われると断れない

「あぁ食べて」

敏は壺から泡盛をグラスに注ぐ

「今日は良い日だ」
「明日オフなの」
「朝の5時から練習」

敏の所属するチームは宮崎県に拠点を構えている
誰が送り届けるのかと思ったら、廊下の奥からSatoshiが出て来る
御手洗いから出て来たのだろう

「よぉ久し振り」
「先生」
「今日は運転代行頼まれちまった」
「兄貴が迷惑掛けてすいません」
「いいってことよ」

Satoshiは万札を2枚ひらつかせる
全く兄貴の金の使い方といったら

「せっかくですし泡盛持って帰ったら
余り物で申し訳ないですが」
「いいんですか」

母親は壺に蓋をする
敏は母親の手を掴む

「だめだぁこれは俺のだぁ」
「なにがお土産なのかしら」

大体、兄貴はいつもそうだ
お土産として持って来た酒を一口呑むと続けて吞んでしまう
俊は手洗いをして席に座ると早速鍋を突っついた
天草家の鍋は変わっていてスパムが入っている
俊はスパムを一切れ食べる

「おいおい蟹より先にスパムかよ」
「どれを先に食べたって胃の中じゃ同じだろう」
「ったく可愛げのない弟に育っちまった」

母親はご飯ののった茶碗を俊の前に置く
Satoshiは俊に感心した目を向ける

「俊は相変わらずサッカー続けているようだな」
「はい
大学は兄と同じところに行ってサッカー部に所属します」
「そうか」

敏はトロンとした目で俊を見る

「兄想いの良い弟だよな」
「違うよ
学費が安くなるから」

父親は高笑いする

「はっはっ
家族想いの良い息子じゃないか」
「父さん・・・」
「それで大学に進学したらどうするんだ」
「地域サッカーリーグのトライアウトを受けます
東北の」

日本のサッカーリーグの頂点がJ1だとしたら下から2番目が地域サッカーリーグである

「東北?
それは随分遠いな」
「面白い選手が多いんで」
「そっか
いつかは兄さんと戦えるといいな」
「そうですね」

地域サッカーリーグからJ3以上の選手になるのは滅多にない
俊は兄と戦うのは想像つかなかった
母親は思い出したと大きな声を出す

「そうそう-1はインディーズ・デビューなんだって」
「これも先生のお陰です」
「俺はなにもしていねぇよ」
「一年前に打ち上げ呼んでくれたじゃないですか」
「そんなこともあったな」

軽音楽部の6月のホール公演は福岡県小倉市内のホールで行われる。去年のライブでは、同じ日に、隣の福岡市内でとあるバンドのライブが行われた
先生はサポートで参加していたのだが、バンドメンバーを連れて、楽屋を訪れてくれたのだ
お互いのライブが終わった後に落ちあい、打ち上げに参加させていただいたのだ

「そういやあいつらも下北沢レコードと契約していたな」
「そうです」

居酒屋で萎縮しながら料理を突っついていると、バンドのマネージャーから名刺を手渡された

「今日のライブ凄かったわ」
「えっ観てたんですか」
「私はステージに立つわけじゃないですし
開場までにはいればいいので」
「そうなんですか」

奏は嬉しそうに言う

「それで私達ってデビュー出来ますか」
「うーんそうね
まずはインディーズってところかしら
見極める時間が欲しいから」
「インディーズってなんだ」

蓮児の突っ込みに2人はずごっと前に倒れる

「そこから」
「大抵のバンドはインディーズからメジャーに段階踏むの」
「なるほど」
「私の知っているところだといくつかあるけど
そうね
下北沢レコードってところがいいかしら」

俊は過去を思い出し顔が熱くなる
鍋のせいかもしれないが
Satoshiはごつごつとした手で俊の頭を撫でる

「そっか
よく頑張ったな」

自分はもうバンドメンバーではないが褒められると嬉しい
あの夜は眠れなかった
マネージャーの話から今すぐにもデモを送りたい気持であったが、奏は冷静で年内の活動を経てからと方針を決めた
打ち上げが終わった後、楽市円先生がビジネス・ホテルを予約してくれて、1泊して帰ることになった
興奮冷めやらぬと3人はチェック・インの後外へ飛び出して、レンタサイクルで走っていた
行き先も決めずに

「ねえどこまで走るの」
「東京」
「えっ」
「東京!!!」
「なら下北沢まで行ってライブして帰るか」
「楽器ホテルにあるのに」
「借りればいいだろう」

俊達は繁華街からはずれの港まで走り自転車を停める
対岸には博多ポートタワーが煌々と輝いてる

「今の俺達ならライブハウスだって武道館だってアリーナだって埋められる
この先ずっと俺達が先頭を走り続ける
黒紅梅が最高のロックン・ロールだって言わせて見せる」

俊は右腕を上げ人差し指を立てる
奏と蓮も続いて右腕を上げ人差し指を立てる

「「「俺達がナンバーワン」」」



鍋にシメのうどんが投下される頃、敏はSatoshiに連れてかれて寮へ帰った
俊は食事を終え部屋に戻る
バケツとユニフォームを持って階下に降りる
水を汲んだバケツに洗剤を落としユニフォームを浸す
手で水を掻くとピリッとした痛みが伝わる
ユニフォームをつけ置きにして部屋に戻る
今日はどうも疲れた
午後9時、俊はベッドに倒れるようにして眠る
母親は風呂に入らずにとやれやれとした顔で部屋の電気を消す