勤はアーケード商店街を歩く途中、旅行客に声を掛けられた
夜行バスの発着場が分からないと
流石に正確な位置は分からないが、バス停の名前にある商業施設はさっき別れた交差点の近くだ
このまま真っ直ぐ歩いて下さい
旅行客は頭を下げお礼を言って去って行った
確かにこの辺りは夜になると暗い。分からないのは無理もない
そういえば、-1のツアーで夜行バスを利用したことがあった
高校のルールで90日以内であれば、音楽活動で授業を欠席する場合に限り、出席扱いとなる
夜行バスを利用しライブ会場を転々とする生活を一ヶ月続けた
ライブ会場の確保から物販まで。山のような仕事をやったものだ
ツアー中に遊学は夜行バスに苦い思い出があると言っていたがどんな事であっただろうが
遊学とは長い付き合いであったが、出会う前の話なのかもしれない
◇
勤と遊学の出会いは、小学校に通っていた頃、公民館で行われた音楽教室だ
参加費はたったの2,000円
普通の音楽教室ならば、一ヶ月通うのに1万5,000円掛かる
音楽教室では、市内の小学生が集まり合奏をする
星と勤は1年生から通い出している
小学5年生になったばかりの頃、付近に引っ越してきたと遊学の紹介があった
彼が初めに自己紹介で披露してくれたのは、ドビュッシー作曲のベルガマスク組曲プレリュード
まるで楽器に命を吹き込み、楽器が言葉を発しているようだ
勤は同い年でここまで演奏できるのかと格の違いを見せつけられたようであった。しかし、それは絶望ではなく希望に近い感情であった
先生は御礼にラデッキー行進曲を披露しようと言った
子供向けに編曲されたもので、鍵盤ハーモニカやカスタネットなどが加わっている
いつもの勤なら鍵盤ハーモニカを力強く吹いて、終わった後にゼーハーするのだが、その時は心にもやがかかっていた
初めて演奏に迷いを感じたのだ
先生は指揮を振り終えた後、不安そうな顔で言った
「勤君大丈夫
体調が悪いなら帰ってもいいよ」
「おばちゃん大丈夫です」
その後、帰り道で勤は遊学と会話をした
「どうしたら楽器が喋ってくれる」
「喋る?
・・・簡単な事さ。楽譜を読んで言葉を確かめる」
「言葉を確かめる」
「君達の演奏は直球なんだ
ほら芝居で笑えと書かれていたら笑って、泣けと書かれていたら泣いて」
「それが悪いの」
「全然悪いことじゃない
だけど、意味を考えないといけない」
「意味」
「なぜ、楽譜にそう記したのか」
「俺。先生には自分の思ったことをそのまま吐き出せばいいって教わった」
「なにを想像したの」
「恐竜の大行進」
「ハハハッその発想はなかった
でも一番は作り手の言葉だよ
作曲家は何語で喋る?
宗教は?
生まれは?
そういう些細なパーツから全体が見えてくる」
「なんかよくわかんねーけどお前すげーな」
遊学は英語とドイツ語が得意であった
いつも未翻訳の本を持ち歩いていて、楽譜と照らし合わせて丁寧に曲を紐解いていった
「俺も遊学みたいに上手かったらな」
「簡単な事だよ
言葉を想像し創造する」
「けぇっ簡単に言うよ」
遊学が理論型なら勤は直感型だ
いつも先生に反論するのが遊学で、いつも先生の指示に従順なのは勤であった
◇
勤は中学生になり星と遊学と同じ吹奏楽部に入部した
流石に鍵盤ハーモニカはないのでフルートを始めた。体格はそれなりに良かったので、ユーフォニアムを勧められたが、頑として譲らなかった
あまり褒められた気がしなかったからだ
吹奏楽部では新たに日比谷双馬(ヒビヤソウマ)と出会った
元々、女子部員の多い部活だ
虐げられる孤島の住人として男子部員同士仲は良かった
が、音楽の事になると口煩く手厳しい奴
実力はあるのにサボりがちな奴
オタク気質でクラスから浮いている奴
そういう奴を除くと、新しく友達になれるのは双馬くらいしかいない
練習がない日はよく4人で遊んだ
吹奏楽部で活動している時、遊学が女子部員に囲まれているのを見た
「日本クラシック音楽コンクールで1位って本当なの」
「いやぁまぁ昔の話だよ
今はコンクールに出てないし」
「へぇ凄い
遊学君がいるならうちら全国大会行けるんじゃない」
「そんな僕一人の力なんて」
「海外留学はしないの」
「私立の中学に誘われて留学もしてみないかって」
「へぇーなんで断ったの」
「流石に何百万も出せないから」
女子部員が離れた後、勤は遊学に声を掛けた
「さっきの話本当なのか」
「えっまぁそう」
「なんだ自慢してくれればいいのに」
「自惚れはダメだよ」
「へいへい
あんだけ女子に囲まれるなんていい気なもんだな」
「そんなんじゃ」
「でも、音大行ったら俺が人気になるから
コンクール総取りよ」
「それはないな」
勤達が入部した時期から吹奏楽部の実力がめきめきとあがった
しかし全国大会は遠い目標で、吹奏楽部では常に県大会で銅賞といった具合であった
それでも凄いと褒める人は多かったが、勤はこれぽっちも嬉しくなかった
日本全国で名前が知られないと音楽では食ってはいけない
(音楽で食っていけない?)
勤は中学三年生になり自然と無意識にそのことを口にするようになった
自分の将来の進路が形を持つようになる
勤と遊学、星、双馬
4人は上野ヶ丘高等学校を受験した
その時は一緒にバンドを組むなんて思っていなかったが、音楽で飯を食うための戦友としての意識があった
自然と志望校が同じになった
推薦と一般入試で合格の時期は違うが、皆同じ学校に決まった
上野ヶ丘音楽高等学校に進学が決まると顧問は大層喜んだ
片田舎の中学から音楽の名門校に数名輩出したのだから誇らしいのだ
わざわざ後輩の練習時間を使って報告会を行った
4人の他にも吹奏楽部で2名、帰宅部で5名と、合計11名が進学しその年は大豊作となった
3年生最後の大会が終わると双馬は変わり、高校では軽音楽部に入部すると言い出した
トランペットを捨てエレキ・ギターを弾くのだと
別にそれで友情に亀裂が入るわけではない
正直、1stを担当し、パートリーダーとして活躍する彼がその道を外れるのは惜しいが、淡々と事実を受け入れた
◇
上野ヶ丘音楽高等学校吹奏楽部は、春休みに1年生のオーディションを行う
部員総数100名の中から45名の大会メンバーに選ばれるのは至難の業だ
合格すれば大会のメンバーになり翌日から練習に参加し、不合格なら4月入学式後から練習に参加する
低音楽器やパーカッションなら人数が少ない為、この1回で人生が大きく変わることはない
しかしトランペットやサックスなど花形の楽器となるとそうもいかない
大会メンバーから実力順に、A組、B組、C組と、ピラミッド構造となっているため、ここでなんとか大会メンバー入りを果たさなければ、ステージに立つ道のりは遠くなる
試験はいたってシンプルだ
課題曲を3人の指揮者の元で演奏する
課題曲は坂田雅弘作曲の「吹奏楽の為の序曲」であった
勤、遊学、星は偶然にも同じグループになった
編成や立ち位置は決まっていて、座席表に書かれた名前に星マークが付いていたらソロを担当する
遊学やはり星マークが付いている
勤は着席する
いつもの合奏練習とは違う
指揮者が台に立つと志願者は一斉に起立する
指揮者は両手で座るように指示を出す
「えーとまずは一回目なので
指揮者に合わせるのはもちろんですが
パートごとの連携はあまり意識しなくていいです
できればやってほしいですが
初対面の人とぶっつけ本番ですのでね
えー自分の音を出すことをやって下さい
演奏指示を言います」
指揮者は早口で指示を出す
事前に練習していてもその通りになるとは限らない
勤は覚えられるかと早くに焦りを感じていた
「それでは始めます」
指揮者は指揮を振り始める
一分も経たず指揮は止まった
「はいやめ」
志願者は困惑した顔をする
「お疲れ様でした
残り2回も頑張ってください」
指揮者は指揮台を降りる
志願者は急いで起立し、「ありがとうございます」と言う
すぐに勤は同じパートの者に声を掛けられる
「ねぇ出だしのところなんだけどさ」
他のパートも同様だ
各々、意見を出し合い、時間の許す限り練習する
やがて別の教員が顔を出し、移動を促した
二人目の指揮者も同じ流れであった
一通り指示を出すと、演奏が始まった
今度は中断することなく最後まで進んだ
「最初だけよかったよ」
また指揮者が去ると、パートごとに話し合いが始まった
3回目の開始時刻までそう時間はない
バタバタと片付けをしながら、矢継ぎ早に意見が飛び交う
ここはこうして、あーしてと言っているとすぐに時間となった
3人目の指揮者が指揮台に上がり、指示を出し始める
楽譜は真っ黒だ。終わった指示は二重線で消すも余計に見づらくなる
「最後になります
ここまでの結果を見て、全く音の聞こえない生徒が何人かいます
気を付けるように」
指揮者は指揮を振り始める
これまでの二人とは違い女性指揮者だ
細かく繊細で、どことなく違う曲のように思えてくる
勤は必死に食らいつく
「ティンパニーもっと強調して
層に厚みを出すよ」
演奏中に指揮者が声を出すのは初めてだ
「ここは静かに
違う!音量を小さくするんじゃない」
「ゆっくりとねゆっくりとね
そうあともう少し」
「いいよいいよ!滑るように強弱付けて」
勤はいつの間にか緊張が解けて、リラックスをしていた
指揮者以外顔は見えないが、音を聴く限り、皆柔らかい表情で演奏しているのに違いない
もう少し続けたいと思うも演奏が終わる
指揮者は満足気になり、
「互いに拍手」
志願者は小さく拍手をする
「この後、全員集まったら講評となります
音楽は一期一会
これからオーディション、コンクールと誰かと競い合うことはあります
敵であり仲間である
その意識は忘れないように」
即日、結果は発表となり、3人の中で合格したのは遊学だけであった
遊学は他の合格者と一緒に部長に連れられて、部の説明を聞くために練習場所へと向かった
落ちた2人は双馬の両親が営む店に集まり、遊学が来るのを待った
双馬は早速結果を聞いてくる
「オーディションどうだった」
「全然だめだった」
「だろうな
全国大会常連校の大会メンバーなんて
選ばれた方が逆に凄いよ」
「双馬はいいよな
楽しい春休みで」
「知っているだろ軽音楽部がコピー禁止だって
これからが地獄なんだよ
曲も作らないといけないし」
「ジャズ愛好会がなくならなければそう苦労しなかったのにな」
「ほんとそれな」
扉が開き、遊学が入店する
予想外に早い到着であった
「おめでとう遊学」
「なにが」
遊学は勤の隣に座り、双馬が前からアイスコーヒーを出す
「サンキュー」
遊学はミルクとガムシロップを入れながら話す
「吹奏楽部は断ったよ
入部しませんって」
勤は思わず立ち上がる
「なんでそんなこと言った」
「賭けだよ賭け
三人全員で合格したなら吹奏楽部に骨を埋める
誰か一人が落ちたら軽音楽部に骨を埋める」
「そんな話聞いてないぞ」
「言ったらあからさまに手を抜くだろう」
「確かに」
勤はゆっくりと座る
「じゃあ俺達は軽音楽部に入るのか」
「嫌か」
「わかった」
「これって流れ的に俺も入っている」
「星は吹奏楽部に入りたいのかよ」
「そう言われるとな」
「そういうことだが双馬のバンドに入れてくれるか」
「僕は構わないけどもう一人が
まぁ聞いてみるよ」
「ありがとう」
双馬の母親が店の奥から顔を出す
「あら皆集まったの
言ってよね双馬」
「ごめん、今集まったばかりで」
「せっかくプレゼント用意したのに
渡しそびれたらどうしてくれるのよ」
勤はピクリと目を動かす
「プレゼント」
「ちょっと待ってて」
母親はいったん部屋の奥に行くと大きな箱を持って来た
「うちのお店が10周年で記念にレコードプレーヤーを売ることになって
重たいんだけど持って帰ってくれる」
まずはと星の前に箱を置く
「星君はマイルズ・デイヴィスの「Kind of Blue」」
「めっちゃ好きです」
「本当に」
次は勤の前に箱を置く
「勤君は小宅珠実の「いつか」
よく名画座に行くでしょ
だからその年代の音楽は好きかなって」
「名前だけ知っているんで大事に聴きます」
続けて遊学の前に箱を置く
「ソニー・ロリンズの「Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet」
お店に来た時、リクエストしてくれたでしょ」
「あざす」
勤はたじろぎながら言う
「本当にもらっていいんですか」
「ただし!」
母親は壁の一画を指差す
そこは出演者のサイン色紙が壁に貼られている
「お店に飾るサイン色紙
これ書いて売り上げに貢献してくれたらいいよ」
「なんて太っ腹」
母親は嬉々とした顔でサイン色紙とペンを渡す
「とりあえず3人のサイン書いて」
「俺サイン決めてね…」
「こういうのモチベーションあがりますね」
「字デカく書くなよ
まだメンバー入るんだし」
「そうだった」
「やばっ真ん中に書いた」
「じゃあしゃーねぇから下空けとく」
◇
勤は帰りながら、ふとあの時のサイン色紙がどうなったのか気になった
いつの間にか店から消えたのだ
解散したから捨てたのかもしれない
気になって双馬に連絡をする
「もしもし双馬」
「どうした忘れ物」
「いや違うけど
ブルー・トレインのサイン色紙どこにやった」
「あああれか
廊下に飾ってある」
「更衣室行く途中の」
「そこ
気が付かなかった?」
「全然見てねぇ」
「話はそれだけ」
「ごめん遅くに」
「いいよ
また明日」
「さよなら」
「さよなら」
廊下には3枚の色紙がある
ブルー・トレインと黒紅梅、そして-1
初めて-1のメンバーで撮った写真も添えて
夜行バスの発着場が分からないと
流石に正確な位置は分からないが、バス停の名前にある商業施設はさっき別れた交差点の近くだ
このまま真っ直ぐ歩いて下さい
旅行客は頭を下げお礼を言って去って行った
確かにこの辺りは夜になると暗い。分からないのは無理もない
そういえば、-1のツアーで夜行バスを利用したことがあった
高校のルールで90日以内であれば、音楽活動で授業を欠席する場合に限り、出席扱いとなる
夜行バスを利用しライブ会場を転々とする生活を一ヶ月続けた
ライブ会場の確保から物販まで。山のような仕事をやったものだ
ツアー中に遊学は夜行バスに苦い思い出があると言っていたがどんな事であっただろうが
遊学とは長い付き合いであったが、出会う前の話なのかもしれない
◇
勤と遊学の出会いは、小学校に通っていた頃、公民館で行われた音楽教室だ
参加費はたったの2,000円
普通の音楽教室ならば、一ヶ月通うのに1万5,000円掛かる
音楽教室では、市内の小学生が集まり合奏をする
星と勤は1年生から通い出している
小学5年生になったばかりの頃、付近に引っ越してきたと遊学の紹介があった
彼が初めに自己紹介で披露してくれたのは、ドビュッシー作曲のベルガマスク組曲プレリュード
まるで楽器に命を吹き込み、楽器が言葉を発しているようだ
勤は同い年でここまで演奏できるのかと格の違いを見せつけられたようであった。しかし、それは絶望ではなく希望に近い感情であった
先生は御礼にラデッキー行進曲を披露しようと言った
子供向けに編曲されたもので、鍵盤ハーモニカやカスタネットなどが加わっている
いつもの勤なら鍵盤ハーモニカを力強く吹いて、終わった後にゼーハーするのだが、その時は心にもやがかかっていた
初めて演奏に迷いを感じたのだ
先生は指揮を振り終えた後、不安そうな顔で言った
「勤君大丈夫
体調が悪いなら帰ってもいいよ」
「おばちゃん大丈夫です」
その後、帰り道で勤は遊学と会話をした
「どうしたら楽器が喋ってくれる」
「喋る?
・・・簡単な事さ。楽譜を読んで言葉を確かめる」
「言葉を確かめる」
「君達の演奏は直球なんだ
ほら芝居で笑えと書かれていたら笑って、泣けと書かれていたら泣いて」
「それが悪いの」
「全然悪いことじゃない
だけど、意味を考えないといけない」
「意味」
「なぜ、楽譜にそう記したのか」
「俺。先生には自分の思ったことをそのまま吐き出せばいいって教わった」
「なにを想像したの」
「恐竜の大行進」
「ハハハッその発想はなかった
でも一番は作り手の言葉だよ
作曲家は何語で喋る?
宗教は?
生まれは?
そういう些細なパーツから全体が見えてくる」
「なんかよくわかんねーけどお前すげーな」
遊学は英語とドイツ語が得意であった
いつも未翻訳の本を持ち歩いていて、楽譜と照らし合わせて丁寧に曲を紐解いていった
「俺も遊学みたいに上手かったらな」
「簡単な事だよ
言葉を想像し創造する」
「けぇっ簡単に言うよ」
遊学が理論型なら勤は直感型だ
いつも先生に反論するのが遊学で、いつも先生の指示に従順なのは勤であった
◇
勤は中学生になり星と遊学と同じ吹奏楽部に入部した
流石に鍵盤ハーモニカはないのでフルートを始めた。体格はそれなりに良かったので、ユーフォニアムを勧められたが、頑として譲らなかった
あまり褒められた気がしなかったからだ
吹奏楽部では新たに日比谷双馬(ヒビヤソウマ)と出会った
元々、女子部員の多い部活だ
虐げられる孤島の住人として男子部員同士仲は良かった
が、音楽の事になると口煩く手厳しい奴
実力はあるのにサボりがちな奴
オタク気質でクラスから浮いている奴
そういう奴を除くと、新しく友達になれるのは双馬くらいしかいない
練習がない日はよく4人で遊んだ
吹奏楽部で活動している時、遊学が女子部員に囲まれているのを見た
「日本クラシック音楽コンクールで1位って本当なの」
「いやぁまぁ昔の話だよ
今はコンクールに出てないし」
「へぇ凄い
遊学君がいるならうちら全国大会行けるんじゃない」
「そんな僕一人の力なんて」
「海外留学はしないの」
「私立の中学に誘われて留学もしてみないかって」
「へぇーなんで断ったの」
「流石に何百万も出せないから」
女子部員が離れた後、勤は遊学に声を掛けた
「さっきの話本当なのか」
「えっまぁそう」
「なんだ自慢してくれればいいのに」
「自惚れはダメだよ」
「へいへい
あんだけ女子に囲まれるなんていい気なもんだな」
「そんなんじゃ」
「でも、音大行ったら俺が人気になるから
コンクール総取りよ」
「それはないな」
勤達が入部した時期から吹奏楽部の実力がめきめきとあがった
しかし全国大会は遠い目標で、吹奏楽部では常に県大会で銅賞といった具合であった
それでも凄いと褒める人は多かったが、勤はこれぽっちも嬉しくなかった
日本全国で名前が知られないと音楽では食ってはいけない
(音楽で食っていけない?)
勤は中学三年生になり自然と無意識にそのことを口にするようになった
自分の将来の進路が形を持つようになる
勤と遊学、星、双馬
4人は上野ヶ丘高等学校を受験した
その時は一緒にバンドを組むなんて思っていなかったが、音楽で飯を食うための戦友としての意識があった
自然と志望校が同じになった
推薦と一般入試で合格の時期は違うが、皆同じ学校に決まった
上野ヶ丘音楽高等学校に進学が決まると顧問は大層喜んだ
片田舎の中学から音楽の名門校に数名輩出したのだから誇らしいのだ
わざわざ後輩の練習時間を使って報告会を行った
4人の他にも吹奏楽部で2名、帰宅部で5名と、合計11名が進学しその年は大豊作となった
3年生最後の大会が終わると双馬は変わり、高校では軽音楽部に入部すると言い出した
トランペットを捨てエレキ・ギターを弾くのだと
別にそれで友情に亀裂が入るわけではない
正直、1stを担当し、パートリーダーとして活躍する彼がその道を外れるのは惜しいが、淡々と事実を受け入れた
◇
上野ヶ丘音楽高等学校吹奏楽部は、春休みに1年生のオーディションを行う
部員総数100名の中から45名の大会メンバーに選ばれるのは至難の業だ
合格すれば大会のメンバーになり翌日から練習に参加し、不合格なら4月入学式後から練習に参加する
低音楽器やパーカッションなら人数が少ない為、この1回で人生が大きく変わることはない
しかしトランペットやサックスなど花形の楽器となるとそうもいかない
大会メンバーから実力順に、A組、B組、C組と、ピラミッド構造となっているため、ここでなんとか大会メンバー入りを果たさなければ、ステージに立つ道のりは遠くなる
試験はいたってシンプルだ
課題曲を3人の指揮者の元で演奏する
課題曲は坂田雅弘作曲の「吹奏楽の為の序曲」であった
勤、遊学、星は偶然にも同じグループになった
編成や立ち位置は決まっていて、座席表に書かれた名前に星マークが付いていたらソロを担当する
遊学やはり星マークが付いている
勤は着席する
いつもの合奏練習とは違う
指揮者が台に立つと志願者は一斉に起立する
指揮者は両手で座るように指示を出す
「えーとまずは一回目なので
指揮者に合わせるのはもちろんですが
パートごとの連携はあまり意識しなくていいです
できればやってほしいですが
初対面の人とぶっつけ本番ですのでね
えー自分の音を出すことをやって下さい
演奏指示を言います」
指揮者は早口で指示を出す
事前に練習していてもその通りになるとは限らない
勤は覚えられるかと早くに焦りを感じていた
「それでは始めます」
指揮者は指揮を振り始める
一分も経たず指揮は止まった
「はいやめ」
志願者は困惑した顔をする
「お疲れ様でした
残り2回も頑張ってください」
指揮者は指揮台を降りる
志願者は急いで起立し、「ありがとうございます」と言う
すぐに勤は同じパートの者に声を掛けられる
「ねぇ出だしのところなんだけどさ」
他のパートも同様だ
各々、意見を出し合い、時間の許す限り練習する
やがて別の教員が顔を出し、移動を促した
二人目の指揮者も同じ流れであった
一通り指示を出すと、演奏が始まった
今度は中断することなく最後まで進んだ
「最初だけよかったよ」
また指揮者が去ると、パートごとに話し合いが始まった
3回目の開始時刻までそう時間はない
バタバタと片付けをしながら、矢継ぎ早に意見が飛び交う
ここはこうして、あーしてと言っているとすぐに時間となった
3人目の指揮者が指揮台に上がり、指示を出し始める
楽譜は真っ黒だ。終わった指示は二重線で消すも余計に見づらくなる
「最後になります
ここまでの結果を見て、全く音の聞こえない生徒が何人かいます
気を付けるように」
指揮者は指揮を振り始める
これまでの二人とは違い女性指揮者だ
細かく繊細で、どことなく違う曲のように思えてくる
勤は必死に食らいつく
「ティンパニーもっと強調して
層に厚みを出すよ」
演奏中に指揮者が声を出すのは初めてだ
「ここは静かに
違う!音量を小さくするんじゃない」
「ゆっくりとねゆっくりとね
そうあともう少し」
「いいよいいよ!滑るように強弱付けて」
勤はいつの間にか緊張が解けて、リラックスをしていた
指揮者以外顔は見えないが、音を聴く限り、皆柔らかい表情で演奏しているのに違いない
もう少し続けたいと思うも演奏が終わる
指揮者は満足気になり、
「互いに拍手」
志願者は小さく拍手をする
「この後、全員集まったら講評となります
音楽は一期一会
これからオーディション、コンクールと誰かと競い合うことはあります
敵であり仲間である
その意識は忘れないように」
即日、結果は発表となり、3人の中で合格したのは遊学だけであった
遊学は他の合格者と一緒に部長に連れられて、部の説明を聞くために練習場所へと向かった
落ちた2人は双馬の両親が営む店に集まり、遊学が来るのを待った
双馬は早速結果を聞いてくる
「オーディションどうだった」
「全然だめだった」
「だろうな
全国大会常連校の大会メンバーなんて
選ばれた方が逆に凄いよ」
「双馬はいいよな
楽しい春休みで」
「知っているだろ軽音楽部がコピー禁止だって
これからが地獄なんだよ
曲も作らないといけないし」
「ジャズ愛好会がなくならなければそう苦労しなかったのにな」
「ほんとそれな」
扉が開き、遊学が入店する
予想外に早い到着であった
「おめでとう遊学」
「なにが」
遊学は勤の隣に座り、双馬が前からアイスコーヒーを出す
「サンキュー」
遊学はミルクとガムシロップを入れながら話す
「吹奏楽部は断ったよ
入部しませんって」
勤は思わず立ち上がる
「なんでそんなこと言った」
「賭けだよ賭け
三人全員で合格したなら吹奏楽部に骨を埋める
誰か一人が落ちたら軽音楽部に骨を埋める」
「そんな話聞いてないぞ」
「言ったらあからさまに手を抜くだろう」
「確かに」
勤はゆっくりと座る
「じゃあ俺達は軽音楽部に入るのか」
「嫌か」
「わかった」
「これって流れ的に俺も入っている」
「星は吹奏楽部に入りたいのかよ」
「そう言われるとな」
「そういうことだが双馬のバンドに入れてくれるか」
「僕は構わないけどもう一人が
まぁ聞いてみるよ」
「ありがとう」
双馬の母親が店の奥から顔を出す
「あら皆集まったの
言ってよね双馬」
「ごめん、今集まったばかりで」
「せっかくプレゼント用意したのに
渡しそびれたらどうしてくれるのよ」
勤はピクリと目を動かす
「プレゼント」
「ちょっと待ってて」
母親はいったん部屋の奥に行くと大きな箱を持って来た
「うちのお店が10周年で記念にレコードプレーヤーを売ることになって
重たいんだけど持って帰ってくれる」
まずはと星の前に箱を置く
「星君はマイルズ・デイヴィスの「Kind of Blue」」
「めっちゃ好きです」
「本当に」
次は勤の前に箱を置く
「勤君は小宅珠実の「いつか」
よく名画座に行くでしょ
だからその年代の音楽は好きかなって」
「名前だけ知っているんで大事に聴きます」
続けて遊学の前に箱を置く
「ソニー・ロリンズの「Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet」
お店に来た時、リクエストしてくれたでしょ」
「あざす」
勤はたじろぎながら言う
「本当にもらっていいんですか」
「ただし!」
母親は壁の一画を指差す
そこは出演者のサイン色紙が壁に貼られている
「お店に飾るサイン色紙
これ書いて売り上げに貢献してくれたらいいよ」
「なんて太っ腹」
母親は嬉々とした顔でサイン色紙とペンを渡す
「とりあえず3人のサイン書いて」
「俺サイン決めてね…」
「こういうのモチベーションあがりますね」
「字デカく書くなよ
まだメンバー入るんだし」
「そうだった」
「やばっ真ん中に書いた」
「じゃあしゃーねぇから下空けとく」
◇
勤は帰りながら、ふとあの時のサイン色紙がどうなったのか気になった
いつの間にか店から消えたのだ
解散したから捨てたのかもしれない
気になって双馬に連絡をする
「もしもし双馬」
「どうした忘れ物」
「いや違うけど
ブルー・トレインのサイン色紙どこにやった」
「あああれか
廊下に飾ってある」
「更衣室行く途中の」
「そこ
気が付かなかった?」
「全然見てねぇ」
「話はそれだけ」
「ごめん遅くに」
「いいよ
また明日」
「さよなら」
「さよなら」
廊下には3枚の色紙がある
ブルー・トレインと黒紅梅、そして-1
初めて-1のメンバーで撮った写真も添えて


