「――余命は、半年ほどでしょう」

 医師の冷たい宣告に、私は目を瞬かせた。
 生まれつき体が弱くて、最近は発熱と咳を繰り返していたからいつもとは違うような気がしていたけれど……。
 こうもはっきりと、いきなり寿命を告げられるなんて思ってもみなかった。

「……半年、ですって?」
「……ええ。これ以上の治療は難しいかと」

 伏し目がちに医者は申し訳なさそうに呟いた。
 余命半年。もう一度言葉にしてみても、現実味がない。
 けれど、胸の奥でなにかがすとんと落ちた気がした。
 ああ、これでようやく理解できる。

 どうして、お近づきになった殿方が婚約寸前になると離れていくのか。 
 ――答えは簡単だ。
 もうすぐ死ぬ女と生きたいと思う者などいるはずがないのだから。

1

 だからこそ、彼との出会いはあまりにも衝撃的だった。

「お嬢様! と、とんでもない方がお見えに……!」

 メイドのモーリンが慌ただしく駆け込んできたとき、私は寝室で読書をしていた。

「落ち着いて、モーリン。どなたがいらしたの?」

 返事の代わりに、メイドの後ろから影が伸びた。
 漆黒の外套に身を包んだ長身の男が、音もなく室内へ入ってくる。

「あなた……は……」

 その姿を見て私は目を瞬かせた。
 漆黒の髪に、ゴールドと見間違えるような美しいヘーゼルの瞳。恐ろしいほど美しい青年だった。
 滅多に社交界に出向かない私でも彼の噂は耳にしたことがあった。

「死神公爵――」

 ルシアン・ダリウス公爵――彼に近づいた人間には必ず不幸が起こるといわれている。
 彼の地位に目が眩んでお近づきになった貴族は失踪し、その美貌に惹かれ言い寄った令嬢は非業の死を遂げた。
 そんな噂が広まり、いつしか人は彼を「死神公爵」と呼んだ。

「――はじめまして、アリアナ・エヴァンス嬢」

 低く澄んだ声に名を呼ばれ、私は我に返る。
 呆然とする私を見据え、彼はあまりにも唐突にこういい放った。

「あなたを私の妻に迎えたい」
「――――はい?」

 余命半年の私にはじめてプロポーズしてきたのは死神でした。
 思考が追いつかないまま、私は間髪いれずに口を開いた。

「私はまだ生きたいんです! 死神との結婚なんてまっぴらごめんです!!」

 病魔退散! 死神退散!
 私は死亡フラグを全力で叩き折った。

「……まっぴら、とは」

 私の声がこだまして、公爵は目を瞬かせた、
 ついはしたなく叫んでしまったと、咳払いしながら私は言葉を返す。

「ご期待に添えず申し訳ありませんけれど、わたくしは余命半年の短い命。結婚など到底できません」
「死期が近いからこそ、伴侶が必要だろう」
「死期が迫った病弱な女など迷惑にしかならないでしょう!」

 必死に反論する私に、公爵は興味深そうに目を細めた。

「あなたは本当に面白いな」
「は、はあ!?」

 ふっと口元を緩める彼に、私の眉間に皺が寄る。
 柄にもなく叫びすぎて軽いめまいがした。
 ああ、虚弱な体が忌まわしい。

「一度で返事をいただこうとは思っていない。また来させてもらうよ、アリアナ嬢」
「こないでください!!」

 どうやら、彼は本気らしい。
 近づいてはいけない死神公爵に近づかれることになるなんて。

 ……どうしましょう。これ、ただの悪夢ではありませんわよね?

2

 それから死神の猛アプローチがはじまった。

「――アリアナ嬢、あなたを舞踏会に招待したい」

 彼はまるで散歩に誘うような気軽さで、そんなことを言い出した。

「……夜会、ですか?」

 私は笑みを貼りつけこう返す。

「ご冗談を。この体では三分と踊っていられませんわ。過度な運動で心臓発作が起きて「死神公爵が殺した」と噂されるのがオチです」
「そうだな。人混みではあなたの体に負担がかかる……不躾なことをいって申し訳なかった。出直そう」

 彼は真剣な顔で頷き去っていった。
 今日も無事死神を追い払えた。
 
――翌日。死神はまた現れた。

「君のために薬を調合してみた。これを飲めば体が楽になるだろう」

 差し出された小瓶を見た瞬間、私は全力で首を振った。

「あいにくですがわたくし完璧な飲み合わせで十種ほどの薬を飲んでおりますので……妙な薬を飲んだらぱたっと死んでしまうかもしれません。そうなれば「死神公爵が令嬢を毒殺した」と騒がれてしまいます」
「ふむ……ならば気分転換に、美しい星空を見に行こう。郊外の高台なら人も少なく、夜風が心地よいだろう」
「冷たい風で肺炎を患い死にます!」

 即答する私に公爵はしばし黙り込み――やがて小さく笑った。

「なんです……」  
「まるで剣で斬り返すように、即座に拒絶の理屈を繰り出すとは。聞いていていっそのこと清々しい」

 褒めているのか貶しているのか。
 いや、彼の表情を見る限り前者なのだろう。

「……ふむ、困ったなぁ」

 顎に手を当て彼は思案する。
 さっさと諦めてくださいな。離れてください死神さま。

「ますますあなたが欲しくなった。やはり俺はあなたと結婚したい」 

 祈り虚しく死神は私の手を握り真っ直ぐに告げた。
 離そうとしてと力が強くて無駄な抵抗に終わる。
 最悪です。最悪です。ああ、なんて悪夢!
 私はただ健康に長生きしたいだけですのに!
 だから私はその手を握ってきっぱりこう告げるのだ。

「何を仰っても無駄ですわ。死神様との結婚なんて全力でお断りいたします!」

* 

 どれだけ追い払おうとも、死神は懲りることなく、私のもとへ現れた。

 ――ある日は花束を持って。
「あなたを想って薔薇の花を」
「花粉症でくしゃみが止まりません!」

 ――ある日はたくさんのスイーツを持って。
「一緒にお茶はどうだろう」
「医者から甘いものは止められておりますの!」

 ――またある日は散歩へ誘われた。
「天気がよいから手を繋いで屋敷の周りを少し歩かないか?」
「日差しにやられて倒れてしまいます!」

 私はあらゆる口実を駆使して、彼のアプローチをことごとくはねのけた。
 少しでも心を動かしてはいけない。死神は私の命を刈り取ろうとしているのだから。

「……すごいな」

 けれど、公爵は楽しそうに笑っていた。

「これほど全力で拒絶されたのははじめてだ」
「それならお早く諦められたらいかがでしょう」

 睨むが彼には一切効かないようだ。

「あなたが私を拒むたび、私はあなたに惹かれていく。諦めることなんてできるはずがない」

 彼の瞳に射抜かれて、思わず息を呑んだ。
 その眼差しはあまりにもまっすぐで、熱を帯びていたから。

「――っ」

 はじめてその目を見て胸がしめつけられた。
 正直なところ彼が現れてからこの屋敷は賑やかになった。
 両親はすでに私を見限り、療養地へ飛ばした。この屋敷でモーリンと二人きり。ここで大人しく死を待つだけだった。
 だから私は彼がくるのを――――――。

(だめだめ! なにを考えているの!)

 ふとある考えがよぎり頭を振った。
 余命半年の自分を、本気で望んでくれる人なんているはずがない。

「とにかく! お帰りくださいませ!」
「うむ……また明日こよう。お大事に、アリアナ嬢」

 去っていく彼の背中を見つめながら私はふっと息をついた。
 それは死神を追い払えた安堵か、はたまた――。
 

3

 それから数日後のある午後のことだった。
 私は珍しく屋敷の庭園に出てベンチに腰かけながら薄い陽射しを浴びていた。
 体調が良いわけではない。ただ、少しだけ外の空気を吸いたかったのだ。

 そこへ――影が差した。
 最初はルシアン様かと思った。

「今日も懲りずにいらしたの――」

 顔を上げてはっとした。
 派手な羽飾りをつけた赤い上着。妙にきらびやかな金の装飾といった派手な装飾に目が眩む。
 現れたのは、バルナード伯爵家の三男ギルベルトだった。

「ギルベルト……」
「やあ、アリアナ嬢。相変わらず青ざめているな」

 彼は薄ら笑いを浮かべ、わざとらしく私を見下ろした。

「今日は男の姿はないのか? 色狂いの病弱令嬢どの」

 いやらしい笑みで蔑まれ、私は拳をぎゆっと握った。

「……失礼ね。運命の殿方が現れなかっただけですの」

 負けずに私は彼を見上げた。
 生まれつき病弱だった私はこれまでたくさんの婚約者候補が現れた。両親はせめて私が死ぬ前に子を残させたかったのだろう。
 だが、病状は悪化の一途をたどり婚約破棄をされ、また新たな婚約者候補が添えられる。
 代わる代わるパートナーが変わり、夜会に行くうちいつの間にか「色狂いの病弱令嬢」と呼ばれていた。
 なんて不本意で不名誉なあだ名だろう。
 そして目の前に立つこのギルベルトも元婚約者候補の一人だった。

「だが安心しろ。俺が結婚してやってもいい」
「…………は?」

 今、この人なんとおっしゃいました?

「そうだ。病弱だろうが余命わずかだろうが、おまえの家のために婿に入ってやるといっているんだ」
「なにを……突然……」
「お前が死ぬまでに子をなし、俺はエヴァンス家の跡取りとなる。エヴァンス伯爵家は廃れることなく残るんだ。ありがたいことだろう。余命僅かなお前に花をもたせてやろうというんだ。光栄に思うんだな」

 私は絶句して返す言葉もなかった。
 どうせ彼はエヴァンス家の財産目当てだろう。おまけに彼はとても傲慢で暴力的。そんな男との結婚生活なんてお先真っ暗なことこの上ない。

(ルシアン様とは大違い)

 ふと彼の姿が思い浮かび笑ってしまった。
 あの死神は自分勝手でいつも唐突だったけれど、決して私に無理強いはしなかった。
 どう断ろうか――そう考えていると、ギルベルトは私の隣に座り肩に腕を回してきた。
 どうやら沈黙を承諾と勘違いしたらしい。

「今度の舞踏会、俺の隣に立て。皆に見せつけてやるんだ。俺が病弱令嬢を拾ってやったって」

 肩を抱き寄せられた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
 なんて嫌悪感。吐き気が込み上げてきて、息が苦しくなってくる。
 ――いや。これは――――発作、だ。

「……っ、は……っ」

 私は胸をかき抱いて蹲った。
 胸が焼けるように痛む。熱い。苦しい。

「おい、まさか倒れるのか? 冗談じゃない!」
「ひ、人を――」

 こんな男でも助けを求める他ない。
 だが、ギルベルトは顔をしかめ、慌てて私の腕を振り払った。

「病人の面倒なんて見きれるか! 一人でなんとかしろ!」

 あろうことか彼は踵を返して庭園を去っていった。
 私を置き去りにして。

(ああ、最悪ですわ……本当になんて性悪な男……)

 少しでもあの男を頼ろうとした私が馬鹿でした、

(でも、わかりきっていたことじゃない……)

 余命わずかな私を、本気で必要とする人などいない。
 視界が揺らぎ、遠ざかっていく。

「――大丈夫か」

 意識がかすむ中で、誰かの腕に抱きとめられた。
 顔を上げれば、そこにはルシアンがいた。

「なぜ……あなたが……」

 かすれる声で問うと、彼は低く答えた。

「屋敷にきたら見知らぬ男がこちらの方向から走り去るのが見えたから。きっとここにあなたがいるだろうと思って」
「は、はは……死神様に助けられてしまいましたわね……」

 彼の腕はとても温かく、優しかった。
 この死神に看取られて死ぬのなら、まあ……悪くはないかもしれませんわね――。
 
4

 目を開けると、薄い光が差し込む寝室だった。
 呼吸はまだ少し苦しいけれど、胸を締めつける痛みは和らいでいる。

「……私、生きてる?」

 視線を動かすと、枕元の椅子に座り、静かに紅茶をのみながら本を読んでいる人影があった――ルシアン様だ。

「……お目覚めか」

 彼は紅茶のカップを置き、私に声をかけた。
 漆黒の外套は椅子にかけられ、彼は無造作にシャツの袖をまくっていた。

「大騒ぎだったんだ。俺は医者を呼びに走り、あなたが死ぬかもしれないと泣き叫ぶモリーンを慰め、峠を越えたことに安堵して気をやった彼女を介抱していた。さすがに少し疲れた」
「……ご、ご迷惑をおかけしました」
「別に迷惑だとは微塵も思っていない」

 あっけらかんとそう告げて、ルシアン様は本を閉じると私の足元に腰を掛けた。

「どうして……助けに?」

 かすれる声で問うと、公爵はゆっくりと微笑んだ。「好いた人が倒れたのに、見捨てる男がどこにいる。そんな者はただのクズだ」
 額に手を添えられ「うむ、熱はないな」と確認される。
 まあ、現にそのクズに私は見捨てられたのだけれど。

「どうしてあなたのような優しい人が“死神”など呼ばれているのでしょう」

 ふと、疑問を口にしてしまった。
 はっとしたが、ルシアン様は嫌な顔せずこう答えた。

「確かに俺の周囲で人が不幸な目にあったのは事実だからな。だがそれは彼らが、俺の力を利用しようとしたからだ」
「力……?」

 首を傾げると、ルシアン様は私の手を握った。

「俺は他者に命を分け与えることができるんだ」
「え……」
「だが、強欲な者が無理に奪おうとすればその代償として命を奪う。生かすも殺すも俺次第」

 彼の瞳が淡く光を帯び、金色に輝く。

「噂ではなく俺は本物の“死神”なんだよ、アリアナ嬢」

 次の瞬間、握られた手が淡く光を放った。
 私の体全体が淡く光り、呼吸が楽になっていく。

「これ……は……」
「少し楽になっただろう? 俺の生をあなたに分け与えたんだ」
「そ、そんなことしたらあなたの命は……!」

 そういうとルシアン様はぷっと吹き出して可笑しそうに笑った。

「そんな心配をされたのははじめてだ! アリアナ嬢、やはりあなたは面白い!」

 するとルシアン様は私の頬に手を添えた。

「俺は死神。死神に死は存在しない。あなたの心配には及ばない」
「で、でもどうして私に……」
「はじめて夜会であなたを見た。その命の儚さに、そしてその美しさに見とれた。もしあなたの命が尽きるなら、その灯火を奪いたい……と」

 彼の指先がそっと頬をなぞり、深く見つめる。

「あなたは俺を死神だと思い何度も追い払ったね。その反応がとても面白くて……いつしかあなたを失うのが惜しくなった」

 彼の顔が近づき、額をこつんと当てられる。
 顔が赤くなる。心臓が激しく鼓動を打つのは……もうきっと病気のせいじゃない。
 余命半年の自分を、本気で望む人がいるなんて。

「アリアナ嬢。どうか、私の妻になってほしい」

 その声は穏やかでありながら、決して拒めない強さを秘めていた。
 どうやら私は最初から死神様に狙われていたそうです。

「で、でも……」
「……ああ、あの三男坊との結婚なんて気にすることはない。あなたの両親には既に話をつけてあるし――」

 すっとルシアン様の目が細められる。

「あの男はしばらくの間、謎の腹痛にみまわれる()()に呪ったから。あなたを見捨てて逃げたんだ。それぐらいの報復があって然るべきだ」
「あ、ははっ……それは最高ですわね」

 腹を抱えて転げ回るギルベルトの姿を思い浮かべてつい吹き出した。
 くすくすと笑いが込み上げて止まらない。こんなに笑ったのはいつ以来でしょう。

「私の負けですわね。病弱令嬢こそ、死神様に相応しい相手はいませんわ」

 にこりと微笑み、私は彼を見つめる。

「あなたの熱意に負けました。死神様――いいえ、ルシアン様。私はあなたの妻になりましょう」

 公爵の表情が柔らかく崩れ、その唇が優しく触れる。
 長い孤独が、ようやく報われたように。


epilogue

「――奇跡です。衰弱していた体が回復している……余命半年どころか、むしろ健康体に近づいているではありませんか!」

 それから半年の月日が流れ、医者は驚きの声をあげた。

「うふふ……最近とても体調が良くて、食欲は増し、適度な運動をできるようになったからではないですかね」

 そっと笑う私に、医者は信じられない、奇跡だ……と譫言のように呟いている。
 奇跡――その正体を、私は知っている。

「――今日は随分と顔色がいいですね、アリアナ」

 庭園のベンチに座る彼の隣に私は腰を下ろした。

「ええ……これも全部ルシアンのおかげです」

 どちらからともなく手を握り、顔を見あわせ微笑んだ。
 私が余命を過ぎてもなお生きていられるのは、ルシアンが私に命を与えてくれたからだ。

「いいや、俺は命を与えたまで。健康に生き、それを永らえさせたのは『生きたい』と思うあなたの強い意志だよ」
「病は気から……ということですか?」
「ああ、だからこそのその命の輝きに俺は惹かれたんだ」

 ルシアンが私の髪に口付けを落とす。

「以前あなたがお誘いしてくれたこと、全てやりましょうか」
「……と、いうと?」
「一緒に散歩に行って、夜会に出て、そして星空を眺めにいきますの」

 青空を見上げて私は笑う。
 生きることを諦めかけていた私がこうして未来を語るなんて。

「だから……ずっと一緒にいてくださいね。死神様」

 思わずこぼれた言葉に、公爵は静かに笑った。

「もちろんだ。いつかあなたの命が尽きるその時まで」

 薔薇が咲き誇る庭園に、優しい風が吹き抜ける。
 今日も私の傍で優しい死神様が身守っていてくれる。

 こうして私は余命半年の病弱令嬢から、死神公爵の妻になった。
 あの日、全力でへし折ろうとしたはずのフラグは結局のところ運命の赤い糸――というものだったのでしょう。

Fin