「.....お前ら、俺の前でイチャイチャするの、やめろ」
金曜の仕事終わり。
皆が、休日前の陽気さを醸し出している。
そんなざわざわと騒がしい店内で、ひとりだけ眉間にシワを寄せて目の前の二人を見る男。
不機嫌さを隠しもしない声で、二人をチクチクと咎めている。
「あぁ?....あー、すまん。美佳子が可愛すぎて、お前のこと忘れてたわ」
二人の世界を邪魔された、とばかりに臨戦態勢で答えた井上も、声と同じくとても不機嫌な表情で睨みをきかしている蒼斗をみて、まずいと体勢を改める。
しかし.....。
「なっ....」
自身だけでなく、周りにも堂々と美佳子への愛を語る井上に、ぷしゅぅ〜と顔から湯気を出すほど真っ赤に染めて縮こまる遠野。
その愛らしい姿を見て、また蕩けるほど目尻を下げる井上。
こりゃダメだ、と頭を抱えて項垂れる蒼斗。
またしても変な構図に、密かに注文をとりにきた店員が困惑していた。
今、小坂と井上、遠野は三人で居酒屋に来ていた。
葵と水族館デートをしてからすでに二週間が経っている。
蒼斗の読み通り、葵を見守るという口実を得て遠野を誘い出すことに成功した井上は、蒼斗と葵のデートの邪魔は途中で辞退して、後半は何年も片想いしていた遠野を口説き落とす時間にあてた。
おそらく、井上の気持ちに気づいていなかった遠野は純粋に葵を心配してのことだったのだろうが、見事にこの男の策略にハマって、攻略されてしまったようだ。
まぁ、こんな言い方はよくないことくらいわかっているが.....口が悪くなるのも仕方ないだろう、と蒼斗は思う。
井上は葵に惚れてからの蒼斗の行動にドン引きしていたが、蒼斗からすると、井上も自分を言えたギリじゃないはずだ。
片想い中はもちろん、恋が実って遠野を手に入れてからも、周りへの牽制に余念がない。
付き合った翌日には大々的に遠野が彼女であることを公言し、行き帰りは毎日遠野を送り迎え。
隣を歩く時は必ず手を繋いでいるし、今みたいに一緒にいる時間はぴったりと遠野に寄り添って離れようとしない。
一見クールで頼りになる先輩女子の遠野も、井上の前ではそれこそ乙女すぎるほど乙女で、見ているこちらが恥ずかしくなるほど、仲がいいのだ。
類は友を呼ぶ、だったか。
最近の蒼斗は、彼女にデレる井上を見て、「お前も俺と変わらないじゃねぇか」と心の中でツッコんでいるのだ。
友人の恋が実って嬉しいと思う気持ちは嘘ではないが、自身の恋に焦れている今の蒼斗には目の毒であることは間違いない。
「で?お前は、立花さんとどうなんだよ?」
目の前で繰り広げられるイチャイチャに、本気で退席を考えていた蒼斗は、突然振られた話題に顔をあげる。
一応、友人として蒼斗の相談にのるつもりはあるらしい。
「......どうもこうも.....っ」
たっぷり間をあけて、くぅっと歯を食いしばって紡いだ言葉に、真剣に耳を傾ける井上と遠野。
何やら不穏な空気に、二人はゴクリと唾を飲み込み、蒼斗の言葉を待つ。
「.....すっっっっげーーーーー可愛いんだ!!!!」
「...............」
ポカンと口があいてしまった二人に構わず、蒼斗は握りこぶしをつくって力説する。
「葵ちゃん....あ、この間デートのあとに名前で呼んでもいいか聞いたらオッケーもらったんだ。いいだろ〜。へへ。それで葵ちゃんさ.....もう、なんていうか....天使か?って本気で思う。俺があげたもの、大切そうに胸に抱いて頭下げてくれて。俺が話しかけたら、どんな時でもこっち向いて上目遣いでじっと俺の話しを聞いてくれるんだ。この間なんて、たまたま仕事終わりが一緒になったから、家まで送るって言ったら恥ずかしそうにしながら、ペコリって。可愛すぎか!!!!もう抱きしめたい衝動、必死に抑えてる俺めっちゃえらい!!!がまんしてる俺、すごいよな??な??ほめてくれ。あぁ....可愛い。日に日に可愛いが増してて、辛い。どうしたら、葵ちゃんに特別に思ってもらえる?好きなんだ。好きすぎて愛しすぎて大好きすぎて。寝ても覚めても葵ちゃんのことが頭から離れないんだ....。もう無理だ、抑えられない」
目の前で始まった寸劇みたいな熱い語りに、呆れつつ、二人は息ぴったりに同時に言った。
「告白すればいいだろ」
「告白したらいいじゃないですか」
さすが、彼氏彼女だ。
声がハモっていて、思わず二人顔を見合わせて笑い合う。
「うぅ....だから〜、目の前でイチャイチャするなよ〜。....そんなの、できたら苦労しないっつうの。もう、俺、葵ちゃんなしでは生きていけないんだよ。仕事は好きだよ?仕事してたら夢中になれる。でも葵ちゃんと出会ってから、葵ちゃんが俺の世界の中心で。仕事は葵ちゃんを守るために、葵ちゃんと人生を歩んでいくために、必要不可欠なものって位置付けになったんだ。葵ちゃんを守っていくために必要な仕事が、好きな仕事で良かったって。彼女なしでは俺の人生考えられないってほど、惚れ込んでるのに。もし、断られたら.....?俺、間違いなく抜け殻になる....」
想像だけで顔面蒼白になる友人に、ため息を漏らしつつ、気持ちもわからなくはないなぁと井上は思っていた。
さて、どうしたものか。
追い詰めすぎて崖から突き落とさないよう意識しながら、井上は慎重に、丁寧に、蒼斗を焚き付ける算段を考える。
「......お前さ、何か勘違いしてねぇか?」
「勘違い.....?」
井上の問いかけに、蒼斗は訳がわからないというように怪訝な顔をした。
「あぁ。.....告白してフラれる以外にも、お前がそばに居られない状況はいくらでもあるってことだ」
「....な、な、なんだと.....?」
少し脅しすぎかと内心思いながら、自分の一言にブルブルと震え顔を青ざめさせていく蒼斗のあまりの反応の良さに、つい面白くなってしまった。
「はぁ....あのなぁ。確かに、以前と比べたら格段にお前は立花さんと仲が良くなった。それは認める。おそらくそれ故に、お前はこの関係に無意識に居心地の良さを見出したんだろう」
「.....居心地の良さ?」
「あぁ。告白してフラれるより、ずっと今のままの方が、いや、まだしばらくこのままの関係の方が、立花さんと仲良く居られる。フラれたら間違いなく、家まで送り届けるなんてできなくなるし、気まずくなって話すことさえできなくなるかもしれない。彼女から拒否されて距離を置かれるかもしれない。だったら、このままで。そう考えるのも、わからなくはない。まぁ俺もだが、男は繊細だからな」
「............」
「だがな、小坂。それ以外にも、距離を置かれる原因はたくさんあるんだ。例えば....立花さんに彼氏ができたら?そもそも、彼女にはすでに好きな相手や彼氏が居る可能性もある。彼女は普段目立たないようにしているが、持って生まれたものは隠しきれない。....立花さんを好きなお前なら、意味がわかるはずだ」
「.......そんな......っ」
「それに、お前はモテる。社内でも狙ってる女子社員はたくさんいるぞ。もしその誰かから、立花さんが嫌がらせを受けたら?まぁ、ないと思うが。それでも可能性はある。そうしたら、彼女は自ら離れていくだろうな。小坂には自分よりもっといい女性がいるだろう、とか何とか理由をつけて」
「.........っ」
「あー....まぁ、今言ったのは例えの話しだよ。殺気を消せ。怖いわ。....でも、もしそういうことがあったとしても、きちんとした立場がないお前は、立花さんを守る権利を持たない。...それでいいのか?今の関係を続けていても、いずれそんなことが起こり得るなら....お前はどうしたい?」
真剣な表情で聞く井上に、蒼斗は間髪入れずに答えた。
「俺は....葵ちゃんの彼氏になりたい。結婚を前提に付き合って、彼女とずっと一緒に居たい。居る権利が欲しい。俺が彼女を笑顔にしたいし.....幸せに顔を綻ばせる彼女をずっと隣で見ていたい。......他の男になんて、触れさせてたまるか。葵ちゃんを守りたい。葵ちゃんは、俺の....俺だけの大切な人だ」
「だろ?やっぱりそうだよな。....それに、もしフラれたら、何度でもアタックすりゃいいじゃん。お前、一回フラれたからって諦められるの?」
「......絶対無理だな」
「ふはっ。それでこそ、小坂だ。シスコンと言われるだけある」
「どういう意味だよ」
ジトっと睨む蒼斗に、意外にも井上は温かい眼差しを向けていた。
「.....悪い意味じゃないって。お前、自分で気づいてないだけで、すっげぇ愛情深いんだよ。そんな男が本気で惚れた女相手に、何度フラれたって諦めきれるわけねぇだろ?」
「.......まぁ、確かに。.....はは、そうかもしれないな。よしっ。当たって砕けたら、何度でもアタックあるのみってことだな」
やっと表情を和らげた蒼斗に、井上はホッと息を吐いたーーー。
しかし........。
*****
「........おい。今度は何だ。....そろそろ俺たちのデートの邪魔するのやめろ。美佳子のそばに居られる、貴重な昼休みなんだ」
「......うぅっ。ひっでぇなぁ......大事な友人に向かってよぉ。うっ、うっ....」
ついこの間、叱咤激励して何とか立ち上がったはずの同僚が、また目の前で沈んでいるのをみた井上は、ひどい頭痛を覚えた。
身体は強い方だが、最近のやりとりに少しメンタルが削られているらしい。
疲れからくる頭痛か....と原因である男を目の前に、深くため息をついた。
「......わかった。悪かった。......いいから泣くな。......で、何があった?全部話せ。聞いてやる」
隣でパスタを食べている、やっとの思いで仲を深めることに成功した彼女、遠野に視線で謝罪して、デートを中断する。
目の前で項垂れる蒼斗の悩み相談のために。
「.............たんだ」
「......え?」
「.......だから。.......葵ちゃん.......か.......が....たんだ」
「..........?.....小坂、全然聞こえないぞ。もっとはっきり喋れ」
せっかくランチデートを中断して話を聞いてやっているのに、ぼそぼそ話しすぎて、全く聞こえないではないか。
井上は、少し強めの口調で促した。
「.......っ、居たんだよ!彼氏が!葵ちゃんに!」
プルプル震えながら、言葉にするのも苦しいと言わんばかりの表情を浮かべる蒼斗。
「......はぁ!?おい、それ本当か?」
「本当だ......。俺だって、信じたくなかったさ。でも......この目で見たんだ。二人で仲良く歩いてるところを。男が葵ちゃんの荷物を持って、彼女は.....笑ってた。リラックスしているのが伝わってきたよ。......俺には、笑ってくれたことなんて......警戒心はほぐれたと思うが、最近はいつもどこか緊張感がただよっていて.....」
どうやら、あの後何度も頭でシミュレーションをし、いざ!と休日明けの今朝、会社終わりに少し話せないか予定を聞こうと会社の前で出勤してくる葵を待っていたらしい。
すると、いつも葵が出勤する時間よりも少し早い時間に、目の前の通りを挟んで向かいの道を葵と男性が並んで歩いていた。
蒼斗は信じられない、信じたくない思いで、立ち尽くしてしまった。
そして、いつもの時間に、何事もなかったように葵が出勤してきて、その時には男性は姿を消していて葵一人だった。
蒼斗は、どうしたらいいかわからず、あまりのショックに本人に確認することもできず、会社終わりの予定を聞くこともできなかった、と。
蒼斗は、そこまで話して黙り込んでしまった。
俯き加減の顔は、店内の照明で影になって見えにくく、表情がわかりづらい。
唇をきゅっと噛んでいるのが、ちらりと見える。
井上が、かける言葉を探していた時、隣から声が上がる。
「.......あの、ちょっと待って下さい。.......それ、本当に彼氏さん、ですか?......小坂さんが見た事実がそうであっても、関係性まではわからないんじゃないですか?」
今まで黙ってパスタを食べていた遠野が、小さく手を挙げて、小坂におずおずと質問を投げかける。
「.......そうだな。でも.....親しい仲なのは雰囲気からでも十分掴める。葵ちゃんは、心を許している感じだった。それに、朝一緒に道を歩いていたんだ.....可能性はあるだろ」
自分に問う遠野をみながら、少し投げやりな答えが返ってくる。
「そう.....ですけど。......もし私が葵ちゃんだったら、小坂さんに勝手に決めつけられているのは、とても嫌......だと、思い、ます。最近の小坂さんと、葵ちゃんはとても距離が近付いているように見えます。私だったら、親しくしてる先輩が、自分の知らないところで、他の人との関係をあれこれ考えてたら、悲しいです.....。直接聞いてほしかった、ってきっと思います......。小坂さんが何を考えてるのか、何を感じているのか教えてほしいって......葵ちゃんなら、そう思うんじゃないかな.....。葵ちゃんは、繊細で優しくて、本当は芯が強くて、向き合ってくれている人と真摯に向き合おうとする子なんです。葵ちゃんには、思っていること、聞きたいこと、何でも伝えてあげた方がいいんじゃないかと思います......」
時折、つっかえながら自分の中にある『違和感』を言葉にしていった。
遠野からすると、小坂と居る時の葵は十分リラックスしているようだったし、幸せそうにみえた。
少なくとも、充実感を感じている風だった。
人との触れ合いに消極的だった彼女が、この短期間でそこまで心を解いたのは、他でもない小坂だからだろう。
愛情深くて、葵を大切におもって、きちんと向き合う人。
入社してからずっとそばで葵を見てきた遠野だから、直感で思った。
このまま、もし小坂が葵に何も尋ねず、想像だけで決めつけてしまったら、葵は傷つく。
きっとまた心を暗く染めてしまう。
それこそ、遠野の声も届かなくなるかもしれないほどに。
小坂の顔を見ようと自分の手元からつと蒼斗の手元に視線を滑らせた次の瞬間、小さく目を見開いた遠野が人差し指で何かを指し示した。
「.........って、小坂さん.......。それ.........」
「.......ん?」
じっと、遠野の話を聞きながら考え込んでいた蒼斗は、突然何かを示されて、わずかに静止したものの遠野の指さすものを視線を下げ、追っていった。
「おい......それ、まさか無意識か?」
指し示すものの先を捉えようとした時、今度は、井上が呆れたように声をあげる。
三人の視線が集中したもの。
目にも止まらぬ速さで(....は、さすがに言い過ぎかもしれないが)小坂の手によって縫い上げられていく、なんとも可愛らしいサイズの洋服。
それこそ、例え子供でも着るには難しそうな、両の手のひらにのるくらいのサイズ感のワンピース。
優しい桜色の布地で、裾がふわふわと波打っている。
明らかに、小坂には似合わぬその品は、もう完成直前だった。
「あ......」
蒼斗本人も完全に無意識だったようで、小さく驚いている。
無意識下で、そんな細かな作業をこなしてしまえる器用さに感心しながら、遠野はしげしげと小坂の手の中のワンピースを見遣る。
ぬいぐるみか何かに着せるためのものだろうか。
「......それ、この前縫ってた例のぬいぐるみの服だろ?やっぱりお前、全然諦めてねぇじゃん。心配して損したぜ.....。こんなところで油売ってないで、さっさと行けよ」
やはり、このワンピースとは別に、服を着せるぬいぐるみも仕上げていたらしい。
不機嫌そうに顔を顰めつつどこかホッとしている井上に、蒼斗は心底不思議そうに首を傾げる。
「.......諦める?何言ってんだよ。諦めるわけないだろ。俺は、ただ、体勢を立て直すためにここにいるんだ。まぁ、ずっとうだうだ言って悪かったな。遠野さんも。このままの気持ちで葵ちゃんにぶつかったら、なんかダメな気がして。一旦頭の中整理したかったんだ。聞いてもらえて、アドバイスもらえて、クリアになったよ」
葵ちゃんのことになると情けないところ隠す余裕もなくなっちまう、と小坂は困ったように笑った。
心配は、不要だったようだ。
「よし!行ってくる!」
次の瞬間には、蒼斗は疾風の如くお店から出て行ってしまった。
邪魔をしたお詫びに好きなものを食べてくれ、と代金を置いて。
やれやれ。
二人は顔を見合わせて、しばし沈黙したのち、笑ってしまった。
全く、手のかかる友人だ。
こと仕事に関しては、頭が切れる友人が、ひとたび本気の恋に身を落とすと、あんなに面倒で暴走する奴だとは。
まぁ、あいつらがうまくいくなら、多少の面倒くささも安いもんだ。
さぁ、次は蒼斗と葵の二人が笑い合うときがきてほしい、と心から願うーーーー。
