校内での暴力事件を起こしたということで、蒼空と相手の男子生徒は一週間の謹慎処分となった。一緒にバカ騒ぎをしていた仲間たちは、事態が大きくなってしまったことに青ざめ、急に静かになった。クラス全体の雰囲気も重く沈んでいる。
「ぼくのせいで――」
蒼空は、ぼくのモノマネをしていた男子に腹を立てて暴力を振るってしまった。ぼくがもっと「やめて」と強くいっていたら――そんなことばかり考えてしまう。
いくら悔やんでも悔やみきれなかった。
「そんなに落ち込まないでよ」
俯いているぼくを佳奈が励ましてくれた。彼女の優しい声が、重い空気を少しだけ和らげる。
「……うん……。でも、本当だったら、ぼくが『やめろ』っていわなきゃいけなかった……」
「けど、できなかったんでしょ?」
「……」
返す言葉が見つからない。佳奈のいう通りだった。
「星野くんは、音羽くんががんばっているのを知ってるから、怒ったんだと思うよ」
確かに、蒼空のおかげでぼくはずいぶん上達した。どもることもなくなったし、声もよく出るようになった。そして何より、自分の声に少しずつ自信を持ち始めていたのだ。なのに――。
「やっぱり、ぼくの声って、変なんだ……」
その時、小学五年生のころの記憶が鮮明によみがえってきた。
『音羽の声って女子みてえ』
『しゃべり方も女子みたいだよな』
垂れ目で茶色がかった柔らかい髪の毛だったからか、小さいころはよく女の子と間違われた。小学生になってからはそういわれることは減ったが、「かわいいね」といわれることはしばしばあった。
そのせいで同級生からは「女子みたい」とからかわれ続けた。休み時間になると、決まって誰かがぼくの声を真似して笑いものにする。そのたびに、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。
中学生になって声変わりしても、他の男子のように声が低くはならず、相変わらず女子のような高い声のままだった。そのため、中学でも「音羽ちゃん」と女の子のように呼ばれ続けた。
そのせいで、自分の声がコンプレックスとなり、人前で話すのが苦手になったのだ。
だけど、いつまでも自分の声にコンプレックスを持っているのもよくないと思い、それを克服したくて、この高校に入学した。
実は、この高校の放送部は多くのアナウンサーや声優を輩出しているので、地域でも有名だった。その中に入れば、きっと自分の声に自信が持てるようになると思ったのだが……。
ぼくは深くため息をついた。結局、何も変わっていない。いや、もしかしたら悪化しているかもしれない。
その日の放課後、ぼくたち放送部員は放送室に集められた。窓の外では雨が降り続き、ガラスについた雨粒がつたって小さな川のようになっている。空はどんよりと曇っていて、まるでぼくの心の中を表しているようだった。
放送室に集まったのは、謹慎中の蒼空を除く四人の部員だった。二年生になってから、これほど多くの部員が一度に揃うのは初めてだった。普段はがらんとした室内に、久しぶりに人の気配が戻ってきた。
そこに顧問の藤原先生が入ってきた。
「みんな、集まってるな」
なんだか先生の表情もどんよりと暗い。何かよくないことがいわれるのだろうか。嫌な予感が胸をよぎる。
「今日、学校側から処分の通告があった」
ぼくはゴクリと唾を飲み込んだ。きっと蒼空の喧嘩のことだ。
「まず、放送部は一週間の部活動停止処分となる」
部活動停止……。それだけでも十分重い処分だと思ったのに、先生の表情はさらに暗くなった。
「そして――」
藤原先生は一度言葉を切り、重いため息をついた。
「不祥事を起こした生徒のいる部活は廃部、というのが学校の方針だ」
その言葉にぼくは思わず目を見張った。血の気が引いていくのが分かる。
「そ、そんな!」
ぼくは驚きのあまり声を上げたが、他の三人の表情は、まるで波が立たない湖面のように静かなままだった。すでに覚悟を決めていたかのようだった。
「そのような部活動があるというのは、学校の評判を落とすからな」
藤原先生は、仕方ないといわんばかりにため息をついた。ぼくは息が詰まってしまった。今までどうやって息をしていたのかも忘れてしまったかのようだ。
「しかし、放送部としての過去の実績や成績を加味して、今回はすぐに廃部としないということだ」
「そ、それって……」
ぼくはようやく声を絞り出すことができた。けれど、口をついた声は掠れていた。
「放送部を守りたければ、九月の文化祭で結果を出すこと。それが廃部を逃れる唯一の方法だ」
文化祭で結果を出すって……。そんなこと無理に決まっている。ぼくは愕然とした。
「それじゃ、部員みんなで話し合ってくれ」
そう告げると、藤原先生は放送室から出ていった。室内は重い沈黙に包まれた。雨音だけが窓ガラスを叩く音となって、静かに室内に響いていた。
最初にその沈黙を破ったのは一年の翼だった。
「もう、廃部するかもしれないっていうんだったら、このまま解散でいいんじゃないですか?」
その言葉にぼくは息を呑んだ。そんな――。
「そもそも、俺、この部活はすごいって評判だから入ったんすよ。でも、今は他の部活と掛け持ちできることで有名なだけですよね。正直、今までちゃんとした活動をした覚えもないし、このまま退部しても問題ないっす」
「岡田くん……」
翼の言葉が胸に突き刺さる。確かに彼のいう通りだった。
「俺、アニメが好きで声優に憧れて入ったんすよ。でも、この部活の栄光は、もう過去のものだったんですね……」
翼の残念そうな顔をみると、ぼくと同じく、この高校の放送部の評判を聞いてきたことは疑いがなかった。期待して入部したのに、現実は全然違っていた。その落胆が手に取るように分かる。
「あたしも……」
佳奈が小さく声を上げた。
「もう、解散でいいと思う。副部長なのに、音羽くんに任せっぱなしで何もしてこなかったし。音羽くんの負担を考えると……、このまま解散した方がいいんじゃない、かな……」
そういえば、佳奈は副部長に就任したけれど、二年生になってからは一度も部活に来ていなかった。一年生の時は、あんなに真剣に部活に取り組んでいたのに。
「三浦は、どうして二年生になってから部活に来なくなったんだよ」
ぼくは自然と疑問を口にしていた。普段触れてはいけないと思っていたのに、感情が抑えきれなかった。
「あたし、アナウンサーを目指してるの。だからこの高校の放送部に入ったんだけど……。今、こんな状況でしょ? だから外部のアナウンススクールに通ってる」
そうだったのか。佳奈の声はよく通るし聞きやすく、朗読が得意だった。けれど、部活に一切来なくなったのは、外部のスクールに通っていたからなのか。彼女なりに、夢に向かって努力していたのだ。
「篠原先輩は……、どうお考えですか?」
慶へ顔を向けると、メガネのブリッジをくいっと上げていった。
「おれはどっちでもいいよ。もうすぐ引退だし。掛け持ちの美術部の方が忙しいしね」
「そう……ですか……」
ぼくは思わず肩を落とした。どうしてもこのまま放送部を続けていきたいのに、他の部員たちは後ろ向きで、このまま廃部になっても仕方ないと考えているようだった。
その日の話し合いは結局、答えが出ないまま解散となった。
一人で文化祭を成功させることができるのか、謹慎処分から戻ってきた蒼空を巻き込んでいいのか。そんなことを頭の中でぐるぐると
考え続けていた。
「ぼくに、できるかな……」
雨の降り続く窓の外をぼんやり眺めることしかできなかった。
「ぼくのせいで――」
蒼空は、ぼくのモノマネをしていた男子に腹を立てて暴力を振るってしまった。ぼくがもっと「やめて」と強くいっていたら――そんなことばかり考えてしまう。
いくら悔やんでも悔やみきれなかった。
「そんなに落ち込まないでよ」
俯いているぼくを佳奈が励ましてくれた。彼女の優しい声が、重い空気を少しだけ和らげる。
「……うん……。でも、本当だったら、ぼくが『やめろ』っていわなきゃいけなかった……」
「けど、できなかったんでしょ?」
「……」
返す言葉が見つからない。佳奈のいう通りだった。
「星野くんは、音羽くんががんばっているのを知ってるから、怒ったんだと思うよ」
確かに、蒼空のおかげでぼくはずいぶん上達した。どもることもなくなったし、声もよく出るようになった。そして何より、自分の声に少しずつ自信を持ち始めていたのだ。なのに――。
「やっぱり、ぼくの声って、変なんだ……」
その時、小学五年生のころの記憶が鮮明によみがえってきた。
『音羽の声って女子みてえ』
『しゃべり方も女子みたいだよな』
垂れ目で茶色がかった柔らかい髪の毛だったからか、小さいころはよく女の子と間違われた。小学生になってからはそういわれることは減ったが、「かわいいね」といわれることはしばしばあった。
そのせいで同級生からは「女子みたい」とからかわれ続けた。休み時間になると、決まって誰かがぼくの声を真似して笑いものにする。そのたびに、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。
中学生になって声変わりしても、他の男子のように声が低くはならず、相変わらず女子のような高い声のままだった。そのため、中学でも「音羽ちゃん」と女の子のように呼ばれ続けた。
そのせいで、自分の声がコンプレックスとなり、人前で話すのが苦手になったのだ。
だけど、いつまでも自分の声にコンプレックスを持っているのもよくないと思い、それを克服したくて、この高校に入学した。
実は、この高校の放送部は多くのアナウンサーや声優を輩出しているので、地域でも有名だった。その中に入れば、きっと自分の声に自信が持てるようになると思ったのだが……。
ぼくは深くため息をついた。結局、何も変わっていない。いや、もしかしたら悪化しているかもしれない。
その日の放課後、ぼくたち放送部員は放送室に集められた。窓の外では雨が降り続き、ガラスについた雨粒がつたって小さな川のようになっている。空はどんよりと曇っていて、まるでぼくの心の中を表しているようだった。
放送室に集まったのは、謹慎中の蒼空を除く四人の部員だった。二年生になってから、これほど多くの部員が一度に揃うのは初めてだった。普段はがらんとした室内に、久しぶりに人の気配が戻ってきた。
そこに顧問の藤原先生が入ってきた。
「みんな、集まってるな」
なんだか先生の表情もどんよりと暗い。何かよくないことがいわれるのだろうか。嫌な予感が胸をよぎる。
「今日、学校側から処分の通告があった」
ぼくはゴクリと唾を飲み込んだ。きっと蒼空の喧嘩のことだ。
「まず、放送部は一週間の部活動停止処分となる」
部活動停止……。それだけでも十分重い処分だと思ったのに、先生の表情はさらに暗くなった。
「そして――」
藤原先生は一度言葉を切り、重いため息をついた。
「不祥事を起こした生徒のいる部活は廃部、というのが学校の方針だ」
その言葉にぼくは思わず目を見張った。血の気が引いていくのが分かる。
「そ、そんな!」
ぼくは驚きのあまり声を上げたが、他の三人の表情は、まるで波が立たない湖面のように静かなままだった。すでに覚悟を決めていたかのようだった。
「そのような部活動があるというのは、学校の評判を落とすからな」
藤原先生は、仕方ないといわんばかりにため息をついた。ぼくは息が詰まってしまった。今までどうやって息をしていたのかも忘れてしまったかのようだ。
「しかし、放送部としての過去の実績や成績を加味して、今回はすぐに廃部としないということだ」
「そ、それって……」
ぼくはようやく声を絞り出すことができた。けれど、口をついた声は掠れていた。
「放送部を守りたければ、九月の文化祭で結果を出すこと。それが廃部を逃れる唯一の方法だ」
文化祭で結果を出すって……。そんなこと無理に決まっている。ぼくは愕然とした。
「それじゃ、部員みんなで話し合ってくれ」
そう告げると、藤原先生は放送室から出ていった。室内は重い沈黙に包まれた。雨音だけが窓ガラスを叩く音となって、静かに室内に響いていた。
最初にその沈黙を破ったのは一年の翼だった。
「もう、廃部するかもしれないっていうんだったら、このまま解散でいいんじゃないですか?」
その言葉にぼくは息を呑んだ。そんな――。
「そもそも、俺、この部活はすごいって評判だから入ったんすよ。でも、今は他の部活と掛け持ちできることで有名なだけですよね。正直、今までちゃんとした活動をした覚えもないし、このまま退部しても問題ないっす」
「岡田くん……」
翼の言葉が胸に突き刺さる。確かに彼のいう通りだった。
「俺、アニメが好きで声優に憧れて入ったんすよ。でも、この部活の栄光は、もう過去のものだったんですね……」
翼の残念そうな顔をみると、ぼくと同じく、この高校の放送部の評判を聞いてきたことは疑いがなかった。期待して入部したのに、現実は全然違っていた。その落胆が手に取るように分かる。
「あたしも……」
佳奈が小さく声を上げた。
「もう、解散でいいと思う。副部長なのに、音羽くんに任せっぱなしで何もしてこなかったし。音羽くんの負担を考えると……、このまま解散した方がいいんじゃない、かな……」
そういえば、佳奈は副部長に就任したけれど、二年生になってからは一度も部活に来ていなかった。一年生の時は、あんなに真剣に部活に取り組んでいたのに。
「三浦は、どうして二年生になってから部活に来なくなったんだよ」
ぼくは自然と疑問を口にしていた。普段触れてはいけないと思っていたのに、感情が抑えきれなかった。
「あたし、アナウンサーを目指してるの。だからこの高校の放送部に入ったんだけど……。今、こんな状況でしょ? だから外部のアナウンススクールに通ってる」
そうだったのか。佳奈の声はよく通るし聞きやすく、朗読が得意だった。けれど、部活に一切来なくなったのは、外部のスクールに通っていたからなのか。彼女なりに、夢に向かって努力していたのだ。
「篠原先輩は……、どうお考えですか?」
慶へ顔を向けると、メガネのブリッジをくいっと上げていった。
「おれはどっちでもいいよ。もうすぐ引退だし。掛け持ちの美術部の方が忙しいしね」
「そう……ですか……」
ぼくは思わず肩を落とした。どうしてもこのまま放送部を続けていきたいのに、他の部員たちは後ろ向きで、このまま廃部になっても仕方ないと考えているようだった。
その日の話し合いは結局、答えが出ないまま解散となった。
一人で文化祭を成功させることができるのか、謹慎処分から戻ってきた蒼空を巻き込んでいいのか。そんなことを頭の中でぐるぐると
考え続けていた。
「ぼくに、できるかな……」
雨の降り続く窓の外をぼんやり眺めることしかできなかった。



