次の日の放課後。いつものように蒼空と二人で放送室にいると、突然扉が開いた。そこには顧問の藤原先生が立っていた。
「あれ、藤原先生、どうされたんですか?」
蒼空が振り返って言った。
「音羽、星野。昨日の放送、評判良かったぞ」
「そ、そうですか……」
ぼくは、まさか藤原先生からそんなことを言われるなんて思ってもみなかったので、恥ずかしくなった。
「そこで、だ。文化祭で公開放送をやってほしい」
「えっ?」
ぼくは思わずその場で固まってしまった。しかし蒼空は、ぼくとは反対に身を乗り出していた。
「公開放送ですか? それって、舞台上で放送をやるってことで合ってますか?」
「あ、ああ。そうなるかな。昨日の放送が先生方にも評判が良くてな。文化祭にぜひ出てほしいと要望があったんだ」
「そうですか! それは良いですね!」
蒼空は俄然乗り気だった。その瞳が、希望の光でキラキラと輝いている。
「だから、企画内容は自由に決めていいよ」
それだけを伝えると、藤原先生は放送室から立ち去った。
「翔、やったね! 俺たちの頑張りが認められたんだよ!」
蒼空はうれしくて仕方がないという満面の笑みを浮かべている。
「う、うん……」
けれど、ぼくはそれほど喜べなかった。胸の奥で、不安が重い石のように沈んでいる。
「翔、うれしくないの?」
「うれしい、けど……」
「けど?」
「ぼく……人前に立つのが苦手なんだ。放送だと、聞いている人の顔が見えないから、何とかやっていけるんだけど、舞台に立つってなると……」
ぼくの顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かった。手のひらも、じわりと汗ばんでいる。
「そっか。そんなに苦手なんだ……」
蒼空は一瞬表情を曇らせたが、すぐにいつもの明るい笑顔を見せた。
「でもさ、まだ文化祭まで時間はあるし。とりあえず企画内容を考えてみようよ」
明るく提案してくれる蒼空の顔をみると、自分一人だけじゃないんだと改めて実感する。
蒼空はいつも、ぼくのことを大げさなくらい褒めてくれる。それがうれしかった。だから、蒼空のやりたいことはできるだけ協力したい。ぼくはこくりと頷いた。
それから、部活以外の時間も蒼空と二人で文化祭の企画のことを話し合うことが多くなった。昼休みの図書館、放課後の教室、時には帰り道の途中で立ち寄るカフェでも。学校にいる間、蒼空といる時間が増えるに伴い、ぼくたちの距離は徐々に縮まった。
「ねえ、蒼空。文化祭の話も大事だけど、ほかの友達と一緒にいなくていいの?」
蒼空があまりにもぼくと一緒にいるものだから、心配になって聞いてみた。すると蒼空は不思議そうな顔をして、ぼくを見つめた。
「なんで? 俺は翔と一緒にいたいから一緒にいるだけだよ。仲の良い友達とか、特にいないし。それとも、翔は俺といるのがいやなの?」
蒼空はふわっと優しい微笑みを、ぼくに向けてくる。その顔をみて、思わず胸が高鳴ってしまった。
「ううん。ぼくも蒼空と一緒にいるの楽しいし、友達も別にいないから……」
「ならいいじゃん!」
蒼空は目を細めて色っぽく微笑むと、ぼくの頭を優しく撫でた。その瞬間、蒼空の指先から本当に電流が走ったのではと思うほど、ぼくの体がゾクッと震えた。
最近のぼくはおかしい。蒼空に触れられるたびに、ゾクゾクしたり胸が高鳴ったりする。一体なぜ――。
相変わらず、放課後のラジオごっこは続いている。週に一度の『空と音のレター』も評判が良く、最近は「朗読してほしい」という本のリクエストも届くようになってきた。その日は、教室でもらったリクエストをみながら、次に読む本を決めていた。
「次はこの本なんてどう? 『手袋を買いに』。俺、この絵本、好きだったな」
蒼空が、懐かしそうに表紙を眺めている。
「うん。この本、いいよね。中原中也の『汚れっちまった悲しみに……』もあるよ」
「それもいいね」
そんな話をしていると、教室の真ん中で集まっていた男子生徒数人が楽しそうに会話をしている。その断片が、ぼくの耳にも聞こえてきた。
「お前、なんかモノマネやれよ」
「やだよ。お前がやれば良いじゃん」
「じゃあ、じゃんけんで負けた奴な。最初はグー」
五人ほどのグループでじゃんけんが始まった。ぼくと蒼空はそれを横目でみながら、本の選定を続けていた。
すると、男子グループの一人が「えぇ? 俺かよ」と大声で言った。
「じゃんけんで負けたんだから、やれよ」
「早く!」
「チッ。しょうがねぇな」
そう言うと、その男子は咳払いを一つした。
「今日はアンデルセンの『みにくいアヒルの子』を読みたいと思います」
ぼくは思わず目を見開いた。その男子がモノマネをしていたのは、ぼくだったからだ。わざと高い声を出し、まるで女子のように体をくねくねとしならせている。
それをみた周りの男子は拍手喝采していた。
「やべえ! 音羽そっくりじゃん!」
ギャハハと下品な笑い声が響き渡った。それを聞いた女子も集まってきて「なに、なに?」と興味津々でその輪に加わった。
「もう一回やってよ。聞いてなかった」
「しょうがねえな。もう一回な」
そう言うと、再び同じことを繰り返した。それを聞いた女子も手を叩いて大笑いする。笑いを取った男子は、ドヤ顔をしていた。
ぼくは顔面蒼白になった。ずっといい評判ばかり聞いていたから、こんなふうに冷やかされるなんて思ってもみなかったからだ。胸の奥が、ズキンと痛んだ。手に持っていた本が、ふるふると震える。
ぼくが固まっていると、蒼空が椅子から勢いよく立ち上がった。机が軋む音が響く。
「てめえ、何してやがる!」
蒼空の声が、いつもの優しさを失い、低く響いた。その剣幕に、教室の空気が一瞬凍り付く。
「あぁ? 音羽のモノマネじゃん。似てるだろ?」
その男子は怯む様子もなく、ニヤニヤしながらぼくの顔をじっと見つめてきた。挑発するような視線が、ぼくの心をさらに抉る。
「……っ! ざけんなっ!」
蒼空の拳が握り締められる。その瞬間、彼の中で何かが切れたのが分かった。
「おい、星野、やめろって――」
周りの生徒が慌てて制止しようとするが、遅かった。
蒼空が男子に詰め寄る。相手も負けじと胸ぐらを掴み返す。二人の距離が一気に縮まり、にらみ合いになった瞬間――。
バシッ!
鈍い音が教室に響いた。蒼空の右拳が、男子の頬を捉えたのだ。
「うわっ!」
男子がよろめく。しかし、すぐに立ち直って蒼空に飛びかかった。
「やってみろよ!」
二人はもつれ合うように床に転がった。机の脚にぶつかり、ガタンと大きな音を立てる。蒼空が上になったり下になったりしながら、激しく組み合った。
「やめて! やめてよ!」
女子の悲鳴が響く。
「誰か先生呼んで!」
「おい、お前ら本気でやめろって!」
クラス委員長が必死に止めようとするが、二人の勢いは止まらない。
ドンッ!
蒼空の背中が机にぶつかり、上に置かれていた筆箱やノートが床に散らばったが、それでも蒼空は相手の襟首を掴んだまま離そうとしなかった。
「翔の声を……翔を馬鹿にするな!」
蒼空の叫び声が教室に響く。その声には、怒りと共に、ぼくを守ろうとする必死さが込められていた。
「何だよ、お前、あいつの彼氏かよ!」
男子が悪態をつく。その瞬間、蒼空の顔が真っ赤に染まった。
「うるせぇ!」
再び拳が振り上げられる。しかし、そのとき――。
「何やってる!」
担任の田中先生が慌てて教室に飛び込んできた。その大声で、ようやく二人の動きが止まった。
蒼空は荒い息を吐きながら、ゆっくりと相手から離れた。制服は乱れ、頬には青あざができている。相手の男子も同様で、口の端か
ら血が滲んでいた。
教室は静寂に包まれた。ただ、二人の荒い息づかいだけが響いている。
ぼくは、その光景を呆然と見つめるしかなかった。蒼空が、自分のために怒ってくれたことが信じられなくて。そして同時に、申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。
「あれ、藤原先生、どうされたんですか?」
蒼空が振り返って言った。
「音羽、星野。昨日の放送、評判良かったぞ」
「そ、そうですか……」
ぼくは、まさか藤原先生からそんなことを言われるなんて思ってもみなかったので、恥ずかしくなった。
「そこで、だ。文化祭で公開放送をやってほしい」
「えっ?」
ぼくは思わずその場で固まってしまった。しかし蒼空は、ぼくとは反対に身を乗り出していた。
「公開放送ですか? それって、舞台上で放送をやるってことで合ってますか?」
「あ、ああ。そうなるかな。昨日の放送が先生方にも評判が良くてな。文化祭にぜひ出てほしいと要望があったんだ」
「そうですか! それは良いですね!」
蒼空は俄然乗り気だった。その瞳が、希望の光でキラキラと輝いている。
「だから、企画内容は自由に決めていいよ」
それだけを伝えると、藤原先生は放送室から立ち去った。
「翔、やったね! 俺たちの頑張りが認められたんだよ!」
蒼空はうれしくて仕方がないという満面の笑みを浮かべている。
「う、うん……」
けれど、ぼくはそれほど喜べなかった。胸の奥で、不安が重い石のように沈んでいる。
「翔、うれしくないの?」
「うれしい、けど……」
「けど?」
「ぼく……人前に立つのが苦手なんだ。放送だと、聞いている人の顔が見えないから、何とかやっていけるんだけど、舞台に立つってなると……」
ぼくの顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かった。手のひらも、じわりと汗ばんでいる。
「そっか。そんなに苦手なんだ……」
蒼空は一瞬表情を曇らせたが、すぐにいつもの明るい笑顔を見せた。
「でもさ、まだ文化祭まで時間はあるし。とりあえず企画内容を考えてみようよ」
明るく提案してくれる蒼空の顔をみると、自分一人だけじゃないんだと改めて実感する。
蒼空はいつも、ぼくのことを大げさなくらい褒めてくれる。それがうれしかった。だから、蒼空のやりたいことはできるだけ協力したい。ぼくはこくりと頷いた。
それから、部活以外の時間も蒼空と二人で文化祭の企画のことを話し合うことが多くなった。昼休みの図書館、放課後の教室、時には帰り道の途中で立ち寄るカフェでも。学校にいる間、蒼空といる時間が増えるに伴い、ぼくたちの距離は徐々に縮まった。
「ねえ、蒼空。文化祭の話も大事だけど、ほかの友達と一緒にいなくていいの?」
蒼空があまりにもぼくと一緒にいるものだから、心配になって聞いてみた。すると蒼空は不思議そうな顔をして、ぼくを見つめた。
「なんで? 俺は翔と一緒にいたいから一緒にいるだけだよ。仲の良い友達とか、特にいないし。それとも、翔は俺といるのがいやなの?」
蒼空はふわっと優しい微笑みを、ぼくに向けてくる。その顔をみて、思わず胸が高鳴ってしまった。
「ううん。ぼくも蒼空と一緒にいるの楽しいし、友達も別にいないから……」
「ならいいじゃん!」
蒼空は目を細めて色っぽく微笑むと、ぼくの頭を優しく撫でた。その瞬間、蒼空の指先から本当に電流が走ったのではと思うほど、ぼくの体がゾクッと震えた。
最近のぼくはおかしい。蒼空に触れられるたびに、ゾクゾクしたり胸が高鳴ったりする。一体なぜ――。
相変わらず、放課後のラジオごっこは続いている。週に一度の『空と音のレター』も評判が良く、最近は「朗読してほしい」という本のリクエストも届くようになってきた。その日は、教室でもらったリクエストをみながら、次に読む本を決めていた。
「次はこの本なんてどう? 『手袋を買いに』。俺、この絵本、好きだったな」
蒼空が、懐かしそうに表紙を眺めている。
「うん。この本、いいよね。中原中也の『汚れっちまった悲しみに……』もあるよ」
「それもいいね」
そんな話をしていると、教室の真ん中で集まっていた男子生徒数人が楽しそうに会話をしている。その断片が、ぼくの耳にも聞こえてきた。
「お前、なんかモノマネやれよ」
「やだよ。お前がやれば良いじゃん」
「じゃあ、じゃんけんで負けた奴な。最初はグー」
五人ほどのグループでじゃんけんが始まった。ぼくと蒼空はそれを横目でみながら、本の選定を続けていた。
すると、男子グループの一人が「えぇ? 俺かよ」と大声で言った。
「じゃんけんで負けたんだから、やれよ」
「早く!」
「チッ。しょうがねぇな」
そう言うと、その男子は咳払いを一つした。
「今日はアンデルセンの『みにくいアヒルの子』を読みたいと思います」
ぼくは思わず目を見開いた。その男子がモノマネをしていたのは、ぼくだったからだ。わざと高い声を出し、まるで女子のように体をくねくねとしならせている。
それをみた周りの男子は拍手喝采していた。
「やべえ! 音羽そっくりじゃん!」
ギャハハと下品な笑い声が響き渡った。それを聞いた女子も集まってきて「なに、なに?」と興味津々でその輪に加わった。
「もう一回やってよ。聞いてなかった」
「しょうがねえな。もう一回な」
そう言うと、再び同じことを繰り返した。それを聞いた女子も手を叩いて大笑いする。笑いを取った男子は、ドヤ顔をしていた。
ぼくは顔面蒼白になった。ずっといい評判ばかり聞いていたから、こんなふうに冷やかされるなんて思ってもみなかったからだ。胸の奥が、ズキンと痛んだ。手に持っていた本が、ふるふると震える。
ぼくが固まっていると、蒼空が椅子から勢いよく立ち上がった。机が軋む音が響く。
「てめえ、何してやがる!」
蒼空の声が、いつもの優しさを失い、低く響いた。その剣幕に、教室の空気が一瞬凍り付く。
「あぁ? 音羽のモノマネじゃん。似てるだろ?」
その男子は怯む様子もなく、ニヤニヤしながらぼくの顔をじっと見つめてきた。挑発するような視線が、ぼくの心をさらに抉る。
「……っ! ざけんなっ!」
蒼空の拳が握り締められる。その瞬間、彼の中で何かが切れたのが分かった。
「おい、星野、やめろって――」
周りの生徒が慌てて制止しようとするが、遅かった。
蒼空が男子に詰め寄る。相手も負けじと胸ぐらを掴み返す。二人の距離が一気に縮まり、にらみ合いになった瞬間――。
バシッ!
鈍い音が教室に響いた。蒼空の右拳が、男子の頬を捉えたのだ。
「うわっ!」
男子がよろめく。しかし、すぐに立ち直って蒼空に飛びかかった。
「やってみろよ!」
二人はもつれ合うように床に転がった。机の脚にぶつかり、ガタンと大きな音を立てる。蒼空が上になったり下になったりしながら、激しく組み合った。
「やめて! やめてよ!」
女子の悲鳴が響く。
「誰か先生呼んで!」
「おい、お前ら本気でやめろって!」
クラス委員長が必死に止めようとするが、二人の勢いは止まらない。
ドンッ!
蒼空の背中が机にぶつかり、上に置かれていた筆箱やノートが床に散らばったが、それでも蒼空は相手の襟首を掴んだまま離そうとしなかった。
「翔の声を……翔を馬鹿にするな!」
蒼空の叫び声が教室に響く。その声には、怒りと共に、ぼくを守ろうとする必死さが込められていた。
「何だよ、お前、あいつの彼氏かよ!」
男子が悪態をつく。その瞬間、蒼空の顔が真っ赤に染まった。
「うるせぇ!」
再び拳が振り上げられる。しかし、そのとき――。
「何やってる!」
担任の田中先生が慌てて教室に飛び込んできた。その大声で、ようやく二人の動きが止まった。
蒼空は荒い息を吐きながら、ゆっくりと相手から離れた。制服は乱れ、頬には青あざができている。相手の男子も同様で、口の端か
ら血が滲んでいた。
教室は静寂に包まれた。ただ、二人の荒い息づかいだけが響いている。
ぼくは、その光景を呆然と見つめるしかなかった。蒼空が、自分のために怒ってくれたことが信じられなくて。そして同時に、申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。



