放課後、いつものように放送室へ向かう。とはいえ、ぼく以外は誰も来ないから、気は楽だ。もはや部活というより、自分に課せられた仕事のようだった。
放送室に入り、机にノートを取り出した。明日の朝の放送用の原稿を考えなければいけない。
「っていっても、毎日似たようなことばかり、放送してるなあ」
ぺらぺらとページをめくりながら一人ごちる。
顧問も「好きにやってくれていい」と放任主義だし、他の部員たちはほとんど部室には来ない。相談したいと思っても、その相談相手が誰ひとりとしていないのだから、自分の好きなようにやらせてもらっている。そういうと何か特別なことをしているように聞こえるかもしれないが、実際にはその日の行事を伝えるくらいしかしていない。
頬杖をついて、明日、何を話そうかと考えていると、放送室の扉が開いた。思わず体がびくっとする。だって、普段は誰か入ってくることなんてないから。
ドアに目を向けると、そこには顧問が立っていた。
「あれ? 藤原先生。どうしたんですか?」
普段は部活に全く顔を出さない顧問が、なぜそこに立っているのか不思議でならなかった。
「いやあ、放送部を見学したいっていう生徒がいてね」
藤原先生はうれしいような、困ったような顔をして、頬を人差し指で掻いた。そりゃそうだ。見学したいと言われても、実質一人しか活動していないところを見せたって、前向きに入部を考えてもらえるはずがない。
しかし、新年度早々、見学したいってどんな人だろう? 一年生はまだ入学していないから、二年か三年だろうが、今までの活動なんて、分かってるはずなのに。
まあ、いいや。どうせ入部しても、卒業アルバムに載りたいだけで幽霊部員になるかもしれないし、活動してくれなくても、今まで通り淡々と朝の放送をこなせばいいだけだ。
「ほら、入って。活動してるのは、音羽ひとりだけなんだけど……」
藤原先生に促され、放送室に入ってきたのは――。
「えっ? ウソっ!」
驚きのあまり、手のひらで口元を覆った。そこに立っていたのは、今日、転校してきた彼だったからだ。
「星……野くん?」
イケメンで声もいい蒼空が、ほとんど誰も活動していない放送部を見学したいなんて、何かの間違いじゃないかと目を疑った。
「あっ!」
蒼空はぼくの顔を見て、顔を綻ばせた。そしてうれしそうに駆け寄ってくる。
「ねえ君、二年三組、同じクラスだよね?」
蒼空の低くよく通る声が、ぼくの胸にまっすぐ飛び込んできた。
「う、うん。そうだけど……」
「やっぱり! かわいい子がいるなって思ってたんだよね」
「か、かわいいって……ぼく、女子じゃないし……」
「だってほら、ふんわり柔らかそうな髪の毛だし、なんか、人懐っこい子犬みたいだと思ったんだ」
普段は黙っていると鋭い目つきなのに、今は柔らかい笑顔をぼくに向けている。蒼空は入り口に突っ立っている藤原先生へ向かっていった。
「先生、俺、放送部に入部します!」
「えっ? 本当にいいのか? 今、活動してるのは、音羽ひとりだけだけど……」
蒼空は戸惑うことなく返事をした。
「はい! 今日の帰りに入部届、出しにいきますね」
「あ、ああ……。別に明日でもいいから……。じゃあ、あとのことは、音羽から聞いて」
「分かりました!」
藤原先生は、「じゃあ、あとのことはよろしく」とだけいって、放送室を後にした。
蒼空と二人、放送室に残されたぼくは、彼の横顔をちらっと見た。鼻筋が通っていて、薄い唇がなんとも美しい。男子でもこんなきれいな顔の子がいるんだとじっと見ていたら、蒼空がその視線に気づいて目を合わせてきた。
「ところで、名前、なんていうの?」
「あ……、えと……、音羽……翔です」
「うわあ! かっこいい名前! 翔って呼んでいい?」
え? 早速、名前呼び?
一瞬戸惑ったが、別に名前で呼ばれることに違和感もなかったので「うん」と小さく頷くと、蒼空は満面の笑顔をぼくに向けた。
「よかったあ! 今日さ、本当は翔と話したかったんだよね。でも一日中、女子に囲まれてて、翔のところに行けなかったから……すっごくうれしい!」
そうだ。クラスの女子がイケメンを放っておくはずもない。女子に囲まれることに慣れっこなのか、そのことで喜んでいる様子もなかった。
「そ、そうなんだ……」
「あ、俺、星野蒼空ね。朝の自己紹介でもいったけど」
「う、うん。覚えてるよ。星野くん」
「ええっ? 星野くんはないでしょ? 翔も俺のこと、蒼空って呼んでよ」
「えっ?」
「……いや?」
まるで捨てられた子犬のように目尻を下げ、首を傾げている様子を見て、断ることなどできるはずもない。
「じゃ、じゃあ、……蒼空」
「うんっ! よろしくね、翔!」
蒼空は心底うれしそうにぼくの手を握ってきた。その手は温かくて、少し大きくて、安心できる感触だった。
「ところでさ……」
「うん? 何?」
「この部活って、他に部員、いないの?」
「ああ。いるっちゃいるんだけど。三年の篠原慶先輩が部長で、二年の三浦佳奈さんが副部長。部長は美術部と掛け持ちしてて、こっちにはほとんど来ないし、三浦は副部長なのに幽霊部員。ちなみに、三浦もぼくたちと同じクラスなんだ」
そういって、ぼくは乾いた笑いをもらした。
「そう……なんだ」
蒼空の表情が少し曇ったように見えた。
「うん。だから実質、ぼくひとりで放送部を運営してるって感じ。今は朝の放送だけやってる」
「あれ、翔の声だったんだ!」
蒼空が勢いよくぼくの方へ近づいた。驚きのあまり一歩後ずさりする。
「う、うん……そう……だけど?」
「俺、ちょうどさ、今朝の放送、職員室で聞いててさ。すっごくきれいな声だなあって思ってたんだよ」
「えっ? ウソでしょ?」
「ウソなんかじゃないよ」
蒼空の表情は言葉通り、ウソをついているようには見えなかった。澄んだ瞳がまっすぐにぼくを見つめている。
「なんかさあ……んー、なんていったらいいんだろ? じんわりと温かくて、体の中に染み渡る声って感じ?」
「そ、そんないい声じゃないよ……」
「翔、声って自分で聞いているのと他人が聞いているのとは聞こえ方が違うんだよ」
「それは分かってるけど……」
「聞いていると、温かくて安心した。ほら、俺、今日、転校初日じゃん? こう見えても緊張してたんだよね」
蒼空は、へへっと笑いながら頬を赤く染め、人差し指で頬を掻いた。その仕草が意外にも可愛らしくて、ぼくの心臓が小さく跳ねた。
「翔の声は、温かくて人を安心させると思うよ。実は、俺、声優を目指しているんだ。だから、人の声にはとても敏感でさ」
「そ……う、なんだ」
初めて声を褒められた。ぼくの声でそんなふうに思ってくれているなんて。なんだか現実じゃないみたいで、ふわふわした気分になる。
「でもさ、残念だったのは、なんか、自信なさげに放送してたとこ、かな」
「ああ……」
自分の声がコンプレックスだから、自信なんて持てるはずもない。図星をさされて、思わずへこんだ。
「ぼく、自分の声、コンプレックスなんだ……」
「えっ? そんなにきれいな声なのに?」
「……うん」
ぼくは恥ずかしさのあまり、俯いてしまった。
「じゃあさ、これから俺と、一緒に練習しない?」
「練習?」
顔を上げると、蒼空が少し身を乗り出すようにしてぼくを見つめていた。
「そう! 発声とかアクセントの付け方とか。一緒に練習しようよ。練習してうまく話せるようになったら、自信も出てくると思うけど、どう?」
その提案は、まるで光が差し込むようにぼくの心を明るくした。ひとりで悩んでいたことを、一緒にやってくれる人ができるなんて。
「う……うん。そうだね。やって……みようかな?」
「よしっ! 決まり! じゃあ明日から、放課後、一緒に練習しよう」
半ば、押し切られるような形で頷くと、蒼空はうれしそうに微笑んだ。
春の夕日が放送室の窓から差し込み、蒼空の横顔を温かく照らしていた。その光の中で、ぼくの日常が少しずつ変わり始めているような気がした。
放送室に入り、机にノートを取り出した。明日の朝の放送用の原稿を考えなければいけない。
「っていっても、毎日似たようなことばかり、放送してるなあ」
ぺらぺらとページをめくりながら一人ごちる。
顧問も「好きにやってくれていい」と放任主義だし、他の部員たちはほとんど部室には来ない。相談したいと思っても、その相談相手が誰ひとりとしていないのだから、自分の好きなようにやらせてもらっている。そういうと何か特別なことをしているように聞こえるかもしれないが、実際にはその日の行事を伝えるくらいしかしていない。
頬杖をついて、明日、何を話そうかと考えていると、放送室の扉が開いた。思わず体がびくっとする。だって、普段は誰か入ってくることなんてないから。
ドアに目を向けると、そこには顧問が立っていた。
「あれ? 藤原先生。どうしたんですか?」
普段は部活に全く顔を出さない顧問が、なぜそこに立っているのか不思議でならなかった。
「いやあ、放送部を見学したいっていう生徒がいてね」
藤原先生はうれしいような、困ったような顔をして、頬を人差し指で掻いた。そりゃそうだ。見学したいと言われても、実質一人しか活動していないところを見せたって、前向きに入部を考えてもらえるはずがない。
しかし、新年度早々、見学したいってどんな人だろう? 一年生はまだ入学していないから、二年か三年だろうが、今までの活動なんて、分かってるはずなのに。
まあ、いいや。どうせ入部しても、卒業アルバムに載りたいだけで幽霊部員になるかもしれないし、活動してくれなくても、今まで通り淡々と朝の放送をこなせばいいだけだ。
「ほら、入って。活動してるのは、音羽ひとりだけなんだけど……」
藤原先生に促され、放送室に入ってきたのは――。
「えっ? ウソっ!」
驚きのあまり、手のひらで口元を覆った。そこに立っていたのは、今日、転校してきた彼だったからだ。
「星……野くん?」
イケメンで声もいい蒼空が、ほとんど誰も活動していない放送部を見学したいなんて、何かの間違いじゃないかと目を疑った。
「あっ!」
蒼空はぼくの顔を見て、顔を綻ばせた。そしてうれしそうに駆け寄ってくる。
「ねえ君、二年三組、同じクラスだよね?」
蒼空の低くよく通る声が、ぼくの胸にまっすぐ飛び込んできた。
「う、うん。そうだけど……」
「やっぱり! かわいい子がいるなって思ってたんだよね」
「か、かわいいって……ぼく、女子じゃないし……」
「だってほら、ふんわり柔らかそうな髪の毛だし、なんか、人懐っこい子犬みたいだと思ったんだ」
普段は黙っていると鋭い目つきなのに、今は柔らかい笑顔をぼくに向けている。蒼空は入り口に突っ立っている藤原先生へ向かっていった。
「先生、俺、放送部に入部します!」
「えっ? 本当にいいのか? 今、活動してるのは、音羽ひとりだけだけど……」
蒼空は戸惑うことなく返事をした。
「はい! 今日の帰りに入部届、出しにいきますね」
「あ、ああ……。別に明日でもいいから……。じゃあ、あとのことは、音羽から聞いて」
「分かりました!」
藤原先生は、「じゃあ、あとのことはよろしく」とだけいって、放送室を後にした。
蒼空と二人、放送室に残されたぼくは、彼の横顔をちらっと見た。鼻筋が通っていて、薄い唇がなんとも美しい。男子でもこんなきれいな顔の子がいるんだとじっと見ていたら、蒼空がその視線に気づいて目を合わせてきた。
「ところで、名前、なんていうの?」
「あ……、えと……、音羽……翔です」
「うわあ! かっこいい名前! 翔って呼んでいい?」
え? 早速、名前呼び?
一瞬戸惑ったが、別に名前で呼ばれることに違和感もなかったので「うん」と小さく頷くと、蒼空は満面の笑顔をぼくに向けた。
「よかったあ! 今日さ、本当は翔と話したかったんだよね。でも一日中、女子に囲まれてて、翔のところに行けなかったから……すっごくうれしい!」
そうだ。クラスの女子がイケメンを放っておくはずもない。女子に囲まれることに慣れっこなのか、そのことで喜んでいる様子もなかった。
「そ、そうなんだ……」
「あ、俺、星野蒼空ね。朝の自己紹介でもいったけど」
「う、うん。覚えてるよ。星野くん」
「ええっ? 星野くんはないでしょ? 翔も俺のこと、蒼空って呼んでよ」
「えっ?」
「……いや?」
まるで捨てられた子犬のように目尻を下げ、首を傾げている様子を見て、断ることなどできるはずもない。
「じゃ、じゃあ、……蒼空」
「うんっ! よろしくね、翔!」
蒼空は心底うれしそうにぼくの手を握ってきた。その手は温かくて、少し大きくて、安心できる感触だった。
「ところでさ……」
「うん? 何?」
「この部活って、他に部員、いないの?」
「ああ。いるっちゃいるんだけど。三年の篠原慶先輩が部長で、二年の三浦佳奈さんが副部長。部長は美術部と掛け持ちしてて、こっちにはほとんど来ないし、三浦は副部長なのに幽霊部員。ちなみに、三浦もぼくたちと同じクラスなんだ」
そういって、ぼくは乾いた笑いをもらした。
「そう……なんだ」
蒼空の表情が少し曇ったように見えた。
「うん。だから実質、ぼくひとりで放送部を運営してるって感じ。今は朝の放送だけやってる」
「あれ、翔の声だったんだ!」
蒼空が勢いよくぼくの方へ近づいた。驚きのあまり一歩後ずさりする。
「う、うん……そう……だけど?」
「俺、ちょうどさ、今朝の放送、職員室で聞いててさ。すっごくきれいな声だなあって思ってたんだよ」
「えっ? ウソでしょ?」
「ウソなんかじゃないよ」
蒼空の表情は言葉通り、ウソをついているようには見えなかった。澄んだ瞳がまっすぐにぼくを見つめている。
「なんかさあ……んー、なんていったらいいんだろ? じんわりと温かくて、体の中に染み渡る声って感じ?」
「そ、そんないい声じゃないよ……」
「翔、声って自分で聞いているのと他人が聞いているのとは聞こえ方が違うんだよ」
「それは分かってるけど……」
「聞いていると、温かくて安心した。ほら、俺、今日、転校初日じゃん? こう見えても緊張してたんだよね」
蒼空は、へへっと笑いながら頬を赤く染め、人差し指で頬を掻いた。その仕草が意外にも可愛らしくて、ぼくの心臓が小さく跳ねた。
「翔の声は、温かくて人を安心させると思うよ。実は、俺、声優を目指しているんだ。だから、人の声にはとても敏感でさ」
「そ……う、なんだ」
初めて声を褒められた。ぼくの声でそんなふうに思ってくれているなんて。なんだか現実じゃないみたいで、ふわふわした気分になる。
「でもさ、残念だったのは、なんか、自信なさげに放送してたとこ、かな」
「ああ……」
自分の声がコンプレックスだから、自信なんて持てるはずもない。図星をさされて、思わずへこんだ。
「ぼく、自分の声、コンプレックスなんだ……」
「えっ? そんなにきれいな声なのに?」
「……うん」
ぼくは恥ずかしさのあまり、俯いてしまった。
「じゃあさ、これから俺と、一緒に練習しない?」
「練習?」
顔を上げると、蒼空が少し身を乗り出すようにしてぼくを見つめていた。
「そう! 発声とかアクセントの付け方とか。一緒に練習しようよ。練習してうまく話せるようになったら、自信も出てくると思うけど、どう?」
その提案は、まるで光が差し込むようにぼくの心を明るくした。ひとりで悩んでいたことを、一緒にやってくれる人ができるなんて。
「う……うん。そうだね。やって……みようかな?」
「よしっ! 決まり! じゃあ明日から、放課後、一緒に練習しよう」
半ば、押し切られるような形で頷くと、蒼空はうれしそうに微笑んだ。
春の夕日が放送室の窓から差し込み、蒼空の横顔を温かく照らしていた。その光の中で、ぼくの日常が少しずつ変わり始めているような気がした。



