昼休みを挟んで、午後の部がスタートした。舞台の中央に机が設置され、その上にマイクが置かれている。体育館には全校生徒が集まり、ざわめきが響いていた。

 ぼくは舞台袖で深呼吸を繰り返していた。手のひらは汗でべっとりと湿っている。

「緊張してる?」

 蒼空が心配そうにぼくを見つめた。

「……うん」

 今度は正直に答えた。嘘をついても仕方がない。

「俺も緊張してる。でも、翔となら大丈夫」

 蒼空がそっとぼくの肩に手を置いた。その重みが安心感をくれる。

「行こう」

 ふたりで舞台に向かい、客席に向かって一礼した。まばらな拍手が響く。それほど期待されていないのがよくわかった。

 机に座り、いつもの基本姿勢を作る。喉を開けて深呼吸を繰り返した。客席を見ると、友だちや後輩たちが座っている。佳奈と翼も最前列で手を振ってくれていた。

 机の下で蒼空が、いつものように三、二、一と指を折ってカウントする。

「みなさん、こんにちは。『空と音のレター』の公開放送を行います」

 オープニングテーマ曲の後、蒼空が明るい声を出した。チラリと横目で彼を見ると、笑顔でこの場を楽しんでいる様子だった。

 ――ぼくも蒼空と一緒にこの場を楽しみたい。

 机の下でぎゅっと拳を握った。蒼空との掛け合いが始まる。

「今日は文化祭という特別な日に公開放送をさせていただいています。パートナーの音羽翔さんと一緒にお送りします」

「よろしくお願いします」

 ぼくの声は最初、少し震えていたが、蒼空の自然な進行に引っ張られて、だんだんといつもの調子を取り戻していった。

 久しぶりの蒼空との掛け合いは、ブランクがあるとは思えないほど順調に進んだ。ざわついていた会場が徐々に静けさに包まれていく。みんなが耳を傾けてくれているのがわかった。

「それでは音羽さんに朗読をしていただこうと思います。今日は何を読んでくださるのですか?」

「今日は、向田邦子さんの『無邪気な人々』を読みます」

 ぼくは深く息を吸って声を放った。第一声は震えていた。それを隠すように机の下で拳を強く握ると、蒼空がそっと手を握り返してきた。その温かさにぼくは救われた。

 朗読をしている間、蒼空は小さく頷きながら聞いてくれた。会場の人たちも息を呑んで朗読に集中してくれている。その様子を感じ取ると、不思議と心が落ち着いた。

 ――これで、もしかしたら廃部を免れるかもしれない。

 そう考えた瞬間、急に言葉が詰まってしまった。安心したことで気が緩んだのか、次の文が出てこない。

 ――やばい! このままじゃ……。

 沈黙が体育館全体に広がる。客席からざわめきが起こりそうになったとき、蒼空がマイクに向かって声を出した。

「翔の声、大好きだよ」

 会場が一瞬静まり返った。そして次の瞬間、拍手が湧き上がった。

「頑張って!」

「いつも楽しませてもらってるよ」

「音羽くんの声、素敵です」

 そんな声がぼくの耳に届いた。この声を受け入れてくれる人がこれほどまでいるなんて。目頭が熱くなる。

 涙がこぼれ落ちないよう、必死で目を見開く。もう一度大きく深呼吸をして、涙声にならないよう気をつけながら朗読を続けた。

 一文字一文字を大切に、丁寧に読んでいく。蒼空が握ってくれた手の温もりを感じながら、最後の一行まで読み上げた。

「……ありがとうございました」

 朗読が無事に終わった。

「そろそろお時間となりました。『空と音のレター』、また次回お会いしましょう」

 蒼空の締めの言葉で公開放送は終了した。すると会場は割れんばかりの拍手に包まれた。ぼくと蒼空は立ち上がり、長い間頭を下げ続けた。机の下ではしっかり手を握り合って、成功を分かち合った。