梅雨明けの蒸し暑さが残る七月下旬、学期末試験が終わると自由登校期間に入った。ぼくは終業式までの数日間、学校へは行かず、駅前のカフェに通い詰めた。古いジャズが流れる薄暗い店内で、窓際の席に座り、ぼんやりとカフェラテを見つめる日々。

 蒼空と向き合うと決めたはずなのに、いざ話そうとすると、何から話していいのかわからなかった。今まで親しい友達がいなかったので、友達とけんかして険悪な雰囲気になることもなく、仲直りの仕方もわからない。

「きっと蒼空は、ぼくのこと嫌いになったよな……」

 カフェラテの泡をスプーンでかき混ぜながらボソッと呟く。その声は、スピーカーから流れるビル・エヴァンスのピアノにかき消された。店内には他に客もまばらで、午後のけだるい空気が漂っている。

 ぼくはどうしたらいいんだろう。

 蒼空と一緒の時間を過ごしたい。文化祭について話をしたい。そして一緒に放送部の危機を乗り越えたい。けれど、そんな思いを心の中に秘めているだけで、実際には何も行動できていない。

 窓の外を歩く人々を眺めながら、つくづく自分の無力さに呆れてしまった。楽しそうに歩く制服姿の高校生たちを見て、きっと友達同士なんだろうな、と考える。自分にもそんな関係が築けるのだろうかと、不安になる。

 そうこうするうちに終業式の日を迎え、そのまま夏休みに突入した。

 八月の太陽が容赦なく照りつける中、文化祭の準備は着々と進められているはずだった。しかし、ぼくは学校に行く勇気が出なかった。

 蒼空はきっと学校に来ているだろう。文化祭のことを真剣に考えてくれているかもしれない。向き合うと決めたのに、いまだにその勇気が出ない自分自身に嫌気がさした。

 けれど、何もしないつもりではない。せめて文化祭の準備だけはきちんとやろうと心に決めていた。

 自室の机に向かい、文化祭の公開放送の構成を考える。「空と音のレター」の公開放送となる予定だったので、進行そのものはいつもと変わらない。ただ、何を朗読すればいいのかが最大の問題だった。

 本棚から引っ張り出してきた本をずらっと机の上に並べてみる。童話、小説、エッセイ、詩集……。背表紙を眺めながら、一つひとつ内容を思い出していく。

「宮沢賢治は一度読んでるしなぁ。芥川龍之介もいいけど、ちょっと重いかも。中原中也の詩もいいけど……」

 内容を思い浮かべながら、一冊ずつ本を手に取る。その時、少し色あせた文庫本に目が止まった。向田邦子の短編集『思い出トランプ』。母が大切にしていた本で、何度か借りて読んだことがある。

 表紙をそっと撫でてから、ペラペラとページをめくる。どれも心に染みる短編が、この一冊にぎゅっと詰まっている。日常の何気ない瞬間を切り取った、優しくて少し切ない物語たち。

「向田邦子の作品って、本当にいいよなぁ」

 思わずページをめくる手を止めて、『無邪気な人々』を読み返してしまう。何度読んでも、登場人物たちの優しさと不器用さが心に響く。

「これに、しよう」

 ぼくは『無邪気な人々』を文化祭で朗読することに決めた。この作品なら、きっと聴いている人たちの心に何か届くはずだ。

 それから夏休みの間、毎日朗読の練習に励んだ。本来なら学校の放送室で練習したほうがいいのだろう。でも、蒼空と会うのが怖くて、自室にこもって練習を続けることにした。窓を閉め切った静かな部屋で、エアコンの音だけが響く中、同じ箇所を何度も何度も読み返す。

 朗読の練習と並行して、構成を考えて脚本を完成させる。こちらは今まで「空と音のレター」で何度も作っているので、慣れた作業だった。ただし、今回は一人で進行することを前提に組み立てなければならない。蒼空の声が担当していた部分をすべて自分用に書き換えていく作業は、思った以上に胸が痛んだ。

 あとは文化祭を成功させるだけだ。

 ぼく一人で成功させられるか自信はなかったが、やるしかなかった。