部活の活動停止が明けた朝、ぼくは誰よりも早く学校に到着した。まっすぐ放送室に向かおうとしたが、まずは職員室で鍵を受け取らなければならない。


 職員室のドアをノックし、当番の先生に放送室の鍵をお願いすると、意外な答えが返ってきた。

「音羽くん、鍵はもう誰かが受け取ったよ」

「えっ……?」

 心臓が跳ね上がった。まさか。

「蒼空?」

 その可能性に気づいた瞬間、もうじっとしていられなかった。急いで廊下を駆け抜け、息を切らしながら放送室のドアの前に立った。

 深呼吸をして、勢いよく扉を開いた。

 予想通り、そこには蒼空がいた。椅子に座り、何やら紙に向かって文字を書いている。一週間ぶりに見るその横顔は、以前よりも少し痩せたように見えた。

「蒼空!」

 ぼくは反射的に蒼空の元へ駆け寄った。抱きつきたい衝動を必死に抑え、その場に立ちすくむ。やっと戻ってきてくれた。嬉しい。迷惑をかけたことを謝らないと。文化祭のことを一緒に考えたいといいたい。

 けれど、口から出たのは、自分でも予想しなかった全く正反対の言葉だった。

「もう! なんであんなことしたんだよ!」

 蒼空の手が止まり、ゆっくりと顔を上げる。

「だって……」

「あんなの、無視しておけばよかったじゃん!」

 ぼくの声は次第に大きくなった。抑えきれない感情が溢れ出してくる。

「おかげで今、放送部は廃部の危機に陥ってるんだよ!」

「えっ?」

 蒼空の顔から一瞬で血の気が引いた。手に持っていたペンが、カタリと音を立てて机の上に落ちる。

「その話……詳しく教えて」

 声が震えているのがわかった。立ち上がりかけた蒼空の膝もガクガクと震えている。

 ぼくは、蒼空が謹慎処分を受けている間に起こったことを説明した。放送部の活動停止処分、そして不祥事を起こした生徒がいる部活動は廃部処分になるという学校の方針について。

「それ……結構重い処分だな……」

 蒼空の声が詰まった。俯いて、拳を強く握りしめている。

「それだけ大変なことになったってことだよ」

 ぼくは目に涙を浮かべながら訴えた。言葉にしながら、改めてことの重大さを実感する。

「でも、過去の実績などを考慮して、文化祭でいい結果を出せれば廃部は免れるらしい」

 すると蒼空が立ち上がり、ぼくに向かって深々と頭を下げた。

「ごめん」

 その一言に込められた重みに、胸が苦しくなる。

「……もう、終わったことだから、仕方ないよ」

 ぼくは鼻をすすった。涙を拭って、気持ちを切り替えようとする。

「でも、俺……我慢できなかったんだ」

 蒼空が顔を上げて、まっすぐぼくの目を見た。その瞳には強い意志が宿っている。

「なんで?」

「だって、翔が一生懸命頑張ってるのを一番近くで見てきたからさ」

 蒼空の声に熱がこもってくる。

「だから、バカにされるのが我慢できなかった」

 その言葉に、胸の奥が熱くなる。でも同時に、やりきれない気持ちも込み上げてきた。

「だからって……」

 ぼくは言葉を詰まらせる。いいたいことと、心の奥で感じていることが食い違って混乱した。

「だからって、殴る必要なんてなかったでしょ!」

 今度はぼくが立ち上がった。椅子が勢いよく後ろに下がる。

「一生懸命頑張っている人をからかうのだって、よくないんじゃないか?」

「それは……それはそうだけど……」

 ぼくの声が震える。

「暴力で解決したって、何も変わらないよ!」

「じゃあ、どうすればよかったっていうんだ!」

 蒼空の声が放送室に響いた。ぼくは思わず一歩後ずさりする。

「翔がずっと一人で耐えてるのを見てて、俺が何もしないでいろっていうのか?」

「それは……」

「俺には、翔が傷つくのを黙って見てるなんてできないよ!」

 蒼空の拳が震えている。目にも涙が浮かんでいるのが見えた。

 ぼくも負けじと声を張り上げる。

「でも、結果的にもっと大変なことになったじゃん!」

「それは……」

「これで本当に廃部になったら、どうするつもりなの?」

「俺が……俺がなんとかする」

「なんとかするって、どうやって?」

 お互いの言葉がぶつかり合い、放送室の空気が張り詰めた。

 しばらく激しい視線のやり取りが続いた後、ふたりとも同時に目を逸らした。

 気まずい沈黙が降りる。壁の時計だけが、秒針の音を刻んでいた。

 壁の時計を見ると、放送開始時刻まであと五分しかない。

「そろそろ朝の放送するから……」

 それだけいうと、ぼくは音声調整卓の前に座った。鞄から用意した二種類の原稿を取り出し、最後まで迷った末、結局謝罪文なしのいつも通りの原稿を選んだ。

 マイクの前に座り、深呼吸をする。赤いランプが点灯し、放送が始まった瞬間、蒼空は何も言わずに放送室から出て行った。

 ドアが静かに閉まる音が聞こえ、またこの空間に一人きりになってしまった。

 マイクに向かって話しかけながら、胸の奥がズキズキと痛んだ。