17歳の誕生日、俺はなぜか昨日初めて話した秋中風音とラーメンを食べに来ている。
お互いに味噌ラーメンのチャーシュー増しを頼んだ。
学校の王子様が隣の席でラーメンをすすっている。信じられない光景だ。
まじまじと見すぎたのだろう。
「どうしたの?」
秋中に声をかけられて、なんでもないと自分のラーメンに目を向ける。まだ残っているのに、何をやっていたんだろう。
秋中のことが気になる。というか気がつくと目で追っている。
相変わらず学校では会話をしなかった。クラスメイトと話している秋中は遠い存在で近寄れない。
やっぱり幻だったのではないかと感じていたが、ホームルームが終わってすぐに秋中は俺の席の前にやってきた。
その瞬間に霧が晴れて、幻は現実になった。
常に周りに人がいる秋中が俺の隣にいる。
「どうしたの?」
秋中は再び顔を覗かせる。
「えっ?」
「ニヤニヤしてたよ?」
「ニヤニヤしてた?」
「うん、してたよ」
頬に手を当てる。ニヤニヤしていたのだろうか。
「そう?」
「うん。ラーメン美味しい?」
「美味しい」
「じゃ、僕のも一口あげる」
秋中はレンゲの上にミニラーメンを作って、俺の口元に持ってくる。
「いやいや、同じのだから」
これは世間でいうあーんである。昨日はもらったけど恥ずかしすぎる。
「要らないの?」
秋中に見つめられると、断れない。
もういいや、友達ってこんなもんだろう。俺は勢いよく食いついた。
***
ラーメンを食べ終えて、帰りの電車は混んでいて座れなかった。秋中とドアの近くで向かい合うことになる。
電車が揺れると周りに押されて、秋中の綺麗な顔が至近距離までくる。
下を向いて、会話もせずに時間だけが過ぎていく。
車内のアナウンスがもうすぐ俺の降りる駅だと告げると秋中は口を開いた。
「お……とう」
「えっ?」
声が小さかったのと、電車の音でしっかり聞き取れなかった。
「誕生日おめでとう。ちゃんと言ってなかったから」
「ありがとう」
「あとこれよかったら」
秋中は青い袋を取り出して、俺に渡す。
駅に着いたようでドアが開き、人の波に押し流されるように俺は電車から出て、秋中は中に残った。
振り返り秋中に向かって「ありがとう」と言ったが、聞こえたかは分からない。秋中は優しい表情で手を振っていたから伝わりはしただろう。
***
ブックカバーは本屋でもらったもので栞はその辺にあった紙を使っていたが、今カバンの中には青空が描かれたブックカバーと桜がモチーフになっている栞がある。
今日も俺がいつも座る席の向かいの席に秋中はいた。
俺はいつも通りの席に座って、秋中を気にしながら青空のブックカバーのついた小説を取り出した。
「桜屋くん、おはよう」
秋中は隣の席にやってくる。
「おはよう」
「使ってくれてるんだ」
「うん」
これは秋中が誕生日にくれたもの。俺が好きだと言った青空と桜。
***
ゴールデンウィークが過ぎ去った今でも秋中との関係は大きく変わらず、変化といえば秋中は向かいの席ではなく、あらかじめ隣の席に座っているくらいである。
袖仕切と秋中の間にパズルのピースをはめるように座る日々。ピッタリと収まると、
「桜屋くん、おはよう」
とスイッチが押されたように秋中が話し始める。
「おはよう」
朝の電車では親しい友人のようだけど、学校に着くと秋中は遠くに行ってしまう。
俺はただ教室の一部であり、秋中が誰かと会話するのに耳を傾けてしまう。
「秋中くん、ズバリ好きなタイプは?」
クラスで一番発言力がある女子が秋中に声をかける。すると、近くにいた女子が集まってきて、お喋りをしていた人達は静かになる。
「好きなタイプ?」
秋中の方を向く勇気はないけど、優しい表情をしているような声がした。
「そう、こういう子が好きみたいなのないの?」
「えーと、好きになった子が好きだからな」
「えー、それはなし」「それはずるいよ」などと女子たちがザワザワする。
「でも、そうだからな」
と秋中が言うと、女子たちはよりザワザワして、
「今、好きな人が居るってこと?!」
と驚く。
「そうだよ」
秋中が答えるとザワザワというか、奇声が広がる。
失恋したと悲しむ子、自分かもしれないと様子を伺う子、ただただ騒ぎたい子、さまざまな表情をする彼女たちを物珍しそうに俺を含めた男子は見ている。
「好きになったきっかけは?」
最初に質問を始めた女子が冷静に話を続ける。
「目が合った時かな」
「一目惚れってこと?」
「そうだね、一目惚れ」
女子たちの声は悲鳴になり、耳をすませないと聞こえなくなった。俺は読んでいるふりをしていた小説を閉じて、目をつぶって耳に神経を集中させる。
「その子って、うちの高校にいる?」
「いるよ」
「同じ学年?」
「そうだよ」
女子たちの声はどんどんと上がっていく。
「もしかして同じクラス?」
少し間があってから、
「そうだよ」
教室は叫び声でおかしくなった。廊下には他クラスの女子たちも集まり、大騒ぎである。
「えっと、誰?」
会話をしてた女子が決定的なことを聞いたので、俺の心臓がバクバク鳴り始めた。
秋中が誰を好きでも、俺には関係ないじゃないか。
でももしかしたら、秋中が好きなのは俺かもしれない。なんて妄想が頭から離れず、答え合わせをしてしまうのが怖い。
聞きたくない。けど、気になる。
数秒経った気がするけど、秋中の答えは聞こえない。
もしかして聞き逃してしまったのではないかと、秋中の方を恐る恐る見ると、目が合った。
「秘密」
秋中がそう告げると、女子たちは大盛り上がりである。
***
数日後、今度は他クラスの女子が秋中の前までやってきて、
「秋中くん、好きな子いるんでしょ〜」
と茶化すように言った。
「そうだよ」
教室は2人の会話にスポットライトが当たり、静寂が訪れた。
「どんな子?」
「うーん。可愛い子」
所々から言葉にならない声が聞こえてくる。
「髪型はどんな子?」
「短いかな」
「色は?」
「黒」
と、どんどんと絞られていく。
今のところ、俺も当てはまっている。
もしかしてと、そんなことないがせめぎ合う。
「黒髪でショートの子が好きなの?」
「そういうことになるね」
「ふーん。それってあやのことだったりする?」
他クラスの子がそう尋ねると、
「ちょっとやめてよ、みき」
と慌てた声が聞こえる。
申し訳ないけど女子の名前までは覚えておらず、ましてや声で聞き分けられるわけもないので、振り向くと、あやと呼ばれている子は好きなタイプを聞いた発言力がある女子だと判明する。
というか当たりを見渡すと、クラスにいるほとんどの人が秋中の方を向いていて、見ていない方が浮いているようだ。
俺はそのまま、秋中たちの様子を伺うことにする。
「秋中くん、答えなくていいからね」
あやと呼ばれた子は顔を真っ赤にしている。彼女は秋中のことが好きなのだろうか。
「みき、もういいよ。クラスに帰って」
あやさんはみきさんを押し出すように教室から出て行った。
秋中はその様子を微笑ましくみている。
このクラスで黒髪ショートなのは他にもいるけど、多くはない。秋中はあやさんが好きなのか?
なぜだか胸が痛む。
秋中に当たっていたスポットライトは消え、見物客はさっきまでやっていた勉強やお喋りに戻っていく。
俺も読書に戻ろうとすると、秋中と目が合った。
黒髪ショートは俺のことですか? なんて聞けるわけもなく見つめていると、ニコリと微笑まれる。
そうだよって言われたようで、慌てて適当なページを開いて、小説を読むふりをした。
***
秋中の好きな髪型が公開されるとなにが起こるか。
正解は数日後から明らかになっていき、2週間近く経つとクラス、いや学校のほとんどの女子が黒髪ショートになっていた。
秋中はこんなに影響力があったのかと驚くことになる。
***
みきさんは次の日もやってきた。
「秋中くーん」
「どうしたの? 雪城さん」
秋中は名前を知っていたのか。と驚いて、振り向くと秋中は楽しそうな表情をしている。
「恋バナしよ」
「いいよ」
「じゃデート、どこ行きたい?」
俺を含めたクラス中が2人の会話に注目をしている。
「水族館かな」
「ベタだね〜」
雪城さんは揶揄うように秋中の肩を叩く。
「水族館いいでしょ」
「まぁね、ね、あや」
雪城さんはあやさんの肩に手を置いた。
「ちょっと私に話を振らないでよ」
「山瀬さん、水族館好き?」
秋中が尋ねると、あやさんこと山瀬さんは乙女な表情をして、頷いた。
「じゃ、2人で行ってきたら?」
と雪城さんが提案すると、
「ちょっと、そんなこと言ったら秋中くん困っちゃうでしょ」
山瀬さんは慌てる。
「どうして?」
「だって、秋中くん好きな人居るみたいだし、私と2人で出かけたりできないよ」
「秋中くん、そうなの?」
雪城さんはイタズラっ子のようにニヤニヤしている。
「どうだろう?」
秋中は首を傾げた。
「否定しないってことは?!」
雪城さんは大盛り上がりである。
俺は秋中たちから目線を外して、自分の机を眺めた。
秋中は否定しなかった。
秋中の好きな人は雪城さんなのだろうか。
そう思うと悲しくなってきて、耐えきれずに教室から出ることにした。
秋中の好きな人が雪城さんでもいいじゃないか。
目頭が熱くなって、涙が溢れそうになる。
秋中が誰を好きでもいいじゃないか。
俺たちは友達なんだから。
そう言い聞かせて、トイレに向かった。今、教室から出たのもトイレに行きたかっただけで、秋中の好きな人が雪城さんかもしれないわけではない。
誰に聞かれたわけでもない言い訳をひたすらに考える。
***
次の日の朝はいつもの車両に乗らなかった。
秋中と約束しているわけではないから、俺がどの車両に乗ったっていいのだ。
「桜屋くん? おはよう」
顔を上げると、秋中は不思議そうな表情でこちらを見ている。
「おはよう」
俺が返事をすると秋中は隣の席に座る。
いつもと違う車両に乗ったはず、辺りを見渡すと先頭車両にある乗務員ドアがないので間違いなくここは真ん中の車両である。
「桜屋くんが乗ってこないから探したんだよ」
「あぁ、そう」
「どうしたの?」
秋中が雪城さんのこと好きみたいだから、というのは意味が分からない。
「時間ギリギリで慌てて乗ったから」
と小さな嘘をついた。
「そうだったんだ」
「うん」
嘘だから、これ以上の情報はないし、喋りすぎて怪しまれるのもなと、いつも通りに青空のブックカバーをつけた小説を読み始める。
「行かないからね」
秋中がつぶやいた。
「えっ?」
「一応、念のため」
「何の話?」
「分からないなら、いいよ」
それって山瀬さんと水族館に行く話?
なんて聞いたら、盗み聞きしているのも意識しているのもバレてしまう。
小説の文字が頭に入ってこないので、窓の外を眺めた。暗い雲が多くて、雨が降りそうである。
***
紫の花が垂れ下がっている。藤は特徴的だ。
「あや、あの後どうなったの?」
校長室の前の写真を見ていると、聞き覚えがある声が聞こえて振り向いた。山瀬さんと雪城さんだ。
「あの後って?」
「秋中くんを水族館に誘ったんでしょ」
気になって、2人の後をついてきてしまった。方向的に教室に向かっているから、おかしくない。大丈夫。
「誘ったよ、誘ったけど断られちゃった」
「えー、なんで?」
「なんでって、私が好きなわけじゃないんじゃないの?」
山瀬さんの誘いを本当に断ったんだ。疑っていたわけではないけど、ほっとする。ほっとする?
「えー、そうかな?」
「そうだよ、水族館は恋人と行きたいからダメだって」
「秋中くん、付き合ってる人いるの?」
「いるんじゃないの?」
「そこ聞くの忘れてたね」
「それな、一番大事なところね」
2人は笑いながら女子トイレに入っていく。俺もつられて女子トイレに入りそうになったところを急カーブして、何食わぬ顔で男子トイレに入った。
付き合ってる可能性、考えてなかった。
分かっていることは初恋は今、好きな人がいる。それだけだ。
***
「秋中くーん」
雪城さんが教室に入ってくる。恋人の有無を聞いてくれるのだろう。
俺は耳を傾ける。
「どうしたの?」
「秋中くんって、付き合ってる人いるの?」
なんの躊躇いもなく、直球に聞ける雪城さんはすごい。
「付き合ってないよ」
「でも好きな子いるんだよね?」
「いるよ」
「同じクラスで黒髪ショートなんだよね?」
「そうだよ」
「ヒントちょうだい」
雪城さんは答えを得ようとしている。
「ヒント?」
秋中ははぐらかすように微笑んだ。
「そう。誰だかは聞かないから特徴だけでも教えて」
「読書が好き」
「もっと」
「空が好き」
「もう一声」
「チーズケーキ」
いやいや、俺だろ。自意識過剰とかじゃなくて、それ当てはまるの俺くらいなのでは?
秋中の方を向くと目が合った。
「それが好きな子の特徴?」
「そうだよ」
それって俺のことですか???
お互いに味噌ラーメンのチャーシュー増しを頼んだ。
学校の王子様が隣の席でラーメンをすすっている。信じられない光景だ。
まじまじと見すぎたのだろう。
「どうしたの?」
秋中に声をかけられて、なんでもないと自分のラーメンに目を向ける。まだ残っているのに、何をやっていたんだろう。
秋中のことが気になる。というか気がつくと目で追っている。
相変わらず学校では会話をしなかった。クラスメイトと話している秋中は遠い存在で近寄れない。
やっぱり幻だったのではないかと感じていたが、ホームルームが終わってすぐに秋中は俺の席の前にやってきた。
その瞬間に霧が晴れて、幻は現実になった。
常に周りに人がいる秋中が俺の隣にいる。
「どうしたの?」
秋中は再び顔を覗かせる。
「えっ?」
「ニヤニヤしてたよ?」
「ニヤニヤしてた?」
「うん、してたよ」
頬に手を当てる。ニヤニヤしていたのだろうか。
「そう?」
「うん。ラーメン美味しい?」
「美味しい」
「じゃ、僕のも一口あげる」
秋中はレンゲの上にミニラーメンを作って、俺の口元に持ってくる。
「いやいや、同じのだから」
これは世間でいうあーんである。昨日はもらったけど恥ずかしすぎる。
「要らないの?」
秋中に見つめられると、断れない。
もういいや、友達ってこんなもんだろう。俺は勢いよく食いついた。
***
ラーメンを食べ終えて、帰りの電車は混んでいて座れなかった。秋中とドアの近くで向かい合うことになる。
電車が揺れると周りに押されて、秋中の綺麗な顔が至近距離までくる。
下を向いて、会話もせずに時間だけが過ぎていく。
車内のアナウンスがもうすぐ俺の降りる駅だと告げると秋中は口を開いた。
「お……とう」
「えっ?」
声が小さかったのと、電車の音でしっかり聞き取れなかった。
「誕生日おめでとう。ちゃんと言ってなかったから」
「ありがとう」
「あとこれよかったら」
秋中は青い袋を取り出して、俺に渡す。
駅に着いたようでドアが開き、人の波に押し流されるように俺は電車から出て、秋中は中に残った。
振り返り秋中に向かって「ありがとう」と言ったが、聞こえたかは分からない。秋中は優しい表情で手を振っていたから伝わりはしただろう。
***
ブックカバーは本屋でもらったもので栞はその辺にあった紙を使っていたが、今カバンの中には青空が描かれたブックカバーと桜がモチーフになっている栞がある。
今日も俺がいつも座る席の向かいの席に秋中はいた。
俺はいつも通りの席に座って、秋中を気にしながら青空のブックカバーのついた小説を取り出した。
「桜屋くん、おはよう」
秋中は隣の席にやってくる。
「おはよう」
「使ってくれてるんだ」
「うん」
これは秋中が誕生日にくれたもの。俺が好きだと言った青空と桜。
***
ゴールデンウィークが過ぎ去った今でも秋中との関係は大きく変わらず、変化といえば秋中は向かいの席ではなく、あらかじめ隣の席に座っているくらいである。
袖仕切と秋中の間にパズルのピースをはめるように座る日々。ピッタリと収まると、
「桜屋くん、おはよう」
とスイッチが押されたように秋中が話し始める。
「おはよう」
朝の電車では親しい友人のようだけど、学校に着くと秋中は遠くに行ってしまう。
俺はただ教室の一部であり、秋中が誰かと会話するのに耳を傾けてしまう。
「秋中くん、ズバリ好きなタイプは?」
クラスで一番発言力がある女子が秋中に声をかける。すると、近くにいた女子が集まってきて、お喋りをしていた人達は静かになる。
「好きなタイプ?」
秋中の方を向く勇気はないけど、優しい表情をしているような声がした。
「そう、こういう子が好きみたいなのないの?」
「えーと、好きになった子が好きだからな」
「えー、それはなし」「それはずるいよ」などと女子たちがザワザワする。
「でも、そうだからな」
と秋中が言うと、女子たちはよりザワザワして、
「今、好きな人が居るってこと?!」
と驚く。
「そうだよ」
秋中が答えるとザワザワというか、奇声が広がる。
失恋したと悲しむ子、自分かもしれないと様子を伺う子、ただただ騒ぎたい子、さまざまな表情をする彼女たちを物珍しそうに俺を含めた男子は見ている。
「好きになったきっかけは?」
最初に質問を始めた女子が冷静に話を続ける。
「目が合った時かな」
「一目惚れってこと?」
「そうだね、一目惚れ」
女子たちの声は悲鳴になり、耳をすませないと聞こえなくなった。俺は読んでいるふりをしていた小説を閉じて、目をつぶって耳に神経を集中させる。
「その子って、うちの高校にいる?」
「いるよ」
「同じ学年?」
「そうだよ」
女子たちの声はどんどんと上がっていく。
「もしかして同じクラス?」
少し間があってから、
「そうだよ」
教室は叫び声でおかしくなった。廊下には他クラスの女子たちも集まり、大騒ぎである。
「えっと、誰?」
会話をしてた女子が決定的なことを聞いたので、俺の心臓がバクバク鳴り始めた。
秋中が誰を好きでも、俺には関係ないじゃないか。
でももしかしたら、秋中が好きなのは俺かもしれない。なんて妄想が頭から離れず、答え合わせをしてしまうのが怖い。
聞きたくない。けど、気になる。
数秒経った気がするけど、秋中の答えは聞こえない。
もしかして聞き逃してしまったのではないかと、秋中の方を恐る恐る見ると、目が合った。
「秘密」
秋中がそう告げると、女子たちは大盛り上がりである。
***
数日後、今度は他クラスの女子が秋中の前までやってきて、
「秋中くん、好きな子いるんでしょ〜」
と茶化すように言った。
「そうだよ」
教室は2人の会話にスポットライトが当たり、静寂が訪れた。
「どんな子?」
「うーん。可愛い子」
所々から言葉にならない声が聞こえてくる。
「髪型はどんな子?」
「短いかな」
「色は?」
「黒」
と、どんどんと絞られていく。
今のところ、俺も当てはまっている。
もしかしてと、そんなことないがせめぎ合う。
「黒髪でショートの子が好きなの?」
「そういうことになるね」
「ふーん。それってあやのことだったりする?」
他クラスの子がそう尋ねると、
「ちょっとやめてよ、みき」
と慌てた声が聞こえる。
申し訳ないけど女子の名前までは覚えておらず、ましてや声で聞き分けられるわけもないので、振り向くと、あやと呼ばれている子は好きなタイプを聞いた発言力がある女子だと判明する。
というか当たりを見渡すと、クラスにいるほとんどの人が秋中の方を向いていて、見ていない方が浮いているようだ。
俺はそのまま、秋中たちの様子を伺うことにする。
「秋中くん、答えなくていいからね」
あやと呼ばれた子は顔を真っ赤にしている。彼女は秋中のことが好きなのだろうか。
「みき、もういいよ。クラスに帰って」
あやさんはみきさんを押し出すように教室から出て行った。
秋中はその様子を微笑ましくみている。
このクラスで黒髪ショートなのは他にもいるけど、多くはない。秋中はあやさんが好きなのか?
なぜだか胸が痛む。
秋中に当たっていたスポットライトは消え、見物客はさっきまでやっていた勉強やお喋りに戻っていく。
俺も読書に戻ろうとすると、秋中と目が合った。
黒髪ショートは俺のことですか? なんて聞けるわけもなく見つめていると、ニコリと微笑まれる。
そうだよって言われたようで、慌てて適当なページを開いて、小説を読むふりをした。
***
秋中の好きな髪型が公開されるとなにが起こるか。
正解は数日後から明らかになっていき、2週間近く経つとクラス、いや学校のほとんどの女子が黒髪ショートになっていた。
秋中はこんなに影響力があったのかと驚くことになる。
***
みきさんは次の日もやってきた。
「秋中くーん」
「どうしたの? 雪城さん」
秋中は名前を知っていたのか。と驚いて、振り向くと秋中は楽しそうな表情をしている。
「恋バナしよ」
「いいよ」
「じゃデート、どこ行きたい?」
俺を含めたクラス中が2人の会話に注目をしている。
「水族館かな」
「ベタだね〜」
雪城さんは揶揄うように秋中の肩を叩く。
「水族館いいでしょ」
「まぁね、ね、あや」
雪城さんはあやさんの肩に手を置いた。
「ちょっと私に話を振らないでよ」
「山瀬さん、水族館好き?」
秋中が尋ねると、あやさんこと山瀬さんは乙女な表情をして、頷いた。
「じゃ、2人で行ってきたら?」
と雪城さんが提案すると、
「ちょっと、そんなこと言ったら秋中くん困っちゃうでしょ」
山瀬さんは慌てる。
「どうして?」
「だって、秋中くん好きな人居るみたいだし、私と2人で出かけたりできないよ」
「秋中くん、そうなの?」
雪城さんはイタズラっ子のようにニヤニヤしている。
「どうだろう?」
秋中は首を傾げた。
「否定しないってことは?!」
雪城さんは大盛り上がりである。
俺は秋中たちから目線を外して、自分の机を眺めた。
秋中は否定しなかった。
秋中の好きな人は雪城さんなのだろうか。
そう思うと悲しくなってきて、耐えきれずに教室から出ることにした。
秋中の好きな人が雪城さんでもいいじゃないか。
目頭が熱くなって、涙が溢れそうになる。
秋中が誰を好きでもいいじゃないか。
俺たちは友達なんだから。
そう言い聞かせて、トイレに向かった。今、教室から出たのもトイレに行きたかっただけで、秋中の好きな人が雪城さんかもしれないわけではない。
誰に聞かれたわけでもない言い訳をひたすらに考える。
***
次の日の朝はいつもの車両に乗らなかった。
秋中と約束しているわけではないから、俺がどの車両に乗ったっていいのだ。
「桜屋くん? おはよう」
顔を上げると、秋中は不思議そうな表情でこちらを見ている。
「おはよう」
俺が返事をすると秋中は隣の席に座る。
いつもと違う車両に乗ったはず、辺りを見渡すと先頭車両にある乗務員ドアがないので間違いなくここは真ん中の車両である。
「桜屋くんが乗ってこないから探したんだよ」
「あぁ、そう」
「どうしたの?」
秋中が雪城さんのこと好きみたいだから、というのは意味が分からない。
「時間ギリギリで慌てて乗ったから」
と小さな嘘をついた。
「そうだったんだ」
「うん」
嘘だから、これ以上の情報はないし、喋りすぎて怪しまれるのもなと、いつも通りに青空のブックカバーをつけた小説を読み始める。
「行かないからね」
秋中がつぶやいた。
「えっ?」
「一応、念のため」
「何の話?」
「分からないなら、いいよ」
それって山瀬さんと水族館に行く話?
なんて聞いたら、盗み聞きしているのも意識しているのもバレてしまう。
小説の文字が頭に入ってこないので、窓の外を眺めた。暗い雲が多くて、雨が降りそうである。
***
紫の花が垂れ下がっている。藤は特徴的だ。
「あや、あの後どうなったの?」
校長室の前の写真を見ていると、聞き覚えがある声が聞こえて振り向いた。山瀬さんと雪城さんだ。
「あの後って?」
「秋中くんを水族館に誘ったんでしょ」
気になって、2人の後をついてきてしまった。方向的に教室に向かっているから、おかしくない。大丈夫。
「誘ったよ、誘ったけど断られちゃった」
「えー、なんで?」
「なんでって、私が好きなわけじゃないんじゃないの?」
山瀬さんの誘いを本当に断ったんだ。疑っていたわけではないけど、ほっとする。ほっとする?
「えー、そうかな?」
「そうだよ、水族館は恋人と行きたいからダメだって」
「秋中くん、付き合ってる人いるの?」
「いるんじゃないの?」
「そこ聞くの忘れてたね」
「それな、一番大事なところね」
2人は笑いながら女子トイレに入っていく。俺もつられて女子トイレに入りそうになったところを急カーブして、何食わぬ顔で男子トイレに入った。
付き合ってる可能性、考えてなかった。
分かっていることは初恋は今、好きな人がいる。それだけだ。
***
「秋中くーん」
雪城さんが教室に入ってくる。恋人の有無を聞いてくれるのだろう。
俺は耳を傾ける。
「どうしたの?」
「秋中くんって、付き合ってる人いるの?」
なんの躊躇いもなく、直球に聞ける雪城さんはすごい。
「付き合ってないよ」
「でも好きな子いるんだよね?」
「いるよ」
「同じクラスで黒髪ショートなんだよね?」
「そうだよ」
「ヒントちょうだい」
雪城さんは答えを得ようとしている。
「ヒント?」
秋中ははぐらかすように微笑んだ。
「そう。誰だかは聞かないから特徴だけでも教えて」
「読書が好き」
「もっと」
「空が好き」
「もう一声」
「チーズケーキ」
いやいや、俺だろ。自意識過剰とかじゃなくて、それ当てはまるの俺くらいなのでは?
秋中の方を向くと目が合った。
「それが好きな子の特徴?」
「そうだよ」
それって俺のことですか???


