第三話 カブト蚊にかまれる
「新藤くんって、虫好きなんだよね?私の弟が今虫取りにハマっててさ、なんかオススメの公園とか知らない?」
新藤が女子に声をかけられていて、うらやましいなと耳をそば立ててしまった。
「う〜ん。小さい子へのオレのおすすめはね、勝浦公園とやまさん公園とからき広場とかかな。勝浦公園は、よくいるチョウとかダンゴムシとかバッタとかもいるんだけど、珍しいアカシジミチョウをみたことがあるよ。やまさん公園もね、タマムシとかみかけたことがあるから、すんごいキレイなんだ。そして、そろそろセミがやってきそうなんだけど」
新藤が勢いよく喋ったと思ったら、急に止まった。そして、
「とまあ、こんな感じでどう、かな?」
と弱気な声で話を終えた。亀田さんが少し身体を反らせながら、
「ありがとう。弟に教えるね」
と言って去っていった。新藤のほうを向くと、新藤は下を向いていて表情が見えない。
「おい新藤、なんかすんごく公園について語ってたな。あんなに教えてくれたら助かるな。って、女子と話せてうらやましいよ」
近づいて声をかけた。新藤はオレの方に顔を向けると悲しそうな表情から、ホッとしたような表情をみせた。
「そうかな、たくさん喋りすぎちゃって、余計なお世話だったかもしんない」
そう眉を八の字にした笑顔で言った。
「そんなことないと思うけど。んで!今日は、どこの公園に行くの?」
その笑顔をいつもの笑顔にしたくて、話を変えた。なんと、今日はね〜そう言った新藤の眉はもう八の字じゃなかったので、ホッとした。
たまたま公園であったあの日から、オレは新藤に誘われると、予定のない日は付き合うようになった。もちろん、自由に動き回れる状態の虫と鉢合うことのないように、少し離れたところで新藤がカゴに入れて持ってくるのを待つスタンスは保持していた。学校帰りに初めて行ったときに、一緒に捕まえに行こうよと誘われたのだが、服を汚すと親に怒られるといういまいちな言い訳をものすごく真剣な顔をして伝えた。そのときのオレの形相はきっと鬼気迫るものがあったに違いない。なぜなら生身の虫に近づくなどしたら、あっという間に虫嫌いがバレてしまう。そしたらそれを新藤が学校で言って、それからクラスでもみんなに水森は実は虫が嫌いらしい、カブトって名前なのにと陰口を叩かれて、それが祟って、気になる女の子には全員フラレ、虫が出てくるたびみんなに気を遣われ遠巻きにされ、隅に追いやられて、それこそまさにあの大嫌いなGのような扱いになってしまうのではないか。そうなると妄想していた高校生活どころか、最悪な3年間を過ごすことになってしまう。それだけは絶対に避けたかった。その必死さがきっと功を奏したのだろう。新藤は疑うことなく、
「それなら仕方ないな。じゃあ、上の方で待っててね」
と言って、1人で草むらへ入っていった。それからは安定してずっとこのポジションで付き合えている。虫活に付き合ってみて分かったことがある。それは、思ったより珍しい虫に出会うことがないということ。初めて写真を撮ったモンシロチョウ以降、オレが撮ったのは、モンキチョウ、バッタ、カマキリ、ダンゴムシといった面々だった。よく耳にする、そしてそこらへんに見かける虫ばかりで、こんな虫ばかりかと拍子抜けしたというのは正直な感想だ。しかし、そいつらを見つめる新藤の様子を見ていると、そうでもないなとも思ってくるから不思議だった。
「見てカブト、コイツちょっとスカしてるな」
「あ、コイツのツヤものすごくいい!」
一匹一匹に添えられる言葉を聞いているうちに、なんだまたバッタかよとか思った自分が情けなくなり、新藤ほどではないが、一匹一匹にほんのすこーしの愛着すら湧きそうになる。そしてオレの役割の写真撮影はというと、初めのモンシロチョウでの充足感が忘れられず、だいぶのり気で臨んでいる。続けていると、それがオレのツボにハマったようで、最近スマホの検索履歴は専ら、『スマホ 映える 虫 撮り方』だ。それらを参考にしながら、新藤のコメントを聞いて、虫にスマホのレンズを向け、集中して撮影している。それから2人で撮った写真を確認する時間は、出来を認めてもらえるかと少しの緊張をはらんでいるが、今のところ新藤からダメ出しをされたことはない。なんなら毎回喜んでくれて、毎回撮影って楽しいなと思わせてくれる。最後、カゴから虫を放つときは、気持ち分身体を後ろに反らせながらも、草むらに戻る姿をしっかり見届けることすらできている。
「おいカブト、お前最近新藤と仲良くなってないか?虫大丈夫なのか」
移動教室で歩いていると一朗が心配した様子で聞いてきた。
「今のところは大丈夫。って、聞いてくれよ、カゴに入った虫ならなんとか大丈夫なんだよ。虫除けスプレーを怠ったことはないから、オレの周りに直接虫は来ないし。写真撮影も案外楽しい」
一朗は驚いた表情をして
「そうか!それはすげーな!あの虫嫌いがそこまでになってるとは」
そう話していると、一朗が廊下で立っていた女子に名前を呼ばれて手を振っていた。中学のときからだったが、一朗はモテる。野球部でも活躍しているし、顔もものすごくイケメンではなくほどよいくらいイケメンというのがいいそうだった。それにしても、今の女子に手を振った一朗の顔が、あまり見たことのない、いつものスカした感じではなく、優しく微笑む感じの表情だったのをオレは見逃さなかった。
「一朗、相変わらずだな〜。もしかして、今の子好きな子とか?」
「……」
少し茶化すように言ったので、そんな感じで返事が返ってくるかと思ったらまさかの沈黙。
「い、一朗、もしかしてそうなのか?」
「……カブトに言うの忘れてたや、ごめんな。さっきの子、彼女なんだよ」
オレは脳天直撃とはこのことかというくらい衝撃を受けた。バイト先の畑野さんといい一朗といい、オレが思い描いていた高校生活を手にしているやつがこんなに身近に2人もいるなんて!オレは自分がどこで踏み間違えたのか、急に頭が混乱してきた。
「お、そうだったんだな。いいなー!彼女かー!」
そう言うのが精一杯だった。
その後もオレの頭の中は一朗のイカした高校生活への憧れでいっぱいだった。まだ一学期だし、ここから挽回するにはどうしたらいいもんかと頭をひねるがいいアイデアは出てこない。妄想のオレはいつだってイケているのに、どこをどうしたらいいんだろう。オレにとっての死活問題なため、授業も身に入らなければ、電車も降り損ねそうになるくらいだった。
家に帰りソファで考えあぐねているオレに母が
「カブト、何ボーッとしてんのよ」
と言ったので、
「母さん、どんな高校生活送ってた?」
と思わず聞いてみた。母は一瞬驚いた顔をした後で、う〜んと思い出す素振りをし、
「私のときはね〜、普通に友だちと遊んだりしてたような気がするけど」
と当たり障りない答えが返ってきた。
「何、あんたもう高校生活悩んでるの?」
「いや、まあ、そういうんじゃ、ないけど、そのような気もするけど……」
「どんな高校生活を思い描いてるのか知らないけど、とりあえずご飯食べて寝て学校行って勉強して友だちと遊べば大体オッケーよ。とりあえず生きてればオッケー!だからカブトは大丈夫!くだらないこと悩んでないで、なんか手伝いでもしてよ!」
しどろもどろなオレに母はそう言い放ち、台所へ戻って行った。まさか、どうやったらイカした高校生活が送れるかなんて思ってないんだろうなーと思いながら、目の前で付いていたテレビの再放送のドラマを流し見した。しかし、そのドラマは目立たない高校生が実はイケてて、ものすごいかわいい女の子と結ばれる内容だったので、すぐにチャンネルを変えた。
ぐっすり眠った翌朝もオレは、しつこいけど、イカした高校生活のために何か今日からでもできることはないだろうかと考えていた。そして、それが悪かった。
学校に着くと珍しく新藤が先に席に着いていたから、おはようと声をかけ、オレも座った。すると新藤がオレの席のほうにやってきた。
「なあ、カブト、昨日の放課後、この前行った公園で珍しい虫見つけたんだよ。もしよければ今日一緒に行ってくれないかな?」
今日も悶々と考えてしまいそうだったので、いい気分転換になるなと思い、行くと伝えた。新藤はとても喜んでくれて、それを見ると少し気が軽くなった。
そして放課後、新藤に連れられて公園へ行った。いつも通り上のほうで待機しながら、虫を捕まえる新藤を待った。待ちながら、アイツはきっとオレが悩んでることで悩むことないんだろうなーと思い、性懲りも無く、これからどういう生活を送ればいいかと頭をひねる。目は正面の草むらと新藤に向かっているが、その光景はこれっぽっちも入っておらず、オレの頭の中はグルグルとモヤモヤでいっぱいだった。
「カブトー!捕まえたー!」
新藤の声で、オレの頭は公園に戻ってきた。そして、近づいてきた新藤の笑顔が、オレと目が合った瞬間、眉間に皺を寄せた怪訝な表情へ変わった。
「カブト、お前の顔、大変なことになってるぞ」
「え?」
驚いてスマホを取り出し、インカメに切り替えて自分の顔を見ると、顔面がボコボコと何箇所も腫れていたのだ。それをみてオレは一瞬クラっとしてしまった。そういえば、新藤を待つ間、なんだか今日はいつもよりも虫の羽音が近いような気がしたが、考えごとをしていたせいか、そこまで気にならなかった。さらに今日はなんだかちょっとかゆいような気がしたけど、それも考えごとをしながら無意識にかいてたようで、気にしていなかった。そう、今日のオレは盛大に蚊に噛まれていたのに、全く気づいていなかったのだ。え、なんで?!虫除けは?!と、朝を思い出す。そして朝、考えごとをしていたせいで虫除けスプレーを塗るのを忘れてしまったのだと気づいた。何やってんだ自分と色々考え、また落ち込もうとしていたオレの目の前で、新藤が身体をくの字に曲げて大笑いしだした。
「カブト、それまぢすげーって!こんなに蚊で腫れてる人あんまりいないよな!あ〜おもしろ!は〜!ってか、痒くない?大丈夫?」
涙を拭きながら新藤が言った言葉を聞いてオレは、顔と腕、蚊に噛まれたところがものすごく痒いことに気づいた。そして、
「か、痒すぎる〜!!!!!」
そういってオレも一緒に大笑いした。痒すぎるし、顔もバチボコに腫れて笑えないのに、大笑いした。
「オレ、ムヘ持ってるよ!塗ってやろうか?」
カバンからムヘを取り出し新藤が言ったので、ぜひとお願いした。任せとけ!と大袈裟に腕まくりをして、じゃあ塗ったるとオレの目の前に座り、ムヘを塗り出した。オレも、よろしくと目を閉じ顔を、塗りやすいように顔を差し出した。塗られている間、少し薄く目を開けると、思いの外新藤の顔が近く、その表情が虫を捕まえようとしているときの真剣な顔で、一瞬ドキッとしてしまい、急いで目を閉じた。それから鼻の頭に思いっきりムヘを押し付けられ、ビックリして目を開けると、もう塗れたぞ!腕は自分で濡れよなと新藤が目の前で笑っていた。思ったより顔が近く、照れて一瞬2人の間に居た堪れない雰囲気が醸し出されたが、お互いパッと離れた。
「って、インカメにしたら自分でムヘ塗れたな。余計なことしてごめん」
新藤が俯きながら言った。
「何言ってんだよ。オレ不器用だから助かったよ!ありがとう!」
照れたことをなかったことにしたくて、両手を空に向けて大袈裟に感謝を告げた。それをみて新藤も笑ってくれた。
それから腕にムヘを塗って、新藤が捕まえてきた珍しい虫の撮影に入った。その虫は、最初の頃新藤から聞いたことのあった、ナミハンミョウという虫だった。新藤の図鑑で見たことはあったが、本物もやっぱり色とりどりでとても綺麗で、光沢もある。キレイなだけではなく、鋭いアゴもあり、凛々しさも兼ね備えている虫だった。写真を撮る前に、思わず見惚れてしまったくらいだった。
「本当にキレイだな」
「だろ?すごいよな。前にさ、ハンミョウの話をしたときに、カブトがキレイって言ってくれただろう?だから、絶対カブトには見せたかったんだ!今日それができて嬉しいよ」
そういう笑顔で言う新藤を見て、今悩んでることが少しフワリと浮いた気がした。
「ようし、ハンミョウの良さを詰め込んだ一枚撮る!」
おー!と2人で気合いを入れて、撮影に入った。さすが、元からキレイなだけあって、撮影は順調に進み、早々に草むらに返すこともできた。ハンミョウがピョンピョン跳びながら草むらへ帰っていく様子はとてもかわいく、美しさと強さだけじゃなく、かわいさまで兼ね備えてるのかよと感心してしまった。ハンミョウを見送った後、いつもならすぐ解散するのだが、なぜだか今日は2人とも立ち上がらなかった。
「カブトの虫刺されすごかったな。もう大丈夫か?いつもはあんなことならないのにな」
新藤にそう言われ、少々後ろめたかったが、虫除けスプレーのことを正直に話すことにした。
「実はさ、いつも虫除けスプレー塗ってるんだよ、オレ。でも今日は塗り忘れたみたいで、それであんなことになっちゃったんだ」
新藤のリアクションがどうくるか、オレの心に緊張が走った。
「あ〜、そうなんだ!あんだけ腫れるなら、そりゃ塗るよなー。オレだってヤバそうなところに行くときは塗るしな」
あれ?そんなもん?オレはてっきり、虫除けスプレーなんて塗ったら虫が寄ってこなくなるぞと言われるとか、虫好きなのにそうだったんだって落胆されたりするのかなと思ってたから、新藤の言葉に拍子抜けしてしまった。
「おすすめの虫除けあるぞ。自然のものでできてるから、身体にも虫にも優しいやつ。あとで教えるよな!お、もうだいぶ日が落ちてきたし帰るか」
いつもより少しだけ長かった虫活。新藤と別れ、オレも家に帰った。夕日が赤くてとてもキレイだった。
「カブト、あんた顔どうしたの?」
帰るなりオレの顔を見た母がギョッとした顔で聞いてきた。
「蚊に噛まれたんだよ」
と答えると、母は少しだけニヤッと笑って、
「そうかそうか、昨日よりいい顔になってるよ」
と嬉しそうに言った。それから、お風呂入ったら、ムヘあるから塗っときなさいと付け加えた。洗面台で自分の顔を見る。蚊に噛まれるなんて何年ぶりだろう。そしてオレの顔を見たときの新藤の顔とそのあと大笑いしたことを思い出し、自然と笑みが漏れる。母の言葉、イヤミかよと思ったけど、その意味が少し分かった気がした。イケてる高校生活を送りたいという願望がなくなったわけではないけど、今の高校生活も悪いものではないじゃないかと鏡に映る腫れたオレの顔が言っていた。
翌日、新藤がいつもより早めに教室に入ってきた途端、オレの顔を凝視した。昨日のムヘを塗られたときのことを思い出し、ドキッとする。
「よかったー!腫れ引いてるな!これが、オレのおすすめの虫除け!」
そう言って笑って、小さいボトルに入った虫除けをくれた。それはとてもキレイなモンキチョウのような薄い黄色の液体だった。ありがとうと言って受け取る。そのときオレの隣を亀田が通ったので、
「亀田、この前新藤に聞いた公園、弟に教えたんかよ。どうだった?」
と聞いてみた。オレの隣で新藤が顔を下に向けたのが分かった。
「そうだ!新藤くん、ありがとう!弟すんごい喜んでて、なんだっけ?カメムシ?の話とかもしたら、絶対行くって言ってた!ってか、水森なんか顔腫れてない?大丈夫?」
亀田が笑顔だった表情を一気に怪訝そうな表情に変えた。その表情を見ても、もうオレは気にならなかった。
「昨日、蚊に噛まれたんだよ。教えてよかったな、新藤!」
「うん!」
新藤が笑うと、オレも嬉しくなるのだとこのとき初めて知った。
「新藤くんって、虫好きなんだよね?私の弟が今虫取りにハマっててさ、なんかオススメの公園とか知らない?」
新藤が女子に声をかけられていて、うらやましいなと耳をそば立ててしまった。
「う〜ん。小さい子へのオレのおすすめはね、勝浦公園とやまさん公園とからき広場とかかな。勝浦公園は、よくいるチョウとかダンゴムシとかバッタとかもいるんだけど、珍しいアカシジミチョウをみたことがあるよ。やまさん公園もね、タマムシとかみかけたことがあるから、すんごいキレイなんだ。そして、そろそろセミがやってきそうなんだけど」
新藤が勢いよく喋ったと思ったら、急に止まった。そして、
「とまあ、こんな感じでどう、かな?」
と弱気な声で話を終えた。亀田さんが少し身体を反らせながら、
「ありがとう。弟に教えるね」
と言って去っていった。新藤のほうを向くと、新藤は下を向いていて表情が見えない。
「おい新藤、なんかすんごく公園について語ってたな。あんなに教えてくれたら助かるな。って、女子と話せてうらやましいよ」
近づいて声をかけた。新藤はオレの方に顔を向けると悲しそうな表情から、ホッとしたような表情をみせた。
「そうかな、たくさん喋りすぎちゃって、余計なお世話だったかもしんない」
そう眉を八の字にした笑顔で言った。
「そんなことないと思うけど。んで!今日は、どこの公園に行くの?」
その笑顔をいつもの笑顔にしたくて、話を変えた。なんと、今日はね〜そう言った新藤の眉はもう八の字じゃなかったので、ホッとした。
たまたま公園であったあの日から、オレは新藤に誘われると、予定のない日は付き合うようになった。もちろん、自由に動き回れる状態の虫と鉢合うことのないように、少し離れたところで新藤がカゴに入れて持ってくるのを待つスタンスは保持していた。学校帰りに初めて行ったときに、一緒に捕まえに行こうよと誘われたのだが、服を汚すと親に怒られるといういまいちな言い訳をものすごく真剣な顔をして伝えた。そのときのオレの形相はきっと鬼気迫るものがあったに違いない。なぜなら生身の虫に近づくなどしたら、あっという間に虫嫌いがバレてしまう。そしたらそれを新藤が学校で言って、それからクラスでもみんなに水森は実は虫が嫌いらしい、カブトって名前なのにと陰口を叩かれて、それが祟って、気になる女の子には全員フラレ、虫が出てくるたびみんなに気を遣われ遠巻きにされ、隅に追いやられて、それこそまさにあの大嫌いなGのような扱いになってしまうのではないか。そうなると妄想していた高校生活どころか、最悪な3年間を過ごすことになってしまう。それだけは絶対に避けたかった。その必死さがきっと功を奏したのだろう。新藤は疑うことなく、
「それなら仕方ないな。じゃあ、上の方で待っててね」
と言って、1人で草むらへ入っていった。それからは安定してずっとこのポジションで付き合えている。虫活に付き合ってみて分かったことがある。それは、思ったより珍しい虫に出会うことがないということ。初めて写真を撮ったモンシロチョウ以降、オレが撮ったのは、モンキチョウ、バッタ、カマキリ、ダンゴムシといった面々だった。よく耳にする、そしてそこらへんに見かける虫ばかりで、こんな虫ばかりかと拍子抜けしたというのは正直な感想だ。しかし、そいつらを見つめる新藤の様子を見ていると、そうでもないなとも思ってくるから不思議だった。
「見てカブト、コイツちょっとスカしてるな」
「あ、コイツのツヤものすごくいい!」
一匹一匹に添えられる言葉を聞いているうちに、なんだまたバッタかよとか思った自分が情けなくなり、新藤ほどではないが、一匹一匹にほんのすこーしの愛着すら湧きそうになる。そしてオレの役割の写真撮影はというと、初めのモンシロチョウでの充足感が忘れられず、だいぶのり気で臨んでいる。続けていると、それがオレのツボにハマったようで、最近スマホの検索履歴は専ら、『スマホ 映える 虫 撮り方』だ。それらを参考にしながら、新藤のコメントを聞いて、虫にスマホのレンズを向け、集中して撮影している。それから2人で撮った写真を確認する時間は、出来を認めてもらえるかと少しの緊張をはらんでいるが、今のところ新藤からダメ出しをされたことはない。なんなら毎回喜んでくれて、毎回撮影って楽しいなと思わせてくれる。最後、カゴから虫を放つときは、気持ち分身体を後ろに反らせながらも、草むらに戻る姿をしっかり見届けることすらできている。
「おいカブト、お前最近新藤と仲良くなってないか?虫大丈夫なのか」
移動教室で歩いていると一朗が心配した様子で聞いてきた。
「今のところは大丈夫。って、聞いてくれよ、カゴに入った虫ならなんとか大丈夫なんだよ。虫除けスプレーを怠ったことはないから、オレの周りに直接虫は来ないし。写真撮影も案外楽しい」
一朗は驚いた表情をして
「そうか!それはすげーな!あの虫嫌いがそこまでになってるとは」
そう話していると、一朗が廊下で立っていた女子に名前を呼ばれて手を振っていた。中学のときからだったが、一朗はモテる。野球部でも活躍しているし、顔もものすごくイケメンではなくほどよいくらいイケメンというのがいいそうだった。それにしても、今の女子に手を振った一朗の顔が、あまり見たことのない、いつものスカした感じではなく、優しく微笑む感じの表情だったのをオレは見逃さなかった。
「一朗、相変わらずだな〜。もしかして、今の子好きな子とか?」
「……」
少し茶化すように言ったので、そんな感じで返事が返ってくるかと思ったらまさかの沈黙。
「い、一朗、もしかしてそうなのか?」
「……カブトに言うの忘れてたや、ごめんな。さっきの子、彼女なんだよ」
オレは脳天直撃とはこのことかというくらい衝撃を受けた。バイト先の畑野さんといい一朗といい、オレが思い描いていた高校生活を手にしているやつがこんなに身近に2人もいるなんて!オレは自分がどこで踏み間違えたのか、急に頭が混乱してきた。
「お、そうだったんだな。いいなー!彼女かー!」
そう言うのが精一杯だった。
その後もオレの頭の中は一朗のイカした高校生活への憧れでいっぱいだった。まだ一学期だし、ここから挽回するにはどうしたらいいもんかと頭をひねるがいいアイデアは出てこない。妄想のオレはいつだってイケているのに、どこをどうしたらいいんだろう。オレにとっての死活問題なため、授業も身に入らなければ、電車も降り損ねそうになるくらいだった。
家に帰りソファで考えあぐねているオレに母が
「カブト、何ボーッとしてんのよ」
と言ったので、
「母さん、どんな高校生活送ってた?」
と思わず聞いてみた。母は一瞬驚いた顔をした後で、う〜んと思い出す素振りをし、
「私のときはね〜、普通に友だちと遊んだりしてたような気がするけど」
と当たり障りない答えが返ってきた。
「何、あんたもう高校生活悩んでるの?」
「いや、まあ、そういうんじゃ、ないけど、そのような気もするけど……」
「どんな高校生活を思い描いてるのか知らないけど、とりあえずご飯食べて寝て学校行って勉強して友だちと遊べば大体オッケーよ。とりあえず生きてればオッケー!だからカブトは大丈夫!くだらないこと悩んでないで、なんか手伝いでもしてよ!」
しどろもどろなオレに母はそう言い放ち、台所へ戻って行った。まさか、どうやったらイカした高校生活が送れるかなんて思ってないんだろうなーと思いながら、目の前で付いていたテレビの再放送のドラマを流し見した。しかし、そのドラマは目立たない高校生が実はイケてて、ものすごいかわいい女の子と結ばれる内容だったので、すぐにチャンネルを変えた。
ぐっすり眠った翌朝もオレは、しつこいけど、イカした高校生活のために何か今日からでもできることはないだろうかと考えていた。そして、それが悪かった。
学校に着くと珍しく新藤が先に席に着いていたから、おはようと声をかけ、オレも座った。すると新藤がオレの席のほうにやってきた。
「なあ、カブト、昨日の放課後、この前行った公園で珍しい虫見つけたんだよ。もしよければ今日一緒に行ってくれないかな?」
今日も悶々と考えてしまいそうだったので、いい気分転換になるなと思い、行くと伝えた。新藤はとても喜んでくれて、それを見ると少し気が軽くなった。
そして放課後、新藤に連れられて公園へ行った。いつも通り上のほうで待機しながら、虫を捕まえる新藤を待った。待ちながら、アイツはきっとオレが悩んでることで悩むことないんだろうなーと思い、性懲りも無く、これからどういう生活を送ればいいかと頭をひねる。目は正面の草むらと新藤に向かっているが、その光景はこれっぽっちも入っておらず、オレの頭の中はグルグルとモヤモヤでいっぱいだった。
「カブトー!捕まえたー!」
新藤の声で、オレの頭は公園に戻ってきた。そして、近づいてきた新藤の笑顔が、オレと目が合った瞬間、眉間に皺を寄せた怪訝な表情へ変わった。
「カブト、お前の顔、大変なことになってるぞ」
「え?」
驚いてスマホを取り出し、インカメに切り替えて自分の顔を見ると、顔面がボコボコと何箇所も腫れていたのだ。それをみてオレは一瞬クラっとしてしまった。そういえば、新藤を待つ間、なんだか今日はいつもよりも虫の羽音が近いような気がしたが、考えごとをしていたせいか、そこまで気にならなかった。さらに今日はなんだかちょっとかゆいような気がしたけど、それも考えごとをしながら無意識にかいてたようで、気にしていなかった。そう、今日のオレは盛大に蚊に噛まれていたのに、全く気づいていなかったのだ。え、なんで?!虫除けは?!と、朝を思い出す。そして朝、考えごとをしていたせいで虫除けスプレーを塗るのを忘れてしまったのだと気づいた。何やってんだ自分と色々考え、また落ち込もうとしていたオレの目の前で、新藤が身体をくの字に曲げて大笑いしだした。
「カブト、それまぢすげーって!こんなに蚊で腫れてる人あんまりいないよな!あ〜おもしろ!は〜!ってか、痒くない?大丈夫?」
涙を拭きながら新藤が言った言葉を聞いてオレは、顔と腕、蚊に噛まれたところがものすごく痒いことに気づいた。そして、
「か、痒すぎる〜!!!!!」
そういってオレも一緒に大笑いした。痒すぎるし、顔もバチボコに腫れて笑えないのに、大笑いした。
「オレ、ムヘ持ってるよ!塗ってやろうか?」
カバンからムヘを取り出し新藤が言ったので、ぜひとお願いした。任せとけ!と大袈裟に腕まくりをして、じゃあ塗ったるとオレの目の前に座り、ムヘを塗り出した。オレも、よろしくと目を閉じ顔を、塗りやすいように顔を差し出した。塗られている間、少し薄く目を開けると、思いの外新藤の顔が近く、その表情が虫を捕まえようとしているときの真剣な顔で、一瞬ドキッとしてしまい、急いで目を閉じた。それから鼻の頭に思いっきりムヘを押し付けられ、ビックリして目を開けると、もう塗れたぞ!腕は自分で濡れよなと新藤が目の前で笑っていた。思ったより顔が近く、照れて一瞬2人の間に居た堪れない雰囲気が醸し出されたが、お互いパッと離れた。
「って、インカメにしたら自分でムヘ塗れたな。余計なことしてごめん」
新藤が俯きながら言った。
「何言ってんだよ。オレ不器用だから助かったよ!ありがとう!」
照れたことをなかったことにしたくて、両手を空に向けて大袈裟に感謝を告げた。それをみて新藤も笑ってくれた。
それから腕にムヘを塗って、新藤が捕まえてきた珍しい虫の撮影に入った。その虫は、最初の頃新藤から聞いたことのあった、ナミハンミョウという虫だった。新藤の図鑑で見たことはあったが、本物もやっぱり色とりどりでとても綺麗で、光沢もある。キレイなだけではなく、鋭いアゴもあり、凛々しさも兼ね備えている虫だった。写真を撮る前に、思わず見惚れてしまったくらいだった。
「本当にキレイだな」
「だろ?すごいよな。前にさ、ハンミョウの話をしたときに、カブトがキレイって言ってくれただろう?だから、絶対カブトには見せたかったんだ!今日それができて嬉しいよ」
そういう笑顔で言う新藤を見て、今悩んでることが少しフワリと浮いた気がした。
「ようし、ハンミョウの良さを詰め込んだ一枚撮る!」
おー!と2人で気合いを入れて、撮影に入った。さすが、元からキレイなだけあって、撮影は順調に進み、早々に草むらに返すこともできた。ハンミョウがピョンピョン跳びながら草むらへ帰っていく様子はとてもかわいく、美しさと強さだけじゃなく、かわいさまで兼ね備えてるのかよと感心してしまった。ハンミョウを見送った後、いつもならすぐ解散するのだが、なぜだか今日は2人とも立ち上がらなかった。
「カブトの虫刺されすごかったな。もう大丈夫か?いつもはあんなことならないのにな」
新藤にそう言われ、少々後ろめたかったが、虫除けスプレーのことを正直に話すことにした。
「実はさ、いつも虫除けスプレー塗ってるんだよ、オレ。でも今日は塗り忘れたみたいで、それであんなことになっちゃったんだ」
新藤のリアクションがどうくるか、オレの心に緊張が走った。
「あ〜、そうなんだ!あんだけ腫れるなら、そりゃ塗るよなー。オレだってヤバそうなところに行くときは塗るしな」
あれ?そんなもん?オレはてっきり、虫除けスプレーなんて塗ったら虫が寄ってこなくなるぞと言われるとか、虫好きなのにそうだったんだって落胆されたりするのかなと思ってたから、新藤の言葉に拍子抜けしてしまった。
「おすすめの虫除けあるぞ。自然のものでできてるから、身体にも虫にも優しいやつ。あとで教えるよな!お、もうだいぶ日が落ちてきたし帰るか」
いつもより少しだけ長かった虫活。新藤と別れ、オレも家に帰った。夕日が赤くてとてもキレイだった。
「カブト、あんた顔どうしたの?」
帰るなりオレの顔を見た母がギョッとした顔で聞いてきた。
「蚊に噛まれたんだよ」
と答えると、母は少しだけニヤッと笑って、
「そうかそうか、昨日よりいい顔になってるよ」
と嬉しそうに言った。それから、お風呂入ったら、ムヘあるから塗っときなさいと付け加えた。洗面台で自分の顔を見る。蚊に噛まれるなんて何年ぶりだろう。そしてオレの顔を見たときの新藤の顔とそのあと大笑いしたことを思い出し、自然と笑みが漏れる。母の言葉、イヤミかよと思ったけど、その意味が少し分かった気がした。イケてる高校生活を送りたいという願望がなくなったわけではないけど、今の高校生活も悪いものではないじゃないかと鏡に映る腫れたオレの顔が言っていた。
翌日、新藤がいつもより早めに教室に入ってきた途端、オレの顔を凝視した。昨日のムヘを塗られたときのことを思い出し、ドキッとする。
「よかったー!腫れ引いてるな!これが、オレのおすすめの虫除け!」
そう言って笑って、小さいボトルに入った虫除けをくれた。それはとてもキレイなモンキチョウのような薄い黄色の液体だった。ありがとうと言って受け取る。そのときオレの隣を亀田が通ったので、
「亀田、この前新藤に聞いた公園、弟に教えたんかよ。どうだった?」
と聞いてみた。オレの隣で新藤が顔を下に向けたのが分かった。
「そうだ!新藤くん、ありがとう!弟すんごい喜んでて、なんだっけ?カメムシ?の話とかもしたら、絶対行くって言ってた!ってか、水森なんか顔腫れてない?大丈夫?」
亀田が笑顔だった表情を一気に怪訝そうな表情に変えた。その表情を見ても、もうオレは気にならなかった。
「昨日、蚊に噛まれたんだよ。教えてよかったな、新藤!」
「うん!」
新藤が笑うと、オレも嬉しくなるのだとこのとき初めて知った。

